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読書再考


最近,平野啓一郎 著『本の読み方 スロー・リーディングの実践』 というのを読みました.


有名作家でもある著者は,自分が速読が苦手であることを作家仲間と話してみると,「実は私も...」ということが多いのだとか.
実は,たくさんの本を読んで書いている作家達の多くも,本を速く読むことができないのだそうです.

徹底してアンチ速読派の立場をとり,本はじっくり読んでこそ意味がある.速読は本当に効果があるのか? 10冊の本を闇雲に読むよりも、1冊を丹念に読んだほうが、人生にとってはるかに有益ではないのか?

というのが本著の主張です.
量よりも質の読書を勧めています.

まったく賛成できませんが,読書についてあれこれ考えさせられたので有益でした.

読み始めて間もなくから著者の主張に違和感を覚えるのですが,それはおそらく平野氏が「本=文学作品」と捉えているからです.

「斜め読みしても文章の意味を正確に把握することはできない」ということですけど,文学作品を斜め読みする人の方が少ないと思うのです.

平野氏は勘違いしているようですが,こんにち速読が必要とされている理由は,毎日溢れるほどに積み上げられるビジネス書類やE-mailの確認,少ない自由時間をぬって自己啓発のための一般書を読むため,そして期日が課された資料検索のためです.

じっくり1冊と向き合って..,などと悠長なことをやってる暇は現代人にはないのです.

とは言え,「小説も速読で..,」 などと考えている人も世の中にはいるのでしょうから,そういった人たちへの警鐘としてはいいかも.
小説は速読するものではない.それが伝わればOKというところでしょうか.

ただ,「1冊の本をじっくり読めば,人生のためになる」という趣旨の考えは偏狭過ぎます.
著者が小説家だからなのでしょうが,文学作品で得られることだけでは,現代社会は通用しないのでは?

身につけるべきは,「同一テーマに関する見解を,複数の資料から比較・吟味できる能力」です.
数少ない資料を眺めて,自己の見解をじっくり熟成することも大切な作業でしょうが,一般的な人々はそこに「客観性」と「スピード」が求められるのも避けられない事実です.


この手の本としては,M・J・アドラー 著『本を読む本』 の方がためになります.
実際,どうやらこの本は名著として数えられているんだとか.

単一の読み方で全てを処理しようとしてはいけないし,読み手のレベルに応じて読み方を変えて行かなければならないです.

かく言う私も,意識して速読はしていません.
速く読むことよりも大事なのは,たくさん読むことではないでしょうか.そして比較・吟味することです.
特定の見解だけで自分の考えを構成させようとするのは危ないのです.

こんなこと言うと,
「誰かの見解を切り貼りコピペするだけで,自分自身が独自に考えた見解を持たないのか?」
っていう意見が有りそうですが,私はこれについては以下のような考えを持っています.

簡単に言えば,
“人が考えついた何かというのは,すでに誰かが考えたことの受け売りだ” ということです.
完全な個人オリジナルの考えなんてものは存在しないと思います.
似たようなこと言ってた人に,「エヴァンゲリオン」とか「不思議の海のナディア」といった作品監督の庵野秀明がいまして,それを1年前に大学院生勉強会で取り上げたこともありました.

“私たちが考えることができないものを,私たちはは考えることはできない” と言ったのはウィトゲンシュタインですが.まぁ,似たようなことなんでしょうか.

こういった考えは「科学的方法」と親和性が強いんですけど,これについては「科学について」という前回の記事を参照してください.

ちょっと脱線してきたので,これで終了.