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7月, 2013の投稿を表示しています

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腰パン赤Tの本懐

 記事のネタがなくて困っているのですが,あんまり長いこと書かないのもなんなんで,とりとめのない話ですがしてみましょう. ここ数日は大学がテスト期間なので,学生が緊張感に包まれているのとは裏腹に,私達としてはのんびりできる期間でもあります. 今日もゆっくり仕事を終えて帰っておりますと,ちょっと面白い状況に出くわしました. 狭い道路幅・交差点,歩行者信号付きの短い横断歩道,見通しの良い場所,案の定の通学路. たいていの人が,車が来てなければ信号無視して渡るであろう,“よくあるポイント”です. 自転車でそこに差し掛かろうとする私, 赤信号, 車は来ていない. さて,どうしたものか. ? いかにもヤンキーな少年が横断歩道の前にいるではないですか. ? 今どき,これでもかというほど下げた腰パン, そしてYシャツの下は赤Tシャツ, 茶髪のツンツン頭, かったるそうにバッグを肩に掛け, イヤフォンで音楽聞きながらガムを噛む. ・・・完璧である. これ以上形容しようのない,まさしく不良少年(もう死語か?). だがこの少年の様子がおかしい. 待っている・・,待っているぞ! 信号が青に変わるのを! 周りには私しかいない. 私と君とは縁もゆかりもない.私がガッコのセン公に言いつけるわけなんかない. なのになぜだ!?なぜに信号を無視しない!? 君のような不良少年は,堂々と信号無視をするものである.むしろ,青信号で渡らず,赤でこそ渡るのが君達不良の本懐ではないのか? 君の腰パンと赤Tが泣いているぞ. さしずめ銀行に目出し帽でショットガンを持って入店し, 「すみません.こちらの口座まで振込をお願いします.はい.私の名義で結構です.あっ,印鑑とかいるんですか?」 などと普通に手続きして帰るようなものである. さあ, なにをためらっている少年!渡れ,渡るのだ.その腰パンと赤Tの名誉にかけて! でも・・・・, しっかりと待っている.律儀である. 5mほどの空間をあけ,向き合う私と少年. 20秒ほどでありましょうか.長く感じます. その間,1台の車も通らない.せめてピザ屋の原チャくらい通ってほしいものです. 思わず笑いそうになったので,顔をそむけてしまいました. というか笑ってました完全に. そ

続・英語教育について

以前の, ■ 英語教育について の続きです. 英語教育の強化と,大学の授業の英語化が喧しい昨今. これについて,たまに知り合いの先生(前任大学の方)ともフェイスタイムでお話しさせてもらうことがあるのですが,そこでの議論をここでも書いとこうと思いました. まず,上記の記事で書いたことをザックリまとめますと以下のようなものになります. (1)英語教育の強化は,ダメ,ゼッタイ (2)中途半端な英語教育になってしまうことは火を見るより明らか (3)他教科の時間を喰ってしまい,悪影響が多い (4)日本語での教育が疎かになると,思考力が低下する危険性がある (5)日本語能力が疎かになることで,思考力が低下する危険性がある というものです. ついでに言うと,これだけグローバリズムとか,世界を相手に活躍がどーのとか騒がれ,それに乗じて英語・英会話ブームに湧いた十数年(数年ではない.十数年である.もうそろそろ数十年ではないだろうか). それでも英語を十分に操れない人が多い時点で,英語を流暢に操り話せるようになるためには,教育上の「義務化」以外の何らかの「動機因子」が必要であることは容易に推測できます. そうしたことをすっぽかしておいて,義務教育としての英語の強化とか,大学の授業を英語でやるとか,完全にイカれている,という主張がその記事でした. 今回の記事でも「大学の授業の英語化」を主なテーマにしてみます. 大前提として,日本の大学事情からしても「日本の大学は日本人のためにある」のです. しかしながら,私も大学人の一人ですから, より詳細に言うと,「日本の大学は日本語を母語(乃至,第一言語)とする人のためにある」 ということにしておきます. 日本人以外でも,第一言語が日本語という人はたくさんいますので.そういう人が高等教育を受けるために,日本の大学があるのです. 各国の「大学」は意識的にしろ無意識的にしろ,作為的にしろ無作為的にしろ,そのようになっていると考えられます. なぜなら,その国(地域)の未来を背負って立つ人材の育成と陶冶が,大学教育の目的になっているはずだからです. そうでなければ大学で学び,学ばせる意味が見出せません. そのような大学の機能から考えてみると,「英語教育の強化」というのは無駄な労力にしか映らないのです

