2016年7月31日日曜日

シン・ゴジラを見てきてしまった

『シン・ゴジラ』を記事にしたことがあります.
ゴジラの新作が出るらしい
ゴジラと巨神兵

私は映画館で映画を観賞する質ではないのですけど,この度ブログで取り上げた作品ですし,せっかくなので今日は休みをとって池袋まで行ってきたのです.こういう感じで簡単に見に行けるのが都会のいいところかもしれません.

あらすじは既にいろんなサイトにアップされているでしょうし,ウィキペディアでも確認できました.
以降,ネタバレもあるので予めご了承下さい.
とは言え,何から何までネタバレするのもなんですから,特に「ゴジラなんて見ないよ」という人がこの作品を見ようと思うきっかけになる内容にしたいと思います.
見ることを決めている人は読まないほうがいいです.

感想ですが,非常に満足しました.
たまには映画館で観るのもいいですね.迫力が違います.
以前の記事でも「新しいゴジラに期待するもの」として触れていましたが,その期待通り,「まじめなゴジラ」をやってくれたと思います.

「少年《私》」はこれが見たかった!
よくわかんない超兵器を駆る自衛隊とか,なんだかわかんない敵怪獣と戦う「ぬいぐるみゴジラ」に猛烈な興ざめを覚えていたのが25年前の「少年《私》」でしたので.

中身としては,「東日本大震災とその原発事故」をベースに,「エヴァンゲリオンのヤシマ作戦」と「巨神兵東京に現わる」を混ぜたような感じです.

やっぱり今作の監督・庵野秀明にとっては「ゴジラ ≒ 巨神兵」でした.
以前,「ゴジラと巨神兵」という記事を書いたのですが,そこでそんなことを書いていたんです.ゴジラを巨神兵として描いてほしいなぁ〜って.
で,完全に巨神兵でしたね.今回のゴジラ.

さすがに日本全土を焼き払うことはありませんでしたが,もし今作の主人公たちの「ゴジラ凍結作戦」が失敗していたら,おそらくそうなったであろうことを匂わすラストでもありました.
ゴジラの尻尾からたくさんの巨神兵が生まれ落ちようとする描写が,そのラストシーンです.

このラストシーンについてはいろいろな憶測ができますが,続編が企画でもされないかぎり,これは庵野監督なりの「ゴジラ ≒ 巨神兵」を暗喩する遊び心だと思います.
私としても続編は期待しません.

今作のサブタイトルは「現実 vs 虚構」とのことですが,そのまんまでした.
まさに「ゴジラ東京に現る」です.

「巨大不明生物が関東平野に上陸してきた」するとどうなるか? っていうシミュレーションを綿密に描いてみせた映画だと思います.
第1作である1954年のゴジラは,今なら,
「おいおい,あんな怪獣が現れたら世界中の注目を集めるし,政府対応もそんなローカルなものじゃないでしょ」
って思わされますが,今作ではそれを丁寧に補完しています.
さながら,「54年ゴジラ補完計画」です.

あとは政治家や官僚・役人を本気にさせるとどうなるか,っていうところですかね.
「がんばれニッポン」みたいな雰囲気が漂うところがありますけど,そういう感じじゃないんですよ.
ここらへんはエヴァンゲリオンの「ヤシマ作戦」が該当します.
大きな目的のために動き出した組織は,まるで一つの生命体のように振る舞います.各部署の伝達は平時とは打って変わって迅速かつ繊細になり,不思議な協調性を持つようになる.それぞれが個体を構成する細胞や神経ネットワークのように.
ここに,社会的生物である「ヒト」,わけても「日本人」が覚える高揚感があります.
庵野秀明監督は,それをまず「エヴァンゲリオン」でやってみた.そしてきっと考えたはずです,これが現実の日本の役所を舞台として描けるのか? って.

それに,やっぱりゴジラは核兵器と核エネルギーをテーマにしていることを再確認しました.今作でもそれが濃厚に充満しています.
核エネルギーで動いているとされるゴジラは核廃棄物によって誕生した生物で,通常兵器では歯が立たないゴジラに国連は熱核兵器で東京もろとも焼滅させようとします.
それに対し日本政府は,ゴジラを血液凝固剤によって「凍結」させようと考え,その方法というのがゴジラへの薬剤経口投与なんです.福島第一原発事故を意識しているのは明らか.

そこで現れたあのポンプ車って原発事故で注水作業に用いたものですよね.
国内最大の生コンポンプ車で原発冷やす(日経新聞)
写真:日経新聞より

そのポンプ車の写真がこれ.

最初は,
「なんでゴジラに経口投与なのよ?」
って思わされたのですが,このポンプ車が出てきた瞬間,5年前の緊迫した福島第一原発事故を思い出させられました.
作業員は,まさに決死の覚悟で注水作業に向かったのですよね.

ゴジラを凍結させる作戦は,このように描かなければならない理由があったんです.

最後に,この映画に登場するなかで最も有能な政治家は誰かっていうと,実はあの安穏のして無能そうな総理大臣代行(前・農林水産大臣)ではないかと思わされます.
頼りなさそうなに見えて,組織の長がすべきことは全てしている.めまぐるしく動く情勢のなかで,ゆく先々のことも考えて決断している.
「どこに判を押せばいいの?」ってセリフが,「日本の代表とはかくあるべき」ということを如実に示しています.
農林水産大臣だった人物だというのも,これまた意味深長です.


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もう一回ゴジラを見てみた

2016年7月30日土曜日

鳥無き島の蝙蝠たち(12)平賀源内

今日は「土用の丑の日」ということで,このキャッチコピーの考案者であるとされる「平賀源内」の名前をよく目にします.
この平賀源内も鳥無き島の蝙蝠の一人です.
現在の香川県・讃岐国を代表する天才であり,変人.
平賀源内(wikipedia)

典型的な「学者」で,おそらく一般人には理解されないであろう気質の持ち主です.
当然のことながら,こういう人が大学には多い.

私の母校にもそんな人がいました.
いつも爪を噛み噛み,急に「魔人ブウ」みたいな奇声を発したかと思うとそのまま走り去って行くのが常.
私が大学PC室で監視業務のバイトをしていたら,突然その先生が乱入,ひとしきり「やわらか戦車」についての持論を大声で展開.私としては「利用者の皆様のご迷惑となりますのでお静かにお願いします」などと言える暇もなく,「はあぁ・・」と呆気にとられているうちに「それじゃボクは帰る!」と言って帰宅していくのです.
たしかに天才でした.その道では凄い人なんですって.

その先生になぜか気に入られた私は,よく晩飯をおごってもらえました.
で,そんなある日,「なんでこんな大学に赴任したんですか?」って聞いたことがあります.
「ボクみたいな人間でも,最近は大学に職を得るのは難しいんだ.でも,ボクを採ってくれる大学は全国どこかに絶対あるので,そこから選んだ.ボクよりも天才はいる.そんな人と有名大のポストを争うほど無駄な時間はない.ボクは幸せに生きれればそれでいい.ここは好きにやりたいことがやれるところだしね.ボクの友達は(某有名)◯大に行ったけど,あいつ雑務が多くて死にそうだって言ってたよ.今じゃボクのほうが業績は上だよ.ザマミロって感じだよ.ヒャ〜ハッハッハ~(笑)」
ってテーブルを叩いて大笑いしてました.レストランの店員とお客さんが一斉にこっち見たのを覚えています.

学内に話し相手が少なかったんだと思います.
話を聞いてくれる私は貴重な存在だったのでしょう.
バイト先であるPC室の女性職員さんからは,
「あの先生をつけあがらせないでください.どんどんエスカレートします」
と注意されたこともあります.
いいじゃん別に民間のPCサービス業じゃあるまいし.

実際,この先生は女性達から嫌われていました.
理由は,「変な人だから」「変な声出して走ってるから」「動きがニワトリみたい」「トークがキモい」「生理的に受け付けない」ってことらしい.

でも,こういう人がいるから大学は魅力があるんだと思います.
ですから尚更,「一般的な感覚で運営経営をしろ」と命令された現在の大学教員の少なくない人が,平賀源内のような末路を辿るであろうことは予想に難くありません.
皆まで言いませんので,平賀源内がどういう晩年を過ごしたのかはご自身でお調べください.
学者は学者で好きにやらせればいい.それが本当の意味で,世のため人のためです.

2016年7月29日金曜日

学校教育対談(3回目)

和田慎市先生との対談も,これで3年目になります.
今回も有意義な時間が過ごせました.

※過去のものはこちら
学校教育対談(2回目)

和田先生は,「理想論」では語れない学校教育現場に存在する切実な問題を取り上げ,それらに正面から向かうための態度と方法を啓蒙している方です.

和田先生にはご著者があります.
 

ウェブサイトもあります.

先生が元気になる部屋(和田慎市ホームページ)

第1回は私と和田先生だけでしたが,第2回では私の大学時代の後輩(東京都高校教諭)とご一緒しました.
そして今回は,さらにもうひとり東京都高校教諭を加えての対談となっています.
今回から参加してくれた高校教諭は,もともと和田先生のご著者の読者でした.まだ20代半ばの若手教師なのですが,着任した学校での生徒指導と職場トラブルに悩まされていた折,和田先生のご著者を手にとったのだそうです.

そんな経緯があったことと,さらには前回から同席してくれている私の大学時代の後輩とかつての職場が一緒だったことから,
「その本の著者である和田先生と会ってみますか?」
と誘いましたところ,「是非」ということになったのです.

いろいろな話題が出たのですが,そのなかのいくつかをピックアップしてみましょう.

(1)生徒は敵じゃない
少なくない若手教師は,生徒に舐められまいとして「生徒と対決する図式」をつくってしまいがちです.生徒のことを,屈服させるべき存在と見做すんですね.
そうかといえば反対に,生徒と仲良しになろうとする教師もいます.
正反対に思われがちですが,ようするにどちらも,教師である自分が生徒からどのように評価されているのかを気にしているという意味では同類です.
こうなると教師にとって学校という職場はつらくなりますし,結果,生徒のためにもならない.

学校での教師の仕事はそういうものではありません.
粛々と生徒のことを第一に考えた指導を進めていけばいい.それは生徒からの評価とは関係のないものなのです.
この部分は,“本質的な意味において” 絶対に世間一般からの理解は得られないところですので,なんとかして教師が(ある意味)開き直る必要があるところです.

(2)良い職場環境を作ることが大事
だからといって,「ほら,これが良い学校だぞ」と理想像を示せるものではありません.
学校現場とは,そこにいる生徒や教師,保護者の数だけ異なります.その中でどのようなアプローチをすれば最適な職場になるのか,個別に検討していかなければなりません.

良い職場であれば,良い教育ができます.
まずは先生たちが働きやすい職場を作ること.
それが教育再生の本質のように思うのです.

(3)ちょっと変わった生徒は大学で開花する
これは私が提供した情報なのですが.
さて,皆さんにお聞きします.「成績の良い学生」は,どのような「入試」を突破してきた学生に多いか予想できるでしょうか?
普通,センター試験や一般入試を経てきた学生が「良い学生」とされています.
たしかに成績の平均値を比べるとそうなることが多いんです.

ところが,前任校の様子や他大学の先生ともお話しておりますと,違う状況がそこには見えてきます.
成績トップ10とか,成績以外で顕著な業績を残した学生リストには,実は推薦入試を経てきた学生が多いんですよ! 意外でしょ.
推薦入試というのは,「AO」とか「スポーツ特待生」とか「指定校」といった,冷たい目で見られる入試のことです.
繰り返しますが,平均値でみると一般入試の学生が良いことはたしかなんです.でも,トップ10とか卒論の取り組み状況とか,学内外でのユニークな活動として際立った成長を見せる学生は「一般入試」には少ない.
まだそんな分析をしたことがないという大学の先生方におかれましては,ぜひこの観点で分析してみることをオススメします.いろいろな大学の先生方とお話してみても,かなり信頼性ある情報だと思います.

