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50:2013年3月9日

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2013年3月9日(土)14時22分

 藤堂道雄の謹慎期間を無期限に延長し、2013年度の出勤を完璧にストップさせた。

「これでどうだ」

 増田信吾はしてやったりの思いで会議室を出て、すぐさま携帯電話から藤堂に追加の処分を言い渡した。
 至って重い口調で、「2013年は出勤しない。そういうことになった。これが大学本部としての通告になる。いいな?」と伝える。

 しかし、藤堂からの返事は「分かりました」という素直な返事しか返ってこない。

「なんだこいつ・・・」

 増田は、藤堂が秘める非常識な鈍感さをここで思い知る。
 たしかにバカだと思っていたが、まさかここまでとは。

 研究棟までの帰り道。
 近道のため横切ったグラウンドの中央でつぶやいてしまう。
「辞めろやボケ」

 明日から地方に出張しなればならない。
 当分は、学内では水面下で動くことはできなくなる。
 これ以上の藤堂に対する追い込みは難しいのか。
 まぁいい。
 また帰ってきてから仕掛けを張り巡らせばいいだろう。

 研究室へのエレベーターの中。
 電光表示が3階を示す。
 いつもよりエレベーターが早く感じた。


 とりあえず藤堂を失脚させたのは面白かった。
 藤堂は、打ち応えのあるサンドバッグである。
 別に奴が嫌いだったわけではなかったが、とりあえずトラブルが起きることは楽しい。
 それを終結させるスリルは堪らない。
 これこそ俺が、大学教員をやっている醍醐味である。

 この大学で発生するトラブルは、すべて俺が解決してきた。
 だから俺は、この大学で羨望の目で見てもらえているんだ。
 そんな俺の行動力を頼っている、教員・職員は多いはずだ。

 エレベーターを出て研究室に戻ろうとすると、水本誠二の研究室が明るい。

 藤堂が炎上してからのち、増田がそれに油を注ぎ、意図した展開になったことでもあり、うまくいって少し興奮している。
 だから水本にも話したくなった。
 もちろん、裏をバラしたりはしない。
 周囲の奴らが、どんな気分でこの事件を受け取っているのか、その反応が知りたいのだ。

 ドアをノックする。
 水本の返事が返ってくる。
 ドアを開けた。

「ん? あぁ、増田先生か」
 水本はデスクに座ったままこちらを向き、メガネの間から上目遣いで増田を見る。

「おぉ、水本先生」いつもより改まった口調にする。「いや、さっき、えーと、藤堂の件だ。さっき、大学として、藤堂の謹慎期間を無期限ということにしたんだ。2013年の出勤は見合わせる。そういう決定を下した」
 やっぱり少し興奮している。
 鼻息が強いことを自覚できる。

「え! じゃあアイツ、4月からの授業はやらないのか?」
 ナチュラルに驚いた顔をする水本。

「そういうことになる」

「しんどいなぁ、今から代わりの奴を、後任を見つけるのが大変だな」
 水本は椅子から立ち上がってポッケトに手を突っ込み、何をするでもなく突っ立った。

「まあな、けど、とりあえず来年の、前期の授業をやってくれる非常勤だけでも探さないといけないな。また会議でそのことを議題にするから。そのつもりでいてくれ」

「それで・・、藤堂は辞めるって?」

「いや、とりあえず『分かりました』と言っただけだ。また考えるんじゃないのか?」

「そうか」


 増田はその日のうちに出張先に向かった。
 本当なら明日の朝に出ればいいのだが、出張先の飲み屋で一杯やりたかった。
 現地のクラブで飲んだ酒は格別だ。
 話し相手になってくれたママとは、笑いが止まらなかった。


