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57:2013年3月31日

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2013年3月31日(日)11時40分

 永山義春の研究室に、橿原一如が訪問している。

 二人は缶コーヒーを飲んでいた。

「あぁ、また1年が始まるね。今年は落ち着いた1年になってほしいよ」

「そうですねぇ。あと、これから先、永山さんが出世して青葉の経営陣に入るまでは、致命傷を負わずに生き残っててほしいですよね」

「これから先、どうなるんだろうね。俺、この10年くらいで、マジでここはヤバいと思ってるんだけど。ここの大学を立て直すより、他の大学に移ったほうがいいかもよ」

「はい。一般的に、まず5年後の2018年が節目ですよね。2018年問題がありますから」

「そうだね。18歳人口が大きく減るタイミングでしょ? あれで受験生や入学者に影響がでるからね」

「そうです。この2018年で大学がどんどん潰れるっていう話も出ていますけど、そんなことにはならないですよ。もちろん、2018年の入試結果はとても重要です。だけど、それで大学が潰れるってことにはなりません。大学というのは、ここの理事長が勘違いしてるような、民間企業とは違いますから。学生募集とか入学者の影響が、すぐに出るわけじゃないです。だいたい、2025年くらいが一つの分岐点だと思っています。およそ10年後ですよね。ここで初めて、2018年における経営状態の影響が現れると思うんです」

「それまでが勝負だね」

「ただ、今ここで話されていることって、結局のところ、僕たちが理想としている方向に舵が切られたら、ってことじゃないですか」

「うん、たしかに」

「でも、実際のところ、そんなことにはならないと思うんですよ。現行の大学改革をやりとげたい人は必ずいるわけだし、大学に対するルサンチマンを抱えてる奴らからは、虚しい破壊活動を受けるわけです。だから、大学の姿も、かつてのものと違ってくることは、仕方がない部分があると思うんですね」

「なになに、橿原君にしては弱気だね」

「弱気というより、諦めですかね。できれば、諦観と表現したいですけど」

「大学は、改革されて然りだということ?」

「うーん・・・。改革というより、変化を受け入れざるを得ないというか。実際、僕は最近、梨田先生と一緒に、日本協会からの委託業務でスポーツイベントとか指導者研修会のサービスをやってるんですけど、そのほとんどをネット上で完結できちゃえることが分かってきたんです。もちろん、実技研修とかは別ですし、ネットを使えない人のためのケアが必要ではあるんですけど。でも、そういう心配やケアも、あと20年後には無いな、って思うんですよね。つまり、ネットワークサービスに不慣れな人って、今の50代以上なんですけど。ま、その最凶版が藤堂です。で、その50代の人が現役を去ってしまうと、実は、ネットワークサービス内で研修会ができちゃえるんです。むしろ、今の10代20代とか、これから生まれてくる人って、指導者と対面式で何かを学習するっていうことに、こだわりってなくなると思いますよ。ギリギリ、私達30代の人にあるくらいじゃないですかね」

「つまり、大学はネットワークサービスになると?」

「そうです。もちろん私は、ハードを伴う大学教育にこだわりがあります。それは永山さんが一番ご存知かと思いますし。けど、それはあくまでも私のような性格の人間だからです。これが日本人や人間の平均にはならないと思います。残念ながら、現代社会というのは、平均値に合わせて動く性質がどうしてもあります。これに反しろというのは、どこかで無理が出てきます。ですから、とりあえず2030年から2040年くらいまでを予想すると、ほとんどの大学の講義系授業は、ネット上で閲覧、学習、試験、評価されるコンテンツになっていると思いますよ。だって、その方が便利だし、明らかに学生へのメリットが大きいし、大学側としても、教職員がこれに一旦慣れてしまえば、負担も格段に減るからです。負担が大きいと感じるのは、最初だけなんです。私達のグループもそうでした。今じゃ、ネットでやり取りしないことが考えられません」

「たしかにね。だってさぁ、大学が対面式の授業じゃないとダメ、それも特に厚生労働省マターの授業でそうなってるのは、結局、行政からの指示だからね。それが規制緩和されたり、何かの影響でムーブメントが変わったら、一気に授業のネット化が進むかもしれんよね」

「私達の研修会では、講義内容をYouTubeにアップして、それを研修生に見てもらっています。それってのは、何度でも見ることができて、そこで疑問に感じたこととか、新しく学びたいことなどをコメントとして受け付けているんです。それを担当の講師に見てもらって、質問に応えてもらったりしています。でもこれ、現状のニコニコ動画の生配信とか、YouTubeライブとかでも出来ているし、それをアーカイブ化してるのと、何ら変わらないんですよ。ようするに、大学がそれに対応できていないだけで、システムやモデルは既に存在しているんです」