これはつまり,大学教育が一般入試に求められる学力と比べて異質なものを求めていると言えますし,高校の先生が「推薦」する生徒さんというのは,なんだかんだポテンシャルを秘めた学生だということでもあります.
もっと言えば,高校の先生は胸を張って生徒を育てていただきたいのです.先生方がお考えになっている「良い生徒」は,たとえ一般的学力が優れていなくても,大学教育において覚醒する可能性があるのです.

逆に言えば,推薦入試で入学させた学生が成績上位にあがってこない大学というのは,(私基準ですが)魅力の無い教育アプローチを展開している大学であるとも言えます.

ある都内の大学で体育の授業をやっているのですが,そこに「自分は指定校で入ったから頭悪いっす」と言っている学生がいるんです.
でもこの学生,授業を率先して盛り上げ,苦手な種目であれば下手なりに,得意な種目であれば全体を見ながら「場」を作ることに貢献します.それはもう見事です.
「期末テストがやばい」と嘆いていましたが,君は大丈夫.きっと10年,20年後に君の能力がフル稼働する時がやってくるでしょう.僕は確信しているよ.

(4)次代の社会を担う人物を育てているという認識をもつ
結局,我々教員は何をしているのかというと,次代の社会を担う人物を育てているんですよね.
彼らの夢や希望を叶えることも大事ですが,それよりも我々人類,少なくとも日本社会の安定のために貢献する人間を輩出することが大事だと思うのです.
だから,例えばいじめ問題があっても「被害者」だけでなく「加害者」も守ります.加害者も次代を担う子供だからです.加害者だけでなく,被害者にも指導をします.被害者にも指導すべき点があるはずだからです.

そういう話をしていたら,お酒の勢いもあって会が終わらなくなっていました.
こういう機会を今後も継続していきたいですし,「会員」を増やしていければと思います.


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2016年7月25日月曜日

大学改革の凄惨さがニュースになっている

ヤフー・ニュースを見ていたら,こんなのを見つけました.
文科省主導の大学改革が国立大学の首を絞める(ヤフー・ニュース2016.7.24)
国立大に対する運営費交付金の継続的な削減が論文数・重要論文数の減少を招いている現状に、文科省主導の大学改革が決定的な打撃を与えそうです。新潟大教授が「年間研究費が3万円に激減」とブログで明かしました。独立法人化以前には研究費が40万円あり、以後やせ細りながらも昨年は10万円だったのに事務経費まで含めてこの金額では何も出来ません。毎年1%の運営費交付金削減は今年に限り見送られており、これほどの経費削減は文科省主導の改革で新学部創設が図られるからでしょう。地方の国立大は旧帝大などのように科研費が獲得できないでも、やり繰りして研究論文を生産してきたのですが、最終的に首が絞められたと言わざるを得ません。
日本の将来が終わってることを示す状況ではあるのですが,今更こんなこと書いても遅きに失するとはこのことです.
「研究費が少ない」なんて話,一般の人には理解されません.
世間様はこう吐き捨てるに決まっている.
「だけど大学教員って給料が高いんだろ? 我慢しろよ」

30歳の頃,私の大学教員としての給与は350万円でした.もちろん手取りならもっと低くなる.
安くはないんでしょうけど,高いとも言えないと思うんですが,どうでしょうか.
たいていの「若手教員」というのはこれくらいの給与です.

そこからパーマネント契約になったり,准教授や教授という職位についたりすることで給与は大幅に増加します.
それも「大学による」というのが実情で,出世しても給与がほとんど増加しない大学もあります.国公立だった大学はその典型です.

あとは財政難により緊縮財政に舵を切った大学ですね.ブラック大学と呼ばれるやつで,契約通りに給与が払われるかどうかも怪しい.
あんまり実名出すのは控えたほうがいいのでしょうが,事例としてこんな記事もあるのでご参照下さい.
http://shinseikiunion.blog104.fc2.com/blog-entry-1858.html
もう定年されている私の知り合いの先生が,この大学をよく知る人です.だから内部事情もよく聞きます.

いや,そんなことを気にしているのではない.
大学教員というのは,給料目当てにやってるわけじゃないからです.
研究活動を糧とする高等教育をせんとするのが大学であり,その教員です.

百歩譲って,給料を上げろとは言いません.研究費は引き上げるべきでした
それが,あろうことか「競争的資金獲得制度」を採用したのです.

競争的な制度にして質が上がるわけねぇだろうに.お勉強ができるだけではダメだということが分かる,典型的な事例ですね.
大学教育を諦める

これにはもちろん内部からの要望もありました.
「研究をしている私と,何もしていないアイツが,学内で同じような扱いになるのはおかしい!」
とか,そんなところでしょう.
こういう専門バカのガキ教員はほっとけばよかったのです.結局,ジワジワと自分の首を締めることになった.

給料は安くてもいいから,研究を好きにやらせるようにすれば望みはありました.
ところが現在の大学改革は,大学教育が目指す理念とは真逆の方向を向いているとしか思えません.
上述したニュースのリンク先からグラフを引っ張ってきました.
日本は,高等教育機関への公的研究資金を惜しみ,そのシワ寄せを教員の「根性」に求めたのです.

http://blog.goo.ne.jp/toyodang/e/bee524311262ac48a89134496e055bfeより

もちろん根性では何もできません.
その結果,論文数は以下のような凋落っぷりを見せます.

あまりにも異常な日本の論文数のカーブ(「ある医療系大学長のつぼやき」内記事)
http://blog.goo.ne.jp/toyodang/e/26f372a069cbd77537e4086b0e56d347より
世界的な動きとして論文数が増加しています.
論文を書くためのインフラ(ネット環境とか編集部とか)が整備されていることが考えられますが,2005年頃から日本だけが反転.一気に減少へと転じているのです.

考えられる理由としては,内部現場にいる者として直ぐ思いつくのが,
「研究するための時間がない」
「業績になることが分かっている研究しか着手しない」
ということです.
その結果,
「自分のなかに研究資源がないから,学術的な指導ができない」
「学術的な指導に自信がないから,ビジネスライクな指導に逃げる」
という悪循環に陥ります.
もっと言うと,研究活動のことを “業績づくりのために取り組むもの” と捉える,高等教育にあるまじき危険な思考へと大学教員をいざなう事態になっているのです.
私はこれを最も危惧します.いや,もう既になっている.

ここから抜けることは不可能です.
いいですか,もう一度言いますよ.
もうこの状況を好転させることは不可能です.

世間様がそれを望んでいます.
世間様がそれを望んでいるぞ,と言い訳する奴らが大学内部にいます.
学生もそんなことを求めてくる.
保護者も訴えてくる.

もう終わってるんですよ,この国の大学教育は.
せめてもの希望は,文部科学大臣か総理大臣が主導して,世論に反してこの現状にメスを入れることですが.
それも期待できない,どころか絶望的です.


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2016年7月24日日曜日

都知事選と抹茶ビールの間にあるもの

昨日は高校の同級生と納涼会.
「抹茶入りのビール」を飲ませるレストランがあるということで,そこに行ってきました.
なんでも,ラジオで紹介されていたとのこと.
いかにも「オシャレ」っていうところでしたよ.客もマダムや女子会,カップルが多い.

まずは全員で抹茶ビールを注文.
食事もお茶っ葉を使った料理が目玉らしく,メニューを見たらどれもこれも「緑」「緑」「緑」.
宇宙人,もしくはホルスタインとかヨークシャーが食べそうな感じ.

抹茶ビールが出てくる.
案の定,緑の味がします.
そして次の注文.他の皆はけなげに「ほうじ茶ビール」を頼んでいましたが,私は普通のビール.

1杯で見切りをつけました.
私には早すぎる味.こういう「新興混ぜものビール」は,もう少し東京に浸ってからでなければ「美味しい」とは思えないようです.
次に来たアサヒスーパードライがめちゃくちゃ旨く感じます.

そのうち管楽器の生演奏が始まります.
雰囲気作りとしては良いのですが,なんせ酷い演奏です.音響も.
もう少しなんとかならないものか.

同級生の一人がこの店に来る前に,興味本位でネットを使ってこのレストランの評判を調べたんだそうです.
店員の対応が悪いことで評判だったそうです.
実際,店員はそこらへんにいる大学生アルバイトばかりでした.
手を上げても注文取りに来ないし,オーダーも間違える.でも,これは許容範囲内のサービスです.
取り皿を持ってこなかったり,私のズボンにビールをぶちまけても,美人でカワイイのでそれは許されます.

問題なのはそのネットの評判です.
悪いのは店員の対応ではない.この店のメニューです.そこをこそ指摘するべきなのに.

そんな東京では,都知事選というメニューも酷いものになりました.
2016東京都知事選(朝日新聞)
どれを選んでも「抹茶ビール」です.馬糞の塊みたいなサラダもある.

アサヒスーパードライでは満足できないからって,抹茶ビールを求めるようになるのが東京なのです.
オリオンビールなんか飲めるかと怒る人もいます.でも,抹茶ビールの方がなんぼかマズい.

君たちはホッピーでいいじゃないか.東京独自の酒に「ホッピー」があります.
地方の人は知らないと思いますのでこちらをどうぞ→■ホッピー(wikipedia)
ホッピー(wikipediaより)
おっと,そう言えばこれも「混ぜものビール」の一つですね.
東京にはこういう文化があるようです.

ところで,我が高知県はアルコール飲料にかける費用が高いことで有名です.
実際,こんなデータも有ります.
都道府県別統計とランキングでみる県民性「飲酒費用」



圧倒的ではないか我が県は・・・.
飲み屋での1回あたりの費用は,全国平均が16,929円,高い部類の東京でも23,928円なのに対し,高知はそれを遥かに凌ぐ36,488円です.
なんとなく分かる気がする.東京での飲み代ってこんな額ですもんね.

で,我々は36,000円かぁ..,たしかにそんなもんでしょう.
連合艦隊司令官・島村速雄を思い出しますね.
鳥無き島の蝙蝠たち(6)島村速雄

ところが,アルコール消費量となると結果は変わってきます.
都道府県別統計とランキングで見る県民性「アルコール消費量」



面白いですね.
高知は酒にかける費用はぶっちぎりの1位ですが,消費量は東北や九州,そしてなんと東京の方が高知よりも多いんですよ.

実際,ビール消費量の絶大なシェアをほこる「アサヒスーパードライ」ですが,高知県民はこれをほとんど飲みません.
ビールの消費量の都道府県ランキング(アサヒスーパードライ)
一人あたり年間消費量:全国平均23.3缶に対し,高知はダントツ最下位の13.3缶.

脱線が過ぎましたので話を戻しますね.
そんな高知県民である私が思いますに,東京は余計なことをせず「ホッピー」のレベルを上げるべきなのです.
それと同じことが都知事選にも言えると思うのです.

ひとまず言えるのは,今すぐ旨いホッピーを作れとは言いませんけど,アサヒスーパードライで満足してればよかったのです.
抹茶ビールに飽きたら,次もまた変な混ぜものビールを思いつくのが東京人ですから.


