2016年12月31日土曜日

新年への準備,お宮とか田の神とか

明日から2017年ですね.ここ実家でも新年の準備にバタバタしています.

私の家はこの地域のお宮の手入れを担当しています.なので今日は父と一緒に,今晩から正月三ヶ日にかけて必要な作業を済ませてきました.

田舎にある薄暗いお宮の内部を見ることなど普通はないでしょうから,興味のある人は御覧ください.

まず,これが我々の地区のお宮です.


村の中心部にある鎮守の杜に建てられています.

小学生の頃,学内行事でここにピクニックに来ることもありました.
その時,御神木の樹の皮の一部を剥いでしまった同級生がいて,それを学校に持って帰ってきたことが先生に知れ,えらく怒られていたことを思い出します.

小学生ながらに,「罰当たりめ.こいつには「教養(みたいな概念の何か)」がないな」と呆れたものです.
たしか,本件は全校集会になったと思います.学校長の英断です.今ではどうでしょう.「御神木ごときで・・」と,そんなことしない学校もあるかもしれませんね.

学校の隣にあるお宮ですので,たまにここで遊んでいました.

床下に潜り込んでいたのも懐かしい思い出です.


今じゃ入る気がしないです.

ちなみに,このお宮の担当をしている父たっての希望で,地区の人々に頼み込み,「力石」というものを鳥居の横に設置させてもらいました.

「力石ってなに? どういう謂れのもの? 」っていう話はまた後日.
そんなことより,お宮の手入れです.

まずは鳥居のしめ縄を調整.
シデ(紙垂)を取り替えてきれいにします.


父の脚立に載る姿が年を感じさせるようになってきました.危なっかしい動きがするところは私が代わることに.

次は宮の中.


さかき(榊)を新しいものに取り替えます.
奥が新しい榊,手前が以前の榊.写真では分かりませんけど.

これも紙垂を付けて,社の横に飾ります.

三方(さんぽう)に,米,酒,塩,水を載せて棚に置きます.
手前・左から,水.その右が塩の小皿.
その奥が酒が2つ並びます.
写真では見えにくいですが,その奥に小皿に載った米があります.
米はこぼれるほど山盛りにすることが作法とのこと.

三方を並べて完成.

本当ならそれぞれに「おめでたいもの」を載せるのですが,ここではずっと略式です.
並べ方を知る人が少なくなってきたこともあり,父は壁にこんなものを作って貼っています.並べ方を記したものです.

そう言えば,社の飾りに隅切り角に十字の紋がありますが,これが我が家の家紋になっています.
マイナーすぎて,家紋集にも掲載されていないとのこと.
家紋を入れた服やネクタイを作る時に苦労するんだそうです.

十字といえば九州・島津家が有名ですが,彼らは丸に十字ですね.関係はないと思います.
ネットで調べてみましたが,たしかに隅切り角に十字はありませんでした.
菱轡のそれが一番近いでしょうか.でも,菱ではなくて隅切り角です.

このお宮の壁には,こんな絵も飾られています.


二人の若い女性が,一人の侍と決闘をしているシーンです.周りには立会人と見物人が並んでいます.
だいぶ傷んでいますが,これも父がたっての希望できれいにして飾っているのだそうです.
今では毎年,小学校のイベントなどでこのお宮と絵の説明をしているとのこと.

文久元年(1861年)に描かれたと記録されているこの絵は,私の実家がある集落で起きた事を示しています.
この話もまた別の機会にしましょう.

家に帰ったら,最後に「田の神」をまつります.

まさに「田の神」です.田の神って書いています.
今年,石柱を新しくしたのだそうです.
左から榊,カズラの輪と中央に丸石,柿,稲穂.後ろに笹です.
来年の豊作を祈りました.

ついでに,自宅の門にもしめ縄をしました.
これで新年の準備は終了.

皆様が良いお年をお迎えできることを祈っております.

2016年12月29日木曜日

2016年も残り少なくなりました

実家に帰ってきています.高知です.
今年の庭からの星空の眺めはこんな感じです.


昨年も星空の写真をお見せしましたが,あれからもう1年になるのですね.時が経つのが年々早く感じます.
あっという間に一生を終えるのではないかという気になりますが,この星空だけはずっと静かに輝き続けるのだと思うと,なんだか安心感があります.

実家に帰るとテレビを見るようになります.食卓にテレビがついているので,仕方なく見ることになるのです.
テレビを見なくなって15年・・,という話を最近記事にしていましたが,別に私はテレビを見るのが嫌なわけではありません.あれば見るのです.

目を通していますと,「2016年の総まとめ」的な番組をやっている事が多いですね.
こういうのを見ますと,今年に何が流行っていたのか確認することができます.

で,ぜんぜん分かりません.
紅白歌合戦とか,もう意味不明な人たちだらけです.

気になった話題がいくつかあります.
一つ目は,シャバに出てきた清原和博氏を取り上げたもの.
ネットニュースにもなっていました.

人間の醜い部分が,これでもかと感じ取れる話です.
いえ,清原和博本人のことではありません.これをニュースにしている人達がいることと,つまりは,その話を楽しみにしている人たちが記事やテレビの前にいるということが,です.

清原和博氏の現在の姿を見て,何がいいのでしょう.こんなのを見て「覚醒剤は良くない」などと改めて考えるわけではないでしょうに.
そっとしておいてあげるのが,まっとうな人間のすることだと思います.

二つ目は,BSのチャンネルをいじれば,どれもこれも通販番組ばっかりだということです.
昨年から気にはなっていたのですけど,いくらなんでも多すぎだろうと思ったので,ネットで検索してみたんです.
そしたら,制作費と視聴率との関係で,どうしてもそうならざるを得ない状況があるのだという説明をよく見ます.どうやらそういうことのようです.

最近は,我々研究者が参加したり運営したりする「学会」も似たような状況にあります.
運営者側が時間と場所(プログラムと教室)を用意したら,あとは企業に頼んで発表内容を用意させ,講師も呼ばせてやりくりするというもの.
ランチョンセミナーっていう弁当を食べながら聞くスタイルのものが典型的です.

これだと運営者側としてはお金の心配がないし,なにより企画が楽ですし,なんだか実践的で先進的な取り組みをしているように見えるし,参加者としても弁当が食えるので悪い気がするわけでもないし.
企画に困ったら「企業に何かやらせれば,彼らも喜ぶし,良いんじゃないか」を合言葉にしています.何の事はない,学会の運営者側が最も喜んでいるんです.
以前はそれとなく静かにやっていましたが,今では大手を振ってやっています.ただたんに,「企業とコラボする」という響きが気に入っている運営者もいます.
そのうち,学会もBSチャンネルのようになるのだろうと達観している私です.

三つ目は,SMAPの解散がかなりうるさいこと.しばらく前からネットニュースにもなっていましたが,まだ騒いでいます.
静かに解散させてあげたらいいのに.
よく分からない事情で揉めているようですが,だったら尚の事そっとしておいてあげたほうがいいでしょう.

四つ目は,市川海老蔵と小林麻央のニュースについて.
たまにネットニュースでもタイトルを目にしていましたが,ぜんぜん本文を読まずにいました.なので今回,テレビでその内容の一端を目にしたんです.

で,今もまだ詳細を調べずにいるのですが,どうしてこんな話がニュースになるのか.
市川氏の妻である小林氏がガン闘病中なんですってね.
特別な事情で発ガンしたというわけではないようです.
恐ろしい話です.人のガン闘病を話題にして,その病人が逐一状況報告をし,その家族が記者会見をしている.
私には悪魔の所業にしか思えません.
この国の庶民の精神はここまで崩壊している,ということを如実に示す話です.

そう言えば,ベッキーという芸能人が不倫していたという話題もありました.
ベッキーが誰なのか知らなかったので興味なかったのですが,やたらと長い間ニュースになっていたので,いい加減うるさく感じてきたのを覚えています.

聞けば,ベッキーというのは外国の有名人ではなくて,どうやら日本の芸能人.そして,好感度ナンバーワン・タレントだということです.
そんな彼女が不倫をしたということが話題だとのこと.
笑えない冗談です.

芸能人なのですから,まともな常識感覚で生きているわけないでしょう.
不倫くらいするはずです.
芸能人というのは,不倫して離婚して破産して,覚醒剤を打って自殺するのが相場です.
それくらいで丁度いいと思います.

くだらない.
やっぱりテレビを捨てることをオススメします.

どうやら,テレビでやっていることとネットのトップニュースは相関しているようです.テレビで話題なっていることが,すなわちネットでも話題のニュースになっています.
しかし,ネットは「見ない」「読まない」という選択肢がありますが,テレビは一連の流れの中で情報を浴びるように得ることになります.極めて危険です.

こんなくだらない話にずっと曝されて生きることを思うと,テレビはさっさと捨てたほうが身のためです.

2016年12月24日土曜日

続・入学試験クツこれ

そう言えば,書いたあとにビックリしたのですが,なぜか,
入学試験クツこれ
の閲覧数が伸びます.
なんででしょう?

てっきり,
入学試験あれこれ
の方が,昨今の大学入試事情を茶化したものなので読まれると思っていたのですが.

せっかくなので,私なりに「靴」のことを続編のように書いておきます.
その記事ではざっくり触れたことを,もう少し詳細に述べておきたいのです.

「大学教員の仕事には「足音」のしない靴が求められます.受験生の迷惑にならないよう,足音のしない靴を要求されるからです.」
という趣旨の内容でした.

なので,高級靴にありがちなコツコツ,カツカツ音の出る靴は避けられやすいのです.
これはなにも,「大学や学校の教員は,足音が発生する靴を履いてはいけない」というわけではありません.通常勤務時やオシャレをしたい時にはそれでも構わないでしょう.

でも私としては,何足も靴を履き分けることはしたくない,というだけのことです.
さらに私の場合,普段,革靴を履くことはできるだけ避けたい人種です.通勤だけでなく,学内では専らスポーツシューズやサンダルを普段使用しているので.
(そういう意味では,「何足も履き分けている」のかもしれませんが)

そんなスタイルですから,メンテナンスに手間をとられる革靴はできるだけ避けています.
ところが,そうは言っても革靴は月に何度か履く必要がありますから(まぁ,無理すれば履かなくてもいいのが大学教員なのですが),一応用意しなければいけないわけでして.
それに,冠婚葬祭のこともありますし.

こうした状況から導かれる最適解は,「安価なゴム底革靴を高頻度に買い直す」というものになりました.
なかでも以前ご紹介した,


とか,同じようなコンセプトで作られている,

などが,実体験として履き心地が良いということです.
(なお,私はアシックスの回し者ではありません.知り合いが内部にいるのは確かだけど)

これらは,いつも履いて「慣らして」おかなくても,足が痛くなったりすることがありません.
革靴って,履き慣れておかないと不快じゃないですか.それが無い,ということです.これは私のような革靴敬遠生活を送っている人間にとって都合がいいのです.

あと,前回記事に加えてさらに強調しておきたいのは,革靴の「メンテナンス」についてです.
私が愛用しているのは安物革靴の部類に入っていくるものですが,メンテナンス次第でかなり綺麗に見えるようになります.

逆に,「(インソールにラベルされているブランド名を見るからに)きっと高級なんだろうなぁ」という靴を履いている人もいますが,きちんとメンテナンスされていないものは貧乏くさいですね.

例えば,■私をほめなさい。300字程度で。でも紹介したポンコツ教員は,バーバリーで全身を揃えることを信条にしており,十数万する革靴しか買わないと豪語していましたが,ほとんど手入れされていないバーバリーのそれは,なんとも惨めなものでした.
ホコリまみれでくすんでおり,カカトのところを踏んづけてる形跡もあるし,「履けば履くほど味が出るのがバーバリーなんやで」と申しておりましたが,とても残念な気持ちにさせられます.

さて,学生の頃は,革靴を履くことなんて全く無かったので,
 
のようなものを使っていたのですが,ぜんぜんダメ.
安っぽい見た目がさらに増します.

野球をやっていた頃のスパイクのメンテナンス経験から「やっぱり保革用具を揃えたほうがいいのかなぁ」と考え直し,社会人なってからは,
  
を使うようになっています.
なるほど,部活動の経験は重要です.

ブラシがけするとツヤが出る,というのは高校の頃は知りませんでした.クリームを塗ったら,ひたすら適当な布で磨いていただけでしたので.でも,知っていたとしてスパイクシューズにツヤ出しをすることはなかったでしょうが.
今はネットで靴磨きの方法がたくさん紹介されています.それを参考にすればいいでしょう.

特に,上で紹介しているような安物革靴であれば,購入後,最初からしっかりクリームを塗って磨き込むことをオススメします.残念ですが,やっぱり安物は安物です.購入直後はくすんだ革靴にしか見えませんので.
ちょうど,スキーやスノボのチューンナップみたいなものと思ってください.一番最初にしっかりクリームを入れておくことで,だいぶ違ってきます.それをするだけで,かなり深みのあるツヤと色が出るようになります.遠目には,ホコリまみれのバーバリーよりも断然いい.