 永山はコーヒーをすすり、それをテーブルに置きながら言う。
「しかもさ、俺、今ちょっと思いついたんだけどさ。例えば、今回クビになった藤堂が担当していた授業に、スポーツ生理学の授業があったけどさ、その授業のビデオに、わざわざ藤堂が出演しなくてもいいってことだよね。えーっと、そうそう、例の笹岡先生が出演してさ、スポーツ生理学の授業を映像として展開すればいいわけ。で、学生はそれを閲覧して、レポートとかテストをすればいいんだよ。そしたら、ステレオタイプな指導者を、ステレオデッキみたいな指導者だと思わなくて済むよね」

 橿原は笑いながら大きく頷き、「そうです、そうなんです。その科目を理解する上で、最も魅力のある映像コンテンツを置いておけばいいんです。そこには、その大学の担当教員じゃなきゃダメっていう拘りは必要ないでしょう。藤堂先生のパワポのスライドにしたって、別に違反じゃないですからね。あれは笹岡先生が作ったものですけど、それを藤堂先生が映写して学生に見せれば、立派に青葉大学ウェルフェアプロデュース学科の授業になるんですから。それと一緒です。もっと言えば、現状にしたって、教科書とか配布資料って、その授業を担当している人じゃない別の人が作成したものや、他大学の授業用に作成したものを使ってたりするじゃないですか。あれが、授業の映像コンテンツになると思えばいいんです。青葉大学のスポーツ生理学の授業に、東都大学のスポーツ生理学の授業映像を使ったっていいわけですよ。で、必要であれば、それに詳しい教員が、それこそ世界中からライブでヘルプ要員として登場することだってできます。藤堂の授業に、携帯電話で私が登場したみたいに」と言って笑った。

「いや、凄いね。やっぱり藤堂先生って、超前衛的な教員だったんだね。さすがだよ。いやぁー、藤堂先生をクビにしたのはマズかったんじゃないのかなぁ。この青葉大学が、世界に先駆けてイノベーションを起こせるチャンスだったのに。あの人、20年先の未来のことを考えて授業してたってことでしょ?」

 そう言って永山と橿原は大笑いした。

 橿原はそして続ける。
「で、こんな感じで授業がネット化されていくと、大学の存在の仕方っていうのも変化せざるを得ないと思うんですよ。まず、今みたいな広大で膨大な設備を持つことが、物凄く無駄になってしまいます。そして、学費は年間100万円も取れないですよ。きっと、10万円から20万円くらいに落とすはずです。そもそも、こんなに不況が続いていて、しかも出口が見えない中にあって、年間100万もする教育機関を利用しようという人は必ず減ってきます。現実、学費が払えないんだから」

「それは間違いないよね。いくら奨学金があるって言ってもさ、結局は借金なんだよ。これを根本的に変えることが出来ない限り、大学、特に私学には人は来なくなるよ。それにさ、不況になればなるほど、大学卒業のアドバンテージって減るんだよ。だってさ、大学を卒業しなくても、卒業した人と同じくらいの給料になるんだから。知ってる? もう既に、現状、大学卒業者と高卒者の所得って変わらなくなっているんだよ。よくさ、大卒の方が所得が多い、っていうけど、あれにはトリックがあって、これは今の50歳・60歳の人をモデルにした分析だからね。今の若い人が将来貰える所得として計算し直すと、大卒と高卒の生涯賃金の差は、1千500万円くらいなんだよ。そうなると、大学の学費として年間100万円、トータルで500万円、下宿代も含めて1千万円近くかかったとすると、大学を卒業することによるアドバンテージってなくなるんだよ。これはまだ広く知られていないデータだけど、そのうちどっかのメディアが取り上げたりするでしょ。そうなると、大学に行く必要ってどこまであるの? って吹聴されるようになるはずだね。大学に行かずに、そのまま就職しちゃおうっていう人が増えてしまうことが、容易に予想されるよね」

