2009年7月29日水曜日

名作を漫画で


昨日に引き続き,今日も 「マンガで読破シリーズ」に手をつけました.
ダンテ 著『神曲』 を買う時に,ドストエフスキー 著『カラマーゾフの兄弟』プルースト 著『失われた時を求めて』 も買っていましたので,それを.

ということで今日は『カラマーゾフの兄弟』 と 『失われた時を求めて』 に目を通してみました.

Amazonのレビューでは善し悪しがありますけど,総じて賞賛のコメントが多く,私も悪くない出来だと思っております.
何より,「どうせなら,読まないくらいなら読んだ方がいい」 という感じでしょうか.

活字の方が優れているという価値観が絶対的なわけではないはずですから,楽しめるメディアで楽しめばいいのです.

サッカーが敷居が高ければフットサル.アルマーニでなくてもAOKIのスーツを着ればよいのです.
大切なのはそこで何を得るかです.

原作は両方とももの凄い量の小説ですから,間違っても2時間チョイで2作品を制覇できることは不可能.
マンガなら,あらすじを追うだけならそれができます.

先日,『世界・名著のあらすじ』 とかいうのを読んでみましたが,いかんせん あらすじ過ぎて本当にあらすじしかわからない.
やっぱり作品として物語を楽しみたいので,漫画に再構成するという企画はうれしいものです.

このシリーズを通して,名著の良さが味わえそうです.

2009年7月28日火曜日

神曲


最近は世界の名作文学が漫画として再構成されて出ているようで,先日,「日本人の歴史教科書」 もいいけど,ついでにそれらも買っておきました.
購入したのはダンテ 著『(マンガで読破シリーズ)神曲』.


神曲と言えば,私は学生時代に 「宗教学」 なる授業で先生が取り上げていたことを思い出します.
使った本は野上素一 訳『神曲物語』 でした.
大学の授業で,半期(10回)しかない授業ですので,神曲の全てを扱うことなどできるはずもなく,天国(天堂)篇を少しかじったくらいだったことを覚えています.

結局 授業で何を扱ったかも頭に入らず(S先生すみません!),ノート持ち込みアリの試験にパスして終わったのですけど,やっぱり世界になだたる名作文学ですから興味がゼロというわけではないのでして.
その後,幾度か神曲読了に挑戦はしてみるけど挫折するオチ.

モヤモヤした気持ちで数年を過ごしてきた日にピリオドを打つべく,
「漫画なら・・・!」
と一念発起して読んでみました.

一度読み始めたら,漫画であることもあって小一時間で読了.
それでいてダンテの神曲物語の概略を押さえているので,たしかな満足感は得ることができました.

物語は,主人公・ダンテが ウェリギリウスとかいう出所不明なお坊さんと一緒にあの世に行って地獄,煉獄(浄罪),天国(天堂)の各エリアを見学して回るお話でして,キリスト教が持つ宗教観についてダンテなりの解釈を交えながら驚きとスペクタクルに満ちた展開で書いているという感じです.
人々がそれぞれにぼんやりと「天国」や「地獄」をイメージしてるなかで,13世紀当時,これほどまでに思いきって宗教的世界観を鮮明に描き出したことは評価されて当然でしょう.

原作には,いろいろとたくさんの文章が書かれていますけど,「要するに言いたいことはこういう事だ」 ということが掴めればそれでいい.読まずに放っておくくらいなら漫画で十分だと思います.
それに,これを機にもう一度原作に挑戦する気にもなったというものです.

気を良くした私は,次はドストエフスキー 著『カラマーゾフの兄弟』 に足をつっこむことにしました.
原作が訳書で出てますけど,あの量をみて尻込みしていたところですから,ちょうどいい機会ですね.

こんな調子でいろいろと読んでみようと思います.

2009年7月27日月曜日

スポーツ観とその変化


今年の世界陸上がドイツ・ベルリンで開催されることになっています.

で,TBSに日本陸連から注文がつきました.

TBS世界陸上、選手キャッチコピーダメ!
サンケイスポーツ 2009.7.25

陸上の世界選手権(8月15日開幕、ベルリン)の独占放送権を持つTBSテレビが、日本陸連から選手のキャッチコピー(CC)を撤廃するよう通達を受けていたことが24日、分かった。
同局では1997年のアテネ大会から独占放送を続けており、男子短距離の朝原宣治(37)を「燃える走魂」、男子400メートルハードルの為末大(31)を「侍ハードラー」などと日本人選手、有力外国人選手に独自のCCを付け、大会期間中に連呼してきた。
だが、ネット上での批判や一部のネーミングに不信感を抱いた現場関係者も多く、高野進強化委員長(48)らが“強権”を発動したとみられる。


現代のスポーツは大衆の興味を巻き込むことでその存在意義があるものです.ゆえに,スポーツはマスメディアが持つ本質と親和性が高く,特に日本においてはプロ野球との連携が代表例です.
今回の日本陸連の注文は,そういう意味において(??)な感じもしますが,スポーツ界がマスメディアに対してその “伝え方” に違和感を覚え始めたことを物語っています.

妙なキャッチコピーを目にすると興ざめすることはたしかで,スポーツ界に身を置く者ほど嫌悪感を抱きます.
キャッチコピーはスポーツをたまにしか見ない人達には有効なのかもしれませんが,コアなスポーツ・ファンのスポーツ観にはそぐわないはずです.