例の教員が,それこそ入試の時だったか,こんなことを言ってきたことがあります.
「なんや,お前も大学教員になったから,ええ靴を買おうたんやな.どこのメーカーや?」

見る目のない人にはバーバリーもテクシーリュクスも同じです.
「アシックスです」って答えたら,冗談だと思われました.スポーツシューズのメーカーが,革靴を作っていることを知らなかったようです.地元メーカーなのに,体育教員の風上にも置けません.
テクシーリュクス(アシックス商事)

私の場合,さらにインソールを換えて履いています.
実際使っているのはこれ↓

テクシーリュクスにこんな感じで入れています.

性能もお値段もピンキリですが,「インソール」が身体パフォーマンスに及ぼす影響は結構大きい,ということを知っている手前,それなりのものを買いたいところです.
ものによっては靴本体より値が張りますが,履き心地と疲労度,それに「足音」を重視しているので譲れません.

そうそう.
靴と言えば「匂い」対策も重要ですね.
私のオススメはこちら↓


Amazonで買い物をするようになって間もない頃から,ずっとこれを定期購入しています.近所の店には売ってるのを見たことがないですし.

私は,あらゆる靴にバンバン放り込んでいます.
見事に「足の匂い」が消えます.劣悪環境での消臭効果が,他の靴消臭製品とは段違いです.
汗やムレに悩まされるスポーツシューズや登山靴に入れておけば,匂い対策からフリーになれます.

ここ数年で,かなり有名になってきました.
なのでバッタモンもあるそうですから,注意しましょう.

注意しなければいけない点は,「白い粉」が非常に目立つことです.
靴を脱いで上がるお店なんかに行くときは使えません.ま,その時は使わなきゃいいだけのことですけどね.
※何日間か使えば,以後,何ヶ月も消臭効果が持続するという驚異的な性能を持っています.本当にそうなります.いやマジで.詳細はリンク先を読んでください.

これで安心して入試に挑むことができますね.
入試は足元から,です.


関連記事
入学試験クツこれ
入学試験あれこれ
私をほめなさい。300字程度で。

2016年12月23日金曜日

大学における体育授業の意義3 危ない大学こそ体育が大事

大学における体育授業の意義について語り始めて3回目.
今回は,「どうして大学の体育は『楽しむこと』を重視した方がいいのか?」という点について,角度を変えて論じてみたいと思います.

これまでの記事を読んできた大学体育教員の中には,
「本学には,体育の授業を楽しく取り組む学生はいない.体育館の壁にもたれて座り,じっと動かない奴がいる」
などという現状を嘆いている先生もいることでしょう.

たしかにそういう状態の大学もあります.
そして,この手の大学はたいてい偏差値が低い
さらには,たいてい危ない大学であるケースが多い.

誤解を恐れずに言えば,スポーツや運動への関心の高さと,知能レベルは比例します.バカはスポーツを楽しめないからです.
さきほど「偏差値」の話をしましたが,偏差値が高くてもバカはいます.「スポーツなんて・・・」といじけてる学生は,総じて頭が悪いんです.勉強のできるバカっていますよね.あれです.

逆に,部活動や競技スポーツをバリバリやっている人の中にも,「隠れスポーツ嫌い」はいるものです.
自分の専門競技以外には関心がなかったり,自分が納得できる条件下でなければゲームをやらないというタイプの人です.
体育においても,一見積極的に取り組んでいるように見えて,その実,非常に身勝手なことをしてクラスを混乱させている奴がいますね.そいつです.
この人はスポーツがしたいのではなくて,単に自分が楽しくなりたいだけです.

バカはまともにスポーツへ取り組めません.
私もまだまだ若輩者である自覚はありますが,それでもこの業界での仕事を始めて10年になる中から導かれる法則性.これにはかなり強力な相関関係を見出しています.

ちなみに,学力とか学習能力の話をしているのではありません.体力や運動能力のことを評論しているわけでもありません.お間違えないように.
身体パフォーマンスが優れていることは悪いことではありませんが,スポーツを楽しむこととは別です.
スポーツのスキルや競技力が高いことはもちろん良い事ですが,低体力者であろうとスポーツはできるし,下手でも楽しめるのがスポーツです.学力の有無に関係なく,バカだとここを理解できません.

そういう意味でも,我が国の学校・学習指導要領に繰り返し出てくる,「心身を一体のものとして捉え・・・」という教育理念は結構重要です.

身体は,心の有様を具体的な事象として現す媒体です.
内部,つまり「頭のなか」では良い事を考えていても,外部に現れてくるものがデタラメであることはよくあります.
言うは易く,行うは難し.などと言われますが,ようするにそういうことです.

体育の授業は,そうした「身体」を操ってみせるところに学習課題を設けています.
そして身体運動は,「頭のなかでは解っているのに,実際のパフォーマンスとして表現できない」という不合理に再三遭遇します.
「頭では解っているのに,実際うまくいかない」というのは,我々が生きる世界の掟です.この不合理に頻繁に直面できる教材が「体育」の特徴といえるでしょう.
そして,だからこそ教育的価値があるのです.

小中高の学校教育では基本的な身体の操り方を学びます.スポーツの技術やルール,安全管理,基礎的体力です.
では,大学教育で何を学ぶのかというと,身につけてきた基本的な身体運動能力を用いて,様々な条件下で楽しめる力を養うことにあります.

これは簡単なようで難しい学習課題です.
過去記事でも書いたように,授業で「この90分,好きに楽しんでくれ」と指示を出しても,それができる学生は非常に少ない.仲良しグループだけならいざしらず,適当に集まったクラスでこれができる学生は稀なのです.
そこには,リーダーシップの発揮できる者の存在や力強い賛同者,目標設定の合議,互いの協力,配慮,明確な意思表示,説得,妥協といった非常に高度な知能と技能が要求されます.

こうした技能がある学生は,大学での学びを有意義なものにできます.そうでない学生はいつまでたっても大学や授業などに不平不満をつらねる奴になります.両者が4年後にどうなっているのかは想像に難くないでしょう.
ですから,大学体育の授業では上記の技能を高め,その知能レベルを高めることが求められるのです.

大学生の時期からでは,もう手遅れだと思わされることもあります.
もちろんそういうところもありますが,大学教育における重要な使命だと私は考えています.

「本学には,体育の授業を楽しく取り組む学生はいない」
という大学こそ,体育の授業を充実させる必要があります.
充実させるといっても,コマ数を増やすという意味ではありません.
学生に厳しく出席を促し,自らの意志で運動とスポーツに取り組む姿勢を根付かせることです.強制的に取り組ませては元も子もないですからね.いかにして自主的にやらせるかが勝負となります.

体育の授業をまともに取り組めない学生が,まともな大学生活を送れるとは思えません.
スポーツを楽しむ態度は,学問を楽しむ態度と通底しています.
ですから,極言すれば,各自が自分の気に入ったスポーツを好きなように取り組めるようにさせればOKなのです.
それができるようになれば日本の体育教育は完了です.

関連記事
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大学における体育授業の意義2
井戸端スポーツ会議 part 39「日本のスポーツの定義に物申す」
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体育学的映画論「ロッキー・ザ・ファイナル」

2016年12月20日火曜日

体育学的映画論「ポチの告白」

“警察官の実態”
この手の話が広く世間に知られるようになった今日.
「ポチの告白」は,このテーマを基にして警察のような組織の闇について,さらに深くえぐり出した映画です.

ポチの告白(wikipedia)
3時間超えの作品ですが,あっという間に時間が過ぎました.

公共の福祉にまつわる仕事に就いている人が本作を見れば,ここで描かれている事の水面下の流れがよく感じとることができるものと思われます.

警察組織犯罪,職務怠慢,非合法捜査といった警察官の悪事にスポットを当ててはいますが,この映画は「その職業ならではの必然的な悪習」について考えることができる作品です.
本作を見て「警察官は,その気になればこんなに悪いことができるんだ.今の警察は腐ってる.抜本的な改革が必要だ」と思う人は,まだまだ子供です.早く大人になりましょう.
逆に,「警察は悪事を働いているばかりではない.ここには警察の正の側面が描かれていない」と言い出す人は,もっと冷静に映画を見たほうがいい.

この作品で描いているのは「警察の闇」そのものではありません.
システムと環境に曝された人間は,そのシステムと環境に適応した思考と行動を採るようになる.ということを描いています.
警察という組織が存在することで,必然的に現れる適応現象とは何か.について考察された作品です.

私は警察を擁護しているわけでもなければ,本作をけなしているわけでもない.
「ポチの告白」は,警察という使命と役割を担った組織を運営することの難しさを垣間見る上で,非常に有益な映画です.

私の先輩,同級生,後輩には警察官がたくさんいます.そういう卒業生が多い大学だったので.
あと,身内にも警察官はいます.何年か前に退職した叔父は,警視庁で働いていた人です.

彼らの話を聞いていれば,本作で描かれていることは過剰演出なところはあれど,嘘ではないと言えるでしょう.

警察官は聖人君子ではありません.

私の先輩は一見「人間のクズ」のような人ですが,警察官です.
ヤクザみたいな風貌で,ヤクザみたいな態度で暴力的に私たちに接していた人でした.学生の頃,胸ぐら掴まれて壁に叩きつけられ,脅されたこともあります.でも今は警察官です.
仕事以外の時は,スピード違反で捕まっているそうです.乗ってる車もファンキーです.
免停にならないのは不思議ですね.

後輩の一人は極度のロリコンですが,警察官です.
幼稚園の前に来ると興奮するのだそうです.もちろん幼稚園の先生に対して欲情しているわけではありません.
私は幼稚園の先生のほうがいいなぁと思うのですが,まあ,人の価値観はそれぞれです.

いや,そんな話がしたいわけではない.
つまり,どのような仕事であれ,そこで扱っているモノを自由にできるのが「仕事」だということです.

警察なら,犯罪や取り締まりを自由にできます.
飲食店なら,客に何を食べさせるのかを自由にできます.
自動車整備なら,車をどのように整備するのかを自由にできます.
大学や学校の教員なら,学生をどのように指導するのかを自由にできます.

もちろん,そこには倫理・道徳という歯止めがあり,バレたり行き過ぎるとマズいことになるという抑制は効きます.でも,今そこでそれを起こせるという「実行可能性」は消えません.

信頼とは何か.

警察組織に蔓延る悪事をこれでもかと見せつけた後,それでも警察を信じることが我々に課せられている課題です.
もちろん,警察の自浄努力は当然のこと.悪いことは悪いんです.
しかし我々自身が警察官になることは出来ません.警察という仕事を彼らに担わせているのは我々です.
そうした状況を改めて見つめ直すことが「ポチの告白」にあるテーマだと思えます.


2016年12月17日土曜日

水素水に効果はあるのか? っていう疑問がそもそも問題

途中まで日露首脳会談のことを書いていたのですが,やめました.
呆れた話だし,おもしろくないので.

で,ニュースを見ていたら,こんなものがありました.
水素水「やっぱりただの水」 国民生活センター調査の唖然

まだ売ってたんですね,これ.

私が所属していた大学院の研究室に「水素水の効果を確かめてほしい」というメーカーからの依頼があったことを思い出します.私が院生の頃ですから,今から10年前でしょうか.

後日,メーカーから12本入りのダンボール箱がいくつも送られてきたので,置き場所に困ったのもいい思い出です.
「ひとまず対象製品を送ってきてください」と私の先生が返事しちゃったからなのですが,あまりにバカげた依頼に誰も調査・検証するわけもなく,院生室の壁一面を占拠して一週間.
「邪魔だし,さっさと片付けないと」という指令が出たので,そのまま捨てるのも勿体無いと思い,助手・院生総出で水素水を毎日来る日も来る日も飲み続けました.

最初のうちは,みんな物珍しそうに飲むんです.
「うん,水だ」
「うん,完全に水ですね」
「まるっきり水だね」

そのうち,ただの水なので飽きてきます.
「シュワっとしたら効果があるように思えるんじゃない? メーカーの人に提案したら?」
「でも,それだとただソーダ水ですよね」
「これで水割りつくったらおいしいかも」
「いや,まずかったよ」
「え? もう試したの?」

たまに遊びに来た学生をつかまえて,「これを飲んだらパフォーマンスが上がるぞ」と騙して飲ませてもいました.彼は「マジっすか.ありがとうございます」と嬉しそうにたくさん持っていきましたが,その後は知りません.

そうこうするうち気がついたんです.
こんなに毎日何本も水素水を飲んでいるんだから,自分たちの生理的指標や心理尺度をきちんと測定したら,それで検証実験になるんじゃないかと.

「いや,そもそも『水素水』っていうもの自体がパチもんなんだから,そんな調査する意味がない.時間の無駄」
という院生もいました.正論です.

私と,もう一人の院生は,趣味で大学のトレーニング室に週3〜4回通っていました.
だから,一応筋力トレーニングへの影響という観点から客観視することはできるんです.

その結果.
う〜ん・・,効果や影響は感じられませんでしたね.
なんせ,ただの水ですからね.ないですよね.

最後の方になってくると,院生室で開催する鍋パーティーのだし汁用になっていました.
特段美味しくなったりするわけでもありません.