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東京終了のお知らせ
東京を諦める
やっぱり東京を諦める

2016年7月22日金曜日

鳥無き島の蝙蝠たち(11)邇邇芸命(ニニギノミコト)

ニニギ(wikipedia)
このシリーズ第一回の「古代四国人」の続き,壮大な四国ファンタジーとして読んでください.
今回はズバリ,
古代四国人の一人が「邇邇芸命(ニニギノミコト)」ではないか
という話です.
これはつまり,天皇の祖先は朝鮮王族でも卑弥呼でもなく,鳥無き島の蝙蝠の一人だということを意味します.
ニニギ(wikipedia)

例の記事を書いたあとも古代日本における四国を調べてまわったのですが,ネットだけでもなかなか面白い話が落ちていました.
「邪馬台国は九州でも近畿でもなく,四国にあった」などという説をブチ上げる人もいるようで,それなりに説得力もある.
邪馬台国四国説(wikipedia)
本当の邪馬台国(youtube)

以前の記事で私は,
「神武東征で四国が出てこないのは,神武軍の拠点が四国だったから」
そしてむしろ,
「四国が九州〜近畿を制圧した物語が『神武東征』として語り継がれたのではないか」
という説をご紹介しました.

その記事を書いた後,いろいろな日本神話を読んでみますと,実は「四国が古代日本統一のルーツではないか」と解釈できる話であることに気づいたのです.
そして,「四国が古代史に登場しない理由が “これ” ではないか」と推察される点もありました.
(「登場しない」のではなく,常に登場しているとも言えるし,「書けない」のです)
もちろん私の勝手な妄想ではありますが,お暇つぶしにご覧ください.
けど,妄想設定としては案外いい線いってると思うんです.

(1)九州,近畿,四国の三国戦争
まず前提ですが,私は「古代日本」は以下のような状況だったと考えます.
九州北部=邪馬台国.魏志倭人伝に出てくる国です.邪馬台国は九州北部が最も現実的で信頼できると思います.
近畿=ヤマト王権につながる大国(仮称:ヤマト国).神武東征の目的地です.
四国=狗奴国(くなこく).魏志倭人伝に出てくる邪馬台国に対立している国のことです.

おそらく古代日本では九州,近畿,四国の3大国による権力争いが起きていたものと思います.
で,結果的には四国勢が瀬戸内を平定することで終息.
最終的には近畿地方に政治拠点を移して現在(古事記編纂当時)に至る,と.
細かい話は■鳥無き島の蝙蝠たち(1)古代四国人をご覧ください.

(2)古事記が編纂された目的
次に重要なのが,「古事記」と「日本書紀」が編纂された目的と,それらの記述.
ここに書かれている神話を,「日本統一のルーツは四国」という一見トンデモな前提で読んでいくと,それこそ非常によく ”親和” してしまう.

なかでも古事記は,天皇が日本を統治している理由を国内向けに解説したものです.
古事記(wikipedia)
古事記と日本書紀はどう違うか(個人サイト)
西日本全体を平定したとは言え,この時代の日本は,まだまだ各地域の人々に独自のアイデンティティが残っていて,「日本」という一つの国である意識は小さかったでしょう.イギリスみたいなもんです.
ですから,国内向けに編纂する歴史や神話も,各地域のアイデンティティを配慮したものでなければなりません.ようするに「皆さんのお陰です」ということを述べ,過去,権力争いをしてきた九州,近畿,四国それぞれの陣営が一応納得できる歴史物語にする配慮が必要になってくるのです.
この「配慮」がされているかどうかが,古事記と日本書紀の違いではないかと私は考えます.

しかし,そもそも古事記の編纂目的は「天皇が日本を統治すべき理由を国内に示す」ことですから,そこんところをしっかり押すことも大事になってきます.
こうした古事記編纂目的を念頭に,それぞれの神話を読んでいくことで,当時の事情と編纂した理由が読めるのではないでしょうか.

結論から言えば,権力を掌握した近畿(ヤマト国)が,「我々のルーツは九州や四国にあるんですよ」ということを,やんわりぼかして神話と歴史にしたのです.それが古事記.
そうした「配慮」を深読みすると,天孫降臨から神武東征までの記述からは,以下のようなものが見えてきます.
1)天孫降臨:四国が九州を制圧したことを示す物語
2)神武東征:四国九州連合が中国・近畿地方を制圧したことを示す物語

(3)天孫降臨は,四国勢が九州・邪馬台国を制圧した物語
「天孫降臨」とは,天照大御神の命令を受けたニニギノミコトが,高天原より高千穂峰に降り立ち,日本を統治するというお話です.
以前もお話したように,この神話は四国勢が九州を攻撃した戦史が元ネタではないかと思われます.

ニニギが高天原から高千穂峰に向かうまでに,その道案内をした者がいます.「猿田彦:サルタヒコ」です.
サルタヒコ(wikipedia)
その神話と符号するように,四国から日向国・高千穂に至るまでの海峡にあるのは,ニニギを高千穂峰まで導いた神様「サルタヒコ」に名称由来を持つ土地です.
「佐多岬半島」と「豊日別」がそれでして,それぞれサルタヒコを示すものだそうです.
猿田彦の起源(個人サイト)
豊日別(wikipedia)

佐多岬半島というのは,四国西部にある九州まで伸びた細長い半島のこと.豊日別は九州東部のことです.
見てくださいよこの位置関係.そしてこの地形.
どこぞのRPGにありそうな「作ったかに思えるような地形」.
古代人からすれば,細く長い半島を辿って海を渡り,その先を攻め落とすことができたなら,それはまるで,神が自分たちに与えてくれた勝利の道のように感じたでしょう.
きっと四国人はこの土地に名前をつけたはずです.この地には,勝利まで導く道案内の神が宿っていたのだと.

つまり,ニニギ(四国軍)はサルタヒコ(佐多岬半島と豊日別)に導かれて高千穂峰に降り立った(九州東部を制圧した)のです.

ニニギはその後,コノハナサクヤヒメと結婚します.
日本神話屈指の “美人すぎる” この女神は,古事記では本名を神阿多都比売(カムアタツヒメ)と言い,薩摩国・阿多郷の出身とされています.おそらく,ニニギはこの地の権力者の娘と結婚したのではないかと思われます.

で,ニニギとコノハナサクヤヒメの曾孫にあたる人物が,以降の『神武東征』の主人公である神武天皇ということはご案内のとおりです.

(4)神武東征は,四国を拠点とした西日本制圧の物語
なぜそうなるのか? についての詳細は,以前書いた,
鳥無き島の蝙蝠たち(1)古代四国人
をご覧ください.

天孫降臨の話を終え,ここから湧いてくる疑問は以下のこと.
(1) ということは,天孫降臨を命じた天照大御神も四国にいたのか?
(2) もしかして「邪馬台国=四国」なのか?
そういう可能性もありますが,私は違うと妄想します.
これは同時に,
「なぜ征服者・ニニギが四国から来たと明記していないのか?」
ということとも関係します.

それは,九州北部にあったであろう邪馬台国勢への配慮と四国勢へのヨイショ,そして,自分たち天皇の神聖化のためです.
古事記編纂当時は,「四国勢が九州を制圧したのち,近畿も手中に入れた」という物語は民間伝承として知られていたことと思われます.
だから,明確に「記述する」必要などなかったのです.
皆が常識的に知っている経緯を,わざわざ記述する必要などありません.
(逆に言えば,それを明文化せずに古事記を正史として伝えたために,こうした民間伝承は消えてしまった)

「ニニギがサルタヒコに導かれて高千穂峰に降り立った」という話を聞けば,当時の人たちは皆「これは四国人のことだ」と解釈していたはずです.
そして四国人からすれば,先祖であるニニギが高天原から降りて統治した,なんていうストーリーを日本の正史として入れてくれたら,そりゃあ喜ぶでしょう.
編纂者としては天皇を神聖化できるし,四国勢の機嫌もとれる.一石二鳥です.

でも,なぜそれが九州・邪馬台国への配慮になるのか.
実はこのストーリー展開,古事記全体を通してみれば一石三鳥だからなんです.

日本の最高神とされる天照大御神(アマテラスオオミカミ)は,卑弥呼に代表される邪馬台国女王のことを指しているとされています.それを唱える研究者は多い.
それを暗示するかのように,九州である筑紫島の神々にはいずれも「太陽(日:ヒ)」を表す名前が付いています.
筑紫=白日別(シラヒワケ)
豊日=豊日別(トヨヒワケ)
肥国=建日向日豊久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)
熊襲=建日別(タケヒワケ)
おそらく九州勢は,太陽神を崇めていたものと推察されています.
卑弥呼にしても,ヒミコ=日御子(日巫女)ではないかと言われています.
卑弥呼(wikipedia)
これも明文化されていないだけで,当時の常識からすれば「天照大御神ゆかりの地は九州だ」と容易に解釈できたのかもしれません.

その上で,神武東征の物語を推察してみるに,四国勢と邪馬台国との間に大規模な戦争があったとは思えません.そんなことを匂わす記述がないからです.
おそらく,四国勢の九州東部平定をみた邪馬台国は,全面対決をせずに和睦か友好国関係を築いたものと思われます.

「邪馬台国って大国だったんでしょ? なんで四国なんかに負けちゃったの?」って思われるかもしれませんが,魏志倭人伝にあるように,邪馬台国はその周辺諸国とは不仲でした.卑弥呼はそれをなんとか取り持っていた存在だったのです.
魏志倭人伝(wikipedia)
卑弥呼がいなくなった邪馬台国とすれば,下手に抵抗すれば周辺諸国が裏切って攻め込んでくると考えるのは必至.和睦が最も安全なのです.

そして,四国勢の軍門に下った日から,邪馬台国は中国大陸との外交も滞った.中国の歴史において,邪馬台国が3世紀半ば〜5世紀(約150年)まで謎の空白期間を作ったのはこうした事情ではないでしょうか.
魏志倭人伝の用語を使えば,つまり,邪馬台国は狗奴国(四国勢)に制圧され,外交や政治の権限を握られたものと考えられます.
(その代わり,この期間の日本は朝鮮半島を略奪していたようです.いかにも海賊・四国勢らしい戦略ではないですか)
好太王碑(wikipedia)

そんな九州・邪馬台国勢ですが,彼らの顔を立てるためには以下のような物語がちょうどいいと思いませんか?
「邪馬台国を制圧したかに見える四国勢(ニニギ)というのは,この地(邪馬台国,そして日本)を治めるために天照大御神(つまり邪馬台国女王)が遣わした,新たなる指導者なのだ」
というものです.

つまり,ニニギを中津国(日本)に派遣したのは天照大御神たる邪馬台国女王なのだ.ということ.ニニギのさらに上位の存在として,邪馬台国女王=天照大御神をおいたわけですね.
こういう神話と歴史にしておくことで,九州も四国も互いにメンツが保てます.

おいおい,そんな無茶な話がまかり通るのか? と思うなかれ.
これと似た物語を信じたのが,第二次世界大戦後の日本ではないですか.
占領軍司令官ダグラス・マッカーサーを新しい天皇(もしくは大国主命とかニニギ)と崇め,間違った道を歩んでいた日本を滅ぼしくれた上に,自由と民主主義の正しい道を示してくれたのが盟友アメリカだというプロパガンダを,今も多くの日本人が信じています.原爆を落とし,民間人を絨毯爆撃した張本人であることは忘却の彼方です.
事実,「愛国保守」と自称する奴ほどアメリカが好き.

神武東征後半,その後の中国攻めと近畿攻めは以前の記事をご参照ください.
ざっとまとめますと,
1)愛媛・今治地域を拠点として広島・安芸地方を攻撃,7年かけて制圧.
2)次に香川・高松地域を拠点として岡山・吉備地方を攻撃,8年かけて制圧.
3)最後に,徳島・淡路島を経由して近畿地方のヤマト国を攻撃,奈良・橿原地域を制圧.
どれも,軍事拠点が四国でなければできない戦略です.
たぶん,四国九州連合として転戦したものと考えるのが自然でしょうけど,そんな軍事拠点「四国」が一切神武東征の記述に出てこないのは,書く必要が無いから.
古事記を読む当時の日本人としては,四国が軍事拠点であることは暗黙の了解だったのです.

