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続・東京人と中国人はよく似ている
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タイトルは「続」ということにしておきましたが,中国人については触れないかもしれません.
前回の,
■東京人と中国人はよく似ている
を書いてから後,例の先輩教員と本件について再度議論することがありましたので,そこで出た話題を追記をしておこうと思ったからです.
まあ,そんなに長く書きませんので暇だったら読んでいってください.
東京とその周辺(以降,「東京」とする)の食文化についてです.
きっとこれは地方出身者は首肯してくれるはず.
いきなり喧嘩をふっかけるようで悪いのですが,ぶっちゃけて言えば東京の食事は美味しくありません.やや不味いと言ってよいでしょう.
ところがその一方で,東京名物の一つに「行列のできる飲食店」というものがあります.
このような飲食店における行列現象と矛盾するのではないかと思われるかもしれませんが,私は以下のように捉えております.
「特定の飲食店に行列ができるほど,東京の平均的な飲食店は美味しくないからだ」
ということです.
「飲食店にとって激戦区である東京では,平均的な飲食店のレベルも高まるのでは?」
という意見もあるでしょうが,私が考えるに,東京は人口密度が高いため,そんなに味を良くしなくても客が入りやすいというアドバンテージがあると睨んでいます.
味が良くなくても客が入りやすい,固定客が多くなくてもある程度やっていける土壌があるということです.
さらに言うなら,これは東京の方々は激怒するかもしれませんが,少なくない東京人の舌のレベルが低い,ということが言えます(皆とは言っていませんよ).
こちらに移り住んで,「行列のできる飲食店」というものに興味があったので,ここ2年間にいくつか廻ってみました.
そこで食した感想は,率直に言って「・・・,ま,並ぶほどじゃないな」というものです.
たしかに他の店とは異なる味を出しています.とても新鮮な味わいです.
が,それ以上のものが見当たらないのです.
そこから以下のことが考えられます.
まず,東京には元来,それほど美味しい店がないことから,ちょっとでも味が良い店であればそこに集中する.この要因はかなり大きいと思う.
そこからさらに言うと,普段それほど美味しい物を食べているわけじゃないから少なくない東京人の舌のレベルは低い.
そのくせ東京には美味しい店が絶対量としては多いもんだから,「東京にはメシが旨い店が多い」という勘違いが生まれる.
東京には旨いメシを出す店が多いんだという認識のもと,そういう店を渡り歩いて評論している気になっている東京人には「私ってグルメじゃーん」という意識が芽生えてしまう.
ところが残念なことに彼らの舌のレベルは低いので,何が本当に旨いものなのか,その評価がかなりいい加減になってくる.
よって,そんなレベルの舌を持つ彼らが高評価をつける料理の判断基準は「他とは異なる新鮮で分かりやすい味付け」ということになってきてしまう.これは同時に,他とは異なる新鮮で分かりやすい味を「美味しいのだ」と認識する味覚に拍車がかかることを意味する.
そんなわけで,低レベルの舌を持つ客を相手にする飲食店がとる方略としては,「奇抜な味付け」ということになる.奇抜な味付けをしさえすれば,短期的には行列のできる店としての地位を獲得できる確率が高いからである.
そうは言っても,東京にもちゃんとした舌の持ち主は一定量いるわけで,奇抜な味付けでは長期にわたって評価を得るのは難しい.ゆえに行列ができていた店は,あっという間に普通の店になっていき,ややもすれば3年くらいで閉店する.
そんなことの繰り返しなのだが,ここで哀しいのは少なくない東京人が,「次々と新しく美味しい店が出てくるから,この東京ではハイレベルな飲食店じゃないと生き残れないのだ」などとトンチンカンな自慢めいた論評がまかり通っている.
ちょっと考えれば「不味い店のくせに出店数が多いからでしょ」と思うのだが,なぜかアクロバティックに評論する.
・・・という感じです.
もちろん,途中でも書きましたが東京には美味しい店はたくさんありますよ.
それをちゃんと評価して通うお客さんもたくさんいるでしょう.
ですが,東京にはそれに負けず劣らず「新鮮で分かりやすい味付け」を好む人が多数います.新しい刺激を求めている,ということでしょうか.