2016年12月16日金曜日

大学における体育授業の意義2

体育の実技指導ができない大学教員が増えてきた
と言われることがあります.

そして,
「体育の指導方法を習ったことがないから,不安だし,授業計画が負担でしょうがない
とか,
「いつも学生になめられているようで悔しい」
とか言ってる先生もいますね.
たまに相談を受けることもあります.

でも,私はこう思うんです.
初心者にとってハードルが高く,入り口としての専門性が求められる種目(ダンスとかスキーとか)や,慎重な安全管理が求められるもの(水泳とか野外活動とか)でもない限り,大学体育の授業を教員が必死こいて指導しなくてもいい,と.

そうですね.「救急処置法」くらいの知識があれば大丈夫じゃないでしょうか.
一方,実技指導の能力はあるくせに,救急処置ができない教員もいます.学生がケガをしても知らんぷり,かと思えば摩訶不思議な応急手当をしたりする.こういう教員こそ危険です.

以前の記事の続編のつもりで書くので,興味のある人はこちらもどうぞ.
大学における体育授業の意義

そもそも,大学の授業として「体育」を受けさせる意義をきちんと考えてみたことがない人が多いのです.
そんな状態で悩んでいては,いつまでたっても自分なりの答えは湧き出てきません.
ひとまず体育をやってる感がある「スポーツ・スキルを習得させる」ことを第一に考えてしまうし,学生も一見それを望んでいるように見えるから,そこが大事だと思ってしまいます.

それも当然かもしれません.中学・高校まではそれが「体育」だったのですから.

でも,考えてもみてください.
大学に来てまで「スポーツ・スキルを習得させる」ことに何の意味があるのか.
常識的に考えたら「ありません」よね.
けど,それでも大学には体育の授業があるのです.

大学の手前である「高等学校」における体育の学習指導要領に目を通してみましょう.
「保健体育の目標」にはこう書かれています.
心と体を一体としてとらえ,健康・安全や運動についての理解と運動の合理的,計画的な実践を通して,生涯にわたって豊かなスポーツライフを継続する資質や能力を育てるとともに健康の保持増進のための実践力の育成と体力の向上を図り,明るく豊かで活力ある生活を営む態度を育てる。
大学には学習指導要領はありませんから,各大学・各教員の理念と哲学から教育されることになります.しかし,そうは言っても日本の大学における体育の授業です.日本の学校教育における「体育」の理念と哲学を踏襲するところがあって然りでしょう.

だとすれば,「生涯にわたって豊かなスポーツライフを継続」し,「明るく豊かで活力ある生活を営む態度」を持った人間を育てる最後の教育機関が大学ということになります.
ようするに,「スポーツを楽しむ」ための資質を育てなければならないのです.

こんなこと言うと,「ただ楽しませる授業では意味がない」と,尤もらしい意見を言う教員に遭遇します.
けど,そんな教員にかぎって,授業では学生の動きを「統率」することに満足感を得ています.そして,自分が用意した教材とプログラムによって「授業が盛り上がった」ことを喜んでいたりする.
中学・高校の教師になりそこねた人に多く見られるタイプですね.
大学の授業で「九九」を覚えさせて喜んでいるようなものです.
結局,こういう教員も「学生をただ楽しませているだけの授業」を展開してることに違いはありません.

スポーツが楽しいことは皆知っています.
練習すればスポーツのスキルが高まることも知っています.
これまで学校の授業でやってきたのですから.

でも,豊かなスポーツライフとは何か? 活力ある生活を営む態度とは何か? について,学校体育で学んでいるかと言われたら怪しいものです.
事実,90分間を学生の好きにさせたら「楽しめなくなる学生」とか「時間つぶしを始める学生」が現れます.
つまり,スポーツを楽しむことができない学生はたくさん存在するのです.

そんな彼らは,得てして「グループワークや演習形式の授業」を充実したものにできないし,就職活動も難儀します.
十人十色のクラスで,どうすれば皆が万遍なくスポーツを楽しむことができるのか.それを考えることは,社会を構成する者に必要な能力を育てることにつながっています.

学習指導要領の第一条「教育の目的」にはこうある.
教育の目的
第一条 教育は,人格の完成を目指し,平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
バスケのドリブルや,バドミントンのサーブの練習をしてはいけないなどと言っているのではありません.授業を展開する上でのプログラムの一つとして盛り込んでいいでしょう.大学の授業として「九九」をやってはいけないと言っているわけではないのです.
でも,そんなことより,もっと大事なものが大学体育の授業にはあるのではないか,ということです.


関連記事
大学における体育授業の意義
井戸端スポーツ会議 part 39「日本のスポーツの定義に物申す」
海軍の学校での体育
体育学的映画論「ロッキー・ザ・ファイナル」

2016年12月12日月曜日

テレビのない生活の流行語大賞

疲れました.
1週間が怒涛のように過ぎ,ようやく一息ついているところです.
不思議なもので,こっちでコントロールできない仕事って分散されず固まって入るものですね.

さて,年末に取り沙汰される流行語大賞について,「テレビのない生活15年」の私が考えてみようという記事です.

流行語大賞のホームページに,過去の受賞対象が挙げられています.
こちらです↓
新語・流行語大賞(自国民社)


私が流行語大賞っていうのを初めて意識したのは高校生くらいの頃.
「凡人・変人・軍人」っていうのが懐かしい思い出です.
流行語大賞って,流行していないものを取り上げるものなんだなぁってのが最初の印象でした.
これは「知ったかぶり大賞」というのが実際のところだろう,と見做して早20年近くになります.

同時代のものをみると,「ハマの大魔神」と「だっちゅーの」が受賞しています.これはたしかによく聞いた覚えはあります.
でも,「流行」していたかどうかと問われたら,かなり疑問です.

なにがどうなったら流行なんでしょうね.
少なくとも,その年に印象深い,参照・引用・利用されることが多かった言葉と考えると良いのかもしれません.
でも,「だっちゅーの」なんて,寒いオヤジギャグにしかならいでしょう.よほどのバカでなければ,能動的に使用する用語ではありません.実際,私の学校では話の節々で「だっちゅーの」と言ってる奴は無慈悲にバカにされていました.それだけに,たしかに印象深い影響のある言葉だったと言えます.

今日,こんなニュースがありました.
俵万智氏「『死ね』が世の中動かした」 流行語選出批判に「思い」明かす(Yahoo!ニュース)
「保育園落ちた日本死ね」って,たしかに今年の流行語でしたね.
選ばれて当然の言葉だと私は思っていますよ.

選出理由はいろいろあるんでしょうけど,つまるところ「流行していた言葉」だったかどうかは重要です.
その「選出理由」が気に入らない人が多いようですが,その年を代表する言葉であれば,別になんでもいいと思うのです.選ばれたからって何かあるわけじゃないでしょうに.そんなにいきり立って評論しなくても,気軽に楽しめばいい.

「神ってる」は,テレビのない生活を送っている私にとっては初耳です.
テレビのない生活を送ると,特にスポーツから縁遠くなりますので.
ところで,過去に受賞している言葉をみてみましても,スポーツ界から多数選ばれていることが分かります.
多分ですけど,スポーツ界から選ぶのが無難なのでしょう.批判されにくいだろうから.
昨年受賞した「トリプルスリー」なんて唐突過ぎて意味不明でした.

私が選ぶ流行語大賞は,やっぱり「ポケモンGO」です.
ポケモンGOがなんなのか未だ不明ですが,それでも聞いたことがあります.猫も杓子もポケモンGOにハマっているというのを聞きます.マスメディアから遠い私にも聞こえてくるのですから,これぞ流行語大賞です.

昨年は「爆買い」とか「SEALs」っていうのが印象的でしたね.昨年を代表するのはこの2つです.
2年前の受賞は何がなんだか.全部分かりません.唯一その意味がわかるのが「集団的自衛権」ですけど,こんなのが流行していたんですか? 世も末ですね.

3年前のものが興味深いですね.
「今でしょ!」は,当時,どういう経緯から生まれたのか全然知りませんでしたが,たしかに皆して「今でしょ」と連呼していました.コイツら頭おかしいんじゃないかと本気で心配したことを思い出します.
ここでもやっぱりスポーツは無難に選出されています.「オ・モ・テ・ナ・シ」.恥ずかしい言葉ですね.日本死ねって思いたくもなりますよ.

そんな感じで過去のものを眺めていたのですが,はっきり言って,どうでもいいものばかりです.気軽に楽しめるようなものではありません.強烈な虚無感を覚えます.
金輪際,我が人生において「流行語」なんてものを意識の縁にもってくることは避けよう.そう誓いました.

ちなみに,私が個人的に今年の新語・流行語として挙げるとすると,
「EU離脱」
です.
流行語としてだけでなく,そして「新語」としても今年を代表するものであり,今後使われる機会が多いであろう言葉だからです.

2016年12月4日日曜日

テレビは無いけどテレビに出たことはある

今回は思い出話.

テレビのない生活も15年になりますが,その間にテレビに出ること2回です.
なかなか貴重な体験をさせてもらいました.
1つはNHK.もう1つは朝日放送です.

NHKは学生時代です.
なぜか私の母校でやってる課外(サークル)活動が珍しいということで,NHKの番組プロデューサーの目に止まったらしく,それで取材に来ました.
その課外活動をやっている一人に私も含まれていまして,それでテレビ番組のなかの企画の一つとして写ることになったんです.

夕方の生放送番組で,全国をつないで各地域のネタを放送するというスタイルのものだったと思います.
その時既に私はテレビを廃棄していたのでよく知りませんが,朝昼夕と似たような形式の番組はよくありますよね.

私達学生が活動している様子を,「カメラで流しながら撮るだけだから」っていう打ち合わせをしてからスタート.
あぁいう番組って,結構適当にやってます.一応「ここを撮ります」って準備はするものの,あとは行き当たりばったりな感じです.
実際,私のところまでカメラが回ってきた時,なぜかアナウンサーが私にマイクを向けてインタビューを始めたのです.

そりゃビックリですよ.「え? 俺?」って.
話が違うじゃないか.
周りの友人達もギョッとした顔をしている.私もギョッとしている.
蜘蛛の子を散らすように・・,という日本語はよくできているなと感心した次第です.

生放送だし,このカメラの先に何百万人の目と耳があるかと思うとやっぱりビビります.
アナウンサーがなんか聞いてくるから,それに応える.何言ったのかよく覚えていません.でも,意外と流暢に言葉が出るものなんだなという感覚は記憶しています.
そのあたり,アナウンサーも応えやすい質問の仕方を心得ているのだなと思います.

あとで「突然ゴメンね」って謝られました.
時間が思いのほか余ったから,とっさに「学生の声」として拾ったらしい.

もう一つの朝日放送は,バラエティ番組でした.
これは大学で研究員をやっていた頃です.

バラエティ番組の企画で,芸人たちの体力テストをやるってことになったらしく,それで所属研究室の教授に同伴して出演することになったのです.
今度は生放送じゃないから気が楽です.

当初大学からは「テレビ出演に関する相談のため来客がある」とだけしか聞いていなかったので,とりあえず番組のプロデューサーの話を聞くだけ聞いてみようという感じで私と先生が対応しました.

現れたプロデューサーは開口一番,
「お二人は,◯◯◯という番組をご存知ですよね!」
って自信満々に聞いてくるんです.
私と先生は,
「いえ,知りません」
と答えました.ホントに知らなかったから.

なんでも,関西ローカルだけど視聴率が高いということで有名なバラエティとのこと.
たしかに,私と先生以外の人達はよく知っていました.

ガッカリした様子を隠さないプロデューサーは,そこから今回の番組の企画を資料を見せながら説明します.
芸人に体力テストをやらせるからってんで,その際に解説や測定値の評価をしてほしいとのことでした.
そんなもの,目立ちたがり屋の医学系大学教員に出演を頼んだら喜んで引き受けるだろうに,なんで私達のような本気の研究者を訪ねてきたのか不思議でした.

で,当時まだオブラートに包んだ物言いが出来なかった私は,これをプロデューサーにそのまま聞いちゃってるんです.「どうして私たちのような研究者にこんな話を持ってきたんですか?」って.困った若者です.
これについては,「ちゃんとしたスポーツの研究者を取り上げて番組を作りたいんです」とかいう,いまだ謎な理由を挙げていました.

ともかく,「な〜んだ,結構簡単な仕事じゃないか」と思って私と先生は引き受けたのですが,後にこれが案外大変なことだと分かります.

実は,番組内で芸人たちとからみながら測定・評価をするというものだったのです.

基本,私の先生が前面に出て進行したのですが,終始,「助手」という位置付けで私もちょくちょく出るものでした.
さすが,先生は場馴れしてるなぁと関心したものです.
私もかなり芸人たちからいじられたのですが,あとで「頼むから全部カットして」って懇願したし,私達芸人じゃない人とのやり取りはカットされやすいようですね.

あと,とても面白かったのが芸人の素顔.
カメラが回っている時と,そうでない時の落差が半端じゃない人がいます.カメラが回っていないと,うつ病患者じゃないかと思うくらいボーっとしているのですが,カメラが回り始めると弾けるようにはしゃぐ.この人は躁うつ病ではないかと心配です.

