2010年1月11日月曜日

福祉のこと

政治だ風俗だと言ってないで,もっと真面目なことをテーマにしようと思いました.

来年からはこの「福祉」の専門家になるのですから.
“来年から専門家” ってのも妙な話です.
今まで門外漢だったくせに福祉の専門家を名乗ろうってんですから,おこがましいこと この上ないですよね.

でもまぁ,門外漢だったからこそ分かること,気づくこともあるはずですから,こういった感性を磨いて4月からの活動に備えようと思います.

まず,「福祉」 “そのもの” についてですけど,けっこう幅の広い分野なのです.
てっきりスポーツ・体育の世界しか知らずに生きてきますと,「障害者」や「高齢者」のことしか思い浮かびませんで.これらを象徴するものが「介護」だったりするわけです.
実際,福祉関連の書籍を集めようとすると,やっぱり「障害者」や「高齢者」を扱ったものが多くなります.

福祉というのは「より良く生きる」とか「豊かさ」といった意味があるのですが,なんとも抽象的過ぎる感があります.
この「福祉」という日本語をつくったのは第二次大戦後に日本の占領政策を取り仕切ったGHQ.
彼らが日本国憲法を作成する際に「Welfare」に対応する日本語を考えて考案したのだそうです.
それまで日本語で「福祉」に相当する言葉としては「社会政策」とか「社会事業」といったものが使われていました.

福祉の世界は勉強すればするほど用語の使い分けが微妙で難解です.
例えば,「福祉」と「社会福祉」と「福祉政策」と「社会政策」って何がどう違うのか今でもさっぱりわかりません.実際,明確には分けられていないと思いますし.

ただ,「福祉」という抽象的な言葉をつくったのは煩わしいと同時に便利なものでもありまして.
社会政策や社会保障といった “施し” の意味合いが強い言葉では表現しづらい事柄については “逃げ易い” という特徴があります.
「体育」と「フィットネス」と「レクリエーション」をそれぞれ使い分けるのが面倒だからってんで,「スポーツ」と言ってしまえば何とかなるのに似ています.
困ったら「福祉」と言えば煙に撒けそうですよね.これからは何かとお世話になりそうな表現です.

で,この「福祉」というものの概念としては,
生活の質を維持・向上させるためのサービスを社会的に提供すること(Wikipedia:福祉)
というものとして定義できるのではないかと考えられます.
ま,明確に “社会政策” と表現しても差し支えないです.

日本国憲法 第25条
すべての国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する
(国民の生存権)
という有名な一文がそれを示しており,そして続く第25条第2項では,
国は,すべての生活部面について,社会福祉,社会保障および公衆衛生の向上および増進に努めなければならない(国の社会保障的義務)
ということになっているのです.

つまり,「福祉」 というのは弱者救済とかではなく,人が人間らしく健康に生きていくためのサービスなのですね.
じゃあ「健康」というのはどういうことか?ということが新しく命題になってきます.
私が学生の時は,WHO(世界保健機関)が出している以下の定義を刷り込まされたものです.

身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない(WHO憲章 前文より)

前半はいいんですけど,後半の部分は取って付けた感がいなめません.病気でも健康な人はいるんだ,という主張を取り込むために無理矢理こじつけた感じがします.
そんなWHOは最近,健康について新たな定義を提案しています.

身体的・精神的・“ 霊的 ”・社会的に完全に良好な “ 動的状態 ” であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない

「霊的」とか「動的」状態とか,別にWHOが細木数子に乗っ取られたわけではありません.
ここで言う「霊的」というのはスピリチュアルという意味だそうで....,うーん,これも如何わしい響きですね.

“スピリット = 魂,意気込み” という方が日本人には適切かもしれません.
つまり,「健康」という静的な状態があるわけではなくて,「健康な自分」を目指し向かおうとする動的な状態のことを「健康」と定義しようというのです.
簡単そうで難しいんですね.

まぁ,そういうわけで福祉ではこういった健康を保障するためのサービス全般を言うんだそうですよ.