2016年4月25日月曜日

被災地訪問とか募金とか

熊本地震をきっかけに言いたいことが次々出てくるので,そのまま書き綴ることにします.
今回は被災地訪問とか募金活動のことです.

いつの頃からか,大規模災害があった地域への芸能人の訪問がブームになっています.
募金活動も相変わらず盛んだし,しまいには「私は◯◯円募金しました」などと公表する人もいたりします.
世も末です.

まず芸能人の被災地訪問ですが,どう考えたって迷惑極まりない話です.
ニュースを見てみると,いついつどこそこに誰が被災地訪問するのか,誰が行かないのか,といったことが記事になっている.
挙げ句の果ては,今回の熊本地震だと,
水前寺清子「なぜ行かないのと言わないで」被災地入りしない理由明かす
とかいう話で盛り上がっています.

水前寺清子さんは熊本出身なのだそうです.でも,だからといって熊本に被災地訪問しなければいけない理由があるのでしょうか.あるわけない.
記事によれば,水前寺さんは被災地の友人から「今は来ないで」と言われているから行かないのだそうです.この友人の方は賢明だと思います.余震が続くなか70歳にもなる女性に来てもらっても危ないだけ.

被災地訪問するとしても,ジャーナリストや政治家,天皇陛下なら許されるとは思います.この人達には被災地訪問の価値があるからです.
ですが,どうでもいい芸能人が被災地を訪問したところでどんな価値があるのか.甚だ疑問です.

というか,あれは明らかに売名ですよね.誰もがそれをわかっているはずです.
こう言ってはなんですが,売出し中か落ち目の芸能人が率先して飛びつく活動のようにみえてなりません.
こんなにダイナミックな売名行為がまかり通るようになった社会の方が恐ろしい.こういう風潮は初期段階でさっさと止めなければいけないと思います.そのうち更なる過激な言動に発展するでしょうから.

老若男女問わず不思議な影響力を持つ芸能人もたしかにいるし,まじめに被災地訪問している芸能人の方もいらっしゃるのでしょう.それはそれで尊敬しますが,まじめな人であれば尚の事,ご自分がなさっている事がどのように飛び火していくのか考えてもらいたいものです.

弱者である被災地としては「来ていただいてありがとうございます」としか言いようがありません.こういうのって意外と拒否できないものです.
追い返すような事を言えば,「せっかく復興の後押しになる機会を芸能人が用意しているのに,それに水を指すのか」と言われかねませんので.
それに,「芸能人の被災地訪問により,被災者の顔に笑顔が戻った」というストーリーが大手を振って了解されるもんだから,どうしても批判しにくいわけです.

芸能人の売名行為であることが了承されていながら,それを支援活動ということで了解しておく奇怪な現象.これはこれで興味深いのですが,極めて不愉快です.
「やらない善よりやる偽善」というのが動機だとされるようですが,なにが善でなにが偽善なのか自覚できているならまだ間に合います,早くやめたほうがいい.
「偽善」よりも「善行」の方が大事に決まっています.当たり前の話です.


もう一つの「やらない善よりやる偽善」が,募金活動です.
今回の熊本の震災でも,またぞろ募金活動が始まりました.
募金活動について堂々と批判するつもりはありませんが,私個人としてはこういう大災害があっても募金はしないことにしています.

日本は,募金活動しなきゃ救助・復興できないような国ではありません.それくらいのこと,この国で何年か暮らしていれば分かるはずです.
救助活動や瓦礫撤去をしたいけど,救急隊や作業員に支払う賃金が足りなくて用意できませんでした,というのは聞いたことありません.そもそもこういうのは予算があろうがなかろうが準備してやることなので当然ですが.

じゃあ復興にかかる費用としての価値が募金活動にあるかと言うと,それも怪しい.
復興や補助金にしたって,国が必要なだけ予算を立てれば済む話です.義援金や寄付が少なければ,その分を国庫から多く出すだけのこと.
その予算は国民の税金から出ているのですから,募金しなくても我々のお金は被災地に流れるようになっています.

「これはノブレス・オブリージュの精神だ」とか言い出す人もいますが,バカ言っちゃいけない.日本のような政治体制のなかで,そこらの平民や芸能人ごときがノブレス・オブリージュの精神なんか発揮できるわけがありません.身の程を知るべきです.

ノブレス・オブリージュの精神が本当にあるなら,黙って分からないように寄付すべきです.誰がどういう経路で寄付したか分かる状況にするのは最悪です.
(もちろん,黙ってたけどバレたというのは違いますよ)
というか,ノブレス・オブリージュの精神が無いもんだから「寄付しました」などと公言しだすわけで.
それにつられてまた別の奴もやりはじめる.