物凄く丁寧な対応をする芸人さんもいました.結構名の知れたベテラン芸人さんなのですが,撮影現場に入るなり,スタッフ一人ひとりに挨拶をしてまわります.
我々のところにも来て,先生だけでなく,なんと私にまで「君も今日,一緒にやってくれるんやてな.ホンマありがとうな.お願いします」と丁重に声かけをしてくれるのです.これには驚きました.

気配り上手が芸能界では大切だと耳にすることがありますが,そういうものなのかなと思わされます.
実るほど頭を垂れる稲穂かな.
上り下りの激しい芸能界では,いざって時にこうした気配りが効いてくるのかもしれません.

実際,録画している現場ってそんなに面白くないんです.
なんだかギャーギャー騒いでるけど,脇で見ているこっちは退屈です.
こんなやっつけな展開で本当にバラエティ番組として成り立つのか心配になるくらい.

あとで面白くなるように編集するようですね.
芸人さんやカメラマン,プロデューサーの会話を聞いていると,なんかそういうこと前提でやってる感じもあります.
だからプロデューサーやスタッフの方々に好かれていれば,なるべく面白くて活躍しているように仕立ててくれるのかもしれません.
見栄えや映る時間も,結局は編集次第ですから.

さて,番組が放送されると,じゃんじゃんメールが来るんです.
「お前,テレビに出てるぞ!」って.
先生もビックリしたらしいです.こんなに影響が大きいとは思ってもみなかったらしい.

さすが,プロデューサーが自慢するだけのことはありました.

2016年12月2日金曜日

大学における体育授業の意義

以下,大学における一般体育の授業方針に悩んでいる教員(教務委員の先生も含む)の参考になればと思います.

このブログでは,何度か「大学において体育は軽視されがちだけど,本当は重要な科目」ということを述べてきました.
例えば→■昨今の大学用語辞典より 【体育】強い理念のもと指導する教員が多いわけではない,学生にとっての休み時間.本来は大学教育において重要な科目.

これについて,以下の記事↓
井戸端スポーツ会議 part 16「体育の授業で得てほしいこと(特に大学で)」
でもお話したことがありますが,今回は別の観点から述べてみます.

「運動能力が高い人は学力も優秀」「スポーツをすると学習機能が高まる」などと言い出す人もいますが,これはどうでもいいことです.週に1回の体育の授業とはなんら関係がない.それに,研究ではたしかに有意水準ではあるけど劇的な影響はみられません.こういうのは,特に大学において重要視されやすい知的活動へのコンプレックスから来ていることですね.
「スポーツを勉強することにも意義がある」とか「健康を保つためにも価値がある」などと宣伝する人もいますが,これも副次的なことです.

一方,「スポーツの技術・技能を高めること」を第一に掲げる人もいます.結構います.
これは論外です.
たいてい,昨今の「スポーツ科学研究」の隆盛についていけない教員が,己のアイデンティティである指導能力を誇示するために使っているロジックです.
スポーツ技能の習得なんて,わざわざ大学に来てまでやることではないし,上手くなったからどうだっていうんでしょうか.教え方が上手いことを自慢したいなら,どっかのインストラクターにでもなればいい.お願いですから普通に大学教員として人類に貢献してもらいたいものです.

では何が重要なのか.
スポーツは,スポーツすることそのものに意義があります.スポーツという営みを通したなかに人間らしさが現れます.そこに教育価値を見出すことができるのです.

直接的に言及したことはありませんが,関連した過去記事があります.
私の祖父が海軍の学校で経験した体育について述べたものです.班対抗の持久走レースが企画され,ルールは「その班内で最も遅くゴールした者の順位によって班の順位がつく」というもの.それに祖父たちはどのように取り組んだのか.
海軍の学校での体育
運動の出来ない者はどこにもいます.祖父の班にもそういうメンバーがいたそうです.ですから,この条件下で勝とうとすれば普通に走っていたら絶対に勝てないことになります.
班長をやっていた祖父は,すぐさま班のメンバーを集めてミーティング.このレースに勝つ方法を考え指示したそうです.
(中略)
もしかすると教官は,運動の出来ない生徒に自覚をもたせるために考案した持久走だったのかもしれません.皆の足を引っ張らないように体を鍛えろよ,と.
ですが,結果的に現れたのは
「強い者が弱い者をカバーしたほうが,全体の勝利へとつながる」
ということです.
これ,体育の授業における重要な教育価値だと思うんです.
もっと言うなら,別に勝敗を決することに真剣にならなくてもいいでしょう.
私が大学における体育の授業で大事にしているのは,「いかに自分たちだけでスポーツを楽しめるか?」という点です.
なんだそれ,甘っちょろい授業目標だな,と思われるかもしれませんが,実はこれが結構厳しい学習課題です.

誤解を恐れずはっきり言いますと,「授業時間である90分間のなかで,学生たちだけで有意義なスポーツ活動を展開し,その場にいる者皆が嫌な思いをせず,等しく楽しむ状況をつくることができる」という課題は,申し訳ないけど知能レベルと強力な相関があります.
頭のいい学生は,放っといても積極的にスポーツを楽しみますし,なるべく皆が楽しめるよう配慮できます.

一方,バカは自分たちだけ楽しもうとします.自分たちが騒いで盛り上がっていれば,その場の全員が楽しめているものだと認識しています.これは本人たちは気づきません.
だからそこに「教員」が必要です.

頑なに動こうとしない学生もいます.じっとして授業の時間をやり過ごそうと企んだり,わざと無気力な態度で取り組むことでカッコつける学生です.これも本人たちは至って「カッコつけてる」つもりなので,周囲にどう思われているか気づいていません.もちろん,周囲にちょっと迷惑かけてる認識はあるのですが,それが「ちょっと」じゃなくて甚大な迷惑になっているという想像力は働きません.
だからこれにも「教員」の補助が必要になります.

まるで小学生を指導しているように聞こえますが,偏差値や学力に関係なく,小学生みたいな奴はどこにもいます.
この未熟者を,一端の大人に育てるのが大学体育の使命だと考えられます.

「周囲・全体に配慮しながら自分たちだけでスポーツを楽しめる学生」は,ゼミ活動でも優秀です.周囲・全体に配慮しながら,有意義な議論を展開できるのは,やっぱりこういう学生です.
たとえ学力は低くても,こういう学生は大学生活後半の伸びが違います.
「スポーツ」における振る舞いは,「議論」や学術活動での振る舞いと類似するのです.

低俗な話ですが,この課題がなんなく出来る学生は就職活動にも苦労しません.もっと言えば,就職後も苦労しないですよ.ご縁のあった勤め先で,同じようなことができるからです.

では,どんな授業を展開するのか?
私は授業初日にこう宣言します.「僕は技能練習を指示しないし,細かいルールも教えない.どのようにすれば上手く90分間が回るかも伝えません.可能な限り自分たちでやってくれ」と.
初日が最も重要ですね.ここでその半期,もしくは1年が決まると言っていい.

例えば「サッカー」という教材を使うとします.全くサッカーを知らない学生が全員集まるという状況は,この日本ではほぼ考えられません.小中高の体育でやってきているからです.
小中高の体育では,サッカーの基本的な動き方,練習やウォームアップの仕方,試合展開やルールを学習してきています.
だから,それを基にサッカーを楽しめばいいじゃないか,大学では楽しむことを学べばいい.これまでずっとサッカーを楽しむための方法を勉強してきたんだろ? と,そう伝えます.たいていの学生が「あ,そうか.言われてみればそうだな」と気づいてくれます.
でも,言うは易く行うは難し.

男女差,技能の上手/下手,体力の高い/低い,興味関心の高い/低いなどに差がありますから,そうした集団でどのように楽しめばいいか考えることは意外と難しいものです.
それに,授業は通常15回ありますから,同じことをずっと続けて良い場合もあれば,何回かやれば飽きてくる場合もある.
そんな時どうするか? こうしたことへの対処方法を検討するのが,重要な学びです.

自分たちで乗り越えられるクラスならいいのですが,できないクラスもあります.
技術的な話(練習法や特殊ルールのアドバイスなど)なら対応は簡単ですが,一部の仲良しグループが自分勝手に進めたり,スカした態度で協力しない学生が一定数現れたら,なんとも気分の悪い空気が流れ始めます.
そんな時は,なるべく「学生たち自らが組み立てている」という状況をつくりながら進めるようにしています.

この時の対応が非常に難しい.
ともすれば,「正論」と「綺麗事」を並べ立てる教員になってしまいます.それでも良いのかもしれませんが,自分勝手な学生やスカした学生は,そういう教員を最も毛嫌いしています.周りの学生は「よく言ってくれた」と溜飲を下げるかもしれませんけど,肝心の注意されているこの学生には伝わりません.

万能な指導法はありませんので,ケース・バイ・ケースで頑張っている次第です.
それに,大学におけるその他の授業と同様,全員を等しくレベルアップさせることはできません.
どんなにしたって,学ぶ気がない学生は学びません.
でも,地道にやっていれば,それなりに学生は受け取ってくれるものです.

ある年のクラスに,いわゆる「自分勝手に進めるチャラい男子グループ」がいました.いい歳して不良がカッコいいと思ってる奴らです.
なかなか手こずった学生たちでしたが,最後の方では,こちらの意図したことを理解してくれたところがありました.
人見知りの(こう言っちゃなんだけど,ちょっと発達障害気味の)学生に対しても配慮できるようになり,彼らが伸び伸びプレーできる状況を作ることのほうが,自分たちも楽しくプレーできることに気づいてくれたのです(と信じています).というのも,技術レベルに差がある者同士でも楽しめるルールでの試合を,彼らがネットで調べて「今のままだと全力で出来ないから,これでやろう」と言い出したんですよ.

こういうことは,こっちから説明してしまったり,厳しく叱責して従わせては元も子もありません.自ら「気づかせる」ことが大事です.

「そんなこと,誰でも思い付くし,やろうと思えばやれることだ」と思われるかもしれません.
しかし,「やれることだけど,これまでやらなかったこと」というのは,本人にとって実際の行動に移すまでのハードルは非常に高いものです.それだけに,自分で意図したことを行動に移してみるという経験には,強力な教育効果があります
体育という授業では,そうした状況にたくさん遭遇するのです.

自分が楽しむためには,まず周囲の者達が楽しめる状況になければならない.
それはスポーツに限らず,学問も,社会も,政治経済も同じことだと気づいてくれることが重要です.
大学で得た知識を適切なかたちで人間社会に活かすためにも,体育は重要な役割を果たし得る科目なのです.


関連記事
井戸端スポーツ会議 part 39「日本のスポーツの定義に物申す」
海軍の学校での体育
体育学的映画論「ロッキー・ザ・ファイナル」

2016年12月1日木曜日

カジノの使い道

カジノの話が喧しい.
カジノ法案、あす衆院委採決方針 自民、今国会成立狙う(朝日新聞)
カジノを含む統合型リゾート(IR)の整備を政府に促す「カジノ解禁法案」が30日、衆院内閣委員会で審議入りした。自民党は同日、連立を組む公明党に対し、12月2日に委員会で採決したうえで、6日に衆院を通過させる方針を伝えた。議員立法だが、政府・自民は14日まで延ばした今国会での成立をめざしており、国会最終盤の焦点となりそうだ。(朝日新聞)
私は過去記事で「カジノ」について扱ったこともあります.
実は,カジノ自体に反対はしていません.むしろ,使い道によっては良い効果が期待できるとも思っています.
ところが,この一連のカジノ法案はなんだかきな臭い.というか,かなり熱くて煙い.
法案は超党派の「国際観光産業振興議員連盟(IR議連)」に所属する自民、旧維新の党、旧次世代の党の議員8人が提出。カジノ実現のため政府の法案提出を義務づけており、議連はかつて安倍晋三首相が最高顧問を務めていた。30日の内閣委では、議連会長の細田博之・自民総務会長が趣旨説明で「観光及び地域経済の振興に寄与するとともに財政の改善に資する」と意義を強調。議連副会長で日本維新の会の小沢鋭仁氏が「ビジネスとして極めて有望だ」と答弁した。
安倍晋三と維新の会.
地域振興とビジネス.
この組み合わせは国体崩壊間違いなしです.

過去記事(既に6年の歳月が流れた)でも述べたように,私は「カジノを作る」という法整備過程において,
1)競馬,競艇などの賭博ができる地域・都市を限定,規制する
2)パチンコを取り締まる
3)公共交通機関を整備,促進するための起爆剤
が期待できると考えていたからです.

かつては私も政治や世論にちょっと期待していた部分があったので,「カジノを作るふりして賭博・風俗関係をしっかり管理できるような体制にできればいいのに」と妄想しているところがありました.「バカとハサミは使いよう」と考えていたのですね.

でも,そうした甘い期待はできないと知った20代.
今となっては,同じような状況を見たら「キチガイに刃物」と思うようにしています.今回は「安倍にカジノ」です.

人間,どうしても一定数のバカがいます.
残念なことではありますが,ギャンブルや風俗は人類誕生以来の下品で低劣な「遊び」の文化であり,これがなければ,さらに別の危ないものに手を出そうとする奴は出てきます.