ただ,今回の件で感じるのは,「スポーツ」 という “営み” や “行為” に関わる人が,その関係者を選ぶようになってきたことが考えられます.スポーツ・ファンとしてコアな存在に(無意識的に)フォーカスを合わせ始めた観があります.
別にそれが悪い事だとは言いませんが,スポーツを一般的エンターテイメントとして振興する時期から変換したことを意味します.

以前の記事でも取り上げたスポーツ観の変遷の可能性.今回のことはスポーツに対する見方が変わり始める予兆的出来事である気がするのです.

スポーツを純粋な(自然な)肉体の表現型として評価する価値観から,肉体の限界点を模索する営みへと変わる価値観の移行.

今回の日本陸連が提示したことは,エンターテイメントとして,そして一般大衆を巻き込んでの身体運動のショウ・ビジネスからの決別を意味し,純粋無垢に自然な肉体での限界を目指す身体表現としての価値観を重視することを選んだことです.

一方で,ヒトとしての身体表現の限界を探ることこそが,一般大衆が,そしてメディアが興味を持つテーマであるはずで,ドーピングやサイボーグ化(法的にも,倫理としても問題が無いという価値観が生まれた未来において)をしてでも一種のカタルシスを提供するコンテンツとしての「スポーツ」へと分化することは避けられないかもしれません.
(つまり,障害者スポーツが健常者スポーツを超える日がくるのではないかということ.または障害者スポーツという概念が意味をなさなくなるということ)

純真無垢な動機,健常な身体を有した上でのパフォーマンス・アップを目指す 「現在のスポーツ」 は,さしずめ手作りのおもちゃをありがたがるような価値観として生き残ることとなり,大衆が喜ぶ 「新たなスポーツ」 とは別に,オルタナティブな道を歩むことになることが予想されます.

そう遠くない未来,我々がスポーツに対して抱く価値観に変化を迫られる日が来るかもしれません.

2009年7月26日日曜日

続・ネットカフェで

あのあと入ったネットカフェでも個室がもらえませんでしたが,前のところよりは爽やかな空気に満ちており,
「ここなら寝れる!」
と腰を据えることに.

案内されたらPCに電源も入れず即 就寝.
リクライニングチェアだったので座り(寝)心地もよく,周りを見渡せば10人中9人がグッスリとお休み中でした.
なんかこう..,一体感と言いますか,店内の客たちと不思議な連帯感が共有できたような気がします.

当初は “ネットカフェ” ということで引いていたのですけど,いつしかワクワク感を味わっており,難民生活も悪くないなと無責任にも思うようになっていました.

4時半ごろに起床.
そこでやっとPCに電源を入れて今日行く先の場所と電車の連絡を確認します.飲み放題のドリンクを一杯だけ頂戴し,更衣室に行って新しいシャツに着替え出発です.


早朝とはいえ空はかなり明るくなっていましたが,客引きはまだうろついていました.
「オニーさん,マッサージどうか?」 信号待ちの交差点で執拗に声をかける東南アジア系のオネーさんを無視して一路 駅へ.

現地の最寄り駅に着くと,そこからはタクシーで学生が待つ調査現場へ.調査現場は山奥,そこで合宿をしている小学生が対象です.
舗装されていないデコボコ道を激しく揺らされながら20分くらいで到着.携帯電話には圏外のマークが.

着くと早速 学生と合流して調査準備に取りかかります.が,ここでアクシデント発生.調査に使う機器の電池が切れてしまっていたのです.
ということで,再び山の麓の街まで電池を買うため降りることになってしまいました.


「ということでトンボ返りですよ」
このジョークにタクシーの運転手は笑ってくれました.手配したタクシー会社がトンボタクシー(株) という名称だったから.

無事に調査も終わり,お世話になった現地の方とも挨拶をして終了.
正味,現地にいた時間は2時間.そのまま帰宅.

自宅に着いたのが11時頃だったので,ちょうど12時間の仕事ですね.
遠出した割にはアッサリした幕切れ.

帰りは,せっかく街にでたんだから遊んでこようかとも思いましたが,面倒くさくて諦めました.
大型書店がある駅が途中駅だったので降りようかとも考えたのですが,自宅近くの書店でいいやってことで.

長い一日.でも,朝が長いだけで(5時くらいから活動するだけで)ここまで時間の感覚が違うものなんですね.
やっぱり朝型生活に切り替えようか...

帰ったら散髪をして,自由社から出ている「日本人の歴史教科書」を購入.
一時期,問題視されたあの「つくる会」 の 「新しい歴史教科書」 の続編みたいなやつです.太平洋戦争ではない,“大東亜戦争” の記述について拝見させていただきます.

あと,ウィスキーも購入.ソーダ割り(つまりハイボール)が反則的に旨いことを発見.
本日付けで 「かのか」 を卒業します.

2009年7月25日土曜日

ネットカフェで

明日は研究室の実験があって泊りがけの外出.
朝早くからの調査作業になるので現地で一泊することになりました.

が,それにしてもネットカフェで一泊というのはいかがなものか.

実験を担当している研究室の学生は悠々自適に現地の宿泊所で泊まっているんですけど,私はというと,調査するところの近くの街でネットカフェ.
ん~~,なんとかならんかったもんか?
手伝いに行くっていう私がネットカフェとはね~.まいっか.

これまで耳にしてはいましたが,初めてネットカフェなるところに入ることになりました.
そしてそこでコレを書いています.

