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学生とのやり取り その2

前回の記事の学生から,先日メールがありました. 良いブログのテーマになるかと思い,以下にその学生への返信文を掲載します. —————— ◯◯さん メールありがとうございます. 本当にご自身で考えられたメール内容ですか? 失礼ながら,私の想像以上にしっかりした学生のようです. それだけに,ちゃんと返信しないとと思いました. 私の考えを返すわけですから,メールだと長くなるし,テーマをその他大勢の人と共有したい意味でももったいないので,ブログの記事にさせてもらいました. > ボランティアって英語だけど海外(とくにアメリカなど)ではあまり推進されたイメージがありません. ◆おそらく日本人と海外(欧米)とで,「ボランティア」に対する捉え方が違うからでしょう. 多くの日本人にとっての「ボランティア」とは,その訳である「義勇兵」や「慈善活動家」ではありません. 誤解を恐れずに言えば「無償の作業員」という捉え方が強いのです. 本来の「ボランティア volunteer」の訳である「義勇」や「慈善」の意味を考える必要があります. そこに,ボランティアを取り巻く欧米と日本の文化の差が表れています. ヒントとしては,「キリスト教文化と神道文化」です.「日本の福祉」を勉強する上では重要だと思いますので,勉強してみてください. ◯◯さんの言うように,欧米ではボランティアは「推進」されるものではありません. 「義」があり,「善」なものを「推進」する必要は無いわけで,まさに本来の「ボランティア」として行なうべきものだからです. ところが日本では,「ボランティア」を,ただなんとなく「義」があり,「善」なものとして捉え,そこから「推進」されて然るべき活動だという認識になっているように思います. 簡単に学校教育に「教材」や「実習活動」として取り入れられる動機もこれです.「義」があり,「善」だという共通認識があるものを,拒否する理由は小さいからです. しかし,「ボランティア」という名称をつけた「使命と理念なき無償の作業」が横行してしまうと,本来「ボランティア」が持っているはずの「義」と「善」の意味が力を失ってしまわないだろうか?私にはそういう危惧があります. ボランティア活動をするのであれば,まず最初に活

迷わず行けよ 行けばわかるさ

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卒業式が終わり,引っ越しも最終段階です. 家財と研究室の荷物は送りましたので,あとは自分自身が行くだけです. 今は,なんにもない部屋で,スーツケースを机にしてブログを書いています. 学内に広く報告せずに大学を辞めることになったので,ここ最近になって私が大学を辞めることを知る人もままおりまして. 昨日も学生の1人から,その旨のメールがきました. 今日は,この学生とのメールのやり取りをご紹介します. 1年生なのですが,「大学教育とは」という事に,かなり勘付いている学生でして,その学生に向けた記事として読んでもらえればと思います. この学生のメールに,私は心底感動してしまいました. 「おーっ! 分かってくれている学生もいるんだ!」 という感じ. 教師冥利に尽きるとはことのことなのですね. 細かく記述すると恥ずかしいので,端折りまくると,こういうこと. (1) 1年間,ありがとうございました(お礼) (2) 「常識」「テキストの内容」も大事だけど,「先生オリジナルの考え」を学びたい この学生は,「基礎学力」とか「リテラシー」といったものより重要な,“大学で学ぶとは,どういうことか” という「姿勢」を持っています. 若さ故の表現なのかもしれませんが,この学生が言うには, 「常識 = 正しい」を伝える教員は好きになれない. でも先生(私)は, 「常識 + 先生の考え」を教えてくれたので視野が広がった. とのこと. (どういたしまして) 入学当初から「なんか違うな」と感じていた学生のうちの一人でしたので,このようにメールとかで文章化して考えを示してくれると,よく分かります. 大学で勉強する上で重要な「姿勢」というのは,「教員の考え」を汲み取ろうとする姿勢です. 私自身,この学生に「教えた」つもりは毛頭ないのですが,そのように「汲み取った」ということでしょう. ■ 危ない大学に入学してしまったとき でも紹介した,「学問とは,問うて学ぶこと」に通じます. この「姿勢」,つまり「問うて学ぶ」を身につけさえすれば,あとは,おのずと大学らしい学びを得る事ができます. さすずめ, 迷わず行けよ,行けば分かるさ. といったところです. こういう学生,実は少ないのです.その多くは「テキスト」を効率よく

そうだ、また京都、行こう。

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TPP交渉参加の発表に戦々恐々としている今日此の頃ですが,「なるようになるさ」と思い込みたい気持ちを胸に,昨日は「裏ゼミ活動」に出かけてきました. 卒業生と秘かに開催している「裏ゼミ活動」も,これで5回目くらいになります. 秘かに行なっていますが,だからといって悪いことしてるわけではありません.なんとなく,秘かにしといたほうがいいかなと.他意はありませんよ. このゼミは「関西の魅力をとらえる」ということで,渋い観光地を訪問し,写真を撮りまくることを目的としています. これまでの活動歴は, (1)淡路・香川 (2)京都(金閣・銀閣 他) (3)但馬 (4)奈良 といったところ. 今回は第二回目の京都行です.「嵐山」と「清水寺」に行って来ました. 先日,私もついにデジタル一眼カメラを購入. 「そのうちデジ一買うよ」と言ってましたが,これまではずっと普通のデジカメ『CASIO EX FH-100』でして. 普通のデジカメでも十分だと思っていましたが,やっぱり良いですよ,デジタル一眼は. 卒業生が使っている一眼レフ(Canon EOS)の魅力に負けて,この度めでたく購入ということになりました. ということで,私の『Nikon1 V1』のデビュー戦は京都です. 相手に不足はありません. なにかと京都に遊びに出かけることが多いここ数年. 私にとって関西最後が京都とは, うん,いいんじゃないでしょうか. では,撮ってきた写真を以下に示します. 嵐山:渡月橋 嵐山:竹林 天龍寺  天龍寺の庭園 清水寺:仁王門   清水寺:舞台 少しずつですが,カメラの扱いにも慣れてきました. 今後も腕を磨いていきたいと思います. 今回の“ゼミ活動”は,卒業生が運転する車で移動.気楽でした. これまでは私の車で動き回っていたのですけど,その車も昨年のうちに売っぱらいましたので. 関西で思い残す場所は,「熊野」です. 那智の滝,那智大社,古道. でも,あの地域に行くのには,やたらと時間がかかります. 試しにグーグルマップの機能で計算してみてください.びっくりしますよ. さて,どうしたものやら. 今後の研究テーマです.