私が考えていたのはこういうこと.
「カジノ法」と称して賭博全般やキャバクラとか風俗関係の商売を限られた一部の地域だけに規制し,そこ以外での業務を徹底的に取り締まろうというものです.そこでの儲けは地域振興財源に使い,これに乗じてパチンコも潰してしまえばいい(合法的に)とも考えていました.

要するに,「カジノを起爆剤にする」という謳い文句で公営ギャンブルをコンパクト化,そして一極集中するのです.こういう「一極集中」なら私も歓迎です.今時,「一極集中」とか「選択と集中」って聞くだけで,たいていのバカは喜びます.
その施設に行けば,競馬,競艇,競輪だけでなく,ポーカー,ブラックジャックにスロット,ルーレットまで出来る.なんなら,時代劇とかでやってる「丁か半か!」っていう博打を扱ってもいい.
競馬で負けても帰りにポーカーで勝負して,お酒はバニーガールが運んでくれるっていう歓楽リゾートを公営でやればいいのに,っていうことです.

そうは言いましても,まともな人間ならギャンブルや水商売,風俗なんて無くても生きていけます.少なくとも私は生きていけます.きっと私以外にもたくさんいると思うので,賭博場や夜の街は全国的に潰しても問題ありません.
どうしても行きたい奴は,大阪や東京に行けばいい.そうすれば公共交通機関も潤うでしょう.

でも,今回のカジノ解禁法案にそうした「規制」は期待できません.
作った奴らが「ビジネスとして極めて有望だ」っていう認識でいるからです.
国としてギャンブルを規制する仕組みを盛り込む気なんてありません.むしろ,カジノを純粋に普及しようとしています.
人間のクズやお水の女を増やすことを是とする政策ってどういうことでしょう.
まあ,安倍晋三が最高顧問をしている集団だから仕方がない側面もありますが,これは極めて危険です.

こいつらが提出した法案はこちらで読めます.
危ない典型的な条文を以下に列記します.
・観光及び地域経済の振興に寄与するとともに、財政の改善に資するものである
・地域の創意工夫及び民間の活力を生かした国際競争力の高い魅力ある滞在型観光を実現
・政府は、特定複合観光施設区域が地域の特性を生かしつつ真に国際競争力の高い魅力ある観光地の形成の中核としての機能を備えたものとなるよう、必要な措置を講ずる

この条文から滲み出ているのは,「地域は自立しろ」「世界に打って出ろ」というものです.
財政難を,カジノで打破しろと言ってるわけですね.

世論調査によると,カジノ法案には反対が多い.
ということは,財政にゆとりがある地域はカジノを「作らなくて済む」のに対し,財政難の自治体はカジノを「作らなければいけない」状態になることを意味します.

これは,チンピラが貧乏人に「カネがないなら,娘でも売って作ってこい」と言っているのと同じ構造です.
今,中央はチンピラになっています.国であることを放棄しているわけです.
もはや国境や国籍にこだわる時代ではないのかもしれません.


2016年11月29日火曜日

大学教員を目指す研究者がやめるべき習慣

先日,こんな本が出ていたので買いました.
適菜収 著『男が30代でやめるべき習慣』


このブログでは何度か取り上げている適菜収氏.
この本に限らず,氏の著書には共感できることがたくさん登場します.

さっそく読んでみたら,過去の私の記事でお話してきたことと重なるところが結構多いんです.
せっかくなので今日は,適菜氏の言葉を私の過去記事と共に並べてみました.


適菜氏)本当のところ「何をやるべきか」なんて誰にもわからないのです.―― 「やるべきこと」ばかり考えていると,つらいどころか,現在を無駄にします.―― やらなくていいこと,やめるべきことを見極めるのが大切です.

過去記事)■オープンキャンパスの来場者数を想うより 「やったほうがいい」よりも「やってはいけない」を選別することのほうが重要.これは人生何事においても同様です.


適菜氏)「英語の勉強」をやめる
英語が話せても,ダメなやつはダメ.―― 急に英会話教室に通いだすやつは,布団を売りつけられる老人と同じです.―― 日本人が英会話できない理由は必要ないからです.

過去記事)■英語教育は国をあげて取り組むことか?より 他の国々が英語教育に時間を割いているのは,海外に職を求めなければならないほど国内が不安定であり,さらには自国の言語では教育コンテンツが乏しいからです.―― 日本はこれに対し明治初期において,「翻訳」という作業に勤しむことで日本語の語彙を増やし,高等教育に耐える言語にしました.―― 昨今の英語教育を推進する動きというのは,その先人たちの努力を踏みにじるものと言ってもよいでしょう.


適菜氏)「テレビ」を捨てる
テレビを捨てて自由を得よ.―― テレビは手っ取り早くバカになる道具です.

過去記事)■テレビのない生活のすゝめより よくよく考えてみたら,テレビって一方的な情報提供ですよね.実は,自分が面白いと思っているものだけ愉しみたい,というワガママを叶えるものではないのです.妙な話です.本能の赴くまま,己の欲望を満たすための行動を取る上では,テレビは障害にしかなっていないのですよ.―― テレビのない生活がどうのこうのというよりも,むしろ「実は,テレビのある生活は苦行ではないか?」というところで検討したほうが興味深いのかもしれません.

適菜氏)「新聞」を捨てる
テレビと同様,数百万部も新聞を売るためには,下のレベルに合わせるしかない.上に合わせたら,売れなくなってしまうわけですから.

過去記事)■そんなに大事じゃない,大学教員が言うこんな指導より 「新聞を読め」という指導をする大学教員は少なくありませんが,その一方で,新聞をほとんど読まない人種が多いのもまた大学教員です.「どうせ新聞なんか大衆迎合商売の権化だろ.僕には関係ない」というスタンスです.しかもそれで困ることはありません.―― 毎日熱心に新聞を読んでいるのに「ナントカ都構想」に賛成する人もいれば,まったく新聞を読まなくても「ナントカ都構想」の危険性を察知できる人もます.ようするに,新聞を読んで社会に関心を寄せておくことが大事なのではなくて,目の前にした課題の中身をどのように吟味し,いかに振る舞えるかが大事なのです.


適菜氏)「行列」に並ばない
要するに行列に並ぶバカと,行列を売りにするバカが,スパイラルを起こしている.30を超えたら,行列ができる店には絶対に行かないというくらいの見識は持ちましょう.

過去記事)■じゃあ,どのラーメンが一番旨いのか?より 誤解しないで下さい.ラーメンは下劣な料理だと言っているわけではありません.マクドのハンバーガーと同じような階級と位置付けをもった料理だということです.どれだけ多様で予算と時間をかけようと,やっぱりラーメンはラーメンです.酒を飲んだ帰りに,よせばいいのに食べてしまう料理がラーメンなのです.マクドのハンバーガーに行列を作ったり,「照り焼きチキンこそ至高の味わい」などと言う奴はいないでしょ,ということです.


適菜氏)「スポーツ観戦」をやめる
「見るな」と言っているのではなくて,「隠れて見ろ」という話です.贔屓のチームが負けたら機嫌が悪くなるやつもいますが,ただの迷惑です.―― 人のことはどうでもいいんです.まずは自分のことをやりましょう.

過去記事)■井戸端スポーツ会議 part 19「スポーツ観戦のような政治観戦 その2」より 「政治が『ショー(見世物)』になった」と言われて久しいのですが,これも,議会制政治が一つのスポーツであることを目指す傾向にある近代,そして現代の有り様を示していものと言えます.―― 近代スポーツ,現代スポーツの魅力を全面否定するつもりはありませんが,それによってこの社会が近代スポーツ,現代スポーツのようになっていくのであれば,この麻薬のような思想をもう少し腰を据えて解明してく必要があるのかも知れません.


適菜氏)「グローバリスト」をやめる
「グローバリズム」は,基本的に「世界人類皆兄弟」みたいな話です.昔の左翼の理想と同じです.―― 安倍は危険なグローバリストです.

過去記事)■わざわざカタカナ語を使おうとする人より 「グローバリズム」,これを日本語にすれば「地球一体化思想」とか「地球共同体主義」です.より分かりやすくするため,「宇宙船地球号」と言われることもあるそうです.おそらく,「グローバル」という言葉を喜んで使っている人たちの多くは,これを「国際化の推進」だと思っています.もしくは,経済とかビジネスの領域でしか見ていない.―― 人類みな兄弟,今後世界は統一される,国境や民族にこだわる時代はなくなるんだ,などと地球を一つの共同体とする思想を進めたい人が,この機に「グローバル,グローバル」と言っている可能性があります.


適菜氏)「答えを出せ」と言わない
自分の意見に合わないことがあれば,「対案を出せ」「答えがない」「分かりやすく言え」などと騒ぎ出す人がいます.彼らは世の中にはわかりやすい「答え」があると信じているわけです.

過去記事)■コピペ・レポートの行き着く先はより 私を含めて少なくない教員は,学生に「優れたレポート」なんてものを求めてはいません.そりゃ優れたものを出してもらえるのは嬉しいことですが,「レポート課題」という指導で学生に得てほしいのは,より良い答えではなく,より良い答えを出そうとする手順を踏んでもらうこと,それ自体にあります.―― コピペ・レポートの何が問題なのかといえば,ひとえに「議論そのものをコピペしてしまっている」という点にあります.―― 「この問題については,こういう回答が適切なんでしょ?」というのは,世の多くの大学教員なら烈火のごとく怒りたくなる「学生の意識」です.そしてコピペは,「こういう回答が適切なんでしょ?」という学問に対する意識・態度を是正するどころか,それを助長します.


適菜氏)節約のために発泡酒を飲むやつがいます.あれは本当に嫌ですね.発泡酒をバカにしているのではありません.発泡酒が好きで,「ビールより断然うまい」と思って飲んでいるなら,それでいい.―― でも,「カネがないからビールを我慢して発泡酒を飲んでいる」と公言するようなやつには反吐が出ます.

過去記事)都知事選と抹茶ビールの間にあるものより 面白いですね.高知は酒にかける費用はぶっちぎりの1位ですが,消費量は東北や九州,そしてなんと東京の方が高知よりも多いんですよ.実際,ビール消費量の絶大なシェアをほこる「アサヒスーパードライ」ですが,高知県民はこれをほとんど飲みません.―― そんな高知県民である私が思いますに,東京は余計なことをせず「ホッピー」のレベルを上げるべきなのです.それと同じことが都知事選にも言えると思うのです.


とても面白いのでオススメします.
特に,これから大学教員を目指そうかという若手研究者は必読です.

私の過去記事もオススメです.


2016年11月28日月曜日

豊洲移転問題みたいな問題を考える

先日,自転車がパンクしたので近所の自転車屋に修理に出したんです.
「チューブだけじゃなくタイヤも替えなきゃいけないので,3,500円くらいですかね」
という見積りをしてもらい,自転車を預けてしばらく時間潰し.

予定していた時間に取りに行くと,
「チェーンが弛んでいたので調整しました.硬めのオイルを付けているので最初は動きがぎこちないかもしれません.あと,ブレーキパッドがズレていて,ワイヤーも緩んでいたので,これも調整しています.キーロックの動きが不安定になっていたので錆取りをしてオイルを入れています」
ということで,本来ならこれ全部注文するだけでも3,500円以上するメンテナンスなのに,
「こちらで勝手にやったことなので,料金はいいですよ」
とのこと.
自転車への愛情が感じられる仕事です.
こういう仕事人にはお金を出さねばなりません.4,000円払ってお釣りは受け取らないことにしました(って,なんとケチくさい自慢でしょう).

さて,このような自転車屋に,
「なんで勝手にチェーンを調整したんだ.ブレーキパッドは本当に直っているのか」
と文句言って,
「明らかに約束と違う.なんなら金は払わないぞ.責任を取れ」
とクレームをつけるのが東京人です.

豊洲移転問題みたいですね.

朝日新聞社のウェブサイトに,豊洲移転問題の推移をまとめたものがありました.
築地市場の豊洲移転問題(朝日新聞)
これまでの一連の流れを確認することができます.

で,結局のところ最大の争点は何かというと,
「盛り土で建設する予定だったのに,いつの間にか地下ピットとして計画され建設されている」
ということ,つまり当初の計画と実際の建設状況が異なるということです.
たしかに小池都知事が指摘するように,「都の職員に手続き違反と説明不足があった」ことは事実.それにより結構な人数の職員が責任をとらされて減給処分になっているようです.

いやいや,それより「土壌汚染」と「安全性」が最大の問題なんだよ!
と言い出す人もいますが,この点について「本気」で争点化されることはありません.
なぜかと言うと,そもそも現時点で築地市場よりも豊洲市場予定地の方が清潔であり,安全性が高い可能性があるからです.築地市場は元・毒ガス兵器工場跡地ですし,地下には第5福竜丸で汚染された被爆マグロが埋められていますよね.

