2017年4月10日月曜日

まだ言ってる「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」

もう2年以上前になりますが,こんな記事を書きました.
「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」の愚

2年以上経つのに,一向に状況は変わりません.
2年って,あっという間に過ぎるものですね.

今回もう一度,本件を取り上げてみたいと思いました.
その前に,上記の記事ではどんなことを書いていたのか.
長いですが,言いたいことが変わってるわけじゃないので,その趣旨を引用します.
『ニコニコ動画』とかで政治系の動画を見ておりますと,たまに目にするコメントが,
「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」
「じゃあ,誰だったらいいんですか?」
「代わりの人が誰なのか言えないのに,批判だけなら楽ですよ」
なんていうものです.
Yahooニュースのコメントでもたまに見ることがあります.
こういうのって,今ならほぼ100%現総理大臣・安倍晋三についてのやり取りにおけるものなんですけど.
(中略)
代わりは誰かいるのか?
えぇ,いるでしょ山のように.
同じ党(現時点では自民党)にいっぱいいるじゃないですか.誰に代わっても大丈夫なように党を組んでいるわけで,そのための「政党」なんですから.
「いや!ア◯ちゃんしかいない!他の奴ではダメだ!」
って叫ぶ人もいるかもしれませんが・・,そういう人に聞きたいのは,
では,現総理大臣が事故や病気,トラブルなどで急死したり政治家をやれない状態になったらどうするんですか?
この国は終るのでしょうか?
そんなことは無いですよ.次を担当する総理大臣が粛々と引き継ぐだけです.
良きにつけ悪しきにつけ,この国の政治を民主主義で執り行っている以上,一般国民の意見が時の政治に反映されることになります.
つまり,現政権が行っている政治とは,現在の一般国民の多数派の意見が取り入れられているということです.
もっと言うなら,その時の一般国民の意見を集約して具現化する装置が政権ということになります.
であるならば,時の政権がやろうとしていることについて,一般国民は積極的にイチャモンをつけなければ民主主義が成り立たないのです.
もし時の政権に対して随時国民がイチャモンをつけて修正改善を要求しなければ,それは王様を多数決で決めているようなものになってしまいます.
皆で王様を決めたら,あとはその王様の意見に従おう,と,そういうことになります.
(中略)
「私はこの人を信じる」とか「きっと何か裏があってのこと」など妙な深読みをして政権や政治家を評価してはいけません.
彼ら政治家に「国民は,こういう政策を良しとしている」と思わせてしまうことになるからです.国民自身にとっても「あぁ,俺達ってこんな政策を望んでるのかぁ〜」と自己暗示めいたものになりかねません.
故に,トンデモ政策にはその都度しっかりと批判する必要があるのです.
その後もこの「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」は幅を利かせています.

本件について,いくつか言い足したいことがありますので,以下に示します.

まず,「代わりは誰かいるのか?」という問いには重大な問題があります.
というのも,きっと彼らは「代わりの誰か」を示したところで,それを受け入れようとしない,という点です.
こういうのを一般的に「お花畑」と言います.
「代わりは誰かいるのか」と言ってるお花畑に限って,相手に向かって「お前らサヨクはお花畑だ」と言い放つことが多い.不思議ですね.

はっきり言えば,「代わりは誰でもいい状態にしておくこと」が重要なのです.
それが真っ当な組織やチーム,ましてや「政治」の在り方でしょう.
担当者が事故やトラブルに遭遇した時,すぐさまバックアップがとれる状態にあることが,強靭なチームであることを意味します.

隊長が殺されたらチリヂリになる軍隊や,監督が病欠したら士気がダダ下がりになる野球チームが「強い」とは言えません.
しかし,得てしてそういう「誰か一人に頼ったチーム」という存在にシンパシーを感じる人は多いものです.
ちなみにこれは,特にスポーツ経験が浅く,競技力向上というものに正面から向き合ったことがない人に顕著なように思います.あくまで私の皮膚感覚ですが.

一般的に,強力なパフォーマンスを発揮するチームとは,一人ひとりが自己の役割を認識していて,欠員が出たとしても,それをどのようにカバーすれば良いか無意識的にやってのけます.まさに一つの個体のように振る舞うのです.

それはともかく,誰か一人に事故があれば機能不全に陥る組織や国がマトモなわけがない.
結論として,今の我が国は極めてマトモじゃない,ということを彼ら自身がゲロっているに等しい.
故に「お花畑」.

次に,そもそも政治家は自らの進退でしか責任がとれないのです.
「責任者」というのは自らの進退で責任をとるものです.ましてや民主主義国における政治家ともなれば,亡国・売国の結果を産んだ責任はそれでしか取れません.
それを「他に誰がいるんだ」などと甘やかしていたら,日本の政治が破綻します.

まるで過保護な親に対する忠告のようですね.
暴力・窃盗事件を起こした我が子に「この子は本当はいい子なんだ.だからちょっとくらい見逃してくれ.勉強はクラスでトップだし,部活でも活躍しているんだ!他にも似たようなことをしている生徒はいる!」などという擁護が,どれほど不道徳なのかは論を俟たないでしょう.
信者の人達にはツラいかもしれませんが,ここで贔屓にしている政治家を甘やかすと,この国のためにはなりません.

こんなこと言ってると「じゃあ蓮舫や志位とかに政権を任せるのか!」とか怒ってきそうなんですが.
そんな話ではありません.

政治家は進退でしか責任がとれないのだから,「ダメなものはダメ」で責任をとらせるのが筋ってもんだろ,という話です.
蓮舫や志位にも同じことを適用すればいいだけのこと.国益に適う政策を進め,結果を出す政治家を残すよう研鑽するしかありません.そうやって政治の質を上げることが先決のように思います.

もっと言えば,「代わりは誰かいるのか」って言ってる時点で,彼ら自身も本当は「ア◯首相」ではダメだということを感じ取っているわけでしょ?
結果を見れば,民主党時代よりも酷い有様です.
だから「代わりは誰かいるのか」という言葉となって出てきてしまう.まともに物事を考えられなくなっているんですね.

「日本の周辺がきな臭くなっている今,そんな悠長なことを言ってられない」という人もいるかもしれません.
ですが私からすれば.5年近くまともに政治ができていない政権のままでいる方が,よっぽど危機だと思います.

何事も,始めるのに遅すぎることはありません.あの首相を早く引きずり下ろすか,引きずり下ろすような圧力をかけるべきです.本当に遅すぎてからでは遅いのです.

残念ですが,このままだとあの首相は国賊のラインを越えます.本人にその自覚はないと思います.
たぶん歴史の教科書に載ります.そして40年後,その扱いについて教科書検定でもめると思います.