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電車の中で化粧する女性について
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前回取り上げた「江戸しぐさ」を書くにあたって,ネット情報を探していた時に見つけた話題にも触れておきたいと思います.
電車のマナーについてです.
昨年から東急電鉄のマナー広告が話題になっているんだそうです.
ずっと都内の電車を使っている身ですが,私はぜんぜん気づきませんでした.
■電車で女性が化粧をするのは「みっともない」? 東急電鉄のマナー広告が物議を醸す(ねとらぼ)ポスター版がこれです↓
「別に(今現在の)電車内での化粧くらい,放っといていいんじゃないの」
というのが私の意見です.
私自身,「電車内で化粧する女(男も?)」に遭遇すること自体が稀で,遭遇することはあっても迷惑も不利益もないし,心象を悪くすることもない.
たまにとんでもないブスが頑張って化粧しているのを見ることがありますが,その時に気分が悪くなるくらいで,でもそれは「電車内での化粧」に対してではなく「ブス」の存在に対してです.
「化粧するのはみっともないから」とのことですが,それを言い出したら電車内でモバイル・ゲームをやったり新聞を読んでる奴の方が劣悪に映ります.
それに,女性に対し「みっともない」という理由でマナー広告にするくらいなら,
「車内で下着が見える座り方はご遠慮ください」
「車内で口をパックリ開けて眠るのはご遠慮ください」
などと他にもいろいろ書かなきゃいけないことはたくさんある.
これについて,参考になる書籍があります.私としては賛同できることが多いので,この記事だけじゃ納得がいかなかった人はこちらをどうぞ.
パオロ・マッツァリーノ著『日本人のための怒りかた講座』
パオロ・マッツァリーノ氏が著書全体を通して指摘されているのは,「マナー違反だと思う行動」には積極的に面と向かって注意するべきで,そうしないのであれば,それは「マナー違反の行動」として扱われなくなるというものです.
言い換えれば,面と向かって注意できない行動はマナー違反ではありません.
さて,そう考えますと,電車内で化粧する女性に対して「すみませんけど,化粧するのやめてもらえませんか」と指摘している人はどれくらいいるでしょうか?
いないですね.私は見たことがない.
いないから女性たちも悠々と化粧してるんです.
しかも,「電車内での化粧」は「喫煙」とか「大声での会話」ほどの迷惑行為ではありません.
「化粧のパウダーが不潔」だとか言う人もいますが,それを言い出したら化粧済みの女性はみんな不潔になります.不潔を理由にするなら,風呂に入っていない奴とか,洗濯していないジーパンや革ジャンの方がなんぼか汚い.
「化粧中に粉が・・」などと苦しい理由を捻り出す人もいますけど,今時「白粉(オシロイ)」をパタパタさせるような大正ババアは見かけません.
実際,2007年の読売新聞調査では,電車内での化粧を不快に思う人は22.6%と少数派とのこと.
結局,ほとんどの人が「電車内での化粧には迷惑していない」のです.
だからツイッターとかフェイスブック,新聞の投書欄あたりでは「電車内での化粧がみっともない」とコメントしますが,実際の現場では「やめてくれ」と注意する人はいません.そこまでして「やめてほしい」とは思っていないんでしょ?
マナーは「その場」を円滑にする振る舞いによって成り立ち,そして継承されていくものです.
本当にやめてほしいなら,その場で注意・指摘するものです.
逆に,鉄道会社に任せているだけでは絶対にマナーとして成り立ちません.例のマナー広告にしたって,これが基で電車内の化粧が減ると思えない.
(私なりの「電車内での化粧を減らす方法」はあるんですけど,それはまた別の機会に取り上げましょう)
パオロ・マッツァリーノ氏も書籍で紹介していますが,この「電車内での化粧」は最近になって現れた現象ではありません.
それこそ大正ババアがお嬢さんだった頃から指摘されていたとのこと.「近頃の若い娘は電車の中で化粧をする」というお小言が,大正時代の新聞の投書欄にもたくさん載っているようですね.
昭和に入ってからは「電車内での化粧」を指摘する声は小さくなり,むしろ,「小型化した化粧道具を手際よく使えると女子力アップ」的な記事もあるくらい.