店内はというと,いたって初空間.
何から何まで興味深い光景です.

受付の店員はこなれた様子で店のシステムを説明しますが,てんで頭に入ってきません.何を言ってるのかさっぱりです.
近くで大きな祭りがあったこともあって,店は結構混雑.期待していた個室が使えませんでした.

まぁ,
外の生ぬるい風とよどんだ空気,そしてケバケバしい女や客引きを見ながらボーっと夜が明けるのを待つよりはいいでしょう.
なかなか便利な空間が用意されているものです.

プルースト 著『失われた時を求めて』 には,
「 ふと口にした紅茶に浸したマドレーヌの味と香りから,幼少期に家族そろって夏の休暇を過ごしたコンブレーの町全体が鮮烈に蘇ってくる 」
という一節があるのですが,この味覚と嗅覚によって記憶が鮮明に蘇ることを,この小説をもとにして “プルースト現象” といいます.

最近は匂いの研究もしておりまして,この現象にも興味があるのですけど,ここではそんなことを言いたいのではなく,このネットカフェの匂いがプルースト現象を起こさせるような匂いだったのです.

秋葉原
それです.

秋葉原の街を散策したことがありますが,ちょうどこの店内の匂いと同じです.
ヒトの匂いとでもいいましょうか.
汗とか足の匂いとかじゃなく,純粋に “ヒト” の匂いです.オタク臭とはまさにこのこと.
無意識に顔をゆがめてしまうこの匂い.それにタバコの刺々しい匂いが混ざり合って最悪.

我慢できるのも時間の問題.
少しゆっくりしたら,さっさと出て行こうかと思います.
そして次のネットカフェに.

2009年7月22日水曜日

文学作品も読まないと


最近はそう思うようになり,小説にも目を向けるようになりました.


きっかけは村上春樹作品を友人に紹介された二ヶ月くらい前からで,何冊か読みその魅力がわかるようになってきたところです.


ただ,小説を読むと文学の知識やウンチクは磨かれるようになるかもしれませんけど,なんというか,実学が身についているような気がしないので,どうせ読むなら “タメになる本” を読みたいという微妙な焦り感もあったりで.


なら実学書を読んで,実際に実学を身に付けているのかと言えばそれも結構怪しい.


書を読むだけ,考えるだけではダメだ.実践が伴わなければならない.

とお釈迦様もおっしゃっております.


実践してみて初めてその知識の価値や無価値がわかるわけですから,そういった場面に遭遇しなければいけないし,そういった場面に遭遇するようなアクションをかけなければいけないということでもあるのでしょう.


ですが,それは別の視点からすれば,勉強と言うのは “自分が置かれている状況に沿った思考や知識だけを取り込むだけでよく,要はその知識を咀嚼し思考を重ねること” が重要なこととも言えるわけで.

自分の仕事以外の知識はからっきしといった職人肌の人でも,むしろそういった人のほうが教養が深いといったこともそれを裏付けています.


そんなわけで,小説などの文学作品の中からも得られるものはあるはずだと信じて,いろいろな作品に目を向けようと思い立ち 『世界(日本)・名著のあらすじ』 とかいう少し前に流行った 「あらすじ本」 を買ってみました.

文学作品の分野に踏み出すジャンプ台になってくれればいいなと考えています.

2009年7月19日日曜日

腐ったみかん


ゲリラ豪雨とでも言うのでしょうか?
今,外は大雨です.

自宅の金属製のドアに横殴りの雨が叩き付けてきて,バリバリと耳障りな音を立てています.

「明日の朝にかけて大雨」 との予報ですが,自転車通勤の私としては困った限りです.
せめて小雨,労せず通勤できる事を祈っています.


今日は今村克彦 著『くたばれ学校』というのを拝読.
現場で24年間 教師をやっていただけに一つ一つの言葉に重さがあります.


「いじめブーム」はもう終わりました!?
オレは子どもを信じたい—出席停止でいったい何が解決すると言うのか

こんな感じで第一章から現場の教師ならではの調子で始まります.
氏の考えはかなり私の教育観と類似しており, 「そうだそうだ」 と相づちを打ちながら一気に読み終えてしまいました.

詰め込み教育しかり,学級崩壊しかり,いじめ・自殺しかり,学校裏サイトしかり...
日本の将来を左右する子どもの教育問題のクセして,報道の仕方がまるで “ブーム” を取り上げるような扱い.その上,記者だかディレクターだか幹部だか知りませんが,報道する視点が彼らの主観性に満ち,問題を深く掘り下げないまま垂れ流す有様.
日本のマスメディアの腐敗が顕著に感じられる事象です.

“問題を起こす生徒はその他の生徒に害を及ぼす前に隔離”
学校としても責任を問われずに済む適切な方法ですが,これが『教育』と言えるかどうか.
いわゆる 「腐ったみかん理論 ,または 「割れ窓 broken window 理論」 というのでしょうが,これを無批判に教育現場へ入れるのはかなり危険だと思います.

大火事になる前にボヤの段階で消しておく.という意味なら教育マネジメント(?)や技術論として結構なことですが,問題はその “ボヤ(問題を起こしている生徒)” というのが学校にとってはボヤでも,当人にとっては大火事であるということ.
大火事になっている当人を切り離して消火活動をせずに延焼を防ぐ,という判断は教育活動としては倫理に欠けるということです.