基準値がどうのこうのと言っていますが,これを本気で争点化したいのであれば,築地やその他東京の食品関係を扱っている清潔なところで同じように測定し,比較してみればいいことです.
でも,これを実施することはありません.測定してみて豊洲よりも悪い値が出たら,様々な人々の気分が悪くなるからです.やるせない雰囲気に満ち満ちてしまう.問題が複雑化します.
どんな場所であろうと,何回も測ってりゃそのうち悪い値が出るものです.健康診断の血液検査と同じようなものですよ.どんなに健康な人であっても,何回か測れば病的な数値が出ます.それが「自然」です.
だから小池都知事としても,「都職員の手続き違反」に焦点を絞って攻めるしかないのです.そこでしか勝負できないんだから.

しかし,この問題を前にした「東京人」が反省しなければいけないのは,豊洲市場をより良いものにしようと努力,配慮したかもしれない都職員を,「手続き違反」だとか「説明が足りていない」という理由を作って,白昼堂々と責任を取らせたことにあります.
おまけに,引っ掻き回し過ぎて結局移転が延期になっている.
バカですね.

以下,豊洲移転問題に触発されて考えたことを述べます.
断っておきますが,豊洲移転問題そのものとは一切関係がありません.それを念頭にお読みください.
公的機関で仕事をしてる人であれば,豊洲移転問題をみて「あぁ,きっとこういうことじゃないのかなぁ・・・」って思ったであろうことをお話します.
これはちょうど,■「教職員用」危ない大学とはこういうところだみたいな話です.

通常,豊洲移転問題で見られたような職員の手続き違反には理由があります.彼らにしても,いい加減に仕事をしているわけではありません.
そして,こういう「手続き違反」は,トップ(この場合,都知事)の判断でもってウヤムヤにされます.
こんなこと言うと,一般の方々は「公務員がそんなことして良いのか!」と不満そうにするでしょうが,そういう話ではありません.

例えば,何かのプロジェクトを議論していく中にあって,プロジェクト・メンバー間で何かしらの齟齬やコミュニケーション不足,勘違いなどが発生する場合があります.
その結果,その道の専門家であれば常識であるものが,重要な採決をとる会議でデタラメな計画として決定されることがあります.

これに対し,一応専門的知識を有する担当職員は「これじゃマズい」と考え,あの手この手で適切な計画へと会議や手続きを誘導しようとすることがあります.
これが最近よく槍玉に挙げられる「官僚(職員)が勝手に政策(プロジェクト)を計画してしまう.けしからん!」というやつですね.

でも,官僚や職員が能動的に手を加えるのにも理由があります.
どうして彼らはそんな事をするのかというと,往々にしてこの手の委員会や会議では「重鎮」だとか「面倒くさい人」なんかが適当なこと言って引っ掻き回して,碌な提案や決定をしないことがあるのです.政治的パワーをもって会議メンバーとして発言してるけど,なにもかもが素人発想.
だけど,こうした人達の機嫌を損ねないように,そして,この人達が主体的に物事を計画しているように仕立てることが彼ら官僚・職員の大事な任務になってきます.

例えば,耐震・土壌汚染対策としては地下ピット構造にするのが常識なのに,集まったメンバーは何を思ったか,土を盛ろうとすることがあります.そしてそれが「決定」となる.
そんな時は,後付で担当職員が可能な限りの範囲で適切なものに変更(捏造)することがあるのです.

これが有能な官僚であり,職員なのです.いやマジでホントに.

大学でも似たようなことはあります.
ひとまず会議をやったことにして,一応の決定はするんだけど,でもそれって明らかに間違ってるよねって場合は,後日,担当職員が議長や委員長のところに行って,「この部分ですが,規定に反しますから」とか「より経済的なのはこちらのプランです」などと言って変更を具申することがあるのです.

会議に出席している大学教員にしたって,その会議に出たくて出ているわけでも,その委員会に参加したくて参加してるわけでもありません.
委員会として形にするため,頭数を揃えるために出席している人がほとんどで,資料や提案書を碌に見ることはありません.
だから適当に賛成の手を上げたり,無難な発言をすることによって,あたかも丁寧に審議が進んでいるかのような状況を演出します.
民間の方々にすれば「バカバカしい」と思うかもしれませんが,それが公的機関の審議の進め方です.
有能な事務職員さんはそんなこと百も承知ですから,これを踏まえた上で物事が適切に進むように仕立てるのです.

明らかに「決定」の変更が必要だと考えられる場合は,例えばメンバーへの資料回覧とかメール会議といった方法で決定変更の手続きをとるのが普通なのですが,時間的に間に合わないと言う場合は,議長や委員長の判断でウヤムヤにするという場合があります.
だって,どうせ皆「OK」って言うんだから.
私も以前,大学で職員をやっていましたので,似たような境遇を何度も経験しています.
責任者である教授と打ち合わせて,「ま,いいよね」ってことで黙って改変する部分はあるものです.

でも,もちろんこれは違反です.
どこかでバレて指摘されたら,ぐうの音も出ません.
けど,それを指摘する人なんていません.普通は.
なぜって,たとえ違反手続きで変更されたプランであっても,そっちの方が正しく適切であれば,皆「あぁ,そういうことね」ってことで流すものだからです.


えーっと,もともと何の話でしたっけ.
そうそう,自転車の修理の話でした.

つまり,その道の専門家が気を利かせてくれたものにイチャモンつけるのは野暮ってものです.
むしろ,それに見合った対価を与えるのが筋ってものでしょう.

あんまりイチャモンつけたり罰則を与えたりすると,そのうち「ホントはこっちの方がいいのにな」って気づいてくれていても,適切な方向に誘導してくれなくなりますよ.


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2016年11月27日日曜日

エアコンはつけっぱなしでも問題ない

そういえば,
男子教員と女子学生
の記事で,「欧米の大学(に限らずマンションやビル)では建物内全体を暖房(いわゆるセントラルヒーティング)しているので,冬季でも “学生と二人っきりにならないようドアを開けっ放しにする” ということができるが,日本ではそれが困難」という話をしました.

これについて,去年こういう噂がネットに挙がったので,今夏,私の生活をかけてテストしてみたのを思い出したんです.

「エアコン(冷暖房)は,つけっぱなしの方が電気代がお得」

え? そうなの?
って思ったので,おそらく専門家と称してよいであろう私の弟に聞いてみたんです.
彼は学術博士(工学)なので.

「世間では知られていないけど,それは本当.気密性の高い建築物ではつけっぱなしにすることが本来の使い方.ちなみに,日本らしい建築物と扱い方をする環境下でエアコンを取り付けることは極めて非効率.日本に限らず前時代の建築物はエアコンがなくても自然空調されることを狙って作られている.また,日本は部屋の窓を全開にして空気を入れ替える文化がある.あれには何の意味もないけど,おまじないとしてやりたがる人が多い.キッチン,トイレ,風呂場の換気扇やドアや窓の隙間など,ほっといても生活をしていれば空気は循環する.都市部や工場地帯で部屋の空気を盛大に入れ替える人がいるが,あれはバカだと思う.内部の空気のほうがきれいなのに.一方,エアコンは気密性の高い建築物において最大の恩恵を得られるような哲学から誕生している.むしろ,密閉状態を作れないところに取り付けるべきではない.24時間換気設備とエアコンを稼働させることのほうが,シックハウス症候群やカビ,虫対策としても有益.というか,繰り返すけどそれが本来の使い方」
とのことでした.

換気設備は24時間回しっぱなしが良いというのは以前コイツに聞いたことがあったのでやっていましたが,エアコンもそうなのですね.

だから私もこの夏やってみました,「8月全日エアコンつけっぱなし実験」を.
本当は7月からやりたかったのですが,エアコンをつけるほどの日がなかったので,本格的な暑さがくる8月からにしました.

結果です.
24時間31日つけっぱなしていても,電気代は高くなりませんでした.
以下の通り,
7月:3,500円
8月:4,000円
9月:3,000円
というものでした.

ちなみに,昨年の8月は5,000円でしたので,私のような条件下で生活している者にとっては「つけっぱなしの方が安い」という結果になるようです.

今回の条件を以下に示します.図示しましたので,そちらも参照ください.

・エアコンの設定は「ドライ:25〜27度」
 ※暑い時には25度まで下げました.
・鉄筋コンクリートのワンルームタイプ(築20年)
・6帖の居間
・居間と玄関&キッチンとの間に遮蔽ドアがある
・エアコン(ダイキン社 2016年製)
 ※今年の春に故障したので,新しく取り替えてもらった
・トイレの換気扇は,24時間365日稼働
・浴室の換気扇は,毎日風呂上がりの4時間タイマー稼働
・窓の開け閉めはほとんど無し.週に何度かだけ.
・たいてい朝7時〜夜9時は自宅にいない
というものです.

値段もお得ですが,なにより快適性が非常に高いのが嬉しかったです.
「暑っ〜〜」って帰ってきても,部屋が最初から涼しくなっています.
しかもカラッカラに乾燥しているので心地よい.ジメジメ感とおさらばできます.

とは言え,あとで莫大な電気代を払わされるのではないかと怯えていた側面もあるので,そこまで気持ちよく過ごせていたわけではありませんが.
来年からは気分良く過ごせます.

あと,これは今後の調べが必要ですが,電気代が安くなってるということは,使用電力量も小さくなっているということです.もしかして消費電力量も少なくなるということでしょうか.
だとすれば,気密性の高い建築物においてはエアコンはつけっぱなしの方が「エコ」だということになりますよね.
これはちょっと重大事じゃないかと思うので,「エアコンはこまめに切りましょう」という啓蒙がどういった影響があるのか検討すべきだと思います.
もちろん,一人暮らしの家庭用電力と,その他の電力使用を一緒くたにはできませんので,慎重に吟味しなければいけませんが,場合によっては電力生産に大きく影響する話かもしれません.

さて,これから冬ですね.
そんなわけで,冬も試してみたいと思います.
でも,冬は乾燥しすぎるので快適性は下がるかもしれません.
なるべく洗濯を頻繁に行ない,部屋干しすると良いのかもしれません.

2016年11月26日土曜日

エクセルで大量のデータを等分割して統計処理したいとき

卒業論文,場合によっては修士論文などのデータ処理でも使えるエクセル・スキルをご紹介します.

大量のデータ群を等分割し,それぞれで平均値や合算値を算出して分析したい場合があります.
例えば以下のようなデータです.
想定されるのは,条件Aと条件B(被験者A,被験者Bなど)において,ある課題をやらせた際の時系列によるパフォーマンス・スコアや心拍数データなどを分析するといった場合です.

ところが,ここで困ってしまうのはサンプリングされたデータの数です.
条件Aと条件Bで比較したいんだけど,素直に上図のように並べてしまうと,まるで両者が異なる結果のように見えてしまう・・・.
つまり,そこで「困ってしまっている」こととは,「本当はこの両者に「違いが無い」ということを言いたいのに,グラフや表にすると「条件間でデータが異なる」と見えてしまうことです.

たしかに,例えば「課題をこなすために要した時間が異なる」ため,その時系列データは条件間で違ってきてしまう.でも,ここで気にしたいのは「課題達成時間」はもちろんですが,その課題を達成する中にあって「変動したデータのパターン」である,という人は少なくありません.

これをなんとかしようと,以下を試みる人がいるでしょう.

このように,例えばデータを5等分して,それぞれの平均値を算出しようというものです.
条件Aは上図のように,そして条件Bはこんな感じで↓

条件Bはデータ数が12個ですので,5等分することができません.
そこで,ちょっとずつズラしながら平均値を算出.
(最後は飛ぶことになりますが↓)

こうして平均値を算出し,グラフを作成してみると,こうなります↓

目論見どおり,条件間で当該データの変動パターンは同じであることが分かります.

今回例示しているデータは分かりやすくするため15個と12個のデータにしていますが,実際こうしたものを前にして困っている状況というのは,データが何百何千とある,そして,被験者や条件がたくさんあるという場合です.
しかも,とりあえず5等分してみたけど,やっぱり10等分にした方がいいとか,20等分の方が都合が良かった,なんてことで分析方法を変更しなければならないこともよくあります.
つまり,これをいちいち手作業していたら,冗談じゃなく本当に日が暮れてしまうという状況ですね.

それを,エクセル関数を使って自動化してしまおうというのが今回ご紹介するものです.
さっそく以下より手順を示しましょう.

条件Aの5等分平均値をF列2行目以降に算出しようとしています.
長いので,この図の下に関数と式を示しました.


=AVERAGE(OFFSET(B$2,COUNTA(B$2:B$16)/5*$E2,0,COUNTA(B$2:B$16)/5+1,1))

解説していきます.
AVERAGE関数の中身に「OFFSET関数」を使うことで,データの等分処理が容易になります.

OFFSET関数に関する説明は他のサイトに譲るとして,ここで何をしているのかというと,
B列2行目を基準として,B列のデータ数の5分の1個のデータ数×範囲数の行と列を参照しています.
等分するためのデータ数を数えなければいけませんので,COUNTA関数でデータ個数をカウントしています.それを「5」で割っているのです.
その後ろで,E列に用意した区間番号を参照して掛け算しています.

これで,基準セル(B列2行目)からデータの何等分離れたところを選択するのか指示しているのです.「0」のところは,基準値から0区間目,つまりB列2行目から参照開始しますよ,ということです.

