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大学改革の凄惨さがニュースになっている|この国の大学はオワコンかもしれない
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ヤフー・ニュースを見ていたら,こんなのを見つけました.
■文科省主導の大学改革が国立大学の首を絞める(ヤフー・ニュース2016.7.24)
「研究費が少ない」なんて話,一般の人には理解されません.
世間様はこう吐き捨てるに決まっている.
「だけど大学教員って給料が高いんだろ? 我慢しろよ」
30歳の頃,私の大学教員としての給与は350万円でした.もちろん手取りならもっと低くなる.
安くはないんでしょうけど,高いとも言えないと思うんですが,どうでしょうか.
たいていの「若手教員」というのはこれくらいの給与です.
そこからパーマネント契約になったり,准教授や教授という職位についたりすることで給与は大幅に増加します.
それも「大学による」というのが実情で,出世しても給与がほとんど増加しない大学もあります.国公立だった大学はその典型です.
あとは財政難により緊縮財政に舵を切った大学ですね.ブラック大学と呼ばれるやつで,契約通りに給与が払われるかどうかも怪しい.
あんまり実名出すのは控えたほうがいいのでしょうが,事例としてこんな記事もあるのでご参照下さい.
■http://shinseikiunion.blog104.fc2.com/blog-entry-1858.html
もう定年されている私の知り合いの先生が,この大学をよく知る人です.だから内部事情もよく聞きます.
いや,そんなことを気にしているのではない.
大学教員というのは,給料目当てにやってるわけじゃないからです.
研究活動を糧とする高等教育をせんとするのが大学であり,その教員です.
百歩譲って,給料を上げろとは言いません.研究費は引き上げるべきでした.
それが,あろうことか「競争的資金獲得制度」を採用したのです.
競争的な制度にして質が上がるわけねぇだろうに.お勉強ができるだけではダメだということが分かる,典型的な事例ですね.
■大学教育を諦める
これにはもちろん内部からの要望もありました.
「研究をしている私と,何もしていないアイツが,学内で同じような扱いになるのはおかしい!」
とか,そんなところでしょう.
こういう専門バカのガキ教員はほっとけばよかったのです.結局,ジワジワと自分の首を締めることになった.
給料は安くてもいいから,研究を好きにやらせるようにすれば望みはありました.
ところが現在の大学改革は,大学教育が目指す理念とは真逆の方向を向いているとしか思えません.
上述したニュースのリンク先からグラフを引っ張ってきました.
日本は,高等教育機関への公的研究資金を惜しみ,そのシワ寄せを教員の「根性」に求めたのです.
もちろん根性では何もできません.
その結果,論文数は以下のような凋落っぷりを見せます.
世界的な動きとして論文数が増加しています.
論文を書くためのインフラ(ネット環境とか編集部とか)が整備されていることが考えられますが,2005年頃から日本だけが反転.一気に減少へと転じているのです.
考えられる理由としては,内部現場にいる者として直ぐ思いつくのが,
「研究するための時間がない」
「業績になることが分かっている研究しか着手しない」
ということです.
その結果,
「自分のなかに研究資源がないから,学術的な指導ができない」
「学術的な指導に自信がないから,ビジネスライクな指導に逃げる」
という悪循環に陥ります.
もっと言うと,研究活動のことを “業績づくりのために取り組むもの” と捉える,高等教育にあるまじき危険な思考へと大学教員をいざなう事態になっているのです.
私はこれを最も危惧します.いや,もう既になっている.
ここから抜けることは不可能です.
いいですか,もう一度言いますよ.
もうこの状況を好転させることは不可能です.
世間様がそれを望んでいます.
世間様がそれを望んでいるぞ,と言い訳する奴らが大学内部にいます.
学生もそんなことを求めてくる.
保護者も訴えてくる.
もう終わってるんですよ,この国の大学教育は.
せめてもの希望は,文部科学大臣か総理大臣が主導して,世論に反してこの現状にメスを入れることですが.
それも期待できない,どころか絶望的です.
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■文科省主導の大学改革が国立大学の首を絞める(ヤフー・ニュース2016.7.24)
国立大に対する運営費交付金の継続的な削減が論文数・重要論文数の減少を招いている現状に、文科省主導の大学改革が決定的な打撃を与えそうです。新潟大教授が「年間研究費が3万円に激減」とブログで明かしました。独立法人化以前には研究費が40万円あり、以後やせ細りながらも昨年は10万円だったのに事務経費まで含めてこの金額では何も出来ません。毎年1%の運営費交付金削減は今年に限り見送られており、これほどの経費削減は文科省主導の改革で新学部創設が図られるからでしょう。地方の国立大は旧帝大などのように科研費が獲得できないでも、やり繰りして研究論文を生産してきたのですが、最終的に首が絞められたと言わざるを得ません。日本の将来が終わってることを示す状況ではあるのですが,今更こんなこと書いても遅きに失するとはこのことです.
