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面倒見の良い先生になる方法:初年次教育

文部科学省のホームページに,こんなのがあります.
日本の大学では、教育内容・方法等の改善がどれくらい進んでいるのでしょうか。(文部科学省HPより)

「どんどん悪化していますよ,お前らのせいで」
と答えたい問いですが,今回はそういう本質的な話をしたいわけではありません.
そういうのは過去記事を読んでもらうとして,どんどん悪化していく大学教育の中にあって,それでもそれに従わなければいけない人々のための参考になればと思い,キーボードを叩いております.

これはちょうど,「住んでいるマンションが耐震構造基準を満たしていない」とか「災害危険エリア内だった」という悩みを解決することも大事ですけど,目下,排水口が詰まって逆流してくるとか,隣のベランダからタバコの煙が流れ込んでくるといった悩みについて考えることも大事.それと一緒だと思ってください.

桜舞い散るこの季節,さっそく今週・来週から授業が始まるという大学の先生方も多いのではないでしょうか.
今回のテーマは「初年次教育」です.
科目名として「基礎演習」とか「基礎ゼミ」とか「初年次演習」などといった名称がつけられているのが代表的な初年次教育です.
やる側にしてみると結構悩み多い授業でして,一部の教員達からは「クソ演習」とも呼ばれています.

ところで,上記の文科省HPの先では,こんなことを取り上げているのです.
該当するPDFページはこちら:平成 25年度の大学における教育内容等の改革状況について
その18ページをご覧ください.「初年次教育の実施状況」というのがあります.

最近の大学は,“授業内容・方法等の改善” の一つとして,初年次教育というのに取り組んでいます.
文章やレポートの書き方,ノートの取り方,プレゼンの仕方,図書館の使い方,あとは将来の就職に向けた意識づけなどが,その実施内容です.
文科省のデータにもあるように,平成25年時点でほぼ全ての大学(94%)で取り組まれている授業です.

最近の大学のことをよくご存知ない方にとっては,「え!? そんなこと教えてるの!?」とビックリされるかと思います.
たしかに以前は「Fラン大学が学生の底上げのために取り組むもの」といった目で見られていました(それはそれで間違った認識なのですけど).

その先駆けとなるものは十数年前からありましたし,もっと言えば,各大学では初年次生(1年生)を対象とした,その大学独自の「学生入門」的な授業は既に実施されていました.
当初は「学問に対する心構え」とか「学術性とは何か」といったことを,それまで学校の「生徒」であった入学生に,大学の「学生」となるための姿勢を染み込ませる目的で設置されていたようです.

ところが,ここ最近(2000年代初頭から)は,
「そういうのも大事だけどさぁ,今の学生は本も読まないしレポートも書けないような奴らだからさぁ,そんなお堅いことを1年生に問いても不毛な気分になるんだよねぇ」
といった意見が学内・教員からも頻出することから,せっかくだからこの「学生入門」的な位置づけとなっている授業の時間を,
「図書館の使い方」とか
「レポートの書き方」や
「プレゼンの練習」
なんかに当てた方が効率的ではないか,ということになってきたのです.

少なくない教育者は,何の脈略もなく「本の読み方」とか「文章の書き方」とか「発表の仕方」なんてものを教授することはできないと考えます.
私に言わせれば,これらが「出来ない」とされる人なんか日本人の多くにはいなくて,あとはどれだけ「要求に対して(脈略の中で)適切に取り組めるか」が問題となるはずのことです.

「おいしい料理の作り方を教えてください」と言われたら,困るでしょ? それと一緒です.
どんな種類の料理を作るのか,使える道具は何があるのか,時間は,誰に出すのか,そもそも何をもって「おいしい」と定義するのか,といったことが何も提示されないまま教えることはできません.
勢い,「俺は教えられるぜ!」と自信のある人がしゃしゃってきて,
「どうだ!これが俺が作ったラーメンだ!作り方はこうだ」と言っても,
「ラーメンは好きじゃない」「辛すぎる」「ガス代が高くなる」「時間がかかる」「私今ダイエット中」「マンゴープリンを作りたかった」
などと文句を言われることが多いのが初年次教育なのです.

ところが,それを「やれ」と言われて困っている.というのが大学教員の現状.
でも,意外とこういう「なぜ我々は困っているのか」について議論されることは少ないのです.不思議ですね.

多くの場合,初年次教育とされる授業はその大学の専任(所属)教員が多数で手分けして担当します.
私が学生の頃に受けた “初年次教育” は,定年退官された非常勤講師の先生が担当していましたが,最近はそんなことをする大学は少数でしょう.
「責任ある授業なのだから,自分とこの学生の面倒は,自分とこの教員がみる」というスタンスであることが多いものです.実のところは,まさに “面倒” な授業だから非常勤講師にお願いするのは忍びない,というところなのですけど.

前置きが長過ぎるのでここで切ります.

そんなわけで,初年次教育のキーワードの一つに「面倒をみる」というのがあるのです.
この際,初年次教育の意義や課題は気にしないでいきましょう.

「面倒をみる」というマインドを持った活動になっていますので,良くも悪くも “面倒見の良い教員” は初年次教育で初年次生の面倒をみようとします.
ですから,新任の大学教員,そして初年次教育を初めて担当する教員の皆さんに向けて言いたいのは,「面倒見の良い教員(大学)」がどんなことをしているのか御手本とすれば,あなたの初年次教育の参考になるのではないかということです.