フットサルとラーメンと特設ベッド

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本日は,母校でシンポジウムが開催されるということもあってフラッと顔を出してみたのですが,思いがけず様々なイベントを経験できました. 結局,自宅に帰ることも面倒になり,泊まることにして今に至ります. 今日は「関西」の締めくくりという意気込みで(来月から関西を離れる),母校のメンバーと共に,フットサルにラーメンにと,懐かしい恒例のコースを満喫しました. で,これがフットサルコートの写真. このコートからも暫くサヨナラすることになります. 少し(ほんとに少し,どうせ直ぐ仕事で戻ってくるから)寂しいですね. ゲームでは,お世話になっていた先輩にも偶然お会いでき,直接あいさつできましたし.有意義な時間でした. あと,スポーツって,やっぱりいいなと改めて実感しています. そしてラーメン. 大学院時代には,ひたすら通い続けていたラーメン屋の一杯(そして替え玉3杯). フットサルに疲れた体に懐かしいスープが染み渡ります. 至極のひとときです. ビールも飲んでやろうかと思いましたが,さすがにやめときました.けっこう疲れたので,悪酔いするかもしれなかったので. んで,お会計なんですけど,先輩ヅラして格好良く全員分の支払いをしてやろうかと思っていたら,財布の中身は紙幣が一枚. 「俺とりあえずコレ出しとくから,あとは割って」 と微妙なことに.まいっか. そして今日は大学の研究室で一泊. 大学事務員の後輩にご足労をおかけし,カギを秘密裏に入手. 今夜のお部屋はここです. というのも,大学の周りにある(唯一の)ホテルに電話をしたのですが,ぜんぜん受付と連絡がとれず(サービスが悪いことで有名),しかたなしに(でも少しワクワク)大学に泊まることにしたのです. とは言え,大学研究室の宿泊能力を甘く見てはいけません. ハンガーなくてもスーツはイスにかければいいし,パソコンもあるから,こんなふうにブログの更新もできちゃう. 空調も完備されており,非常に快適な一晩が過ごせます. え?ベッドはどうするのかって? こうするのです. イスを3つ互い違いに並べて,そこに寝る.これ,最強. たとえ写真のような,キャスター付&回転式オフィスチェアであっても,安定した睡眠が約束されます. ただし,このベッド設営にはコツがあって,以下

彼女に言ってやりたかったのは

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彼女に言ってやりたかったのは,止まることを恐れる若さと,結局は止まることなどない人間の性についてだ.常に前進したいと彼女は言った.その前進とは,何を基準にしているのか.どこから観測したとき,前進していると見なせるのか.逆に,どんな位置に立てば,人は停止していることになるのだろうか.さらに,もう一つ. 自分が前進する者だと認識することで,その瞬間に,前進は止まるだろう. 森博嗣 著『少し変わった子あります』 の一節です. 妙に印象に残っているので,これを冒頭引き合いにして今日の記事を書こうと思います. 「 大学に行く意味はあるのか 」と題してレポートを出してきた学生がいます. 私の大学では(そして辞める大学では),1年生を対象とした『初年度教育』と多くの大学で一般的に呼ばれている授業がご多分に漏れず存在しております. その授業の年度の最終課題として「テーマを自由に設定して2000字程度の論文を書く」というのがありまして,そこで出てきたレポートです. ちょうど「大学とは...」というテーマでブログの記事を書き殴っていた時期とも重なるので,少し思い入れがあるレポート指導でもありました. で,そのレポートの内容はというと,ありきたりで非常に面白くないのですが(なら面白くなるように指導しろって?たしかに...),「やっぱ学生はそう考えてるんだね」というものでしたので,そういう意味で興味深く拝読,そして採点させてもらいました. 過去の記事では,私が考える大学という機関の社会的機能や「使命」とか「理念」,大学教員視点としての文句を垂らしておりました. でも,その中でも言及しておりますけど,大学という存在は「学舎」と「教職員」だけで成り立っているのではなく,「学生」の存在も非常に重要な構成要素なわけです. 例えば「授業」を評価(良くも悪くも)することについても,教室という環境と教員の教え方といったものだけが問われるわけではなく,学生の学ぶ姿勢も重要になっていきます. 今回の記事では,過去の記事で放っといてしまっていた「学生側の大学への眼差し」を取り上げましょう. そして,大学が向かおうとしている方向性(要するに大学改革)との相互関係を分析し,その学生に向けた言葉として書いてみようというものです. そのレポートに見られたキーワードを上