2017年4月21日金曜日

井戸端スポーツ会議 part 45「スポーツカーのこと」

最近,スポーツとファッションに関する記事を書いたんですが,その延長線上に「スポーツカー」の話があると思うんです.
以下,そんな話をしてみます.

ところで今日,こんなニュースがありました.
日産スカイラインが「還暦」 販売は最盛期の40分の1
若い世代に支持されたスカイラインも、昨年の販売は約4千台と最盛期の40分の1。2015年度の日本自動車工業会の調査では、車を持たない若い世代の7割が「車に関心がない」と答えた。日産の星野朝子専務執行役員は「日本の若者の熱情を集めた車がスカイライン。いまの若い人たちにも楽しさが伝わるといい」と話した。
スカイラインと言えば,私にとっては「父」の車です.
なんでも,私の父は若い頃にスカイラインを3代に渡って乗っていたと自慢しています.
以下,それらのスカイラインです.ウィキペディアから写真を引いてきました.

3代目スカイライン C10
4代目スカイライン C110
5代目スカイライン C210

私にも小さい頃の記憶として,我が家にセダンタイプの車があったことを覚えています.
サイドミラーがドアとフロントガラスの根っこではなく,前輪の上・ボンネットのところについていました.懐かしいですね.

そしてこれだけは言える.うちの父にC110は似合わない.

父としては高知の片田舎で家庭をもったこともあり,ちょうどバブル崩壊もあったのでスポーツカーはいらないと考えたようで,私が保育園を卒業する頃に手放しています.だからスカイラインがあったことを覚えていますが,乗っていた記憶はほとんどありません.

そんなスカイライン.上述記事にあるように,まさに30〜40年前は若者の車だったわけです.父も20代〜40歳にかけて乗っていたものなので.

ところがこのスカイライン.私も「いつかは乗ってみたい」と思っていたのですが・・・.
今はこんなフォルムです.


13代目スカイライン V37
なんていうか,これじゃない感があります.
はっきり言ってダサい.
それで,お値段なんと400万円超.

さっき,写真元でもあるウィキペディアで「歴代スカイライン」を眺めてみたんです.
スカイライン(wikipedia)
んで,私が欲しいと思うのは2代目「S5」か,4代目「C110」ですかねぇ.

でも,仕方ない部分もあると思うんです.
若者の車離れと低所得が叫ばれる今,メーカーとしても狙うのは「スカイラインに憧れたオッサン世代」.つまり,40代〜60代でスポーティーさをアピりたいけど無理してスポーツカーに乗るほどハッチャケたいわけじゃない,っていう層でしょうか.
なのでフォルムも「オッサン」にウケるようなものになるんだと思います.

「日本の若者の熱情を集めた車がスカイライン。いまの若い人たちにも楽しさが伝わるといい」(朝日新聞2017.4.21)
と日産の人は述べているようですが,どうやら今のスカイラインは若者の車ではないように思います.

ちなみに,現行車全体を通して,お値段無視して私が「欲しい」と思うのはこれ.
BD11 アストンマーチンHPより
手が届かないこと,この上ない.

なお,日本車縛りならホンダのNSXが別格です.
NSX ホンダHPより
こいつら,なんていうか・・,エロいですよね.


そうそう,今回はスポーツカーとファッションの話をするっていうことでした.

スポーツカーのフォルムに感じるものは,「人」の身体と同じだと思うんです.
つまり,これら自動車のデザインに対する感性も,人間の身体に感じるそれと同じものがあるのではないか? ということ.

少なくとも私はBD11やNSXにエロさを感じます.タイトなカクテルドレスをまとった艶のある女に似た何かを感じます.
逆に,スカイラインV37に感じるのは,ダイエットに励むタオルを首に巻いたオッサンの姿です.
現在のスカイラインが若者ウケしていないというのも,世相や値段だけじゃなく,そこに「オッサンの身体」があるからではないか? そんな気がします.

だいぶ前の記事で,
というのを書きました.
人間は自分の身体というメディアを利用して物事を理解しようとする,という話です.
そしてこれは人間同士のコミュニケーションだけでなく,その他の動物,さらには物体をも「身体」として理解しようとするのではないか?
その記事から少し引用します.
「我思う.故に我あり」ではなく,「我がある.故に我思う」というところでしょうか.そしてその「我」の存在は「身体」を抜きに「我」とはならない.
どこまでも心と身体は分離不可能なものと考えられるのです.
(中略)
私たちは,このような(自分の)身体があるから自分として成り立っていられるわけで,この身体から離れてしまうと,もはやそこでは,今,私が私として認識している私(人間)はなくなってしまうということでしょうね.
このようにして考えていきますと,人間が物事を理解するプロセスについてもう一つのテーマが浮かんできます.
それはつまり,
人間は身体というモノを依代として物事を理解しようとする
ということです.
いわゆる「擬人化」というのと似ています.動物とか乗り物とか植物を「ヒトの形」をしたものとして描く手法です.
擬人化(wikipedia)
最近は「萌え擬人化」というのもあるらしい.
萌え擬人化(wikipedia)

擬人化は,さまざまな物を「人間の身体」として描くことで,対象を理解しやすくしようとする技術的・認識的欲求だと考えられます.
ということは,擬人化して描こうとする欲求それ自体がどこから発生するのかというと,おそらく人間は万物を「ヒトの形」として理解しようとしているからではないか? と考えられます.

さて,どうしてBD11やNSXがエロいのか?
おそらく,こういう生粋の「スポーツカー」は,着飾っていないからです.着飾らず,その身体をさらけ出している.ゆえにそこには性的魅力が現れてしまう.
「え? スポーツカーって,いかにもデザインに凝っているように思えるんだけど」という人もいるかもしれませんね.

そもそも,スポーツカーは「自動車」の原生的な姿です.
ウィキペディアにもこうあります.
スポーツカー(wikipedia)
「スポーツカー」は自動車のカテゴリ中、最も古いものの一つである。
もともと自動車は,生活・仕事のための「労働」に先駆けて,「レジャー・スポーツ」することを目的として作られています.
本ブログでは「スポーツが人間らしさの象徴」であることを繰り返し述べてきましたが,実は自動車も「スポーツ」がその本質にあるということです.

自動車が自動車として存在するための最小のものを身にまとった存在がスポーツカーと言えなくもない.
さっきまで「エロい」という表現をしていましたが,これはその自動車のデザインが女性的であるところが多分にあるでしょう(あくまで個人的感性ですが).
ですから,スポーツカーによっては男性アスリートのようなものもあります.かつて「スカイライン」と称されていた日産GT-Rなんかにはそれを感じます.
GT-R 日産HPより
なお,この日産GT-Rですが,本当に「ゴリマッチョ・アスリート」のようなエンジン・パフォーマンスを発揮することで有名です.
GT-Rがこんな風貌に行き着いたのも,もとい,製作者やデザイナーがこういうフォルムにさせたかったのも,やっぱりその内面が「ゴリマッチョ」だからではないでしょうか.内面が外面に現れるのです.

ところで,手の届く範囲で欲しい車は? と問われたら,私は今はこれですかね.
ロードスター マツダHPより
もしくはこっち.
S660 ホンダHPより
以前乗っていた「ダイハツ・ムーヴ」でもいいかなって思うんですど,せっかくならこういうのに乗ってみたいですね.
小さい車の方が,今時の道路交通事情からすれば「走る楽しみ」が味わえると思うんです.NSXなんか乗っても,なんだか申し訳ないような走りしかできないでしょう? 
関東から引っ越したら,上記のような車を買うつもりです.


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