2017年6月8日木曜日

テロと大学の海外研修プログラム

以前もそんな記事を書いたことがあったかと思いますが,最近またテロが頻発するようになってきたので,もう一度書いてみます.

グローバリズム推しが激しい昨今の文部科学省は,大学に「海外研修プログラム」を充実させることを要求しています.
“海外研修” という響きが好きな教員,そして学生・保護者もたくさんいるので,ある意味でウィン・ウィンなものとして捉えている人もいるようです.

ところが,ここにきて国際的なテロ事件が頻発するようになってきたので,何かあった時に大学がどこまで責任をとるのか喧しくなってきました.

大学側がどこまでサポートできるのか? とか,危険を予測できるのか? とか,発生した際に大学側が学生をどこまで守れるのか? といった話です.

結論的には,海外研修中や留学中の学生がテロに巻き込まれたところで,それは大学ではどうしようもありません.
日本という「国」ですら手をこまねいて何もしないのに,テロ対策なんぞ大学ができるわけないでしょう.

そもそも,テロリストの立場としては「まさかここで起きるとは!」と思わせるところにその活動の意義があります.
そういった恐怖(テロル)によって,混乱を引き起こすことが目的です.
だから「予測」することなどできません.ましてや大学ができることなんてしれている.

もっと言えば,海外研修や留学こそが,そういった「テロの危険性」をかいくぐって行くところに意義があるとも言えます.
以前,これと似たような状況である「登山」について記事を書いています.
井戸端スポーツ会議 part 43「小林秀雄が語るスポーツの精神」
井戸端スポーツ会議 part 44「スポーツの精神が大切なわけ」

こういった国際的に不安定な状況がニュースになってくると,学生の海外研修や留学でも犠牲者が出るものです.それに対し,
「危ない国に行く奴が悪い」「危ない地域に行かせた大学に責任がある」
ということになって,だったら,
「そういったところには,最初から行かせなければいい」
という話になりやすい.

今,大学に突きつけられている悩みは,まさにこれです.

たしかに私個人としては,こうした状況下では「海外研修には行かない」という選択をするかもしれませんが,でも,そうした危険を承知で海外研修や留学に行く他者を批判しようとは思いません.

「グローバルに学びたい」
無責任な世論や,それに突き上げられた文部科学省の方針に煽られてしまった学生もいるのでしょうが,そうは言ってもグローバリズムについて勉強したいという思いはたしかに存在します.

私はそういう学生を止めるつもりはありませんし,本人もそれでいいというなら送り出せばいいと思います.
もちろん,その中の何人かは大変な思いをするでしょう.死ぬことだってある.
でも,そうしたことを通して「グローバリズムとは何か?」をその身をもって学べるはずです.
テロを頻発させ,テロに怯え,テロに抗う国とはどういう社会なのか,その目で見てくればいい.それこそが有益な学習だと思います.そうしたことを通して,日本の特性や状況がわかるようになる.

誤解しないでください.
私はこういう状況下で海外研修や留学に行くことには反対です.でも,それはあくまで個人としての話.
海外研修や留学に行きたい人を止めるつもりはありません.

その上で,組織としての「大学」が海外研修や留学に躊躇している姿をみるのは滑稽です.
海外研修とは,日本とは異なる国に身を置くことそれ自体に学習の意義があるのではないのか?
私からすれば,彼らが海外研修や留学を学習の機会としてではなく,「観光」や「大学リゾート」と位置づけているからこそ,この「躊躇」が現れるのではないかと皮肉りたい.
日本国内の感覚をそのまま延長して「海外研修」や「留学」するなど,全くもって意味不明ではないか.

「研修生や留学生に対する大学側の手厚いサポート」を論じる人がいますが,私はむしろ反対です.
海外に出る者を大学という組織がサポートするのは無理があります.
出来ないのに「やれる」と言うことほど無責任なことはない.
端っから何もしてあげないことが優しさだし,混乱させずに済みます.

スポーツの精神で海外研修や留学を考えてみる.
そうした必要性がありそうです.


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