2009年1月26日月曜日

生命とは何か



チョイ前に福岡伸一 著『生物と無生物のあいだ』がよく売れました.

その後,知り合いの大学教授からも勧められたのですが,「読んだことあります」とかえし,「大して面白くはなかったです」との言葉までは付け足さかなったことを覚えています.

今私は「大して...」と言いましたが,全く面白くなかったと言っているわけではなく,ある種の “人気のある・売れているもの” に逆らいたいというひねくれた部分を自覚しています.

内容はタイトル通りに「生物と無生物の境界は何か」を論じています.
著者自身の研究も紹介しながら,高い文章力をもって分かりやすく解説しているのですが,新書というのがありきたりで(内容を批判しているわけではありません).
なので,このテーマを扱ったものとして私は士郎正宗 原作,押井守 監督『Ghost in the shell』を推します.アニメでこれを表現したのには脱帽.昨日もアニメの話題でしたが,別に私,オタクではありません(ある意味オタクかもしれませんが).


生命とは何か.両者とも「自己複製できること,だけではない」ことを強調し,その違いは何かと論じます.
福岡氏は 「生命とは動的平衡にある流れである」 とし,生命活動に重篤なダメージがある場所を欠損させたマウス(ノックアウトマウス)であっても生命活動を再開させる様に,機械とは違う生命の本質と不思議さを説いています.

一方の士郎・押井氏も,劇中のキャラクター 草薙素子に「戦闘単位としてどんなに優秀でも,同じ規格品で構成されたシステムは,どこかに致命的な欠陥を持つことになる.組織も人間も同じ.特殊化の果てにあるのは、ゆるやかな死...」と言わせています.
ヒトのサイボーグ化が常態している近未来の世界で,生物の機械化に対する危惧を説いているのでしょうか?これは福岡氏のそれと同じ意味でしょう.生命にはアクシデントやダメージを緩衝・修復する能力があるのだと.

SF作品であるGhost in the shellではさらに,「自己修復・自己防衛能力が生命たる定義なのであれば,それは一種の「プログラム」であり,それを有した無生物は生物ではないのか」 と迫ります.それを, “情報(ネット)の海” から生まれた新しい生命体であるとして生物と無生物の境界を論じるのですが,現実にありえそうですから興味深い.

プログラムの中から産まれたプログラムを生命というなら,我々の行為もまたプログラムによるものなのかもしれない.押井氏はさらに続編である Ghost in the shell 2, Innocence で劇中の一人に「ロボットはプログラムで笑う,最近は人間もそう」と言わせ,プログラムによる行為と生命体の意思による行為の境界のあいまい性を論じています.

まあ,たしかに私も最近作り笑いしてますからねえ.プログラムかもしれませんねぇ.でも作り笑いってのはそのほうが都合がいいと “自分の意思” によって考えた結果でしょうし.けど,その意思っていうのも,最初は自己防衛・作業の円滑化というプログラムから出発し,長年のフィードバックを繰り返した結果生まれたプログラムと言えなくも無い.

そんなことを考え出すと,ヒトを含めた生物の行為とは,どこまでが自分の意思による行為で,どこまでがプログラムされた行為なのかが分からなくなってきます.
いえ,もしかすると,“意思” そのものが意思とという名のプログラムなのかもしれません.