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学力について


加藤幸次・高浦勝義 編『学力低下論批判』 なるものがありまして,例の宮崎哲也氏が著書の『1冊で1000冊読めるスーパー・ブックガイド 』 で紹介・絶賛していましたので購入してみました.

これによく似た内容の本に,以前取り上げた諏訪哲二 著『学力とは何か』があります.
が,諏訪氏のスタンスは「現在の子ども達に学力低下はある」とした上で,では 「学力を向上させるにはどうすればいいのか」 といった時に, 「ゆとり教育にその可能性があった」 というものです.

『学力低下論批判』 の著者の中にもこのスタンスをとる人がいたりして,なかなか
学力低下論者 vs 学力停滞論者
という単純な図式にはならないのでしょう.これ以外にも,
ゆとり教育推進派 vs 基礎学力徹底派というのもあり,事はかなり複雑.

学力低下・基礎学力徹底論者の一人が書いたものを以前読んだことがあります.戸瀬信之 著『数学力をどうつけるか』 .この度読み返してみて,覚えていなかったのですが “『学力低下論批判』批判” の章がありました.
『学力低下論批判』 のまえがきで,数学の勉強について 「分数や少数の意味を理解することであって,計算は計算機の方が・・・」 と述べる著者ら.私も「おいおい,そこまで言うか」 と思った箇所ではありましたが,これを戸瀬氏は「このグループは日本の将来を危うくしている」言い放ちます.


上記の著者ら自身も述べていますが,この話題は各々の 「学力」 というものに対する捉え方が違うので,いつまでたっても議論は平行線になるのです.

私思うんですけど,学力が低下していようがいまいが,結局は 「どのような学力をつけさせることが日本の将来にとって有益か」 ということを明確にする議論をしないと,お互いが自分の意見を通すために都合のいい資料・データを持ち寄るだけになりますね.

例えば戸瀬氏だけでなく他の論者も出すものに,「分数のできない大学生が増加している.大学生の基礎学力が低下している」 というやつ.
これ,当たり前でしょう.
誰でも大学に進学できるような時代になっているのですから.しかも大学の数が増えているのに少子化.18歳以上のほとんどが大学に行っているのです.量が増えたら質は低下するのが世の習い.
大学としても経営上,入試のレベルを下げて学生を入学させるわけですから 「日本の大学生」 の学力平均値が下がるのは当たり前であることが導けますね.一部の志し高き若人だけが入学するのではないのです.
これは学力対策とは全然関係ない話です.日本人の学力が低下していることは縁もゆかりもありません.単なる大学経営の話.

これがいけない.というなら,それは義務教育や高校教育といったレベルでの教育の話ではなく,大学における教育サービスの水準を上げよう,という話になります.
案の定,戸瀬氏は大学でも基礎学力を上げる時間を設ける必要が出てきた,と述べますが,どうかなぁ~.

子ども(この場合高校生以下)の学力が低下しているという前提に立つのであったとしても,今現在の私の意見としては,基礎学力を徹底することが現代社会における教育として適切なものだとは考えられません.

何を隠そう私,分数のできない大学生でした.今でもできません.でも今は理科系の科学研究をやっている身です.前述にある 「数学は意味だけ理解すればいい.計算は計算機が・・・」 という理論を地で行く男がここに一人います.
て言うか,一般社会ではそんな人がほとんどじゃないですか?それならパソコン,特にEXCELとかプログラミングを教えた方がよっぽど社会に出て役に立つはず.数学できるくせにEXCEL使えなくてゼミ論教えるのに苦労する学生いますもん.学生が1週間かけてやってきた作業を1分で終わらせてみせることもしばしば.優越感と虚しさが漂います.

今売られているカメラを使うのに “レンズのしくみ” や “フィルムの原料” といった基礎を知らなくてもカメラは使えます(今じゃフィルムですらない).昔は必要だっただろうけど.
つまり,時代によって “必要な学力の構成” が変わる気がするのです.

学力って基礎学力を徹底してきた結果として得られるものではなく,得られる場合がある・多い.という程度のではないでしょうか.
基礎学力が悪いと言っているわけではないのです.基礎学力は大事.でも,その使い方について学ぶ機会が別に必要です.
『学力低下論批判』 の著者の一人である市川伸一氏が述べる 「基礎から積み上げる学びと,基礎へ降りていく学び」 というのには共感します.
学びは一方向ではない,基礎から応用だけではなく,応用を先にやって,その際に得た疑問をモチベーションに基礎を学ぶことがあってもいい,ということではないでしょうか.

実際,私も研究活動をはじめてから必要に迫られて,数学・統計,理科(中学・高校の)を勉強しています.

研究もそうですが,他の仕事もそうじゃないですか?
教師の立場になってからも,目の前に現れた課題を解決するために基礎を勉強しなおす,新たな基礎を勉強するっていう機会も多かった.そうした時の方が意欲を持って勉強します.そりゃ “その基礎” を最初から頭に入れておけば効率はいいのだろうけど,人の頭は,特に私のはそんなに高性能じゃないです.

“生きる学力” なんてのがありましたが,それより “活きる学力” を身につけることが先のような気がします.
なんせ現代で “生きる” だけなら生活保護がありますし,ホントに “生きる学力” ならサバイバル・テクを教えたらいい.
そうして生活保護を得てでも “生きる” には国家について言及しなければいけないから,経済・内省・外交・軍事の勉強が必要であることを知るのです.こういうサイクルが “活きる学力” だと思うんですけどね.