新鮮で分かりやすい味付けを好む方々というのは,同じ食事を繰り返し食べ続けることに慣れていないか,そういうスタイルを蔑視しているかもしれません.
そんなもんだから,毎日通っても飽きないお店というのが少ないんですよ,この地域には.
あったとしても,かなりお値段の張るお店だったりします.
お値段そこそこ,それでいて飽きのこない店というのは,私の日々の動線のなかには無いのが無念です.※やや遠回りすれば,あるにはあるんですけどね,1件だけ.丸亀製麺です.
例えば,私の地元でちょっと有名になったものに「鍋焼きラーメン」というものがあります.
はっきり言って,そんなに絶品料理というわけではありません.なんで有名になったのか分からなかったのですが,でも,毎日食べても飽きない美味しさがあります.
考えてみますに,全国的に有名(というか東京で有名)になったのは,東京人の舌には鍋焼きラーメンが新鮮な味わいに感じたからでしょう.
おそらくですが,東京人が美味しいと評価する飲食店・料理に共通することとして,「自分で味をコントロールしない」というものがある気がするんです.
ともすれば,「料理人が作ったオリジナルの味を変えるのは粋じゃない」とか,「自分で味を変えるのは邪道.それはその料理が不味い証拠」と考えているところがあるように思います.
一方で,「毎日食べても飽きない」というところに美味しさの価値をおいているのが地方の飲食店なのかもしれません.
そうなると,ベースとなる料理をもとに,それを客が好きなように味わえるような仕組みにすることが考えられます.
ご存知かと思いますが,上述した丸亀製麺(あれは香川のうどんの出し方)とか鍋焼きラーメンもそういう店ですし,その他,私が以前住んでいた東京以外の地域ではそういう料理を出す店が多かったように思います.
地方では客の分母となる人口が少ないので,固定客を作れなければ終了です.ゆえに,その客が何度も足を運びたくなる味付け,店構えにすることが戦略上重要になってきますから.
なんだかよく分からない味付けをして気を引くより,何度も足を運びたくなるような料理を出してもらいたいのですが,そもそも客の側に毎日食べても飽きない料理とか馴染みの店というものに価値を見出してもらわないと望めない話ですからね.
前回の,
■東京人と中国人はよく似ている
を書いてから後,例の先輩教員と本件について再度議論することがありましたので,そこで出た話題を追記をしておこうと思ったからです.
まあ,そんなに長く書きませんので暇だったら読んでいってください.
東京とその周辺(以降,「東京」とする)の食文化についてです.
きっとこれは地方出身者は首肯してくれるはず.
いきなり喧嘩をふっかけるようで悪いのですが,ぶっちゃけて言えば東京の食事は美味しくありません.やや不味いと言ってよいでしょう.
ところがその一方で,東京名物の一つに「行列のできる飲食店」というものがあります.
このような飲食店における行列現象と矛盾するのではないかと思われるかもしれませんが,私は以下のように捉えております.
「特定の飲食店に行列ができるほど,東京の平均的な飲食店は美味しくないからだ」
ということです.
「飲食店にとって激戦区である東京では,平均的な飲食店のレベルも高まるのでは?」
という意見もあるでしょうが,私が考えるに,東京は人口密度が高いため,そんなに味を良くしなくても客が入りやすいというアドバンテージがあると睨んでいます.
味が良くなくても客が入りやすい,固定客が多くなくてもある程度やっていける土壌があるということです.
さらに言うなら,これは東京の方々は激怒するかもしれませんが,少なくない東京人の舌のレベルが低い,ということが言えます(皆とは言っていませんよ).
こちらに移り住んで,「行列のできる飲食店」というものに興味があったので,ここ2年間にいくつか廻ってみました.
そこで食した感想は,率直に言って「・・・,ま,並ぶほどじゃないな」というものです.
たしかに他の店とは異なる味を出しています.とても新鮮な味わいです.
が,それ以上のものが見当たらないのです.
そこから以下のことが考えられます.
まず,東京には元来,それほど美味しい店がないことから,ちょっとでも味が良い店であればそこに集中する.この要因はかなり大きいと思う.
そこからさらに言うと,普段それほど美味しい物を食べているわけじゃないから少なくない東京人の舌のレベルは低い.