以外と多いんですよ,「他の子どもがちゃんと勉強できる環境をつくるためには停学・退学これ当たり前では?」 というの.
私が通っていた高校の生徒でも,そんなふうに考える者は少なからずおりました.かくゆう私も今では客観視して話せますけど,当事者の時代はちょっとはその考えに揺らいでいた時期もあります.

勉強のためだけに行ってるんじゃないだろ学校は.
そりゃ学校が提供するコンテンツとして「学力」というのがあるのでしょうけど,それだけじゃないはず.
理解できない言動をする生徒と共に,学校という枠組みの中での生活を経験する.それこそが数学や国語,保健体育では身に付かない「学力」のひとつではないでしょうか.

「学力低下が著しい.しっかりと勉強できる環境を整えることが急務」と叫ぶ人(右巻き保守派に多い気がする)ほど「最近の子どもは人間性やモラルが低下している」 と矛盾したことを言い出すものです.
彼らの頭には “かくあるべき日本の子供” というのがあるのでしょうけど,あるべき日本の子ども像は各時代別にあるべきで,固定されたモラルや人間性が存在するわけではない気がします.

結局,相手を理解できなかったり,解決できずに葛藤があったとしても,次につながる可能性を信じて送り出す段階までもっていくことが教育の目標であると思うわけです.

2009年7月18日土曜日

冷え性の特権

今日は真夏の体育館で体力測定という作業をしたんですけど,
実は暑くないんです.そんなに.私.

周りの人達は汗だくグッタリしながら作業していましたが,私はというと 「暑いにゃ暑いんだけど,そない言うほどでもないな」 という感じでしょうか.
「暑い・・・」 と周りがおっしゃっている手前,合わせるために自分も 「暑い〜」 と言ってます.

近年 お陰さまで冷え性になりまして,暑さに耐えられる身体を手に入れました.
血圧も上が100を切って下は60前後.
クールに生きて行こうと思います.

いろいろ体に変化が起こる三十路間近の今日この頃です.

2009年7月16日木曜日

あの話

あのレストランでの話が今日になりました.
早いものです.

今日は勤め先の大学がある地元の一グループとの懇親会 (食事会&発表会) でして,なんだかよくわからないまま行って好き放題いろいろと話してきたという感じです.
身の程知らず,未熟な自分を反省しています.

昨夜のうちに資料を作ってしまう予定でしたが,村上春樹の『1Q84』を読み切るために必死だったので,今日の昼に適当につくってしまいました.

ですが,それなりに興味は引いてくれたようで,
“大学が地域に対してどのように貢献できるのか”
というテーマを提案したのですが,さまざまなご意見がいただけました.

「まずは町役場に情報を」
これから始めるしかないし,それが手っ取り早いということ.
こちらもそう思いましたし,ぜひそれをやってほしいとのことです.
大学内部ではそれほど気にしていなくても,意外と外部(町内)の人には興味があることも.練習試合やセミナー,講演会などなど,何かあれば知らせてくれればリアクションがあるのではないかということでした.
些細なことでいいので,町役場の広報部にお知らせしてほしいとのことです.

でも,なかなか町役場に「これ載せて」なんて言いにくいような...
けど,そこは人脈がものを言います.
その時にまた連絡してくれれば,いろいろ手配してくれるようなことをおっしゃられていました.


9年住んだこの町ともそろそろお別れする時です.
大学と町がコラボレーションしてくれれば,これに勝る貢献はありません.
なにか残して去りたいものです.

2009年7月15日水曜日

1Q84


つい今しがた読み終えました.

村上春樹 著『1Q84』
一度読んだだけではわからない部分もありましたが,素直におもしろい作品であったことはたしかです.
職場の同僚から勧められまして,発売当初は 「いつかは読んでみよう」 と思っていたのですけど,貸しくれるってんで早速読んでみることに.

久しぶりに仕事もせずガッツリ小説と向き合った3日間でした.


なんでも,著者の村上春樹氏はオウム事件の裁判を傍聴しながらこの作品の構想を練ったそうで,随所にその影響がみられます.

新興宗教集団とそれにまつわる事件の構成など,オウム事件を彷彿とする部分が多く,なにより2人の主人公が置かされる状況がオウム事件を引き起こした被告人と類似します.

信じて疑わなかった日常の常識が覆えること.逮捕され,取調べを受けていくなかで,日常の宗教活動と世間の常識に乖離があることを知らされる.殺人すら(洗脳とはいえ)犯してしまう自らの精神状態とに混乱が生じるのです.


ところが,彼らはそれでも教祖である朝原への帰依をやめることはできないのだそうです.

朝原にそれほどの影響力があったのか,それが心理学的にどんなメカニズムなのかは知る由もありませんが,『1Q84』 の作中にはこのような言葉があります.

「入口はあるが 出口はない」

一度シフトしてしまった世界からは抜け出すことはできない.

クライマックス...,主人公の一人が自殺をはかる場面からは,オウム事件の被告人が現実と向き合った際の苦悩,「この自分を取り巻く世界」 への “ケジメ” への願望,そして元の “常識的常識の世界” に戻れない諦めにも似た複雑な心境とが重なります.

2009年7月13日月曜日

臓器移植法がそのまま可決


以前にも記事にした臓器移植法案が参議院でも可決.修正なしでそのまま通過しました.

これで1年後からこの臓器移植法が施行されます.
新たな一歩を踏み出せたこと,素直に喜ばしいことだと思っています.