「研究費が少ない」なんて話,一般の人には理解されません.
世間様はこう吐き捨てるに決まっている.
「だけど大学教員って給料が高いんだろ? 我慢しろよ」
30歳の頃,私の大学教員としての給与は350万円でした.もちろん手取りならもっと低くなる.
安くはないんでしょうけど,高いとも言えないと思うんですが,どうでしょうか.
たいていの「若手教員」というのはこれくらいの給与です.
そこからパーマネント契約になったり,准教授や教授という職位についたりすることで給与は大幅に増加します.
それも「大学による」というのが実情で,出世しても給与がほとんど増加しない大学もあります.国公立だった大学はその典型です.
あとは財政難により緊縮財政に舵を切った大学ですね.ブラック大学と呼ばれるやつで,契約通りに給与が払われるかどうかも怪しい.
あんまり実名出すのは控えたほうがいいのでしょうが,事例としてこんな記事もあるのでご参照下さい.
■http://shinseikiunion.blog104.fc2.com/blog-entry-1858.html
もう定年されている私の知り合いの先生が,この大学をよく知る人です.だから内部事情もよく聞きます.
いや,そんなことを気にしているのではない.
大学教員というのは,給料目当てにやってるわけじゃないからです.
研究活動を糧とする高等教育をせんとするのが大学であり,その教員です.
百歩譲って,給料を上げろとは言いません.研究費は引き上げるべきでした.
それが,あろうことか「競争的資金獲得制度」を採用したのです.
競争的な制度にして質が上がるわけねぇだろうに.お勉強ができるだけではダメだということが分かる,典型的な事例ですね.
■大学教育を諦める
これにはもちろん内部からの要望もありました.
「研究をしている私と,何もしていないアイツが,学内で同じような扱いになるのはおかしい!」
とか,そんなところでしょう.
こういう専門バカのガキ教員はほっとけばよかったのです.結局,ジワジワと自分の首を締めることになった.
給料は安くてもいいから,研究を好きにやらせるようにすれば望みはありました.
ところが現在の大学改革は,大学教育が目指す理念とは真逆の方向を向いているとしか思えません.
上述したニュースのリンク先からグラフを引っ張ってきました.
日本は,高等教育機関への公的研究資金を惜しみ,そのシワ寄せを教員の「根性」に求めたのです.
http://blog.goo.ne.jp/toyodang/e/bee524311262ac48a89134496e055bfeより |
もちろん根性では何もできません.
その結果,論文数は以下のような凋落っぷりを見せます.
■あまりにも異常な日本の論文数のカーブ(「ある医療系大学長のつぼやき」内記事)
http://blog.goo.ne.jp/toyodang/e/26f372a069cbd77537e4086b0e56d347より |
論文を書くためのインフラ(ネット環境とか編集部とか)が整備されていることが考えられますが,2005年頃から日本だけが反転.一気に減少へと転じているのです.
考えられる理由としては,内部現場にいる者として直ぐ思いつくのが,
「研究するための時間がない」
「業績になることが分かっている研究しか着手しない」
ということです.
その結果,
「自分のなかに研究資源がないから,学術的な指導ができない」
「学術的な指導に自信がないから,ビジネスライクな指導に逃げる」
という悪循環に陥ります.
もっと言うと,研究活動のことを “業績づくりのために取り組むもの” と捉える,高等教育にあるまじき危険な思考へと大学教員をいざなう事態になっているのです.
私はこれを最も危惧します.いや,もう既になっている.
ここから抜けることは不可能です.
いいですか,もう一度言いますよ.
もうこの状況を好転させることは不可能です.
世間様がそれを望んでいます.
世間様がそれを望んでいるぞ,と言い訳する奴らが大学内部にいます.
学生もそんなことを求めてくる.
保護者も訴えてくる.
もう終わってるんですよ,この国の大学教育は.
せめてもの希望は,文部科学大臣か総理大臣が主導して,世論に反してこの現状にメスを入れることですが.
それも期待できない,どころか絶望的です.
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