そのくせ東京には美味しい店が絶対量としては多いもんだから,「東京にはメシが旨い店が多い」という勘違いが生まれる.
東京には旨いメシを出す店が多いんだという認識のもと,そういう店を渡り歩いて評論している気になっている東京人には「私ってグルメじゃーん」という意識が芽生えてしまう.
ところが残念なことに彼らの舌のレベルは低いので,何が本当に旨いものなのか,その評価がかなりいい加減になってくる.
よって,そんなレベルの舌を持つ彼らが高評価をつける料理の判断基準は「他とは異なる新鮮で分かりやすい味付け」ということになってきてしまう.これは同時に,他とは異なる新鮮で分かりやすい味を「美味しいのだ」と認識する味覚に拍車がかかることを意味する.
そんなわけで,低レベルの舌を持つ客を相手にする飲食店がとる方略としては,「奇抜な味付け」ということになる.奇抜な味付けをしさえすれば,短期的には行列のできる店としての地位を獲得できる確率が高いからである.
そうは言っても,東京にもちゃんとした舌の持ち主は一定量いるわけで,奇抜な味付けでは長期にわたって評価を得るのは難しい.ゆえに行列ができていた店は,あっという間に普通の店になっていき,ややもすれば3年くらいで閉店する.
そんなことの繰り返しなのだが,ここで哀しいのは少なくない東京人が,「次々と新しく美味しい店が出てくるから,この東京ではハイレベルな飲食店じゃないと生き残れないのだ」などとトンチンカンな自慢めいた論評がまかり通っている.
ちょっと考えれば「不味い店のくせに出店数が多いからでしょ」と思うのだが,なぜかアクロバティックに評論する.
・・・という感じです.
もちろん,途中でも書きましたが東京には美味しい店はたくさんありますよ.
それをちゃんと評価して通うお客さんもたくさんいるでしょう.
ですが,東京にはそれに負けず劣らず「新鮮で分かりやすい味付け」を好む人が多数います.新しい刺激を求めている,ということでしょうか.
新鮮で分かりやすい味付けを好む方々というのは,同じ食事を繰り返し食べ続けることに慣れていないか,そういうスタイルを蔑視しているかもしれません.
そんなもんだから,毎日通っても飽きないお店というのが少ないんですよ,この地域には.
あったとしても,かなりお値段の張るお店だったりします.
お値段そこそこ,それでいて飽きのこない店というのは,私の日々の動線のなかには無いのが無念です.※やや遠回りすれば,あるにはあるんですけどね,1件だけ.丸亀製麺です.
例えば,私の地元でちょっと有名になったものに「鍋焼きラーメン」というものがあります.
はっきり言って,そんなに絶品料理というわけではありません.なんで有名になったのか分からなかったのですが,でも,毎日食べても飽きない美味しさがあります.
考えてみますに,全国的に有名(というか東京で有名)になったのは,東京人の舌には鍋焼きラーメンが新鮮な味わいに感じたからでしょう.
おそらくですが,東京人が美味しいと評価する飲食店・料理に共通することとして,「自分で味をコントロールしない」というものがある気がするんです.
ともすれば,「料理人が作ったオリジナルの味を変えるのは粋じゃない」とか,「自分で味を変えるのは邪道.それはその料理が不味い証拠」と考えているところがあるように思います.
一方で,「毎日食べても飽きない」というところに美味しさの価値をおいているのが地方の飲食店なのかもしれません.
そうなると,ベースとなる料理をもとに,それを客が好きなように味わえるような仕組みにすることが考えられます.
ご存知かと思いますが,上述した丸亀製麺(あれは香川のうどんの出し方)とか鍋焼きラーメンもそういう店ですし,その他,私が以前住んでいた東京以外の地域ではそういう料理を出す店が多かったように思います.
地方では客の分母となる人口が少ないので,固定客を作れなければ終了です.ゆえに,その客が何度も足を運びたくなる味付け,店構えにすることが戦略上重要になってきますから.
なんだかよく分からない味付けをして気を引くより,何度も足を運びたくなるような料理を出してもらいたいのですが,そもそも客の側に毎日食べても飽きない料理とか馴染みの店というものに価値を見出してもらわないと望めない話ですからね.