2017年1月29日日曜日

「学校」が誕生した理由

前回もそうだったのですが,過去記事の意図の反芻,咀嚼を試みました.
もう一つ書いておこうと思います.

だいぶ以前になります.こんな記事を載せました.
なぜ教育者に右翼・保守が少ないのか
そこからの引用がこちら↓
右翼・保守的な教育方針を掲げる人に典型なのが,「社会に出たら他者との競争になる」ということで「だから学校では競争させることを学ばなければいけない」などと言い出すことです.
まともな教育者なら背筋が凍りつくような発想・着想ですが,彼らはそれをおくびにも出さずに言い放ちます.当然,そんなバカが教育現場に立つことは避けられてしまいます.だから右翼・保守的な教育者が少ないのです.
(中略)
「大人のルールを学校や子供に適用させようとする」
右翼・保守的な教育方針を推進する人の,最も典型なのがこれです.
もともと,近代における学校とは大人社会のルール,大人の論理から子供を守るために誕生したと言っても過言ではありません
最近,学生と類似した話題がありまして,そういえば昔,こんな記事を書いたことがあったなと思い出させてくれました.
でも,私としては穏やかな気分ではありませんでした.

その学生が言うんです,「ところで学校って,どうして存在するんですかね?」ですって.
オイオイ,君は教育系の授業を受講してるんでしょ? バカ言ってんじゃないよ.

「学校の先生」を目指す者なら誰しもが知ってるはずのことです.
私も一応,「中学・高等学校教諭」の免許を持っているので大学の講義で勉強しましたよ,「学校が存在する理由」というものを.

ところがですね,いざネットなどで調べてみましても,この「学校が存在する理由」とか「学校が誕生した理由」が意外とメジャーなコンテンツじゃないんです.いやホントに.
まるで「諸説ある」なんて扱いになっているし,ウィキペディア日本語版でも内容が薄い薄い.ペラッペラです.
学校(wikipedia:2017年1月29日現在)
なお,ウィキペディア英語版も内容が豊富とは言えません.

「学校 存在理由」なんかでググってみたら,かなり悲しい検索結果を得られます.

もちろん,「学校」と言っても近現代における学校です.人類史における学校の誕生について話しているわけではありません.それであれば,たしかに難しい話.
でもね,こと “近現代” において学校が誕生し,それが存在する意義や理由というのは,教育についてまともに勉強した人なら常識的なことなんです.普通に講義で取り扱われますから.

学校誕生の事情を知らない人であれば,
「社会人になるための知識や態度を身につける」
というのを思いつくかと思います
文部科学省にもこうあります.
学校教育(文部科学省)
学校教育は、すべての国民に対して、その一生を通ずる人間形成の基礎として必要なものを共通に修得させるとともに、個人の特性の分化に応じて豊かな個性と社会性の発達を助長する、もっとも組織的・計画的な教育の制度であり、国民教育として普遍的な性格をもち、他の領域では期待できない教育条件と専門的な指導能力を必要とする教育を担当するものである。
ですが,これは学校が存在する本当の理由ではありません.
これはあくまで「学校教育」について説明しているのであり,表面的な理由であり,政治的・民主的に納得してもらうための理由なのです.
学校が存在する本質的な理由ではありません.

私も大学の講義で習い,今でも教育系領域では半ば常識的なものであるはずのものを書きますと,過去記事にも書きましたように,「大人社会のルール,大人の論理から子供を守るため」なんです.

産業革命に代表される近代・資本主義社会の始まりは,子供を経済的に優れた「労働者(小さな大人)」と見做し,これを搾取する力学が働きました.
効率よく資本を大きくしようとする人間の欲望は,より賃金が安い労働力を求めることを必然としますので,結果,そこでは子供の養育環境が劣悪なものとなったのです.
ここらへんの事情は,高校の世界史や社会なんかでも常識的なところですね.

つまり,残念なことに我々が生きる「近現代」という社会は,放っといたら子供ですらビジネス目的で搾取しようとする本性を持っているんです.

それではいけないということで生まれたのが近代における「福祉」の始まりであり,子供を一定期間そうした環境から隔離する法律が作られてゆき,それに伴い誰もが入学できる「学校」が誕生します.
それが現在の「学校」の存在理由であり,誕生した経緯です.

極端に言えば,私達が知っている学校というのは,「大人社会から子供を隔離するために存在する」のです.
逆に言えば,誰もが思いつく「社会人になるための知識や態度を身につける」というのは,そうした「大人たち」を納得させて,子供を学校に行かせる制度を作る上での建前でしかない.
そう捉えてもらえれば,学校にまつわる諸々の話が,スゥーッと腑に落ちてくれるのではないかと思います.
もっと言えば,この部分の認識において「(まともな)教育関係者」と「一般人」との間で大きな齟齬があるんじゃないかと思うんですよ.まぁ,当然かもしれません,建前があの建前なわけですから.

さてその上で.
「今の学校は社会から隔絶されているから云々」だとか,
「もっとビジネスの役に立つコンテンツを云々」だとか,
「教師は一般社会を知らねぇから云々」
といった批判や指摘が,どれだけトンチンカンなものか分かっていただけるかと思います.

最近の日本の総理大臣は「云々」をデンデンと読むそうですが,
安倍晋三首相「云々」を「でんでん」と誤読? 参院代表質問答弁で(ハンフィントンポスト)
そんな政権が教育改革とか,面白くない冗談です.

社会から隔絶もなにも,がんばって社会から隔絶させているのだから当たり前ですし,教師は一般社会を知っている必要はないし,むしろ “知っている” 奴に碌な教師はいない.

当然のことながら,これにはこんな反論もあるでしょう.
「今時,子供をビジネスのために搾取するなんてことは想像できないんだから,現代の学校は新たなステージに移行してはどうか?」と.
これはちょうど,自衛隊のことについて「今時,日本で戦争なんかあり得ないんだから,現実的な要望である『大災害救援隊』として編成すればいいのではないか」というのと似ています.

答えは「ダメ」です.
“それ” がどのような形で存在しているか,取り巻く事情や環境は多々あるでしょう.問題・課題をたくさん抱えている場合もある.
でも,“それ” が誕生するに至った理由,存在する理由を簡単に扱ってはいけません.

軍隊があくまで戦争と国防のために存在するのと同様,学校はあくまで「社会から子供を守る」ために存在しています.その必要性に迫られて誕生した存在です.

そして,私に言わせればこうした “社会的要望” に学校は絶対に屈してはいけないし,学校の存在意義を問う重大な圧力なのです.


参考文献として,一般的なテキストを紹介しておきます↓