ダメならまた修正・変更すればいいのです.

なんでもそうですが,作ったものを後々見直せないのが日本の悪いところ.
年金しかり,憲法しかり.
今回のような法であっても,作った人達の顔色をうかがいながら,そして作った人のプライドを保つために修正できない可能性があります.

「デリケートな問題.もう少し議論をしてほしかった」
という意見もあるようですが,どこまで議論しても平行線なのは目に見えています.

誰も,全員が納得できる法をつくれとは言いません.無理ですから.
さっさと事が動くように計らえばいいのです.たたき台になる法を作ればいいのです.

そりゃ適当にやれとも言いませんが,こういったデリケートな問題を解決する法を作る事が出来る人なんだ,任せていいんだ,という国民からの票をもらっている議員の仕事ですから.
「私,決めかねるから,わかんないから欠席」とかね,そういう議員の根本的な業務をなまけてるような奴は荷物まとめて帰れと.


さきほどニュースを見ていますと,キャスターが,
「政局ばかりで,このような重要な問題を取り上げなかったことが問題・・・」
とか,
もうね,
鏡に向かってしゃべってるのか?と.

あなたたちが無視してきたのが最大の理由じゃないかと.
政治のしょーもないことばかり取り上げて,重要な法案にスポットを当てなかったメディアの罪じゃないですか.

まぁ,メディアや議員・党に対する不満は前回こぼしましたので,この辺にしておきます.


将来どうなるかわからないから・・・,ということでしたけども,将来を占うと言えば,わたくし,占いができるのです(でもこれは以前にも書きましたけどね).タロットカードです.

なぜに?
と思われるかもしれませんが,それは深く考えないとして,これがまた結構当たるんですよ.

ある人なんか,6回占って,その結果6回連続で 「タワー(崩壊・破滅を意)」 のカードが出ました.かなり不吉な兆候.
そんな矢先,その人の人間関係が崩壊する事が起き,修復不能な状態で悩むことになります.
そしてさらに追い打ちをかけるように父親が末期ガンだという知らせが.もう助かる見込みはないそうです.

それだけでもスゴいのに,さらにこの 「タワー×6」の真価を示したのが,父親が末期ガンである事に対し,その人が真っ先に気にした事が,
「遺産はいくらもらえるんだろう」
ということ.その状況,まさに 「タワー×6」 です.

“その人にとって” とかそんなんじゃなく,その状況が日本人として,人間として,同じ地球に住む者として破滅的展開です.

また機会があったら占ってみようと思います.
それまで魔力を高めておかねばなりません.

2009年7月12日日曜日

まだまだわからない


都議会選挙の結果が出たようです.

私の心配をよそに,民主が健闘している模様.


民主党.
まだ大丈夫です.
まだバレてない.
もう少し様子をみてみましょう.

メディアは未だ狂ったように民主党擁護報道を続けているし,この国の空気は俄然民主有利.
このまま突っ走っていただきましょう.

とか思ってたら,こんな記事をみつけました.


民主・鳩山代表「北海道には自衛隊の戦車がたくさんあるが、今の時期、陸からの侵略があるとは考えられない」
2009年7月10日 産経新聞 抜粋


日本の安全保障でありますが、当然のことながら私どもは、強固で対等な日米関係を築きたいと考えております。その上で、日米の安全保障問題。例えば在日米軍基地に関して申しあげれば、この地域的なあるいは歴史的な国際的な環境というものが相当大きく変化をしておりますし、軍事技術というものも、相当変わってきているわけであります。
私の選挙区であります北海道にも自衛隊の戦車がたくさん存在しておりますが、果たして今の時期、陸からの侵略のような話が、北海道に起こるとはとても考えられない。安全保障の議論というものはなかなか新しい変化についてきていないと。
私は小沢代表が第七艦隊の発言をしたのはまさにこういった時代環境が変化をしたことに対して、ある意味でのシンボル的な発言をされたのではないかと思っておりまして、つまみ食い的な報道もあって結果としてそれが誤解を招いたんじゃないかと思っています。

だということで,
小沢氏の 「第7艦隊発言」 を擁護する意味もあったのでしょうが,日本の安全保障についてチョッと怪しい見解を述べたんだそうです.

やっぱり前から思うんですけど,安全保障について無知な人が語るとろくなことがないので,知らないなら黙ってた方がいいというものです.
政権とった後だったら,間違いなく致命的な失言ですよコレ.

「日本は島国だから,陸から攻めてこないんだ」なんて,
当たり前だろボケが!
そりゃ制空権,制海権を獲って突破口を作るのは対空戦・海戦だろうけど,最終的に制圧・占領するのは陸上部隊でしょ.
民主はその時に歩兵部隊メインで対抗しようってつもりらしい.

陸に戦車が揃ってるから制圧・占領作戦を実行するのを思いとどまるんですよ.
戦車大隊を相手にするには大規模な装備と部隊が必要になりますから,パラシュートで降りてドンパチだけじゃ難しいのです.
でも,戦車がいないと輸送機で空挺部隊を送れば五分五分の戦いになりますから,制圧・占領が容易になっちゃいます.


とは言え,ここは大きく譲ったとして戦車を減らすのはいいとしましょう.
でも,最終防衛部隊である戦車を減らすんなら,前線である航空・海上部隊を増やすんでしょうね.
最終ラインが薄くなるのですから穴を作るわけにはいきません.世界屈指の広い経済水域を守る航空・海上部隊には相当な負担がかかります.