ところで,四国と本州・九州とをつなぐルートですが,いずれも四国が各地へと攻め入ったルートと同じであることは運命的なものを感じます.
瀬戸大橋(香川〜岡山)
大鳴門橋&明石海峡大橋(徳島〜近畿)
しまなみ海道(愛媛〜広島)

残されたのは図らずも「天孫降臨ルート」.
この豊予海峡を結べば,何か縁起の良い事がありそうですね.
「四国の新幹線実現を目指して」より
四国の新幹線実現を目指して(四国鉄道活性化促進期成会)

(5)伊予之二名島に隠された意味
さて,ここまで読んでもらいましたが,気になる点もたくさんあるかと思います.
例えば,四国のような辺境の地が,どうして九州攻めとか近畿攻めといった軍事大国のようなことができるのか?とか.

土木建築が進んだ現在の日本の国土と,古代日本の「農業」を同じものとして捉えることはできません.
典型的なのが関東平野です.この地域は400年前まで沼地であり,農業はおろか人が住めるような場所ではありませんでした.それを当時最新の土木技術を用いた灌漑,そして利根川東遷事業によって人が住める関東平野にしたことはご案内の通りかと思います.

例えば以下の調査論文にあるように,平安時代の四国は土地や領有地が小さい割に九州の一国並の農地を持っていました.
日本古代における農業生産と経済成長
土木技術が低かった古代においては尚の事,「平地の多さ」よりも田畑の耕作に適する重要なファクターがあった可能性が高いのです.これについては私も農家の息子だから分かります.

事実,古事記の最初「国産み」に出てくる四国「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」の四神の名前が豪華絢爛すぎるではありませんか.
愛媛・伊予=愛比売(エヒメ):美しい女,雅な地域という意味
香川・讃岐=飯依比古(イイヨリヒコ):食べ物がたくさんある男,肥沃な地域という意味
徳島・阿波=大宜都比売(オオゲツヒメ):穀物をたくさん生む女,五穀豊穣な地域という意味
高知・土佐=建依別(タケヨリワケ):雄々しい男,武力を持った地域という意味

品格・農地・豊穣・武力
四神が揃えば無敵になります.

九州・筑紫島やその他の地域よりも,国力の高い地域であることが明確に示されている神々なのです.
どう考えても四国が特別扱いされているとしか思えませんし,もっと言うならニニギノミコトは「ホノニニギ」とも呼ばれており,「稲穂(イナホ)が賑々(ニギニギ)しく実っている」ことを示す神です.食べ物の神が宿る四国から渡ってきた神としか考えられません.

それでいて四国に関する記述が古事記に不思議なほどに見当たらないのは,
「もうこのことをもって十分察することが出来るでしょ?」
という,編纂当時の感覚があったと考えるのが自然ではないでしょうか.

そしてこれは,未だ謎とされている「伊予之二名島」の意味も,そうした当時の常識を妄想することによって類推することができます.

古来,四国は「伊予之二名島」もしくは単に「伊予(伊豫)」と言われていたそうです.
四国が伊予之二名島と呼ばれる理由とは?(個人サイト)

古事記に「伊予を愛比売といひ」との記述があることからも,「伊予」はエヒメ=愛媛地域のことを指します.
率直に考えて,四国を統一していたのはエヒメであり,その地が四国の中心地だったのです.だから「伊予之島」.

じゃあ「二名島」とは何か?
四国にはその他にも神様(地域)の名前は3つあります.でもこれでは2つじゃなくて4つになりますから,「四国には2つの神様や地方がある」という意味ではない.
では,なにがどうして「二名島」なんて名称をつけたのだ? そう疑問に思うでしょう.

素直に考えてみれば,「『伊予』という名前以外に,もう一つありますよ」ということを意味することになります.
おそらく,伊予之二名島という名称は古事記が初出で,古事記によってつけられたと思うんです.
これまでの話をまとめると,伊予之二名島の謎は,おそらくこういうことではないでしょうか.

四国は日本統一神話のルーツである.
その始まりは豊後水道を通って進軍した九州攻めにあった.
この戦いは佐多岬半島と豊予海峡がある「伊予」が中心となっていた.
四国勢は伊予=エヒメが取り仕切っていた,もしくは四国勢そのものが「伊予」だったと思われる.
だから四国は「伊予之島」であり,そしてこの地にはもう一つの名前がある.
その名は畏れ多く,政治的影響力も強いから明記はせず,ぼかした.
そこはニニギの出身地.
古事記を読めばそれは容易に察することが出来る名前
だからここを「伊予之二名島」と呼ぶことにする.

そういう意味ではないかと思うのです.
北朝鮮から放たれたミサイルを,頑なに「飛翔体」と称する人がいるのと同じように,皆知っているけど文字にはできない理由ってのがあるのです.

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2016年7月20日水曜日

もう一回ゴジラを見てみた

7月29日にゴジラの新作が出るらしいということで,そんな記事を書きました.
ゴジラの新作が出るらしい
その予告編の第2弾が出たようです.
『シン・ゴジラ』予告2(youtube)

そのラストで,今にも熱線を吐こうかとするシーンがあるのですが,
ゴジラと巨神兵
でもご紹介した,「巨神兵東京に現わる」を彷彿とさせるものです.
やっぱり庵野秀明監督らしい作品になっている模様.期待できます.

私がよく利用している動画配信サイトのHuluでは,今月はずっと「ゴジラ」シリーズを配信しています.
せっかくなので見てみたんです.

第一作は歴史的な作品ということで特別視する部分もあって,感慨深く見てしまいます.
実際,そこを差し引いても面白い作品だと思いますよ.
敗戦直後の日本が,反核メッセージをするため「怪獣映画」という子供向け作品として扱ったのは画期的です.
一見子供向け,だけどメッセージとして強い思想と信念がある.そんな映画です.

それ以降の作品については,残念ながら見るに耐えません
耐えて見てみましたが,つらい.

不思議ですね.どうしてこんな稚拙な怪獣映画がヒットし続けたのか.
トム・クルーズ主演の戦闘機映画「トップガン」もそう.同じような気分にさせてくれます.

ここ数日は私がリアルタイムで見た「ゴジラ」です.
それぞれ,人生2度目の閲覧.
思い出補正もかかって楽しませてもらいました.

やっぱり一番は「ゴジラ vs ビオランテ」かなぁ.これが私の「初ゴジラ」です.
当時小学1・2年生ごろだったかと思いますが,「科学は人を幸せにしない」というメッセージとか,「ゴジラの細胞と植物を融合させる」といった着想は,もの凄くインパクトがありました.
子供ながらに,こういう話は覚えているものですよ.

友達が持っていた漫画雑誌(コロコロコミックだったと思う)の巻頭企画に「ゴジラ」の特集があって,それを読んでどんな作品なんだろうかと胸を躍らせていたのを思い出します.なんせ「ゴジラ」ってのを知らないから.
それに高嶋政伸が若い.このあとから当たり役であるドラマ「HOTEL」に出るんですよね.「姉さん事件です」懐かしいです.

平成ゴジラと呼ばれるこの作品から,ゴジラの造形が「かっこ良くなった」そうです.
そのせいか,私たちの世代は昭和ゴジラを見ると「怪獣」ではなく「ぬいぐるみ」に見えてしまうんですよね.

次に出たのが「ゴジラ vs キングギドラ」
太平洋のどこかにある「ラゴス島」で恐竜・ゴジラに助けてくれたという旧日本軍の社長さんのエピソードが脳裏に焼き付いていました.
死にゆく恐竜に向かって敬礼し,「この恩を忘れない」と言い,「ゴジラは私たちの救世主だ」という社長さんがいるのです.
この社長さんにとって,ゴジラとはどういう存在なのか.まさにそのセリフが劇中でも出てくるのですが,子供ながらにずっと気になっていたのです.
最後は自宅高層マンションで怪獣ゴジラと対峙し,視線を交わします.直後,熱線を浴びて死んでしまうのですが,今になって見てみますと,このシーンはいろいろと考えさせられますね.

ゴジラは救世主ではない.それは恐竜であっても怪獣になった今も,彼(社長さん)の救世主ではなかったのだ.ゴジラとはそういう存在ではない.・・・というのがリアルタイムで見た私なりの受け止め方だったのですが.

今回見てみますと,なんというか,ゴジラがこの社長に罰を,乃至,禊を与えるような存在に映りました.
「この恩を忘れない」と言って別れた50年前.その後,彼自身は戦後日本で何をしてきたのか.
核攻撃も可能な潜水艦を保有するほどのモンスター企業を経営し,世界を我が物にしていたのです.彼自身,そうした現状を「善い」ものだとは考えていなかったのではないか.
自分はあの島で死ぬはずだった.それをこの怪獣のおかげで生きながらえ,自分自身が怪獣のような存在になっている.そうした自分の「生」の神託は,この怪獣に預けよう,そんなところだったようにも思えるのです.
いろいろな見方ができるのも,子供向け作品の面白いところですね.


とは言え,あとのゴジラはどうでもいいです.
まずは新しいゴジラ,『シン・ゴジラ』に期待です.

2016年7月17日日曜日

大学の後輩が淫行で逮捕された

ニュース記事をアップするつもりはない.
せっかく末永く付き合いを続けようと思っていたのに.なんだかがっかりです.

警察によると,女子高生と不適切な関係をもってしまったんですって.

この事件を連絡してくれたのは,パクられた彼の大学時代の恩師であり,私の恩師でもある人です.
その先生も,私の後輩の一人から血相変えて知らせてくれたのだとか.
研究室のネットワークは迅速ですね.

先日,
「おい,お前,あいつが逮捕されたって聞いてるか? お前,あいつと同じ所に住んでたやろ?」
って聞いてくるので,
「いえ.え? え? え? どういうことですか? タイホって「逮捕」ですよね? 全然聞いてないですよ」
って答えました.

たしかに,彼は昔からロリっぽい趣味はあった.それは認める.
だからって手を出すことはないだろうに・・・.

でもまあ,状況を詳しく知らないし,ちゃんと事の次第を聞いてから,
「おまえ,アホやなぁ」
って言ってあげることにします.
でも,内容によっては大学の先輩として厳重注意です.
けど,もうブタ箱からは出てきてるはずなので,そのうち出所祝いをしなければいけませんね.
出所祝いなんてレアなイベント,なかなか出来るものではありませんから.
盛大に開こうと思います.
こういうところが,例の大学を卒業した我々の悪いところです.


さて,私も以前は女子高生,今は女子大生を相手にすることが多い身ですが,この身分の女性を見てその気になることはないですね.どっちかというと「ロリ好き」ではないのだと思います.

彼女達を見ても,なんというか「身内」のような気分になるんですよ.
そりゃなかには魅力的な美人もいるし,周りより約100ルクスほど多めに明るく輝いてる女子はいるものです.
そんな子は,モデルやタレントになったり,キャビンアテンダントや女子アナになったりしています.
けど,そんな子を前にしても「姪っ子」を見ているような感じです.

当たり前ですが,年々その傾向は強くなっていきます.今の大学1年生なんか,子供としか思えない.ましてや女子高生なんて子供も子供.
でも不思議なのは,自分自身の感覚としては,その年齢からそう違っていないということです.
大学1年の頃,俺もこんな感じだったかなぁと懐かしむ.その時点で既に歳をとっているのかもしれませんが.

