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いよいよ夏休み


全ての授業と(義務的な)イベントが終わり、一息つける日々が始まります。
この2カ月ほどで、本来やりたいはずの仕事をやっておかなければなりません。
これまでは、よくわかんない仕事をふられてきたので私としても困っています。

さて、今日はジョン・ダートン著 『ネアンデルタール』を紹介しておきます。
最近、ネアンデルタール人みたいな人と久々に出会えたので、ことさら親近感がわきました。
内容はいたって予測可能な展開で、小説としてはそれほど面白くはありません。
物語の流れがジュラシックパークと酷似しており、言い換えればサルシックパークです。

【以降ネタバレ箇所】
現代にもネアンデルタール人が実は生き残っていて、山奥深いところに住みついている。
コミュニケーション手段はテレパシーで、平和主義派と暴力派の2グループに分かれて暮らしている。
調査に向かった古人類学者の訳あり男女は、てんやわんやの末、なんとか生き延びてロマンスで終わる。
【以上ネタバレ終了】

この小説の面白いところは、物語ではなくネアンデルタール人に関する最近の研究を説明してくれるところ。そこに価値があります。
だから、ネアンデルタール人に関する説明をしてくれる前半部分は楽しく読めて期待感が高まっていたのですが、後半は「やっぱり・・・」という展開に落ち着くことに。
しょうがないんですけどね。こういったテーマを扱うのは難しいのでしょう。

ここ十数年前までは、ネアンデルタール人はいかにも原始人らしいサルのような容姿で描かれることが多かったのですが、最近はヒト(ホモ・サピエンス)とほぼ同じような容姿であったと考えられています。
体躯は小柄ですがガッシリしており、脳もヒトより大きかったことがわかっています。
生存性からすると、ヒトよりもネアンデルタール人の方が生き残りそうなものですが。

そんなネアンデルタール人がなぜ絶滅したのか?
理由はまだわかっていませんが、我々人類(ホモ・サピエンス)との種族間戦争で駆逐された、とか、我々人類との混血が進み、取り込まれてしまった、などの説があります。

この進化については、以前にも記事で取り扱ったことがあります。
現在の進化論は、日本人の遺伝学者である木村資生が唱えた「中立進化論」が有力です。

この進化論は、
「最も優良な種が生き残り、それ以外が淘汰される」
というダーウィン的な進化論ではなく、
「置かれた環境や競争に,最もどうでもいい突然変異を起こしたものが生き残る」
というものです.
つまり、その環境に有利でも不利でもない種が生き残るということです。

我々ヒトが、最も優良な種ではなかったからこそ生き延びることができた、となれば、中立進化論の通りの道を歩んでいるのかもしれません。
そして、もしネアンデルタール人の方が生き延びていたとしたら、現代はどのような科学技術を誇っている社会になっていたのでしょうか?

しかし、それも意味の無い想像かもしれません。
というのも、人類の科学技術力は優良ではない自らが生き残るために必死で養ってきた適応方法であったかもしれないからです。
優良であるネアンデルタール人は、原始そのままの生活をずっと2010年現代まで続けている可能性だってあるのです。