OFFSET関数の後半部分である[高さ]の部分ですが,ここが参照範囲を選ぶところです.ここもCOUNTA関数でデータ個数を出し,それを「5」で割って5等分します.
そして,その後ろに「+1」を付けています.これは何かと言うと,データ個数が等分したい数字では割り切れない場合,OFFSET関数では余ったセルを自動的に省いてしまいますので,そうならないようにするためです.詳細はこの下で述べます

これをオートフィルすれば↓

一発で条件Aの5等分データが出来上がります.

さらにこれを右へオートフィルすれば↓

一瞬にして条件Bの5等分データも出来上がるのです.
グラフにしてみればこうなります↓

え? さっきとグラフや算出値が違うじゃないかって?
そりゃそうです.OFFSET関数の後半部分を思い出してください.
【 COUNTA(B$2:B$16)/5+1 】
というように,平均値を参照する範囲を手作業と違い1つ増やしているからです.
だからセル1個分のデータの影響を受けることになります.

これについての解釈はデータの質にもよりますけど,このような15個や12個のデータでは影響が表出しやすいですが,何十何百というデータになれば誤差範囲になると考えられます.
(そもそも,例に示したようなデータ数なら手作業でやったほうが早い)
それを言い出したら,「+1」を付けなくてもいいんじゃないか? と考えられなくもないのですが,これは分析上の好みの問題かもしれません.

いずれにせよ,こちらが提示したいのは「抽出された範囲全体を100%として,それを等分するとこうなります」ということですから,その分析目的にかなっていればOKです.
つまり,生データであれば違いがあるように見えるが,相対的なデータに加工すると類似パターンが現れてきた,という統計処理と示し方ができるようになるのです(もちろん,その逆も然り)↓

この方法を用いれば,データ処理の変更も容易です.
5等分じゃなくて3等分にしたいと思えば↓


=AVERAGE(OFFSET(B$2,COUNTA(B$2:B$16)/3*$E2,0,COUNTA(B$2:B$16)/3+1,1))

このように,先ほどのセルで5等分を指示した部分を「3」にすればいいのです.

そうすれば,オートフィルを繰り返して↓

あっという間に3等分にしたデータ処理が出来上がります.

上述してきた例ではデータ数が少ないので無理がありますが,以下のように大量データと大量処理を前にすれば,この方法の真価が発揮されます.
4条件で最大1999個のデータを20等分したのがこちら↓

H列2行目のところに,こんなものを入れてオートフィルしています.

=AVERAGE(OFFSET(B$2,COUNTA(B$2:B$2000)/20*$G2,0,COUNTA(B$2:B$2000)/20+1,1))

さすがにこういうデータは手作業ではできませんが,この手法を用いれば,条件間でデータ数が異なる場合の処理も容易です.


最近の測定器やデータ処理ソフトでは,上述してきた相対的な加工・処理を施したものを出力してくれるものもありますので,このような作業をすることは少なくなっています.
しかし,どうしても自力でやらなければならない場合も当然あるわけで.
「面倒だからそういう処理をするのはやめよう」と諦めないためにも,知っていおいて損はないでしょう.


その後の統計処理については,こういう記事を参考にしてください.

関連記事
Excelで多重比較まとめ
ExcelでTukey法による多重比較
ノンパラメトリック検定で多重比較したいとき
ノンパラメトリック版Tukey法による多重比較「Steel-Dwass法」
エクセルExcelでの簡単統計(対応のあるt検定と多重比較)

ちょっとした統計処理上のエクセル小技はこちら
エクセルで相関係数のp値を出す
エクセル散布図で相関関係・相関係数を確認する便利な方法
エクセルで大量のデータを処理したいとき
エクセルだけで統計処理する卒論・ゼミ論用アンケート調査のオススメ方法 part1
点数・得点を段階評価するためのエクセルシートの作成

その他,こういう怪しいブログ記事よりも,ちゃんと勉強になる書籍もご紹介しておきます.
詳しくは,
独学で統計処理作業をスキルアップさせるための本
を御覧ください.

2016年11月25日金曜日

セクハラ教員と被害学生

さて,前回の続きです.
男子教員と女子学生
大学における教員と学生の艶っぽい事情について,具体例を挙げてご紹介してきましたが,これが何かのトラブルになると艶っぽいなんて言ってられない泥沼な話になっていきます.

教育現場での出来事ですから,たいていニュースとして,少なくとも週刊誌のネタとして世間様を騒がせます.
学校や大学は世間体を大事にしますので,教員と学生による男女関係のもつれは極力避けようとするものです.

教員と学生の間には「採点評価」を伴う力関係が働きますし,なによりその採点評価に「公平性」が求められますので,同じような主従関係と考えられる「上司と部下」「雇用主と雇用者」「依頼人と請負人」といったものとは質的に大きく違います.
例えば,「この授業で彼女の成績が良いのは,先生が彼女の彼氏だからだ」という目で見られてしまうのは避けられませんからね.
これは,「あの政治家が日本の国益を損なうことを提案し,中国に甘いのは,その政治家が中国国籍だからだ」という目で見られてしまうのと同様です.
教育や政治というのは非常にデリケートなのです.

「教員にセクハラなどの性犯罪が多い」という話があります.
これは間違いです.
「そんなバカな! 教員が生徒に手を出した.盗撮したっていうニュースがたくさん出てるじゃないか」などと本気で言ってる人は,もう手遅れでしょうが,まともな学術教育を受けることを強くお勧めします.

このブログでも紹介させていただいている和田慎市先生の著書でも「教員の犯罪率の低さ」は取り上げられていますし,毎年発行されている犯罪統計でも,教員は職業人口を分母とした比率でみても性犯罪(わいせつ)は低い職業であることが知られています.
平成24年の犯罪(警察庁)

もっと言えば,毎日大量の女子生徒や女子大生と濃密に接しているにも関わらず,これだけの性犯罪の低さを保っている事自体が凄いことだと思っていただきたい.
現在,教員を担う者の多くには,教育者としての資質が備わっていると考えるのが自然です.

ここで言う資質というのは,「性欲を我慢することができる」ということだけを指すのではありません.
私の場合は「色恋沙汰に極度に鈍感」という資質を持っているようですが,それ以外にもよく見られるパターンとしては,
1)女好きのくせに世間体をメチャクチャ気にする
2)マジでまじめに女子生徒を「教育対象」として見ている
3)栄誉や勝利よりも,地味で目立たないことを好む
という人達です.
これに,大学教員なら.
4)知識欲を前にすれば,性欲は二の次
が加わります.
一般人の感覚とはかけ離れた人達がホントにたくさんいるのです.
元来,学校の教師や大学教員というのはそういう人種が揃っています.
ようするに「民間感覚」ではないし社会経験も少ないから,ちょっと変わった人が多いのですね.

しかし,この「社会経験に乏しく民間感覚に欠ける」という評価には注意が必要です.
これをまるで悪しきことのように捉える節がありますが,私はそうは思いません.
学校教育や大学教育を民間感覚でやられたらたまったものではないからです.

事実,民間あがりの教員は,元来の教員よりもトラブルや犯罪を頻発させます.

驚異的な打率で不祥事を量産したことで有名なのが,大阪・橋下市政下での「民間出身校長」です.これはネットを調べればたくさんニュースが出てきます.
民間から教師を登用するからこんなことになる.当然の帰結です.

自己利益を最大化しようとする大人の論理,我田引水を是とする民間感覚にまみれた人間が,大量の「女子生徒」や「女子大生」,のみならず,母親や女性教員に溢れた場所で仕事を始めるのです.
それで問題が起きないわけがない.

彼らは自己利益を最大化し,巧妙に我田引水することに長けています.社会経験豊富で,民間感覚に優れるというのはそういうことです.
そんな彼らが,「教員と学生という絶対的な主従関係(©世間様)」を手中に入れる.
資質のない人間に,この「力」は危険です.

力に溺れ,暴力的で威圧的な態度をとり,卑猥な欲望をさらけ出すのは目に見えています.なぜなら,それが民間感覚だからです.
教師はたいていのことは許されるし,その気になれば生徒や保護者に圧力をかけて操ることもできます.けど,それをやらないのが一般的な教員です.
ところが,民間感覚の人間はこの状況で「自己利益の最大化」と「我田引水」をやってのけてしまいます.彼らの常識の中ではそうなのでしょう.

結果,気づいた時には問題教員,もしくは犯罪者になっている.
彼らの合言葉は「社会に出たらそれは通用しない」ですが,教育界という社会で自分が通用していないことは認めようとしません.

そもそも,彼らの言う「社会経験」というのも妙な話です.彼らにしたって今まで自分が生きてきた社会しか知らないのですから.お互い様でしょう.
だから民間出身の教師は,教育現場という社会に適合できずトラブルや犯罪を頻発させるのです.
これはちょうど,「俺は体力もあってスポーツ万能だぜ」と意気がってる野球少年が,卓球少女にコテンパンに負けるのと似ています.もちろんサッカーをやればサッカー少年にもボロ負けします.
野球で優秀な選手,イコール,全てのスポーツでも優秀である,とはなりません.これと同じことが教育業界の「民間出身教員」にも言えます.

もういい加減「教師は世間知らず」だとか「社会不適合者だ」とかいう侮辱はやめるべきです.
民間出身の教師を積極登用するという社会実験の結果,むしろ,これらの文句が壮大なブーメランであったことが実証されています.

大学教員にしてもそうです.
民間で働いていたことを理由に大学教員として採用することが,昨今のブームなんです.民間感覚を教育現場に入れなければいけない,みたいな風潮は大学が先駆けて取り組みました.
こうして大学業界に入ってきた人たちは,もちろん,皆が皆と言うつもりはありませんが,たいていタチが悪い.

私の知る限り,やっぱり女子学生とそっちの話でトラブルを起こすことが多いし,事務職員さんとも上手くいかない.
でも本人は至って有能なつもりでいて,「民間ではそれは通用しない」などと言い出し,職員をいじめます.
じゃあ肝心の教育・研究業績の評判はいいのかっていうと,全然ダメ.

これらのことは,元民間の教員に限った話ではありません.
むしろ,民間感覚に憧れている「普通の教員」はもっと危険です.
こういう教員は,自分が民間出身ではないというコンプレックスがあります.その代わりに,どうでもいい小規模な産学連携とか,企業との合同事業の経験を痛々しく誇ってみせたがるので判別が容易です.
そしてやっぱりセクハラオヤジとして学内で名を馳せており,セクハラするくせに本人は「学生目線」を大事にしています.で,それをこじらせ,己の手に余る大学改革プロジェクトに体をねじ込んで楽しんでいるのがこの手の教員の法則です.

おや? まるで東京と大阪の歴代首長を見ているようですね.
・・そう.教育界で起こっている問題とは,この国の中心で起こっている問題が投影されているものです.
都市部に溜まった膿が,「教育」を通じて地域に拡散していきます.

「この国を立て直すには教育が大事なんだ」
と声高に叫ぶ人がいます.
たしかにそういう側面もあるでしょう.
でも,「だから教育はこんなふうに改革すればいい」などと口出しするメンタリティが国民にある限り,教育は絶対改善しないでしょう.


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2016年11月24日木曜日

男子教員と女子学生

「男の先生と女子学生との間で,怪しい関係になることってあるんですか?」
という質問を良く受けます.
そうならないよう日々配慮しているのが大学内部ではあるのですが,どうしても人間らしい一面は出てきてしまいます.

「女性の先生も,男子学生と何かあったりしないんですか?」
などということで,同僚の中でもこの手の話題で盛り上がることがあります.

映画やドラマの設定や展開としても,「男子教員と女子学生の恋愛関係」というのは頻出します.それが基で結婚まで向かうという噂も耳にしますね.
では実際はどうなのかというと,結構あります
あるから,予防と火消しが慎重に行われるのです.

これは教員と学生に限らず,医師と患者,弁護士と依頼人なんかもそうだと思います.
目指すべき目標を共有する関係では,自然と信頼感が宿って親密になっていくものです.
かく言う私も,自覚はないけどそんな状況に陥っていたことがあるらしい.

前任校を出る際,卒業生の一人からこんな話を聞きました.

「先生って,その後◯◯さんとはどうなんですか? これからは遠距離なんですか? めっちゃ気になります!」
◯◯さんというのは,その学生と所属ゼミが同じだった女子学生で,友人というほどでもないけど知った仲だったわけです.
その後? 遠距離?どうなんですかって言われも,どういうこと? って聞き返したら,
「だって,◯◯さんは先生のこと狙ってたでしょ.学生の間では有名でしたよ.だから,あの後どうなったんかなぁって」
ですって.
ぜんぜん身に覚えがない話だったのでパニクりつつ驚いていると,
「先生,それはいくらなんでも鈍感すぎます」

当時,◯◯さんとその学生は,卒業論文のテーマの都合で私が指導することになっていたのです.
必ずしも所属ゼミの担当教員が論文指導するわけではない,というのは大学内部ではよくあることです.
そんなわけで,この2人は研究計画,データ分析,論文執筆といったことをするため,私がいつも仕事をしている研究室に頻繁に出入りしていました.