どのような年代の女性に魅力を感じるのかは人それぞれ好みはあるのでしょうが,十代にそれを見出すのは特異なことではないようです.
私もたまに文章作成指導において「起承転結」を例示する上で使うのがコレ↓

大阪本町糸屋の娘
姉は十八 妹は十五
諸国の大名弓矢で殺す
糸屋の娘は目で殺す

いろいろバリーエーションはあるのですが,私が知っているのは上記のものです.
一行ずつ起,承,転,結になっているというもの.

15歳の女の子に「殺られていた」のが昔の男だったようです.
低年齢アイドルを追いかけるのは今に始まったことではないのですね.

ためしに「15歳 アイドル」でググってみました.
「加護亜依」ってのが出てきました.
なんとなく覚えています.たしか私が高校生の頃,同級生が彼女にハマっていたので.
オイオイ,こいつ大丈夫かよ・・,って心配になっていたのも懐かしい想い出です.
他の検索結果としては,15歳のアイドルへの脅迫とか殺人予告とか,そんなサイトが出てきます.
大丈夫ではないようです.

ついでに,「15歳 アイドル」で画像検索をしてみました.
けしからん状況でした.
もうやだ,この国.

2016年7月16日土曜日

鳥無き島の蝙蝠たち(10)やなせたかし

高知県出身の漫画家はたくさんいて,「まんが甲子園」というイベントがあるくらいです.
そんな高知県の漫画家ですが,知名度でいえば「やなせたかし」が一番かもしれません.
アンパンマン」の作者として有名です.
やなせたかし(wikipedia)

やなせたかしの代表作である「アンパンマン」ですが,私は絵本もアニメもほとんど見たことがありません.
高知のテレビ局も「それいけ!アンパンマン」を子供が見やすい時間帯に放送していませんでしたし,私の周りの子供たちもアンパンマンをあまり知らなかったと思います.

そんな私たちがアンパンマンを見つけたのは,アンパンマンが有名になってからでした.
全国的に有名になったからってんで,高知でも子供が見やすい時間帯に見せるようになったんじゃないかと思います.
ですけど,既にその頃には小学校でも高学年になっていた私は,低年齢層向けのアンパンマンを見ることはなかったんです.

でも,その主題歌である『アンパンマンのマーチ』は,メッセージがシンプルであることもあって記憶への定着力が半端ない.しっかり覚えています.

よく,教育論で「論語の素読」が勧められますよね.
その時に意味がわからなくても,何度も反復して読み上げていることで,ある時その意味がパッと景色が広がるように理解できてくる.
教育とは元来そんなものであり,すぐさま効果を得られるようなものではないのだ.そんなことを表現するためにも引用される話です.

「アンパンマンのマーチ」にもそんな力があります.
シンプルでありながら,その強烈なメッセージは子供の頃には意味不明であっても,大人になればなるほど深みを増します.
その歌を口ずさむ年齢によって,それぞれ異なる意味を持つと言っても過言ではない.
私の友人に小さい子供をもつ親がいるのですが,あらためて「アンパンマンのマーチ」を聞くと涙が出てきた,思わず目の前にいる子供を抱きしめたそうです.
アンパンマンのマーチ(youtube)
そうだ 恐れないでみんなのために
愛と勇気だけが友達さ
何が君の幸せ 何をして喜ぶ
わからないまま終わる そんなのは嫌だ
忘れないで夢を 零さないで涙
だから君は飛ぶんだ どこまでも
そうだ 恐れないでみんなのために
愛と勇気だけが友達さ
ああアンパンマン優しい君は
行け 皆の夢守るため
やなせたかし氏はアンパンマンにどんな思いを込めたのか?
ヒーローとしてのアンパンマンが誕生した背景には、やなせの従軍経験がある。戦中はプロパガンダ製作に関わっていたこともあり、とくに戦いのなかで「正義」というものがいかに信用しがたいものかを痛感した。しかし、これまでのヒーローは派手な格好をし、強い力、武器、必殺技を持ちながら「正義」を口にする。しかし、悪者や暴れる怪獣を徹底的にやっつけることが主であり、飢えや空腹に苦しむ者を救わなかった。
(中略)
アンパンマンと「正義」というテーマについて、やなせは端的に「『正義の味方』だったら、まず、食べさせること。飢えを助ける。」と述べている。
(アンパンマンと正義:wikipediaより)
本当のヒーローとは,威勢のいい事を言って民衆を先導することではありません.
そんな女神を崇める国では,連日のテロに怯えています.昨日は花火大会にトラックが突っ込んだ.

アンパンマンのあとがきには,こう記されています.
ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです。(アンパンマン:フレーベル館より)
飢えや空腹に苦しむ者を助けることは容易ではありません.
取り組んでみせることは簡単です.だから安直な慈善活動が跋扈する.
そして,バカが慈善活動をすると,その見返りを求めるメンタリティが芽生えてくる.
こうなると地獄です.

覚悟をもってこの活動をしていた人がいました.
マザー・テレサです.
マザー・テレサ(wikipedia)

生前,マザー・テレサはこんな言葉を残しています.
人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。
目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うことでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。
善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、善を行い続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。
助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。
けり返されるかもしれません。
気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
アンパンマンのマーチを通じるところがあると思うんです. 

2016年7月14日木曜日

大学教員になる方法「学生編」

我々大学教員は,本務校以外でも授業をやることがあります.
非常勤講師というやつです.
この仕組み.知っている人は知っている.知らない人は全くもって意味不明.
まあ,それでもとりあえず聞いて下さい.

その非常勤先の授業中.授業はスポーツ実技のテニス.
リーグ形式の試合をやっているなかでゲームの順番待ちをする学生との一コマです.
「先生はここの大学の先生じゃないんですか?」というところから始まって,何気なく「将来の進路」の話をしました.

どうやらその学生は大学教員,もしくは研究者になりたいとのこと.
どうすればいいのか全然分からないので,何かヒントになるようなことがあれば,と聞いていきました.
「ネットでググったらいいよ」と言えば,私のブログ記事に行き着くかもしれないのでそれでも良かったのですが.
大学教員になる方法

彼にも言ったのですが,はっきり言って「運」なんですよね.
たまたま自分の専門と合致したポストが空いて,タイミング良く転がれば着任できるというものです.
狙ってなれるものではありません.狙えるだけの実力があるのであれば,他の仕事をしたほうがいい.
しかも最近はかなり不安定で薄給な世界で,場合によってはブラック企業以上の過酷な職場が待っています.
「教職員用」危ない大学とはこういうところだ

あと,大学教員を目指している人の少なくない数が自殺しているのではないかとされています.
ネット等で調べればそんな記事やデータが出てきますが,実際のところは分かりません.

でも,精神的にかなり追いつめられる状況にはなるようで,それでドロップアウトしていく人はよく目にします.
ですから,意外かもしれませんが,大学教員をやっている人ってかなりメンタルがタフです.
もしくは,ややエキセントリックな性格の人,ある意味鈍感な人っていうか,そういうちょっと変わった人が生き残ることになる.
これは,大学教員になるためのハードルが高く,そして安心して仕事をしていられない環境がそうさせるのかもしれませんね.

それでもこの仕事に就きたいと思うのは,
1)仕事が楽
2)研究活動ができる
というところになるかと思います.

ただ,注意してほしいのは「仕事が楽」について.
「大学教員は仕事が楽で,のんびりやってられる.でも最近は大変になってきたけどね」
などと語っている大学教員がいます.
でも,これは言葉そのままに受け取ってはいけません.

こういう教員には2つのパターンが有ります.
一つは,本人が極めて有能で,本当に「仕事が楽」であるパターン.
もう一つは,全然仕事をせずにほったらかしで,学内では迷惑極まりない教員であるパターン.
十中八九,後者です.

大学教員はトップダウン型の統制を受けていません.個々人の裁量に任されている部分が非常に大きいのです.
ですから,その教員の仕事の一つ一つに「注文」や「批判」がダイレクトに入ることは少ないんです.

そうは言っても人間ですから,普通の感覚なら「忙しくてもなんとか仕事をしなきゃ.周りからの目が怖い」ということで必死こいているのが一般的な大学教員なのですが,一定数,周りからの目を気にしないバカ殿様みたいな教員がいます.で,このバカ殿様みたいな教員は仕事をしなくて済むんです.

しかも,こういう教員こそが「大学教員は仕事が楽だから良いよ」と触れ回る.しかも本人ものんびりしているもんだから,一般人は「あぁやっぱり大学教員は仕事が楽なんだなぁ」と思ってしまうのです.
ですが,こうして「大学の仕事は楽だなぁ」という感想を本人が持つためには,周囲からの冷たく刺し殺すような視線と態度をスルーできるだけのメンタルが求められるんです.
ここんとこ,勘違いされている人が多いので注意が必要です.

それでも大学教員になるっていうなら,君は大丈夫だよ.
って言っておきました.
実際,その学生はきっと良い大学教員や研究者になれます.
教育者として,研究者として必要なものを,彼は既に身に着けている.

テニスのプレーを見ていたらわかります.
彼は高校時代までテニス部で,かなりの腕前を持っています.
ハンデを付けた初級者との試合を見ておりましても,ルールに戸惑う相手を優しく指導し,気分よくプレーできるように気配りします.かといって変に手を抜いたりすることなく全力でプレーし,相手側からは見えない微妙なところのセルフジャッジでも公平にコールする.
こういう人間が悪い大学教員になるわけがないのです.

あとは運に恵まれること.
それを祈るのみです.


関連記事
大学教員になる方法
大学教員になる方法「強化版」
大学教員になる方法「感想版」

2016年7月12日火曜日

続・沖縄基地問題を諦める:私と同じ認識を示した某女性歌手への保守系論者の反応

これは先日の選挙とは関係ない話ですが,選挙関連の報道番組で興味深い一件があったので触れておきます.
私はTVを持っていないので,報道番組と言ってもネットで見ることになります.
そのネットの保守系メディアとして有名なものに,「チャンネル桜」というのがあります.
普通の人が見たらビックリするような内容の番組を作っているメディアです.
いわゆる「保守系論者」を専門的に集め,私に言わせれば「ウヨク」の広報をしているかのような存在.
まさに「素人にはオススメできない」メディアなんです.

そんなメディアが作った報道番組を「ユーチューブ」で見ることが出来るのですが,選挙とは直接関係ないトークの一幕で,興味深い状況を見ることができます.

以前,私はこんな記事を書いたことがあります.
沖縄基地問題を諦める
ウヨクの知能を諦める
以下,ちょっと長くなりますが,その抜粋.
どうして沖縄基地問題を「諦める」のか?
それは,今回のニュースに対する意見・コメントにの中に「大変痛ましい事件だったことは確かだが,日米同盟堅持のため沖縄の米軍駐留はやむを得ない」という内容が結構多いことです.
(中略)
さらには,「今回事件を起こした犯人は,米軍とは関係ない」って言う意見もあります.
こいつら何なんでしょう,沖縄に巣食う外国人を何故にここまで擁護できるのか不思議でなりません.(■沖縄基地問題を諦めるより)
よく,「実は,沖縄の在日米軍の犯罪数は少ないんだ」とか「以前よりも減っているんだ」などと言い出す人がいます.
そんなネット記事もあります.
(中略)
どうやら気が狂っているようです.ご愁傷様です.
「日本人よりも検挙数が少ないから,米軍を沖縄に置いても大丈夫なんだ」などと,本気で言いたいのでしょうか? 耳を疑います.
こんなこと言っている時点で,彼らは「右翼・保守」ではない.ましてや愛国者からは程遠い存在です.
「数値」が問題ないなら外国人を受け入れてもOK.民族の理念や慣習なんて「理性」で考えたらなんとでもなるさ.だって,いつか世界は一つになるんだから.国境や民族なんて関係ない.一人びとりの人間として考えるべきだ.
ということでしょ? これは左翼の発想です.(■ウヨクの知能を諦めるより)
そんな話を「保守系(ウヨク)の方々が集まる場所,さしずめ「チャンネル桜」みたいな討論番組でブチ上げたらどうなるんだろう・・・.
と思っていたのですが,それをやらかした女性歌手がいたんです.
【参院選2016】ネット生放送・参院選開票特番-アーカイブ[桜H28/7/11](youtube)
1時間21分以降(その人の発言は1時間25分40秒〜)あたりからご覧ください.