いじめアンケート調査の問題についてのあれこれ

「いじめについて関心が下がってきたのでは?」 という記事を先月書いていたとこですが,さっそく蒸し返すようなニュースが出て来ました. ご存知かと思いますが,以下の記事です.  栃木県栃木市の市立小学校で、いじめに関するアンケートを実施した際、3年生を担当する30歳代の女性教諭が、いじめの申告件数が多くならないように児童を指導したうえで、回答させていたことが分かった。  アンケートは、市がいじめの実態を把握するために市内の全小中学生を対象に無記名で行った。同小では今月4日に実施された。  同小によると、女性教諭は、アンケート記入に先だって、担当のクラス全員に「いじめは一方的なもの。みんながしているからかいなどはケンカ。いじめと書くと多くなるので書かないように」と指導したという。  また、女子児童の一人が、今年4月に同級生に鉛筆で腕を刺されたとして、「いじめあり」の欄に丸印をつけていたが、女性教諭はアンケート回収後に女子児童を呼び出し、いじめにあたらないなどと説明。ペンで「いじめではない」に丸印をつけ、本人が納得済みである旨も加筆したという。(2013年7月10日08時15分 読売新聞) たしかに問題です. この教員は批判されて当然で,何かのっぴきならない理由があるんなら聞いてみたいものです. ちなみに, 「同級生に鉛筆で腕を刺されたとして「いじめあり」の欄に丸印をつけた生徒ということに対し,この教諭が「いじめにあたらない」という判断をした,ということが “間違いだったかどうか” は,この記事から「不明」としか言えない」 というくらいの “情報リテラシー(笑)” は持っていてくださいね. 上記のこの一文は,一見,ニュースに深く関わるエピソードのような気がするんだけど,ニュースの本筋とは実は何も関係のない “つぶやき” のようなものでして.これはマスコミがよくやるニュースへの「味付け」です. 「うわぁ〜,この子かわいそう.えぇ?そんなかわいそうな子の アンケートを改ざんしてるんじゃないの? この先生.けしからん」という論調にしたい 想いが滲み出ちゃっています. でも,詳細には事実関係を洗っていないので「〜したという」と,ぼかした書き方にして “逃げ道” を用意しておく,という用意周到(卑怯)なものです. もし世間が「学校の先生が “

大学の学費と生活費のあれこれ

今日は先月のようなシリアスな内容とは打って変わって「金」の話をします. さきほど,学生たちと話をしていたのですけど, 「学外セミナーに行きたいんですけどぉ,1回90分4,500円って高くないですかぁ?」 などと世間知らずなことを言っておりました. おい!君等ちゃんと自分たちが払っている学費を計算したことあんのか? そういう物言いだということは,きっと計算したこと無いんですよね. では,大学の授業1回90分あたりに,学生たちがどれだけ払っているのか計算してみましょうか. 2013年現在の一般的な私立大学ということでお話しますと, ・入学金:約250,000円(入学年時のみ) ・授業料:約750,000円/1年 ・その他施設使用料等々:約200,000円/1年 という感じでしょうか. ※うちの大学はもうチョイ高いけどね. これを4年間分にすると, 「入学金」+「授業料×4年」+「その他×4年」の合算ですので, 250,000円+3,000,000円+800,000円=4,050,000円 ということで,学生たちが4年間に大学に支払っているお金は全部で約4百万円くらいになります. まずは,1回90分の「授業料」だけ,つまり3百万円だけで計算してみます. この金額を卒業所要単位数である124単位に照らし合わせましょう. 授業は1単位あたり11.25時間分ということになっています. 124単位ということは,1395時間です. 3,000,000円 ÷ 1395時間 = 約2,150円 ですから,授業は1時間あたり約2,150円です. でもこれは1時間,つまり60分間の費用ですから,90分あたりにすると, 2,150円×1.5倍 = 約3,225円 ということになります. あと,ギリギリ124単位履修するということはないですから,少し差し引いたとしても. 学生たちは,授業1回あたりに2,500円〜3,000円を支払っているということになります. 前任校で,上記のようなことを授業で話したら結構驚いてくれるとともにウケが良かったです. 同時に,この時間に約3,000円を支払っていると思うと,適当に受講してたらマズイんじゃねぇか,と感じてくれたら幸いです. 銭の話はすべりません. さら