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大学のグローバル化について同窓生と話してみた

ここ最近の記事が立て続けに「大学のグローバル化」に関することだったことも影響しているのか,昨日,一緒に酒を酌み交わす機会があった高校の同級生とこれについて話をしてみました.

いずれも大企業ではないものの,グローバルに展開している企業に勤めている者達で,彼ら自身,海外出張を何度も経験しております.
飲み会の会場になったお店も,そのなかの一人が先日まで滞在していたベトナムの料理を出す店でした.お店選びもベトナムに行っていたというその彼が設定したのですが,本場とどれだけ違うか興味があったからとのこと.
ちなみに,そんなに味は違わないとのことでした.

で,そのグローバル人材についてですけど,彼ら曰く,
「英語が喋れるかどうかよりも,行けと言われりゃ行かなきゃならないのだから,そこに余裕をもって対応できる胆力があるかどうかだと思う」
とのことです.

対応できる「能力」ではないところがミソです.「胆力」なのです.別の言い方をすれば,根性とか,達観できるかとか.そんな感じだそうです.

現地の取引先とか社員との細かいやり取りについては,現地通訳とか英語が得意な人材を連れて行ってなんとかするので,あとは何かと発生する行き違いとかトラブルとか,そういったものにどのように対処するのかが問われるんだそうですよ.

これが彼ら「社会人」がいうところの「コミュニケーション能力」なんでしょうね.
かなり以前に書いた記事に,
子供のコミュニケーション能力は社会の鏡
というのがありますが,そこで取り上げたことと類似しておりました.

つまり,コミュニケーション能力というのは,「そつなくこなす能力」とか,「失敗しない方略がとれる能力」といったことよりも,「問題が発生した時にそれを乗り切る能力」のことを指すのではないか?
それを別の表現にすれば「胆力」とか「根性」などといった体育会系なものになるのではないか?
ということです.

もちろん彼らにしたって,「さまざまな国や地域,会社を相手に一人で対応できる人材は欲しいし,自分もそうなりたい」ということだそうですが,そこまでの能力は実際のところ求めてはいないらしいです.
要求はすれど,必要ではない.そんなところでしょうか.

中には高い語学力がなければ就けない企業もあるのでしょうけど,それは極一部のことですし.
じゃあ,高い語学力を持った人材が,人が羨むポジションにいるのかと言えばそうではないわけで.むしろ,こういう人材ってワンポイントでしか必要とされないので,そこ(語学力や国際経験)で勝負できるところって案外少ないんだそうですよ.

それ以外の業務や人間関係といったところの能力が,少なくともこの日本の多くの会社では求められるわけでして.

これに「だから日本は世界から立ち遅れているんだ・・」などと嫌味を言ったり愚痴ったところで,そういう人は「日本というグローバルな場所」に対処できていないわけで,つまり,そういう人はグローバルなコミュニケーション能力が不足した人材だということに気づくべきなのです.

考えてみれば,日本の社会・企業も,グローバルの一部ではないですか.
そこに適応できない者,拒絶反応を示す者というのは,実はグローバル人材ではない,そういうことになります.

グローバル人材を目指すのであれば,まずは日本の社会に適応し,その企業に貢献できることが必要な前提条件ではないか.そういう認識にもなるわけです.

「うちの学生にアドバイスをちょうだい」聞いてみたら,彼らが強調していたのが,
「そこの会社に入って何がしたいのか? だと思う.でも,これって仕事してみないと分からないんだろうけど」
という,就活エピソードにおける猛烈なステレオタイプが返ってきました.
でも,それが社会人からしたら重要なアドバイスなのでしょう.