彼女は上述した私の記事内容と類似したことを “やわらかくオブラートに包んで” お話しされているのですが,その後の周りのコメンテーターの米軍擁護っぷりが面白くてたまりません.
あぁ,なるほど,やっぱりそんな反応になるんだなと,とても感心しました.
と同時に,その米軍第一・米国追従思考はどこから惹起されるのか.ある意味,とても感心しました

彼女の発言後,いろいろと米軍擁護の話が展開されています.
それらをよく聞いてもらえれば,支離滅裂であることが分かります.なんだか慌ててるし.
たぶん,こういう保守系論者が集う番組内で,この女性のような発言があることを想定していなかったのではないか,そう思います.

まわりの保守系論者はこんなふうに反論していました.
「犯罪者は一定数存在してしまう」
「その犯罪者が米軍関係者かどうかを分ける必要がある」
「沖縄は,米軍と外国人犯罪を結びつけた報道ばかりされていて,報道の中立性がない」
「結局は利権,お金の問題だ」
「左翼なりのナショナリズムを利用したプロパガンダだ」
「沖縄は性に奔放な女性が多いし,学力が低い」
「再発防止の方が重要」
「たとえ米軍と自衛隊が入れ替わったとしても,沖縄は基地反対運動をするはず」
などなど.

全くもって同意できません.
今回の件にしても,外国人犯罪だから問題になっているのです.そして沖縄は米軍関係者が多い.だから沖縄人からすれば米軍基地問題とつながる.当たり前じゃないですか.なんでそれが分からないのか不思議です.
米軍の指揮下にあった人かどうかなんて関係ないのです.

お金の問題?
莫大なお金が沖縄につぎ込まれている,ですって?
そのデータを見ると全国12位,人口一人あたりにすると5位.県民経済計算で見た一人あたり支出額は16位となっています.

http://www.pref.okinawa.jp/site/kikaku/chosei/kikaku/documents/q8zaiseiitennnohikaku.pdf

全然莫大じゃないんです.
どうして彼らは「沖縄は恵まれている」なんて嘘をつくんでしょう.

しまいには「沖縄は性に奔放な女性が多いし,学力が低い」ですって?
何をか言わんや.ここを “そんな地域” にしたのは中央じゃないか.
米軍基地に依存しない経済環境を用意してきたのならまだしも,予算も割かず,基地問題をなあなあにしてきた挙句,ことの次第を沖縄の県民性にして逃げようとする奴を私は「愛国者」とは呼びたくありません.外道です.

保守系メディアの番組内で,保守系論者が並ぶ真ん中で,一石を投じたこの女性歌手に私は拍手を贈りたい.
そして同時に,彼女の発言に少しでも心動かされ,態度を改めようとするウヨクがいることを願いたいのです.
(ま,諦めてるんだけど・・・)


関連記事
沖縄基地問題を諦める
ウヨクの知能を諦める
東京を諦める
大学教育を諦める
オリンピック・レガシーを諦める
保育所問題を諦める
日本ブランドを諦める

2016年7月11日月曜日

選挙における「高齢者 v.s. 若者」は本当か?

選挙の話をしたくないと言いつつ,今日も一つ.

以前から気になっていたことについて,今回から「18歳選挙」が始まったこともあり,ネット情報だけではありますがちょっと調べてみたのです.

いわゆる「高齢者 v.s. 若者」という図式.
「政治家は,選挙で投票率の高い高齢者を優遇する政策(年金,介護etc..)で票を獲得しようとする」
それ故,
「若者が選挙に行かないと,ますます高齢者ばかりが得をする政策が展開される」
だから,
「若者よ,選挙で自分の意志を示さないと,高齢者のいいようにされるぞ!」
というもの.

でも,どうしても腑に落ちなかったんです,この考え方.
だって,高齢者は自分の子供や孫のことを考えるものでしょう?
自分の子供や孫のことを第一に考える人だってたくさんいます.
人間,そして動物としての欲望のままに振る舞えば,子孫繁栄のことを考えるのが爺さん婆さんだと思います.

そんな高齢者が,自分の世代だけに都合のいい政策を選択するのか?
そもそも,現在の高齢者がその政策の恩恵を受ける頃には自分は死んでいるかもしれない.そんな感覚の人だっているでしょう.
だとすると,高齢者が選んでいる「高齢者優遇政策」というのは,自分たちのおかれている境遇を介して,今の40代〜50代の人々のためを思って選んでいるとも考えられます.

だから調べてみました.
「政治家は,選挙で高齢者を優遇する政策で票を獲得しようとする」
という根拠を.
結論としては,明確にそれを示す根拠やロジックは「ない」んです.

政治家が高齢者優遇政策をする理由として,例えばこんな意見が落ちていました.
牙を見せ始めた「高齢世代優遇政治」の暴走(ウェッジ, 2012.5.16)
以下,抜粋しながら反論していこうと思います.
一般的に、政治家にとっては、次の選挙に勝つことが何よりも重要であり、そのためには、相手候補よりも多くの票を獲得しなければならない。したがって、まだ生まれてもいない将来世代や選挙権を持っていない世代よりも、選挙権を持っている世代、特に、そのなかでも投票率の高い高齢世代を優遇することになり、政治家や各政党にとっては、自分たちへの支持を拡大するためには、他の世代の負担を増やしてでも高齢世代を利する政策を多く提案するインセンティブが強く働くこととなる。
そうそう,これが一般的な見解です.この論理に関する根拠が欲しいのです.
このことについて記事では,『平成21年社会保障における公的・私的サービスに関する意識調査』を用いて解説しています.
同調査によると、「公的年金に要する税や社会保険料の負担が増加しても、老後の生活は公的年金のみで充足できるだけの水準を確保すべき」との質問項目に対して、年齢が低いほど反対が多く、年齢が高くなるほど賛成が多くなっている(図1)。
次に、「重要と考える社会保障の分野について」は、「老後の所得保障(年金)」、「老人医療や介護」は年齢が高い世代ほど重要と考える割合が高く、「少子化対策(子育て支援)」は年齢が低い世代ほど重要と考える割合が高くなっている(図2)。

というデータを見て,「だから高齢者は老後の所得保障を求めているに違いない」と考えるのは早合点です.
あくまでこれは「重要と考える」政策分野なわけですから.当事者がその分野に関心が高くなるのは当然のこと.問題はその政策に対する内容です.

ではその内容についてですが,これについてもこの記事で取り上げられています.
3つ目は、橘木俊詔・同志社大学教授が経済産業研究所の協力を得て2005年に行ったアンケート調査である。すなわち、年金の給付水準に関して「目標となる給付水準をある程度引き下げるのがよい」と回答した割合は、40歳代、50歳代でもっとも少なくなっている一方、「保険料負担が大きく上回ることもやむを得ない」と回答した割合は40歳代以上で大幅に上昇している(図3)。
橘木教授等は「年金を受け取る年齢に近いと、給付水準の引き下げには賛同しづらいことを表しているのだろう」と解釈している。
とのことですが,これは結構な勢いのミスリードです.
グラフをよくご覧ください.
たしかに,「保険料負担が大きく上回ることもやむを得ない」は40歳代以上で “大幅に” 上昇しているかもしれませんが,それを言うなら年金の給付水準については「目標となる給付水準をある程度引き下げるのがよい」と回答しているのも高齢者なのですよ.それも40〜50歳代と比べて60歳以上(高齢者)は “大幅に” 上昇しています.
「給付水準を大幅に下げてもやむを得ない」と合算して考えれば,高齢者は若者世代よりも自分たちの年金受給水準を下げる政策を望んでいることになります.
ここから「高齢者は自分たちにとって都合の良い政策を望んでいる」と主張するには無理があります.
代わりに,上記のデータを私が読めばこうなります.「高齢者は,自分たちが損をしてもいいから,制度の継続を重視しようと考えている」
そう解釈するほうが素直だと思います.

さらに興味深いのがこちら.この記事の元になっている■「公共支出の受益と国民負担に関する意識調査と計量分析」にあたってみると,こんなグラフもあります.
一応,件の記事でもこのように触れられています.
年金保険料負担に対する考え方に関して、20歳から40歳代までの世代では「保険料負担はすべて税負担と同じである」「返ってこない分は税負担と同じである」と回答した人の割合は7割を超える一方、「保険料負担は老後保障の出費であり、税負担とは異なる」と回答したのは、50歳代で4割近く、60歳以上では過半数となっている。
結果を読み上げただけで,ぜんぜん考察になっていないじゃないかと思うのですが,ようするにこの結果を素直に見れば,「年金制度」のことをちゃんと理解しているのは高齢者だということです.
そして著者はこう締めくくります.
こうしたアンケート結果から窺えるように、現在社会保障給付を受けている高齢者やこれから受け取る高齢者予備軍は、他の世代に多くの負担を課してでも自らの老後の生活資金を確保する方が大切で、若者世代が望む子育て支援には冷淡な利己的な存在であるようだ。
え〜〜〜.んな無茶苦茶な・・・.

ついでに,対称的なものとして「子育て」に関する調査も出しておきます.
内閣府が■家族と地域における子育てに関する意識調査(2014)を出しています.
小さくて見にくいですが,以下に示していきます.
まず,高齢者は他の世代と比べて子育てには地域の支えが必要だと考えています.
最近になって「地域で子供を育てる文化を復活させよう」などと知ったかぶる保守系の人が出てきましたが,何の事はない,お年寄りの言うことにはちゃんと耳を傾けたほうがいいですね.

次に,「子連れの親に対して実際に行なった行動」という調査では,席をゆずるとか階段でのサポートなど「若者がしなければいけないこと」以外だと,高齢者の方が若者よりも子連れの親には親切なようです.

さらに言えば,これも内閣府が出している■家庭における出産や子育てについての意識(2014)によると,「その子供の祖父母に期待する手助け」としては,一般的には「遊び相手」や「知識の伝達」「しつけ」を要求しているのですが.
若者と高齢者を比べ,高齢者の方が多い回答を見てみると,「掃除洗濯」「買い物」「教育費の支援」といった泥臭いものばかりです.


こうしてみると,いたって高齢者は子育て支援に積極的であることが窺えます.

「選挙で高齢者を優遇する政策を打ち出せば,たくさんの票を獲得できる」
というのは,政治家やジャーナリスト,そして若者たちの邪推であって,まじめに子育て支援政策や労働政策を打ち出せば,高齢者はそれにしっかり反応してくれるはずです.
自分たちで勝手に「高齢者はこれを望んでいるはず」と思い込んで,それによって右往左往している可能性があります.

考えてみれば当たり前ではないですか.自分たちの子供や孫が苦しむ姿を見たい親(高齢者)がどこにいるのか.
高齢者にとっては,永遠に「子育て支援」を求めているとも言えましょう.

長々と話してきましたが,ようするに高齢者と若者の対立を煽ったり,高齢者の利己的判断を推し量るよりも,ちゃんと本質的な政策議論をすることの方が大事です.という,つまらない話です.
ましてや,若者の投票率を上げようとは笑止千万.選挙を世論や民意を反映する場にしてはなりません.