そのうち「義援金の使い道はどうなっている」とか「正しく行き渡っているのか?」とか文句が出てきて,詐欺の疑いもかけはじめます.実際に詐欺もある.
ノブレス・オブリージュの精神があるなら,そんなこと最初から気にしなければいいのに.気にするくらいなら自分勝手に金を出すべきではありません.

公的機関の会計係にしたって,被災地にさまざまなルートから義援金とか寄付が入ってきたら,その状況把握が面倒なことこの上ないでしょう.どこそこには潤沢に入ったけど,こっちには少ない,じゃあ公的資金のバランスも調整しないといけないな等々...,ただでさえ忙しいのに,余計な仕事増やしているだけなんじゃないか,そんな苦労が目に浮かびます.
で,調べたら実際そうでした↓
http://www.asahi.com/articles/ASJ4Q42JXJ4QUEHF004.html(朝日新聞)

義援金や寄付金の行き先がどうしても気になるなら,そして,本当にノブレス・オブリージュの精神があるなら,記録を残さず国に振り込めばいいんじゃないですか? その方が誰もが助かるはずです.というか,そのために「政府」があるんだし.

私にはノブレス・オブリージュなどという高貴な精神はありません.もし私にも出来ることがあるとすれば,例えば熊本に誰か友人がいるとして,そいつがのっぴきならない理由で今にも死にそうだというのなら,お金の100万や200万はもってけドロボーとばかりに差し出すでしょう.
でも,知らない人なら話は別です.知らない人に個人的にお金を差し出すのは変な話ですよ.だから知らない人の救済は税金という形で協力し,政府に任せています.

何をするにも基本を大事にすべきです.
救助や復興は自治体と国が主導し,消防,警察,自衛隊,そして医療関係,土木建築関係の方々がそれに取り組むことが基本となります.
そこで働く方々に支払う賃金や,必要となる資材費用が国庫から用意できない非常事態になれば,はじめて義援金が価値を持ちはじめるのです.そんな事態にはなりませんけど.

実際,東日本大震災ではお金が余って困っていましたね↓
東日本大震災の復興予算、計9兆円が使われず!5兆円は未だに国庫の中!(2015年3月時点)

それでいて復興作業は遅々として進まないと困っているわけで↓
(東日本大震災5年)「復興遅れる」首長45% 3年前の見通しより(2016年3月)

つまりお金が足りないのではなく,使い方がマズいのです.
人手不足で人件費が高まり,資材費も高騰しているのに事業予定価格は低いまま.そんな状態で仕事が進むわけがありません.
人手不足の解消方法(←2014年時点での状況)

赤字覚悟で仕事を引き受ける企業なんてそうそうありません.だから復興の基盤であるインフラ整備や住宅開発は進みませんでした.未だ15万人以上が仮設住宅です(2016年3月現在).
インフラと住宅がないところに町なんかできるわけありませんし,仕事もなければ都市部に人は出てしまいます.人が居ないところが復興などするわけがない.

なのでこれは政府の舵取りの問題ということになりますが,それ以上に留意したいのは,こうした政府の舵取りを許してきたのも国民だということです.
※細かい話はコチラでしました→■震災のたびに思うこと

まとめますと,こうした諸々の不協和音の元凶と思われるのが,
やらない善よりやる偽善
と,
ノブレス・オブリージュの精神
なのです.

偽善なのに「やった」という規程事実の認識を持ち,平民のくせに貴族面をしたがると,いよいよ「震災復興に自分たちも主体的に関わっているんだ」と勘違いする奴が現れます.
専門家や為政者(貴族)がやるべきことに,平民感覚で口出ししようとする連中が増える.これが厄介です.

実は大学教員にも募金活動が好きな人はいるものです.
以前,教授会が終わったあたりでそんな教員が募金箱を取り出し「皆様もご協力下さい」とか言いながら箱を抱えて部屋を回りはじめました.
迷惑極まりない話です.

ノブレス・オブリージュの精神がある人なら,この募金はきっぱりと断ることでしょう.代わりに別の形で必死になって貢献できることを探すはずです.
先ほど言いましたように,私はノブレス・オブリージュの精神は持ちあわせていませんので,財布から500円玉を取り出して入れてあげました.

「おいおい募金してるじゃないか」と思われたかもしれませんが,私にとってこれは被災者のためではなく,その募金箱を抱えた教員に対する500円なのです.
乞食に対する「施し」のようなもの.決して被災者のためを想った行動ではありませんでした.
結局のところ,募金活動なんてそんなものではないかと思うのです.

※なお,本記事は全ての被災地訪問や募金活動の意義を否定しているわけではございません.誤解無きようお願い申し上げます.