「◯◯さん,先生の研究室にいつも行ってましたよね.しかもずっといるし.私が来たときには既にいて,私が帰ったあとも残ってる」
でもね,こちらに言わせればそれは「勉強熱心なまじめな学生」という評価でしかないのです.むしろ,君のほうに対しては「もっとちゃんと取り組めよ.◯◯を見習え」と思ってたくらい.

でも,言われてみればたしかに,ということはあって,例えばデータ分析を私のデスクトップPCでやった際,「出来たよ」って画面を指し示したら,私が座ってる椅子の肘掛けに手をつき,めちゃめちゃ接近して覗き込んできたことがありました.
私としては「パーソナルスペースが狭い子だなぁ・・・」って思てただけなのですけど.
パーソナルスペース(wikipedia)
「こっちはそれを後ろで見てて,笑いを堪えるの必至だったんですから.あの時先生,◯◯さんに『データは送ってるから,そっちのパソコンで見て』って冷たく言い放ちましたよね」
そりゃそうでしょ.卒論指導なんだから.
彗星じゃあるまいし,たまに異常接近してきたぐらいじゃ気づかないですよ.
でも,彼女曰く,他にもいろいろ「狙ってる」ことを示す行動があったとのこと.

「◯◯さん,ほぼ毎日お弁当を持ってきて研究室で食べていましたよね」
でも,そこでは卒論の話が多かったし,第一,その場には君も一緒にいることが多かったたし.それに,私がいない時も入って食べていたわけだし.
私も学生の頃はそんな感じだったから,これを不思議だとは思わなかったんです.
※事情を説明しましょう.
教員が不在の研究室に学生が入る,っていう風習は本当はダメなので(機密書類等があるから)是正するような勧告が出ています.でも,データ分析とか資料利用のために研究室の「隠し鍵」を用意し,学生に利用させている大学教員は多いものです.私もやってたという元・学生の読者も多いのではないでしょうか.それに,大学によっては落ち着いてランチを食べるための場所探しが大変なところも多く,こうした「ゼミ生」の特権を行使する3・4年生は少なくないんです.

「◯◯さんが先に研究室にいる時は,いつもドアが閉まってますよね.先生はドアを開けっ放しにする人なのに.開ける時,今日は何かが始まってるんじゃないかといつもドキドキしてました」
あぁ,これはたしかに問題だなぁと思っていたことです.件の彼女は,研究室に来るといつも決まって研究室のドアを閉めるんです.これに改めて「開けといて」っていうのも変だから,閉めっぱなしにしてはいたのですけど.
※事情を説明しましょう.
特に,研究室で学生と二人っきりになる状況では,ドアを閉めないようにとの勧告が我々には出ています.ところが,ドアを開けっ放しにして学生と面談するなんてことできないし,教員への相談事の場合は学生がそれを嫌がる場合もあります.それに,夏はまだしも冬は寒いのでドアを開けっ放しにすることはできません.実際,「学生が求めればドアは閉めても良い」「暑い/寒い場合は閉めても良い」という,かなり適当な勧告なのです.研究室のドアを開けておくというのは欧米で実施されているようですが,それは廊下を含めた建物内全体が冷暖房されている所で可能な話です.日本のように節電意識が高い所でそれはできませんし,教育において師弟関係意識が高い日本では難しいですね.

「◯◯さん,4年になってヒラヒラの服を着るようになりましたよね」
知らんがな.

「メイクも派手になった」
分かりません.

そんな前任校での逸話を,仕事の合間に教職員でしておりました.
そしたら,その中の女性職員さんが笑いながら言うんです.「でも先生って,ホントに鈍感なんですね」って.
あらためて言うほどでもないのに,と言い返したら,
「だって,その卒業生の女の子も,きっと先生に気があったんでしょ.だから卒業後も訪問してきて,そんなことをわざわざ聞いてきたんですよ.なんかそんな気がします」
ですって.

あ,なるほど・・・.その瞬間,それまでバラバラだった事象が,一気に統合されます.新しい学術的考察を思いついたときのような,あの高揚感が迫る.
言われてみれば,そのあと彼女とは「せっかくだからドライブしましょう」ってことになって遠出したんです.思い出してみれば,あれもこれも,もしかしたら.
でも,完全ノーマークでしたね.やっぱり鈍感なんですかね.

とは言え,それくらい鈍感な方が「問題」を起こさないから良いと思われます.
我が道を行きましょう.

※以上の前置きをふまえ,続編がこちら
セクハラ教員と被害学生

2016年11月23日水曜日

テレビのない生活の音楽

私の自宅にはテレビがありません.
テレビを見なくなって,かれこれ15年になります.
そんな話を先日しました.
テレビのない生活を15年送ると
テレビのない生活のすゝめ

そして,テレビのない生活に特段のメリットや恩恵があるわけではないことも,そこで述べてきた通りです.
テレビのない生活とは,不便なわけでも自慢できるものでもない,実際のところどうでもいいものです.まだまだ珍しい存在なので,レアキャラとしての価値があるくらいでしょうか.
珍しい話題なので,せっかくですからもう一つ記事を書いておこうと思いました.
似たような境遇の人,これからそうなる人にとって参考になるかもしれません.

「テレビも新聞も見ずに.どうやって世間のニュースを知るんですか?」
という疑問を持つ人もいるようですが,これについては上述した過去記事でも述べたように,
「特に問題を感じない」
ですし,そもそも,
「いち早くニュースを知ったところで,正しい判断ができなければ意味がない」
ということをお話しましたね.

さて,この “ニュース” 以外によく聞かれるのが,
「最近のブームとか音楽とかどうやって知るんですか?」
というものです.

たしかにこれは「知りません」.知るつもりもないし.
テレビやラジオを中心としたコマーシャルを展開する分野からは,完全に取り残されます.
「AKB48」というアイドルがいることを最近知りました.私の中でアイドルと認知しているのは「安室奈美恵」とか「華原朋美」あたりが最後になります.
あぁ,他にもそう言えば「モーニング娘」ってのがいたな,って感じです.でも,彼女たちについては高校の同級生が熱心なファンでしたが,ちょっと気持ち悪くてついていけませんでした.

そう・・.
ついていけませんでした,テレビに映っている世界に.
今思えば,テレビが故障したのも僥倖だったのです.

テレビがなくなると,流行りの音楽,すなわちテレビから流れてくる音楽が無くなります.途端に「最近ブームの◯◯」っていうものへの関心もなくなるんです.
不思議なものです.

なので,音楽への興味も足かせが取れたように自由になりました.
なんというか,本当の意味で「気の向くままに音楽を聞けるようになった」のです.

最初のうちは,映画を見ることが多い手前,映画音楽とか,あとは「イージー・リスニング」っていう分野に手を出していました.
イージー・リスニング(wikipedia)
どっかで聞いたことがあるなぁって思うけど聞き流せる音楽っていうんでしょうか.
本を読んだりネットをしながら聞ける音楽として役立てていました.

ところが,そのうち “イージー” じゃない重厚なものにも手を出したくなるのが人間というものです.最初は釣り堀で魚釣っていても,そのうち海や川で釣りたくなるのと一緒です.

私は学生時代にTSUTAYAでひたすら映画を借りていた,というお話をしたことがありますが,実は同時に音楽CDも借りていました.
始めのうちはイージー・リスニング系統を借りていましたが,そうこうするうち「この曲の元になったクラシック音楽やジャズを聞いてみたい」ということになります.

そんなこんなで,今ではクラシックかジャズしか聞きません.
クラシックとかジャズって,高校生の頃までは嫌いだったのに.人の好みは自分自身でも分かりませんね.
これもテレビを見なくなったことの作用だと思います.

その転機となった曲,当時の私に影響を与えた曲を3点紹介させてください.

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」第一楽章
いまだによく聞きます.まさに「田園」って感じの曲です.
なんかのCDにこの部分だけ入っていて,それを聞いたのが最初です.
この曲がどれだけ凄いのか,ってことではなく,20歳の私にとって「これがクラシック音楽の魅力だ」ということを強烈に印象づけた曲なのです.
一般人である私にとって,ベートーヴェンなんて「運命」くらいしか知らないですし,聞いたこともなかった曲なだけに「クラシックって意外と凄いじゃないか」と感じさせた思い出深い曲なんです.
ご存知ない方はぜひ.

パッヘルベル:カノン
パッヘルベルのカノンというやつです.
これもクラシックを知らなかった私にとっては印象深い曲でして,ミロのヴィーナスの如きパーフェクトボディな曲ですから,一時期ハマりました.で,いろいろな人がいろいろアレンジしているのをたくさん聞いてきましたが,やっぱり普通のもので丁寧に演奏されたものが良いと思います.
マンネリ気味な曲ですが,気が向いたときには聞きたくなる曲です.

ホルスト:木星
木星以外の「惑星」全体も良い曲です.
こういう壮大で物語性の強い曲が「スターウォーズ」なんかの映画音楽に影響を与えたんだろうなって,ちょっと評論家じみた生意気な意見を持つようになるきっかけになりました.
さらに,ちょうどその頃,平原綾香が「ジュピター」っていう歌を出していましたね.テレビを持っていない私は平原綾香のジュピターなんて知りませんでしたが,オリジナルである「木星」は知っていたので,図らずも大学でドヤ顔できたことが懐かしい思い出です.
ちなみに,その後すぐキャサリン・ジェンキンスが「我が祖国よ,汝に誓う」っていうネトウヨが泣いて喜びそうなナショナリズム満載のイギリス聖歌を出しています.
いかにもイギリスらしい曲と歌詞ですが,平原綾香のジュピターが霞んで見えるほど魂と気合が入った一曲です.


上に挙げたのは,私にとって記念すべき思いました位置づけとなっている曲です.「これが最強の◯◯」というものではありません.
ラーメンの話題でも述べましたが,人の嗜好というのはそういうものではないと思うのです.
じゃあ,どのラーメンが一番旨いのか?

その人の生活に合った音楽というのがあるのだろうし,聞く音楽に合った生活になっていくものだろうし.
ラーメンも音楽も何事も,「因果関係」は見出だせなくとも相関関係が成り立つのではないかと思えてきます.

そう言えば,最近はプロの「演奏家」の方との共同研究をしています.身体活動という意味ではスポーツも演奏も同じことですから.
研究がてら目の前で演奏してもらったり歌ってもらうことも多いのですが,やっぱり生演奏と録音では違いが大き過ぎます.別物です.
カップラーメンと店で食べるラーメンの違いとでも言いましょうか.

なのでここ最近は,録音された音楽を聞いて「これは良い曲だ」「良い演奏だ」などと評価・判断するのもバカらしくなってきました.
録音された音楽は,あれはあれで独自の鑑賞対象と見做した方がいいですね.

2016年11月21日月曜日

卒業論文と統計学と大学教員と

このブログの読者は,大きく分けて3タイプ.
(1)大学おもしろネタ記事を読む人
(2)教育関係の記事を読む人
(3)統計学の記事を読む人
です.

(1)の代表的記事
【やってはいけない】卒論・ゼミ論を1日で書く方法
こんなホームページの大学は危ない

(2)の代表的記事
反・大学改革論
大学改革論を考える上での良書

(3)の代表的記事
エクセルで相関係数のp値を出す
エクセルExcelでΧ二乗検定を


熱心なご意見をくれるのは(2).匿名で新聞の取材を受けたのも(2)です.
(1)は自分自身も厭世的に楽しんでいる感じです.
一方,閲覧数が一番多いのは,実は(3)です
メールのお問い合わせもこれが一番多い.

本ブログは,実のところ「エクセルだけで無理やり統計解析する手法を紹介しているブログ」として日本ではちょっとだけ有名です.
極めてニッチではあるものの,『エクセル』というアプリケーションが衰退しない限り,このブログも需要があるものと推測されます.

大学教育において参考にされている節もあるようでして,短期間に集中的に(数百回単位で)某大学名を冠したサーバーからのアクセスが見られたりします.
きっと授業などで「このブログ記事を参考にしながら課題をこなしなさい」などと学生に指示されている可能性があります.
日本の大学教育のお役に立てているようでしたら望外の喜びでございます.

最近,リアル界で同僚の大学教員から「統計学」に関する質問を受けました.
卒業論文を指導している上で,統計処理でよく分からない点があるとのこと.
で,こんなことを聞いてくるんです.「このWebサイトに書かれていることを,そのまま使って良いものかどうか?」ということで,

というブログ記事を見せられました.

・・ん? これ,どっかで見たことあるぞ.と思ったら,私の記事でした.

「私が書いたブログなので」って言いたくなりましたが,「いやぁ〜,そうですねぇ.パッと見じゃわからないんで,ちょっと詳しく読んでみますね・・・,・・・うん,先生,この記事は大丈夫だと思いますよ!」と演技して答えておきました.

先般,統計処理上の手順や解釈に関する質問がメールで来たところでもあります.
本当なら「統計学」に関する書籍にあたってほしいのですが,ネットで済ましてしまいたいというのが多くの皆様の本音でもあるかもしれません.

私のブログ記事をきっかけに,より詳しく調べるようになるかもしれません.
今後は統計学の記事として「エクセルで◯◯する」以外に,基礎的な解説を加えていこうかと思います.