2016年7月10日日曜日

今日は参議院選挙

今日は参議院選挙.先程から選挙のニュースを眺めています.

ですが,私は選挙そのものに関心がないので,むしろ選挙結果を本質的に左右することになる学校教育とか大学の在り方,サヨクやウヨクについて情報発信することに重きをおくことにしています.

世の人々の洞察力や批判的思考能力をある一定水準維持することが大事です.
選挙結果というのは,そうした国民の政治に関する思考の結果なのですから,政治家を選び,それを批判するための能力が求められます.

ところが,しばしば見受けられるのは「支持政党を応援するため」に投票するバカがいることです.これはサヨクとウヨクに多い.
こういう連中の合言葉は,
「選挙に行かなかった奴は政治に口出しするな」
です.

この手の思考の根源にあるのは,選挙で投票することが政治参加だと思っていることです.多数決絶対を掲げる典型的なバカですね.
選挙結果(勢力図)がそのまま政治的決定に反映されればいいのに・・,と考えていることに違いはありません.

ぶっちゃけ,選挙結果なんてどうでもいいのです.
問題となるのは,議会で何が話し合われて,どういう手順で政治的な決定が成されていくのかということです.
ここが機能していればそれなりにやっていけます.

ですが,「支持政党を応援するため」に投票したい人がたくさんいます.投票とは,支持政党を礼賛することと同義だと見受けられる現象まである.
これは,政治がスポーツ化してきたことによります.
井戸端スポーツ会議 part 19「スポーツ観戦のような政治観戦 その2」

そういう意味で,今回登場した「支持政党なし」という政党は興味深い現象でした.
支持したい政党がないから,「支持政党なし」と答える人がいるものと思われます.
政党は,支持しているか否かで評価するわけではありません.バカはここを理解しない.

実際,こんな記事があります.
「支持政党なし」議席獲得の可能性
総務省は今回、同党の略称として「支持なし」「支なし」も認めるとし、混乱に拍車がかかるのは必至。佐野代表に聞くと、
「党の結成は13年7月。世論調査で『支持政党なし』の有権者が非常に多く、そうした方々の受け皿になりたかったのです。『間違って投票する人もいる』との声もありますが、その方の思いは間違っていません。最もいけないのは『これを実現します』と政策を掲げながら実行しないこと。有権者を騙す詐欺行為です。我々はできないことは言いません。責任を持って『政策なし』と言っているのです」
で、仮に当選した場合、
「有権者の使者となり、議決が必要な法案などについてネットで賛否を集め、その結果を国会に提出します。これを我々は“電子的直接民主主義”と呼んでいます」
電子的直接民主主義ですか.
民主主義の成れの果てのことです.気が狂っています.
ともあれ,今のところ『支持政党なし』が当選したというニュースはないですね.

選挙結果についてどうのこうのと評論することは面白くありませんので,ここ5年くらいは選挙に関する記事は書いていません.
過去にはそんな記事を書いたこともありますが,ぜんぜん面白くないんです.
とにかく状況を腑分けするだけ.ようするに,文字通りの結果論なんですよ.

それよりも,次の選挙や政治家の評価に少しでも影響する記事を書くことのほうが,なんぼか日本のためになるのではないかと考えています.
私が1票入れるだけよりも,別の2人が私の思想に近しい1票を投じてくれたほうが「私にとって」はより良い方向に向かうことを意味しますよね.
そういうことです.


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2016年7月9日土曜日

「危ない大学」を増やさないように

この2日間,ツイッターだとかフェイスブックだとかを介して,
「教職員用」危ない大学とはこういうところだ
大学教育を諦める
へのアクセスが高まっています.

アクセス数が増えたからといって私に利益があるわけではないのですけど,こうした記事に注目してくれることは嬉しいものです.
記事を世間にご紹介してくれた方々,ありがとうございます.
これからも清濁合わせた記事を書いていきたいと思います.

明日はいよいよ参議院選挙.
私の書いている記事が少しでも選挙の結果に影響するようであれば,これ以上の喜びはありません.

一連の記事でも書いているように,「危ない大学」が増えることは日本のためになりません.
大学とは,文明の発達に伴い腐敗してゆく人間の「大衆性」を是正するところにその使命と存在意義があります.
鳥無き島の蝙蝠たち(4)空海
この国難をなんとかするために大学教育

そして,この問題の最も厄介な点は,「危ない大学」が増えることを望んだのは大学当局であり,なにより国民自身だったことです.
危ない大学が増えて競争させれば,各大学に危機感を与えることになるから教育サービスが向上するのではないか,というものでした.
まじめに考えれば,そんなことにはなりません.
大学の売り

一貫して大学教育のレベルは下がりました.もう手の施しようがないほど.
だから私は「大学教育を諦める」ということを主張しているのですが,それでも完全崩壊するまでの時間稼ぎはしたいところです.

明日は参議院選挙だという話でした.
私の言う「大学教育の質を高める」ことを望む政治家はいません.
繰り返しになりますが,大学教育の質を本当に高めようとすれば,国民感覚から離れてしまうからです.票につながらないことは言わないのが人情です.
この時点で絶望なのですが,比較的マシな政治家を選んだり,当選後に訴えかけるくらいしかないように思います.

私達の分野(?)には,事あるごとに用いる名台詞があります.
「諦めたらそこで試合終了だよ」

でも私,こう思うんです.
諦めたら試合終了だということは,
諦めたところからが次の試合開始ではないかと.

次の試合のためにすべきこと,そして態度が重要になってきます.
井戸端スポーツ会議 part 25「戦争に負けた国(日本)がとるべき態度」


2016年7月6日水曜日

鳥無き島の蝙蝠たち(9)蔦文也

「さわやかイレブン」「やまびこ打線」と言っても知らない人が多くなってきました.
かつて,高校野球・甲子園大会を11人の部員で準優勝までしたチームがあったのです.
徳島県立池田高等学校・野球部です.
蔦文也はそのチームを率いた監督でした.
四国のスポーツ史としては伝説中の伝説です.
蔦文也(wikipedia)

当時の娯楽と言えば野球だったので,この四国・徳島の山奥にそんな名物チームがあるということは良く知られていたようです.
蔦文也については,私の父もよく話をしていました.父も野球をやっていましたので,池田高校の野球には興味があったのでしょう.

そんな父の蔦文也に対する評価.「野球の指導は一流だが,大酒飲みの呑んだくれ」
どちらかと言うとネガティブな評価をしています.
たしかにその通りです.

ちなみに,我が家は酒を飲みません.
酒を飲む人間を嫌う習性があります.
だから私も実家ではお酒を一滴たりとも口にしたことがありません.
そんな我が家ですから,蔦文也への評価は微妙なところです.

おそらく,今あんな野球コーチがいたらマスコミが叩きまくっていることでしょう.
まして,強豪チームですから尚の事.
呑んだくれコーチなのに良いチームを作るっていうのは,今の御時世受け入れられないのです.
酒を飲みながら「教育」とはけしからん.そんなところでしょう.

ですが,私の恩師もゼミ中にビールをあおっていました.
勧められたので,私も飲んでいました.
4限目でしたから,3時くらいから教室でビール飲んでたってことですね.
部活には,ほろ酔い気分で向かっていました.そのほうが調子が良かったかもしれません.

別の先生の話によると,今から40年前,その先生の指導教官はゼミでウィスキーのグラスを片手にやっていたそうです.
酔ってきたところからが面白い話が聞けるということで,学生たちも特に問題視していなかったとのこと.
今では考えられませんが,そんな時代があったのです.

酒を飲んでダメになる奴がいます.大学教員もしかり.
それはそうなのですが,お酒が入ったくらいが丁度いい授業になる場面があることもたしかです.
酒を飲んでダメになる奴は,酒を飲まなければいいだけのこと.
だいたい,酒を飲みながら授業ができない人は,研究者としても教育者としても落第です.

特にゼミ・演習では,議論することがメインになりますから,合いの手やツッコミがスムーズに展開されることが重要な要素となります.
そのために「お酒」というのは見事に機能してくれるように思います.

酒を飲むとその人間の本質が出ると言います.つまり,酒を飲むと授業ができない人というのは,研究も教員も「サラリーマン」でやっている奴だということを示しているのではないでしょうか.
これはかなり相関関係があると思うのですよ.


2016年7月4日月曜日

東京終了のお知らせ

いよいよ始まった18歳選挙.
よせばいいのに始まった18歳選挙.

私も過去,大学教員として学生たちと「18歳選挙」のことを議論することがあったので興味深く眺めている次第です.
何年か前から,初年次教育におけるレポート課題とかディベート・テーマとして使ってきたこともあります.

私個人の意見としては,選挙権の年齢は引き下げてはいけないと思っていますので,今回から選挙のモラルや常識といったものが崩壊するであろうことを諦観しているわけでして.

そして案の定,東京はこんな感じで選挙を広告していました.
18歳選挙権 動画広告“TOHYO都”編(東京都選挙管理委員会より:youtube)
18歳選挙権 動画広告“TOHYO都第二弾”編(東京都選挙管理委員会:youtube)

もちろん批判するニュースもあります.
東京都選管の18歳選挙権啓発アニメ「TOHYO都」に批判殺到「バカにしてる!」「税金をくだらないことに…」(産経新聞2016.5.30)
動画内容について、インターネット上では「印象に残ることが大事」と擁護する書き込みもあるが、「バカにしている」「都民の税金ってくだらないことにばかり使われてるね」などと非難が多数を占めた。都選管にも電話やメールで批判が寄せられている。
 都選管によると、参院選に向けた若者対象の啓発費は平成28年度で計約5千万円。今回の動画の制作費は単体で算出していないという。都選管は「内容よりも制度が変わることを知ってほしかった。興味を持ってもらえるよう気軽で親しげなアプローチをしたかった」と説明する。
「バカにしてる!」ですって? バカなんだから仕方ないでしょう.現に,賛否両論とのことですから,面白がってる人もいるわけです.
例えば,こんなの高知県で作ったらただじゃすまないですよ.
大阪だと・・,あやしいですね.あの街ならそのままスルーされる可能性があります.

なんにせよ,私としましては,いかにも東京の若者にふさわしい動画だと感心しました.
東京における選挙活動の本質をえぐり出している,貴重な試みだと思います.
やっぱりこの地域はダメですね.「掃き溜め」という表現がピッタリの街なのです.

東京都選挙管理委員会の人の言い訳,乃至,説明がそれを象徴しています.
「内容よりも制度が変わることを知ってほしかった。興味を持ってもらえるよう気軽で親しげなアプローチをしたかった」
終わってます.終了です.
興味を持ってもらえるよう・・,ですって.
興味をひいて,それで投票させようとしてるんですよ.
やばくないですか?
とても人間とは思えません.
やっぱりサルなのかもしれませんね.
やっぱり東京を諦める

どうか地方の皆さんは,この街の人間を反面教師として真っ当な活動にご尽力ください.
ここは地方の踏ん張りどきです.
日本は今,東京を諦めるときに来ているようです.


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2016年7月3日日曜日

スーパーグローバル大学と国際テロリズム

バングラデシュで発生したテロで日本人が犠牲になったので,ネットではかなり大々的にニュースになっています.
バングラデシュ人質事件、安否不明の日本人7人全員の死亡確認(ハンフィントンポスト2016.7.2)
今回の事件で犠牲になった方々にお悔やみ申し上げます.

我々大学人としてもかなり注視している出来事です.
スーパーグローバル大学と銘打ってはじめたグローバリズム推進,もしくは国際化推進にとって留意しなければならないことだからです.