その上,航空部隊や海上部隊はお金がかかります.米軍におんぶにだっこである部分でもありますし.
戦車代の方が安くつくからお得だと思うんですけど(軍艦1隻:1200億円,戦闘機1機:130億円,戦車1台:8億円).

鳩ポッポが,そして民主が費用対効果の観点から軍事費の縮小を言うなら,それは核ミサイル保有も視野に入れているのでしょうか?
あー,なるほど! 鳩ポッポの地元である広大な北海道の土地に,核ミサイル基地でも誘致する気なのですね.
それなら数発用意するだけで済むから安くつきます.
民主にそれだけの気概があるとは.今から選挙が楽しみです.


でもたしかに,日本の戦車装備は時代に合っていないことは事実で,90式戦車というのが主力なのですが,これがまた強いかわりにデカイ.
関西圏某大学ラグビー部のフォワードみたいなもんです.
広大な北海道ならまだしも,川が多く山あり谷ありの日本の地形には合っていないのです.重すぎて渡れない橋も多いのだそうです.

そういう意味では,新しい戦車を開発する必要もあります.
軽くて,山岳地形にフィットして,市街地戦,対人・ゲリラ戦に優れる,という注文を満たすヤツを.
まぁ,そこは日本ですから,戦車も地球にやさしいハイブリッド・低排出ガス,縦列駐車もオートでママにもやさしく,後部座席も広々贅沢空間.
これで家族と楽しく過ごせる週末が増えるというものです.


いろいろ言いましたが,民主党さん,期待しています.
頑張ってください.

2009年7月11日土曜日

読書しなくなった日々


最近,とんと読書しなくなってしまいまして.
以前はまったく読まなかった小説(村上春樹)を少し読むくらい.

今日は気合いを入れ直すために古本屋へ行き,古本屋なのに新書を5〜6冊ほど買い込みました.

アタリの本があればいいのですが...


そんでもって今夜は,その買ってきた本は読まず,以前から読もう読もうとしてて結局ページをめくっていなかった今西錦司 著『進化とはなにか』に手をつけることにしました.

進化論を唱えたのははラマルクやダーウィン(ウォレス)だけではありません.
日本の霊長類学者である今西も独特な進化論を唱えています.その氏が自身の進化論についても語っている著書です.

進化論については,
・ラマルク(用不用)進化論
・ダーウィン(自然淘汰)進化論
が有名ですが,その2つと別の進化論,
・今西(棲み分け)進化論がそれです.

今西進化論では,「種」 に対する考え自体が一般的な生態学とは異なることから自然科学としてみなされていない場合もあるそうです.
氏の言う 「種」 とは,生態や生理が非常に良く似た生物のグループを 「種」 であるとし,これを「種社会」と呼びます.

この種社会はいろいろな契機によって分裂し,“棲み分け” ます.
なぜ棲み分けるかというと,生物はできることなら “競争しなくてよい棲み分け” を選ぶだろうというもの.
わざわざ自分の身を危険にさらしてまで生きようとは思わないということです.

これは,同じ種のカゲロウが同じ川であっても,上流と下流とで棲んでいる場所によって形態が違うことから考えられたそうです.

棲み分けた先で生活を営んでいるうちに,少しずつその場所に適した生理・生態に変化してゆき,あるポイントから同じ種であるとは言えなくなる境界が出てくる.それが種の分裂,すなわち進化なのだとします.

こうした進化のかたちはラマルクの用不用進化論と親和性が高いですが,「種」そのものが競争や環境に勝ち抜くために望んで生理・生態を変化させたということではなく,「成るように成った」 という進化論が今西進化論なのです.

この今西進化論は今の進化論の主流ではありませんが,進化の過程を説明する重要な議論を投げかけました.
つまり進化は,
“競争によって生き残ること”
ではなく,
“とにかく生き残ること”
が根本的なモチベーションになっていると言えます.
ガツガツした競争ではなく,共生が進化の要因になっているという考えは今でも影響を及ぼしています.


現在,進化論の主流はラマルクでもダーウィンでもありません.
自然淘汰という意味ではダーウィンの流れも含んではいますが,木村資生という日本人が提唱した中立進化論が有力です.
中立進化論とは,置かれた環境や競争に,最もどうでもいい突然変異を起こしたものが生き残るというもの.
その環境に有利でも不利でもない変異が生き残る.
まさに 「出ない杭は打たれない」 わけです.
生物の世界も人間社会も,深い...

でも,これについてはまた別の紙面で.

2009年7月9日木曜日

そして今日

ぶつかってきた車のドライバーの人からお金を巻き上げて一件落着となりました.

てっきり警察署に同行するもんだと思っていたら,お金で解決することになりまして,どうやら私が出頭したら 「事故」 として処理されるもんで,内々で示談ということだそうです.

ドライバーの人も警察にそのようなメニューを紹介されたそうで,「あとは被害者次第」 ということになっていたんだそうな.

ウジウジいろいろ言い回していましたが,示談ということにしてほしかったようですあのドライバー(そりゃそうか).


おかげで自転車の修理代+お小遣いがもらえちゃったのでラッキーではありました.
その修理代ですけど,1万円だったというのは前回書きましたが,事故を起こした直後は,
「5千円くらいでしょうね」
とか言って,その場ではドライバーから5千円をもらっておりまして,その手前 今日になって,
「実は1万円になっちゃったんですけど・・・」
と言うのが心苦しかったです.

