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22:2012年10月1日

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2012年10月1日(月)13時20分

 永山義春の研究室に、橿原一如と穂積里香が訪問していた。
 穂積は、サイフォン式で淹れたコーヒーをカップに注ぎながら言う。
「今週はボリューム2が来てましたね。『大学として学生に提供できるものは何か?』でしたっけ。ヤバいですね。橿原先生なんかは、こういうのには相当怒ってるんじゃないですか?」

 橿原は笑いながら応えた。
「怒ってるもなにも、呆れ返って怒る気にもなりませんよ」

 永山がそれに割り込んだ。
「そういうチャラいことやっちゃダメだってこと、まともな学者なら分かりそうなものなのにねぇ。やっぱさ、今はドラッカーがブームだからでしょ? さながら、『もし大学の理事長がドラッカーのマネジメントを読んだら』って感じじゃない? そしたら高等教育が崩壊しましたってオチがつくんだと思う」

 穂積は笑わずに言う。
「ドラッカーのマネジメント論って、だいぶ前からブームですよね。もう2012年だから、かれこれ3年くらいは経ってるんじゃないですかね。今更感が半端ないってところです」
 穂積はコーヒーを一口飲んでから続けた。
「でね、実は私、そういうドラッカーブームの時に本を買って読んだんですよ。『もしドラ』も読みました。だけど、あそこに書かれていることを、どう解釈しても、大学経営に当てはめることって出来ないと思うんです。だいたい、ドラッカー本人が書籍内でこう言ってるんですよ。『まず公的機関は、企業と同じようにマネジメントすれば成果をあげられると、くどいほど言われてきた。これはまちがいである』って」

 永山は飲みかけていたコーヒーを吹き出しそうになった。
「えっ? そうなの?」

穂積は続けた。
「はい、そうです。ドラッカーは、成功している公的機関の条件として、1つ目:自らの事業の定義、2つ目:明確な目標、3つ目:活動の優先順位、4つ目:成果の尺度、5つ目:成果のフィードバック、6つ目:成果の監査の6項目を挙げています。それというのも、公的機関は民間企業と違って、成果に対して支払いを受ける組織ではないからです。計画と活動に対して支払いを受けるんです。大学もそうですよね。成果は高等教育および学術研究の実現であることは事前に分かっていることですから。なので、大学は粛々と高等教育と学術活動に邁進すべきなんです。それが大学の公的な使命であり、存在意義ですからね。そして、公的機関が生み出すものは欲求の充足ではなく、必要の充足。誰もが持つべきもの、持たなければならないものを供給することである、というのがドラッカーの主張です。少なくとも、田之浦理事長がボリューム1と2で主張していることは、明確に間違いです。理事長は一番最初のメールで『私の解釈が間違っているのであればご指摘ください』って書いてましたから、そう指摘してやろうかと思いましたが、辞めときました。そもそも、ドラッカーの主張はあくまでドラッカーのものであって、大学組織の経営については様々な視点や主張があるわけで、さらに橿原先生流に言えば、それは人類が存在する限り、永遠に決着しないテーマのはずですよ。もっと言えば、大学という場所そのものがマネジメント論について議論すべきはずの所なんですから。そんなところで、ある一人の学者のマネジメント論を全力で追従、採用するっていうのも、意味不明な暴挙でしかないですよね」

 永山が笑いながら穂積に言う。
「しかも、ドラッカーが言ってることを間違って解釈してるわけだしね。穂積先生、そこまでドラッカーのマネジメントを読んでたの? そういうのに興味あったりするわけ?」

 穂積は少し宙を眺めてから応える。
「いえ、全く。んー・・・、まあ、全然ないわけではありませんけど、あくまでもブームを少し噛じってみたいという好奇心ですかね」

 橿原がそこに口を入れる。
「さっき、先生は『もしドラ』も読んだことがあるって言ってましたよね。僕、あれは読んだことないんですけど、やっぱりベストセラーになるような本だったんですか?」

「まあ、ドラッカーの『マネジメント』に何が書いているかを、ざっくり紹介している本ですから、そこから何か学べるものがあるかっていうと怪しいですね。あくまでも、『マネジメント』を読んだ高校野球部についての、ライトノベルって感じです。それに、私は野球をやったこともマネージャーをやったこともないですけど、高校のメジャーな種目の運動部が、マネジメントに注力したからといって、県内トップレベルへと強化されることは考えられませんから。マネジメントよりも地道なトレーニングと素質ある選手のリクルートが大事なんだろうなとは思います」

 永山はカップに残ったコーヒーをすすって言った。
「マネジメントってさ、今そこにあるリソースを最大限に活かすためのものっていうところがあるでしょ。結局、ある年齢以上の人間の能力には、素質が大きく関わってくるわけで、トレーニングしたってダメなものはダメなんだよね。これは最近の遺伝行動学の研究でも明らかになってきている。だから、高校の野球部としてマネジメントできるのは、素質のある選手、ないし特待生をいかに集めることができるか、ってところになるんだよね。残酷だけど、それが16歳以上のメジャーなスポーツ競技における、紛れもない現実だよ。スポーツ競技ですらそんなのだから、大人たちの仕事は尚の事だよ。そうした事実やデータの積み重ねから得られた情報を、分析・統合するのが、まさしくマネジメントなわけだよね。でも、一般的な人がマネジメント理論に期待しているのは、まるでダメな人間が、凄いマネジメント・テクニックを採用することによって、見違えるように仕事ができる、パフォーマンスが上がるっていう妄想なんだよ。でも、違うんよ。マネジメントって突き詰めていくと、優秀な人間がやろうとしていることを、ダメな人間が邪魔しないようにコントロールしていきましょう、ってことなんだよ。いろいろ言い方を変えて誤魔化されることだけどさ、結局の所そこになるんだよね」

 橿原が笑いながらそこに付け加える。
「よくあるサプリメント信仰みたいなもんですよね。サプリメントをどんなにたくさん飲んでも、結局は薬理効果なんか無いわけで。サプリメントを飲んでも肌は潤わないし、体重も減らない。そいつの頭が良くないのは、サプリメントを飲んでいないからじゃなくて、もともと本人の頭が悪いからです。肌の潤いが無いのも、太り気味なのも、ほぼほぼ体質で説明されることが分かってきています。それがサプリメントごときで良くなってたら、人間はこんなに苦労しません」

 穂積はコーヒーを口にし、軽やかに腕時計を確認する。
「もうすぐ4限が始まりますね」と言ってから、腕組みをしながら口を開く。
「永山先生がおっしゃっていることも、ちょっと極端だとは思いますが、最終的には私もそういう認識に近いかもしれません。認識というか、願望めいたものですが。なんにせよ、田之浦理事長がドラッカーを引っ張り出してきたのも、結局のところは権威主義的なんですよ。ドラッカーという権威を利用して、自分にとって都合のいい経営方法をとりたいだけなんです。だから、メチャクチャな引用や解釈で塗り固められたものになっちゃうんですね」




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