こういうテロが起こるたび,留学斡旋企画を議論する場において,
「もし留学先でテロが起こったら,どういう対処をしなければいけないか事前に決めておかなければならないですよね」
という議題が持ち上がり,でも結局は大学ができることなんて何もないから,
「留学先で何か起こっても本学は責任とれませんよ」
という趣旨のことをやんわりと学生や保護者に示す書類作成に注力することになります.

グローバリズム推進や国際化推進を掲げなければいけない手前,あの手この手で留学先を探しまわっているのですが,日本人の留学最大の敵は「費用」です
1ヶ月くらいの短期であっても,安くとも50万円はみなければいけません
実際,そんなところに行ける学生は裕福層か成績優秀層(奨学金対象者)に限られます.

でも,文科省や世間からの要望は,より多くの学生に海外体験や留学経験を積ませ,たくさんのグローバル人材を輩出することです.
文科省も素直に留学助成金を渡してくれればいいものを,意地悪なので「海外に目を向ける学生を育てる.すなわち,留学投資にお金を惜しまない学生を育てることを大学に望む」という態度でお金をケチってくるので,我々としては絶対に不可能なミッションに向けて最低の士気のなか頑張っている次第です.

となると,人気が少ない国を開拓して安上がりな留学先として計上し,「本学では◯件の留学事業をやっていますよ」という規定事実づくりに精を出すことになります.どうしてもそうなるんです.

そしてそんなところは案の定,テロや災害,暴力・強姦事件などが多発するので,留学先を斡旋している手前,大学として留学生を送り出す「態度」をどのようにするか悩むという繰り返し.
なんともやるせない.

バカバカしいというのが本音ですが,これは口が裂けても言えません.

グローバリズムの行き着く先をその身で学ぶためには,その一命を犠牲にして学んでくる覚悟がいるはずなのですが,そこんところはグローバルスタンダードにはならないのが日本です.
だったら最初から「グローバル」なんてチャラチャラした態度をとらなきゃいいのに.
怒りを通り越して虚無感に苛まれているのが少なくない大学教員の実情です.

不謹慎を承知で言いますが,そんなに「グローバル」したいなら,いっその事,いろんな国に破格の値段で留学生を放り出してやろうかと思います.
日本人は人柱ができないと物事を思い止まることができません.
海外に行っても良いことなんかないんだということを思い知ってもらうには,多大な犠牲を払う必要があるのかもしれませんね.

ですが,ここで問題なのは「だから海外はダメなんだ」「外国に行く必要なんかない」と無条件に言い出す連中が増えてしまうことです.
これはこれでアホ臭い話.

行きたい人が行きたいだけ行く.
行かせたい人を目的に応じて行かせる.
それでいいと思うのですが,どうしてもそうさせてくれません.


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2016年7月2日土曜日

満員電車とノイズキャンセリングヘッドホン(イヤホン)

私,本務校には徒歩か自転車でのんびり通っているのですが,非常勤講師先の大学には電車で通っています.
1限目の授業を担当しているところが都心でして,東京名物・通勤ラッシュと重なります.
土佐国の山奥で生まれ育った私は,この地獄のような通勤ラッシュに耐えられず,今では早朝通勤に変えました.そんな話を以前したこともあります.
満員電車と宣教:苦行の日々なのか?

早朝通勤に変えたとはいえ,電車は混んでいないわけではありません.立ち乗りになることもしばしば.
非常勤先の大学の近くにある喫茶店が開店するのが7時30分からなので,それに合わせて行くことになるからです.目下,7時開店の静かで朝食の美味しいお店がないか探索中.

そのようなわけですから,ぎゅうぎゅう詰めの電車は避けているものの,ストレスフルな電車通勤をしばらく続けていました.
ですが,どうしてもこの電車通勤のストレスを軽減したいと思い,いろいろ考えた末に先月から「ノイズキャンセリング機能」がついたイヤホンを導入しています.

Bose ノイズキャンセリングイヤホン QuietComfort 20


イヤホンとしては結構高く感じますが,ノイズキャンセリングヘッドホンと言われるものの効果を知っていましたので,この際,思い切って購入したんです.

私の恩師がヘッドホンタイプのBose QuietComfortを使っていました.
こういうやつです↓


試しに使わせてもらったことがあるのですが,見事に騒音が軽減されることに感動.
いつか買いたいなぁ,と思っていたところでした.

イヤホンですから,どこまでノイズキャンセリング機能が働くのか不安でしたが,まったく問題ありませんでした.
むしろ,ヘッドホンタイプでは通勤には使いにくいのでイヤホンで正解です.
(私は人前・街中でヘッドホンをかけることに抵抗があります)

実は以前(10年くらい前),ソニー製のノイズキャンセリングイヤホンを使っていたことがあります.
当時のノイズキャンセリング機能付きイヤホンは性能があまり高くなく,やっぱりBoseのヘッドホンタイプとは比べものにならないのだな,とガッカリしたものです.
ですが,今回購入したBose製のものはそれとは性能が段違い.しっかりノイズキャンセリングしてくれます.

イヤホンとしての取り扱いやすさも抜群で,私のように雑に扱う人でもコードがからまりにくいのが嬉しいポイント.
作りもしっかりしているので,耳栓部分がポロッと取れたりすることもないし,付け心地も快適.
音の良さは言わずもがな.

昔,iTunesで「ニューヨーク・ジャズ・トリオ」の曲をダウンロードしたことがありました.
『ニューヨーク・ジャズ・トリオ』(iTunesのサイト)
だいたいこれを聞いて通勤しています.

お気に入りは『煙が目にしみる』.最寄り駅から電車が動き始めたらこの曲がかかるのがルーティーンです.
不思議なものです.それまでは騒々しく荒れ果てた空間だった満員電車の時間が,ノイズキャンセリングされ,ジャズがかかるだけで全く違った景色になります.

よく,ノイズキャンセリングヘッドホンのことを「期待はずれだった」という人がいます.
たしかに,外界の音を完全にシャットアウトするわけではありません.
周りの話し声は聞こえますし,それほど大きくない音であっても耳に入ってきます.
ですが,総じて不快な音は軽減してくれますので,没入感を得ることができます.
例えばクラシック音楽などを聞いても,奏者が楽器を床に置く音や椅子の座り直しの音などを判別できるようになります.
ノイズキャンセリング機能のついていないイヤホンだと,どうしても音量を上げて対処しなければいけないのですが,それをせずに済むので耳に負担がかかりません.

あと,結構大きい利益として「車内アナウンスがよく聞こえる」というもの.騒々しい車内の割れた音声では何を言っているのか分からないのですが,ノイズキャンセリングイヤホンを使うときれいに聞こえます.
音楽をかけなくても,ノイズキャンセリング機能だけつけてることもしばしば.

この荒廃した東京を生き抜く上で,私には無くてはならないツールの一つになっています.

2016年7月1日金曜日

続々・大学の売り

これまで,
大学の売り
続・大学の売り
というタイトルで書いてきましたが,結局,「大学の売りとは何か」を書かずじまいです.
タイトルをつけて書き始めてみたものの,つまりは「大学の売りなんてない」ということに落ち着いてしまうからです.

それでも大学教職員のなかには,「本学の売りとはなんだろうか? 強みはなんだろうか?」と考えている人たちがいます.
たいていの場合,彼らは嫌々やっています.
でも,中には本気で・・,なんだったら楽しんで考えている人がいます.

「本学の顧客ニーズをマーケティングするのだ」とか言っちゃって,気分はすっかりマーケターです.負ぁけたーじゃないですよ,ノリノリで勝ちにいってます.
どこの大学にも,そんな教員がいます.「危ない大学」ほどたくさんいます.
詳細は■こんな大学の教員は危ない part 1をどうぞ.
大学が危なくなってくると,「大学のマーケター」が跋扈をはじめるんです.
最近人気の資格・免許とか,偏差値45〜50の大学卒業生の平均的就職先とか,昨年の入学者のトレンドとか.そんなのを分析するのが好きな人です.

こういう人は,普通の大学だったら「痛い奴」で済まされます.
ところが,危ない大学では厭世的な空気が大学全体に漂っているので,こういう奴の頭をハリセンでペシッって叩く人がいないんです.ピコピコハンマーでも構いません.つまりは「お前,ばっかじゃねーの」っていう態度をあからさまに,且つ,静かにとる人がいなくなるのです.

元来,大学のマーケターは小者で小心者です.
自分の大学教員としての実力にコンプレックスを持っていますし,実際ホントに無能だったりする.
大学教育の理念もないし,使命感や責任感も持ち合わせていません.
そんな連中が,そんな連中こそが「大学のマーケター」になろうとします.
その一方で,普通の大学には「大学教育とはかくあるべし」とマフィアのボスみたいな態度で睨みをきかせる先生がいますので,小心者である大学のマーケターが蔓延ることはありません.

しかし,危ない大学では大学のマーケターを小馬鹿にする人がいないもんですから,ただでさえお調子者なこの連中は,こういうところにしか取り柄を見出だせないという開放感もあってか,通常の3倍元気に活動しています.
我が世の春がきたぁ~!!って感じです.

なんかの会議とかで,なんだかよく分からないモバイルアプリを使って不思議なリサーチ結果を発表してきます.
それって4〜5年前に新聞の片隅とか卑猥な週刊誌に書かれてたことだろ,っていう大学経営論をオシャレに話し出すんです.
こっちが大人しくしてると「授業1回あたりの授業料を学生が実感できるようなシステムを作ってはどうか」などとアクロバティックな暴言を吐き始める.
少なくない人々はウンザリしていますが,万策尽きて疲労困憊の大学経営陣の目には「現状打開に熱心な教員」と映ります.そんで重宝がられるっていう寸法です.

私の知り合いの先生なんかは,会議とかでこういう教員が目を輝かせて「これからの大学は・・」などとしゃべっていると,殺意を覚えると言います.
お気持ち,良く分かります.

でも,彼らにしたって悪意があってやっているわけではありません.
彼らなりの自己アピールでしょうし,大学を考えてのことなのです.

ですが,大学にかぎらず「教育」は商品売買のようにはいきません.
「私はお金を払っているから,それに見合ったものを出せ」という態度の人間に,教育ができるわけないじゃないですか.
この理屈は,「支払っているお金に見合ったもの」が一体どういうモノなのか? という評価を,現時刻をもって判断できるという前提で初めて成立します.
しかし,教育というのは「そういう価値判断の是正」も含めて行われているものです.
「これは私が欲しいものじゃない」などという注文は,そうそう簡単に受け入れてはいけないし,言い出すこと自体が間違いです.

これは,「学生は教員の言うことを黙って聞いておけ」ということを意味しません.
バカな奴ほどそんな受け取り方をします.
こういう人はもはや手遅れか,もしくはまだ大学教育を受けられるほど成熟していないのです.
「これは私の欲しいものじゃない」という着想に至ることが間違いだということです.
そういう疑問が湧いてきたならば,では「なぜこの先生はそう考えるのだろうか」と問うことが学生のすべきことです.そのように教員に問える機会と時間を,お金を払って得ているのが学生なのですから.


結局お前,ずっと文句ばっか言って何がやりたいのさ? って?
いつの世も,大学教育はその重要性が説かれる一方で,その見えにくい「効果」を訝しむ勢力に潰されてきました.
でも,それになんとか抵抗するのが我々の仕事だとも思うのです.
大学教育のこと,ちゃんと考えましょうよってことです.


・・で,そんな関連記事
鳥無き島の蝙蝠たち(4)空海
※ちなみに,「鳥無き島の蝙蝠たちシリーズ」は,形を変えた私の教育論です.そういう目で見てもらえると違った読み方ができると思います.