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オープンキャンパスをやって想う

先日,オープンキャンパスで「模擬授業」というのをやりました.
準備中だった頃の記事はこちら.
オープンキャンパスの来場者数を想う

私の専門が体育ですので,実技をやってもらうのが本当の「模擬授業」なのでしょうけど,そういうわけにはいかないので講義形式のものをやっています.
この時点で「模擬授業」ではありません.

それに,模擬授業っていっても最終的には「・・というわけで,そんな授業が受けられる本学にどうぞお越しください」という広告メッセージを巧妙に入れるのがオープンキャンパスでの我々のミッションなのでしょうけど,近年は私はそういうことをしなくなりました.めんどくさいので.

どんな大学に行っても,結局は自分次第というところですし.
だから「質問コーナー」でも躊躇なく「であれば,本学ではなく◯◯大学をオススメします」と言うようになりました.
こんなこと言うと,特に保護者が「!?」って顔をするのですが,こちとら受験者数に苦労していないので大きく出られる面もあったりで.

よっぽどその大学に思い入れがない限り,近場の大学に行けばいいんじゃないかな,って思います.
近場の大学でいいんじゃないの.入れたところでいいんじゃないの.っていう価値観が普通になれば,大学間競争という名の,実質上の経営サバイバルは緩和されます.
大学間競争がどれほどの害悪をこの国にもたらしたのか,それについては過去記事で何度も書いていますのでそちらをどうぞ.

経営サバイバルから開放されれば,まともな教員がまともな大学教育をやれるようになります.結果,まともな大学教育を受けられる学生が増え,最終的にはまともな卒業生と国民が増えます.
ちょっと理想論が過ぎるところもありますが,それでも今よりはマシです.

それに,我々多くの大学教員は「競争」することにモチベーションをもって研究や教育をしているわけではありません.より良い理論を生み出すことに関心があるのです.
より良い理論の構築には「競争」はマイナスに作用することはあれど,プラスには作用しません.
え? 研究グループ間の競争が,新しい理論を作ることに貢献しただろ,って声も聞こえそうですが,これは明らかに間違いです.この間違った認識は,特に声のでかい素人に多い.

研究グループ間の競争は,たしかに新しい理論を作る「速度」には貢献したかもしれません.でも,そうした理論が正しいかどうか,有益かどうか,価値あるものかどうかは保証しません.理論を作る速度を高めたからといって,それが正しい理論,価値ある理論を作る速度を高めていることにはなりません.むしろ,逆に作用する.
これは,この近現代社会が抱えている大きな病の一つといえます.

「科学の進歩は人の生活を楽にしたが,決して幸福にはしていない」と言われるのはそのためです.科学が発展すればするほど,新たな不幸を生むことだってある.
優れた乗り物が誕生すれば,移動行為は楽になりますが,それだけ共同体や人間関係を複雑にします.新たな医療技術は目前の病気を治せても,新たな難病を示して人を絶望させる.理論を作る「速度」を高めることは,幸せを得ることと相関しないのです.
まともな大学教員なら,このあたりをしっかりわきまえて教育しています.

でも,全ての大学教員が皆まともだとは言いません.
どこの大学にも,まともな教員と,まともじゃない教員がいます.
「競争することでより良い教育が受けられる」などとぶっ飛んだこと言い出す教員は必ずいる.
でも,まともな教員に師事できれば,その人はまともな大学教育を受けられます.
けれど,まともな教員を選択できるか否かを保証するのは,学生自身の見る目です.

もっと言うなら,「馬が合う」というのもあります.
だから第三者が「あの人はまともな教員だ」と評価していても,あなた自身にとって価値ある教員かどうかは分かりません.

オープンキャンパスでそれが分かりますか?
判るわけがない.それを学ぶために大学に行こうとしているのだから.

より良い大学を選ぶことに優先着手するよりも,より良い大学を生かすことに注力したほうが,この国のためになると想うのです.
でもそれは,大学間の競争からは生まれません.
学校教育にも同じことが言えると思いますけど.