ものすごくペコペコして,これでもかと気持ち悪いくらいに下手に出るドライバーの姿にチョッと引きましたけど.
道端の駐車場で裸の札束を手渡しをする姿はまるで恐喝.
そんな時に限って散歩する町民がずらずら脇を通るものです.チラチラ見て行くからこちらとしても明るく最敬礼で挨拶して別れました.

事故を起こした方としては相手の出方次第でどーにでもなる展開ですから気が気で無いこともたしかで.
「△△△と○○○も傷んでたんで...」
なんて言って修理代を2万円くらいにしても払ってきそう.

「あー,なんだか最近 腰が痛くなってきましてね...」
と最悪の展開にすることも容易です.

よかったですねー.こんなにも寛大な被害者で.

寛大になるためには,歳をとりさえすればよい.どんな過ちを見ても,自分も犯しかねなかったものばかりだ.
ゲーテの言葉です.

でも,逆の立場になることだけは,何としてでも避けなきゃならんなと痛感しました.


そう言えば,事故直後になんとなしに会話したことですけども,そのドライバーの息子さんが将来はスポーツトレーナーを目指しているそうでして,私がその関連の大学に勤めていることを話したらうちの大学に興味を持ってくれました.
どんな大学・専門学校に通わせたらいいか,いまいちピンとこなかったそうですけど,ためになったそうですよ.
もしかしたら,その息子さんが本学に入学することになるやも知れません.
別に楽しみじゃないですけどね.

2009年7月6日月曜日

事故後

その後はというと,自宅近くの二輪ショップに自転車を修理に出して見積もりをしてもらったところ,
「結構な時間とお金がかかる」
と言われ,
「どうせ自分のお金じゃないんだから」
とOKしたのはいいんだけど,しばらくして携帯電話に着信,
「リム(ホイール),フォーク(車輪受け)の交換となると,注文待ちになって結構な期間と新品同様の修理費になりそう」
と言われたもんで,結局
「捻って叩いて元に戻す」
という技術と経験と力に頼った修理方法を採用し,
「1万円で」
「OK」
ということになり,修理の出来栄えよりも再び使用できるまでの期間を優先し,今日の朝さっそく受け取って
「なんか左方向に引っ張られてる気がする・・・」
という違和感に少々の不満を抱きつつも,
「でも自転車が使えないよかマシか」
と自分を納得させ,多少の操作性の低下には目をつむるとしましょう.


昨日は自転車が使えない上にちょうど食べる物もなく...,
おかけで普段は――というか,特にここ4~5年,目を向けることがなかった自宅周辺を歩き回るはめになり,
自転車の速度では気がつかなかった路地裏の様子,一軒一軒のシルエット,生活臭,人の会話を改めて感じさせられました.

二輪ショップを行き来する途中に葬儀屋があるんですが,あわただしく従業員が働いておりまして,
「そう言えば一昨日,町内放送で1歳の子が亡くなったっていってたな」

私も一歩間違っていたら,この人たちのお世話になっていたやもしれんのですね.
一ついえることは,瞬発系トレーニングは重要だということです.

人が死ぬことによって,こんなにも活気良く笑顔で仕事ができる人がいる.
人間とは他人の不幸によって幸福を得ているものなのでしょうか.

いえ,人の死というは不幸なのではなく,あらかじめ生の一部としてプログラムされた必然的な帰結でしかないわけですから,幸・不幸の概念で捉えること自体が矛盾しているのです.


サドルから降りて ぶらぶらと歩くのも,たまにはいいもんですね.

2009年7月4日土曜日

事故りました

またもや自転車が使用不能状態です.

今回はパンクなどではなく,自動車とぶつかってホイールが捻れてしまい,自転車としての機能を果たさなくなっておるんです.

先ほど,夜道を通っていたら,分岐のところで自動車と正面衝突.
ですがそこは私も元・スポーツマン.走りながらも自転車を踏み台に自分の体を空中へ投げ出し,衝撃を回避.
ジョン・ウー監督映画ばりのアクションを決めてきました.

避けきれなかった部分が打ち身っぽくなっていますが,普段のウエイトトレーニング時の筋痛と比べたら大差ないものです.


例のアレを体験しましたよ.あの “時間が止まったように感じる” ってやつです.

「んなアホな〜」 ってな勢いでぶっ飛ばして曲がり入ってきた自動車.そのドライバーの顔もじっくり見れまして,相手も驚いているのを確認.
「この道でそのスピードはないで,速度落として確認しながら入れや」
と考える余裕もありました.

そしてブレーキをかけながら,どういう風に回避すれば一番ダメージをくらわないか,を考え,ちょっとやそっとではコリャ死ぬな,という結論に至って思いっきりジャンプ一閃.
自転車を棄てて命を拾いました.

短時間の内にいろいろ考えられるものですね.普段からこの思考速度が欲しいです.


今回ばかしは自分で修理するのもうんざりなので,自転車屋に修理に出します.

相手もヤクザではなかったので丁寧な対応をしていただき,後ほど警察を入れるとのこと.

事故のことより,また明日から数日は歩行通勤であることがショックな私です.

2009年7月3日金曜日

民主党が危険水域


所詮この程度だとは思っていましたが,ここまで早期に崩れるとは予想外でした.