 橿原はそれに続けた。
「そうなってくると、大学としても『就職のために大学へ』とは言えなくなっちゃうんですよね。現在の大学って、それを頼りに学生を集めている側面が強いですから。となると、やっぱりここに来て、僕たちがいつも言ってる。『大学は就職するために行くところではない』というのが、綺麗事や理想論としてではなく、大学再生の切り札として頭をもたげてくるんです。つまり、人生を豊かにするっていう、基本に立ち返ることです。僕が思うに、そういう時代において大学教員というのは、学生が抱えている悩み、つまり、研究テーマを、一緒に考えてあげる人として機能するのかもしれませんね。しかも、大学がネット化してくれば、18歳以上、25歳未満が在籍学生の99.9%を占めるような状態ではなくなると思います。ほぼ全員が、就職したあとに大学へ入学するんじゃないでしょうか。入学と言っても、べつに校舎に通うわけじゃなくて、ネット上で済ませられるんですから。よく、就職してからの方が、大学の授業の意義や価値が分かったって言う人が多いんですよね。だったら最初からそうすればいいと思うんです。もっと言えば、一生大学に通い続ける人がいてもいいと思います。それくらい、学費は安くしたり、ダブルスクールとか再入学を理由に、学費を大幅に安くすることが良いかもしれません。そうなってくると、今のツイッターとかフェイスブックのフォロワー数のように、『現在の青葉大学の入学者は何万人です』みたいなのが、大学としてのステータスになるのかもしれませんよ」

 永山がそれを聞きながら腕組みをする。

「でもさ、そうなると、ネームバリューのある大学に皆入学しちゃって、青葉大学みたいなところには入らなくなるんじゃない?」

 橿原も腕組みをして言う。
「なんだかんだで、大学教育の全てを、ネット上で完結させるのは無理があると思うんです。だから、必ず対面式の授業も必要です。実技・実習はもちろんですが、ゼミとか演習などの授業です。こういうのは、やっぱり直接顔を合わせて対話する必要があるし、そこでしか得られないものもあると思うんですよ。今それを『これです』って指し示すことはできませんけど、今後の大学教育において必要な議論は、その辺りかもしれませんね。だから、現在、全国に存在している大学をそのまま潰したり、せっかくいる教員をリストラさせるのはもったいないです。むしろ、全国の学生たちの要望に応えるためには、もっと大学教員が必要になってくるかもしれません。なんにせよ、その時には、大学っていう教育機関が、今とはかなり違ってきているとは思います。願わくば、ポジティブな方向に向っててほしいですね」
 橿原はそう言って、空になった缶コーヒーをゴミ箱に捨てた。


 すると、研究室のドアが静かにノックされる。

「はい、どうぞぉ」と永山が返事をした。

「失礼しまーす」と、か細い声で入ってきたのは一条実咲だった。

「あっ、橿原先生も。どうも、こちにちは。すみません、お邪魔でしたか?」

 橿原は笑顔で首を横に振っている。

 永山も缶コーヒーの残りを飲みきってゴミ箱に捨てた。
「え? 一条さん、どうしたの? 今日はなんにも無い日でしょ?」

「はい。そうなんですけど、でも、先日、先生がおっしゃられていた課題について、もうちょっと調べておこうかと思ったんですけど。今日、日曜だっていうの忘れてて。図書館、閉まってるんですよね。だから、こっちの通路に入ってドアを開けたら、やっぱり開いたんで、先生、いらっしゃるのかなぁ、って」

「あー・・・、あのねぇ、昼だからさ、これから橿原先生と一緒にメシ食おうかと思っててね」

「じゃあ、みんなで一緒に行けばいいじゃないですか」と橿原。

「そうだね。じゃあ、メシにしようか。一条さん、それでも大丈夫?」

「はい、大丈夫です。ご一緒していいんですか?」


 3人は研究室を出て、赤レンガの壁面に埋め込まれた不自然なドアを開け、そして閉める。
 外はおおむね曇っているものの、青空が少し覗いて、思い出したように陽が差し込むことがあった。
 迷路のような通路を丁寧に歩く。
 最後の角を曲がった時、強めの風が吹いた。
 唸るような風音が過ぎ去り、揺れる木々の葉音に混じったスズメの鳴き声が春を感じさせた。

コメント

  1. とても面白く読ませていただきました。

    カクヨムにでも掲載すればいいのにと思いました。

    しかし、藤堂先生って強烈なキャラですね。
    実在するなら、世も末だ(笑)。

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    1. 感想ありがとうございます.
      彼は実在します.世も末です.
      もっと言えば,本人はここで描写されているより遥かに強烈です.あまりに強烈過ぎて,正確に描写すると盛っている,誇張していると思われることが多いので,下方修正しています.
      事実は小説より奇なりとはよく言ったものです.

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