 水本は藤堂に電話をかけた。
 呼び出し音が開始しないうちから、藤堂は着信した。

「はい。ああ、どうも。水本先生ですか? 藤堂です」

「おおぉ、俺だ、水本だ。お前、どうだ。大丈夫なのか?」

「はい。大丈夫です。なんとかやってます。けど、さすがにしんどいです。ずっと寝込んでます」

 本当に寝込んでいた。
 藤堂は布団の中で、携帯を耳に当てている。

「おおぉ、そうか、まぁ、こっちは増田の大将が『藤堂の謹慎期間を伸ばした』って盛り上がってるぞ。今頃、出張先で大笑いしてるんじゃないのか。あいつ、ホントに終わってるな」

「あぁ、やっぱりそうでしたか」

「そうだ。だいたい、学内の秘密をバラしたことくらいで、そんなに大したことじゃないんだぞ。萩原はもう卒業できないことは分かってたしな。あの段階でどうにかできる問題じゃないからな。こんなの、オバマ大統領が萩原を卒業にさせてくれ、って言っても無理なことだぞ。なぁ! それをこんなに大火事にして。なぁ! おかしい話だ」

「はい。ほんまにほんまですわ。水本先生だけですわ、そんなこと言うてくれるんわ」

「まぁ、お前もなぁ、その時にいろいろ動いたからダメだったんだけどな」

「ええ、反省してますわ」

「そうだろ。んー・・・」
 水本は3秒ほど沈黙。そして、「それで、お前、増田に辞任する、俺は大学を辞めますって言ったか?」

「え! いえ。それは言うてないですよ」

「そうか。いやな、無期限の謹慎ということになったら、もうこれは大学としては、そのうち藤堂を、お前を切ろうか、ということになってくるんだ。そういう段階に入ったってことだ」

「はい」

「そうなったら、もうこれは懲戒だ。解雇する、ということになるわけ」

「はい」

「そうなったらな、もうお前の大学教員としての人生、社会人としての人生、この地域で生きていくという人生が終わるんだ」

「はい」

「犯罪者扱いになるわけ。お前もニュースで見たことあるだろ。懲戒免職処分になりましたぁ、ってニュースや新聞で出てくるだろ。あれになるんだよ、お前が。そうなったらもう終わりだぞ。あぁいうことになった人間はな、もう社会的に抹殺されるから、穢多非人のようにして、地べた這いずりまわって汚く死んでいくことになるわけ」

「はい」

「だからな、お前から先に辞任します、退職します、って言うんだよ。そしたら大学としても『いやいや藤堂先生、そこまではしなくていいですよ』ということになるわけ」

「はい」

「先にお前のほうから誠意を見せておいたら、そこから大学はお前を追い込めないからな。増田も手を出しにくくなるしな」

「はい。でも先生、そのまま辞めさせられる、ということにはなりませんか?」

「その可能性は低いだろ。それにな、お前な、お前はお前で学生を脅迫してるんだぞ。それを後になって、増田や理事長や大学の連中から、グチグチ、グチグチ言われて、もっと重い処分を言い渡されるようになるぞ。アイツら弁護士をつけてるだろ、この大学は。あの手この手を使って、お前を社会的に抹殺するために、教育界から葬り去るための準備をするに決まってるぞ」

「はい」

「だから、先に言っとくんだよ。その方が、どんな結果でもお前のプラスになるからな」

「はい。分かりました。辞表を出したらいいんですね」

「そうそう」

「どこに出したらいいですか?」

「そりゃ、学長だろ」

「どうやって書いたらいいですか?」

「パソコンかなんかで書いたらいいだろ」

「えっ? えっ? えっ? どうやって書くんですか?」

「ワードかなんかでいいだろ。自筆でも構わないし」

「はい。どんな感じにしたらえぇか、資料持ってる人いますかね」

「辞表を書くのに、資料もクソもないだろ。普通に書いたらいいんだよ」

「えっ? えっ? えっ? 誰かの見本とかないですかね。コピーできるものとかあるんですか」

「もういい。わかった。俺が書いてやるよ」

「いいですか? お願いします。すみません。ありがとうございます」

「おおぉ、じゃあな。今はしんどいかもしれないけど、がんばれよ」

「はい、ありがとうございます」


 水本はその日のうちに藤堂の辞表を書いた。
 辞表を書きながら、水本は笑いが止まらなかった。