政権を交代できて3ヶ月後くらいに この手の事件が発覚してくれるのが私なりのベターな展開だったのですが,これではもはや政権交代すら危うくなっております.

小沢イチローの件ならまだしも,鳩ポッポまでこの調子では残念な結果になりそうです.
やはり,民主党は自爆グセがあるのでしょうか.


私の当初の構想では,

⑴ 民主党が政権をとる.
⑵ 能力の欠如がバレて怪しい空気が流れる
⑶ 自爆しはじめる
⑷ メディアが苦しいながらもなんとか擁護を続ける
⑸ でも,さすがに世論を操作できなくなる
⑹ しかたなくメディアも民主党政権を批判するようになる
⑺ 民主党,ボロぞうきん状態になる
⑻ 幾多の国民の犠牲の後,民主党,選挙に敗戦
⑼ 自民党政権に戻る
⑽ 国民の政治意識が改革される

という流れを期待していたのですけども...どうやら私の目論みが怪しくなってきました.
なんとか民主党にはがんばって欲しかったのですけどね.
国民が政治の現実を直視するいい機会.メディアの情報操作ができなくなる恰好の状況ができると思っていたのですが.

はっきり言って,今のままでは自民党の政策が “まとも” だということに多くの国民が気づかない状況のままになっちゃうわけです.

民主党が政権をとれば,現在の自民党の政官癒着もリセットされますし.
民主党が政権をとることによって被る犠牲以上のメリットがあると考えておるんですけど.


私が期待している前例は,94年の村山内閣です.
この時,自民党は社会党の村山富市氏をかついで自民党政権を維持したわけですけど,これにより社会党が政権をとったに等しい状況になってくれました.

“なってくれた” というのは,これにより当時の政治の空気である「社会主義・共産主義賞賛」が砕かれたということを指します.
今となっては 社会(社民)党も共産党もゴミのような存在ですが,当時は一大勢力でした.
それが,政権の中枢に入ることによって,どれだけ社会党や共産党が主張することが現実離れしているか,実際の内政,国際関係で通用しないかが露呈しました.

特に効果的だったのが,その後メディアが手放しで社会主義・共産主義を賞賛できなくなったことです.
さすがに国民も,このどーしようもない党に愛想をつかし,それを賞賛するメディアにも疑いの目を向けるようになった.これはメディアが世論誘導する力を削ぐ非常に重要な出来事だったと思います.

社会党が関与した政権により,阪神大震災で多くの犠牲が出たことや極東アジアにおけるリーダーシップが低下したことは計り知れない損失ですが,それに見合うだけの利益もあったはずです.
現に,社会党や共産党がその後 黄昏の道をたどっておりますし.

今度は民主党が出しているような主張が崩壊する番だ.と期待していたのですけど,国民やメディアに刺激を与える前に消えそうなのでガッカリです.

人間は経験したことでしか本当の意味で理解できない.

この度の政権交代劇は,日本人の政治意識が変わる歴史的な年になると思っていましたが,まだまだ先になりそうです.

2009年7月1日水曜日

今年も半分終了


というわけで,どしゃ降りの自転車帰宅を避け,後輩でもある学生に自宅まで送ってもらったわけですけれども,そんなに激しく降る様子もなく,自転車で帰ってきた方がよかったのかもと 人の親切を踏みにじる感想をもっております.

せっかくですから,こうなりゃ 明日の朝がどしゃ降りであることを祈ります.
予報では大雨.
“悪い” という良い結果を望みます.

それにしても,「雨」という天気が「悪い」というのはどのような価値観からでしょうか.
考えてみれば不思議なことで,雨という天気を「崩れる」「悪くなる」「怪しくなる」などと表現することには何か意味があるのでしょう.

今回の私のように,濡れて帰らなければならない,という場合は「悪い」と表現されるわけでしょうが,雨が降らなければ渇水などの問題も起こるわけですし.それに 「濡れて帰る」 ということそのものが悪いことかと言えば,単純に考えたらそういうわけでもない.脱げば良いのですから.
“よそ行きの服(最近の若い人にはこの表現を知らない人が増えているそうである)” が台無しになることを避けるという経済的,それにともなう心理的な理由があるかもしれません.

スポーツやレジャー,子どもの外遊びという観点からは,雨天中止という部分がありますから,これは予定をくるわされるという点から「悪い」ということになるのでしょう.
念のために,雨が降ったらなぜ中止になるのかと考察してみると,それは衛生上の問題に行き着きます.体温の低下に伴う免疫力の低下,それによって風邪をひくだとか湿潤環境による感染症が発生するだとか.そんなところでしょう.

調べてみましたら,先進国を主とする温暖な(西岸海洋気候の)国々では「雨」を「悲」のイメージとして捉えることが多いそうで,アフリカや中東,中央アジアといった乾燥気候の国々では喜ばしいこととして捉えているようです.

日本はというと,これまた微妙というか流石というか.四季の移ろいを豊かに感じとる文化の真骨頂.良いイメージと悪いイメージを両方持っているんですね.
雨が生活に密着している国だからこその感覚だそうです.


平年なら7月中旬には梅雨明けですから,もう少しこの天気が続きます.

そんなこんなでこの記事を書いていましたら,外は大雨.
もしかしたらこの中を帰っていたかもしれないと思うと,やっぱり送ってくれた学生に感謝です.

もう7月,今年も半分を過ぎました.