入学したての学生たちは,期待とともに不安を抱いている存在です.そんな彼ら彼女らの心を掴むために,面倒見の良い教員は何をしているのか.
例えばこんなことです.

(1)「図書館の使い方」を教える前に,面倒見良く「図書館への行き方」を教える
バカなんじゃないか,などと思ってはいけません.
「図書館の使い方とか言う前に,そもそも図書館すら行ったことがない学生が多いんだよねぇ」っていう意見を基に,図書館がどこにあるのか,どんな構造になっているのかツアーコンダクターのように振る舞うのが面倒見の良い先生です.
必要に迫られたら友達や事務員に聞くでしょ,などという放任的な態度では初年次教育は務まらないのです.
図書館だけじゃなく,情報ルーム(PC室とか)や学生相談室の場所も教えるのも良いかもしれません.
ここまでくると,もはや教員の手抜き・時間潰しのためにやってるんじゃないかと感じることがあっても,それは言ってはいけないのです.

(2)「レポートの書き方」を教える前に,面倒見良く「漢字の復習」や「ことわざクイズ」をやる
気でも狂ってるんじゃないか,などと思っていはいけません.
レポートや論文でろくな文章が書けない学生は,漢字もろくに書けないし,簡単なことわざ・慣用句も知らない.だからそれをテスト方式で,なんなら興味を持ってもらうようにクイズ形式にすることで「まともな文章」が書けるようになると考えるのが面倒見の良い先生です.
短い文章でもいいから厳しく添削を繰り返せば良いんじゃないのか,などという根性論では初年次教育は務まらないのです.
辛くとも,なるべく元気よくやりましょう.

(3)「本を読ませる」前に,面倒見良く「新聞を読ませる」
頭がおかしいんじゃないか,などと思っていはいけません.
文字を読む機会そのものが減ってきている.そんな低次元の学生が多くなってきたのだから,まずは新聞でも読みなさい.最近の政治経済のニュースにも興味が湧いて一石二鳥,といった感じで教えるのが面倒見の良い先生です.
本や資料を読まないと単位が取れない課題を課せば済むことでしょ,などという冷徹な思考では初年次教育は務まらないのです.
来週までに,自分とこの学部学科と関係する記事を探して発表しましょう,などと言ってみるのも面白いかもしれません.

(4)「プレゼンの練習」をする前に,面倒見良く「TEDやジョブズのプレゼン」を見せる
大学の勉強と何の関係があるのよ,などと思ってはいけません.
人前で発表するということ,是則,プレゼンである.カッコ良くクールにプレゼンすることができることは,カッコ良くクールな人間であることを意味する.といった思考でもって,大学生活はもちろん,就活にも役立つことを教えるのが面倒見の良い先生です.
TEDって何?ジョブズって,この前死んだスティーブ・ジョブズのこと? などという野暮な世間知らずでは初年次教育は務まらないのです.
活発な学生が多いクラスであれば,プレゼンコンテストをやってもいいでしょう.

(5)「ネットで提出を義務付ける」前に,面倒見良く「紙媒体でも受け付ける」
それ意味無いでしょ,などと思っていはいけません.
ネットが使えない学生もいる.これはアクセシビリティに関する問題だ.だったら紙媒体でも受け取ろう,というバリアフリーな精神の持ち主が面倒見の良い先生です.
提出物のネット利用を義務付けたいなら,そうしなければいけない環境にしないとダメでしょ.そんなことだから,いつまで経ってもPCやネットに不慣れな学生のままなんですよ,などという人として配慮に欠けるマインドでは初年次教育は務まらないのです.

(6)「履修計画」を立てさせる前に,面倒見良く「学生生活プラン」を立てさせる
なにそれ? などと思っていはいけません.
自分が履修しようと思っている授業はどういうものなのか,なぜそれを履修しようと思っているのか,深く考えないまま適当に授業を履修する学生が多い.ということを嘆き悲しみ,まずは学生生活によって何を得たいのか,どういう進路に進みたいのか明確にするべきだと考えて,「1年生の時に取り組むこと」「4年間で取り組む目標」といった学生生活プランを,小一時間かけて作成させるのが面倒見の良い先生です.
さっき書かせた「学生生活プラン」のプリントが,教室でシワくちゃになって捨てられていますよ,などという冷笑を浴びせるようでは初年次教育は務まらないのです.

(7)「ノートの取り方」を教える前に,面倒見良く「講義の聞き方」を教える
世も末だ,などと思っていはいけません.
ノートがきちんと取れない学生は,そもそも講義をきちんと聞けていなからだ.講義の聞き方をしっかり教えることで,学習効率は高まるはずだと考えるのが面倒見の良い先生です.
短時間のスピーチ(みたいな講義)をやって聞かせ,「今話した内容で一番重要だったことはなんでしょう?」などとクイズを出します.「分かりません」という学生がいたら,「では,次はノートを取ってみましょう.ノートの重要性が分かります」といった展開を始めます.
悪いことは言わない,やめた方がいい,などという非生産的な文句をつけるような人には初年次教育は務まらないのです.


上記の他にもいろいろありますが,まずはこれらを初年次教育で実践していけば,あなたは面倒見の良い先生として確立していくでしょう.

面倒見の悪い先生は,
「やってもやらなくても同じでしょ.以前より改善させていると言うのなら,何がどのように改善しているのか言ってみろよ」
などと偉そうな態度でふんぞり返っているわけですが,そんなことは気にしないに限ります.


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