電車内での化粧が再び批判的になったのは90年代に入ってからとのことで,それはメディアが「電車内での化粧は見苦しい」というキャンペーンを展開したことによります.
つまり,それ以前の日本人は「女性が電車内で化粧をすること」について無頓着だったんです.
さらにパオロ・マッツァリーノ氏は「人前で化粧をするのは日本人女性くらいのもの」とか「海外では売春婦がすること」という話(そんな話があるの?)もガセであることを指摘しています.
結論から言えば,海外の女性も人前や電車で化粧をするんです.
アメリカの調査では「化粧直し程度ならする」が59%,普通に「する」は11%もいます.イギリスでは約70%の人が電車内で化粧をしているというアンケート結果が出ています.
■アンケート調査「あなたは公衆の面前でメイクをしますか?」(temtalia.com)
私も何カ国か海外に行っていますが,アメリカやイギリス以外の国でも普通に化粧していますよ.
っていうか,外国人女性が日本の電車で化粧してるでしょ.
ただし,「化粧を人前でするこのはみっともない」という価値観は,日本も海外も一緒のようです.
会議中に口紅をひき始めたり,食事をしながらマスカラ塗りだす女性がいたら,私でもそりゃ注意します.それこそ丁寧に「気付かず申し訳ありませんでした.すみませんが,化粧室はあちらにございますので」って.
でも,「電車」であれば別に構わないだろうと.そういうことです.
そもそも,どうして「人前で化粧する」がみっともないのか? これがポイントです.
私見を言わせてもらいますと・・,少なくとも現代社会における女性の「化粧」というのは,人前に立つ上での身だしなみですよね.その身だしなみは建前としては「完成」された状態でなければいけない.「貴方様の前に立つために私はこういう姿になって現れているのです」というメッセージが化粧という身だしなみには込められている.
ファッションとは,総じて「自分のため」ではなく「他者のため」にするものですから.
それに対し,「化粧をしている」という状況とは,人前に立つ姿として「未完成」の状況を意味します.
つまり,人前で化粧をするというのは,人前に立つための「完成した姿」ではなく,「未完成の姿」で人前に立っていることになります.
すなわち,人前での化粧という行為には,「貴方は私の完成した姿を見せるに値しない人物です」というメッセージが込められているわけです.
では,そういうメッセージが込められた行為を電車内での女性に見せられた「貴方」は,どう思うのか? という点が「電車内での化粧論」の最大の争点です.
私はどうも思いません.別に構わない.
私は貴女の前に立つ大事な人物ではないだろうし,私としても貴女に「完成した姿」で立ってもらおうとも思わない.
所詮,大都会でたまたま目の前に立った者同士.また次どこかで会うことなどありません.
電車というのはそういう場所です.会議室やレストランとは違います.
少なくとも,私は「電車の車内」という環境をそのように捉えています.
つまり,電車とは「完成した姿」で入り,他者と対峙する空間ではない.
(だから居眠りできるし,ゲームや新聞だって読めるのだろう)
そこには「他者」がたくさんいますが,それこそ「化粧室」と同じような公共空間としての位置づけだと思われます.いわゆる「女性専用車両」が誕生したのも,そこがトイレ・化粧室と類似した場所だという側面もあるからでしょう.
そして,そういうことを多くの人々も感じているのでしょう.日本だけでなく,多くの国々の人達が同じように感じている.
だから,電車内で化粧をする女性を「みっともない」と認識すれど,叱りつけたり注意する人はいないのです.
私はどっちでもいいけど,それでも電車内での化粧が不快だと思う人はいましょう.
結論としては,電車内での化粧を何が何でもやめさせたいのであれば,携帯電話の使用や,タバコ・飲酒などと同じく,「ルール違反」とみなせるだけの説得力をもった理屈がつくれるか否かにかかってきます.
おそらく,「マナー違反」で攻めてもダメだと思います.
上述してきたように,「電車内での化粧」は,現代社会においてマナーとして成り立たないからです.
オススメ書籍
電車のマナーについてです.
昨年から東急電鉄のマナー広告が話題になっているんだそうです.
ずっと都内の電車を使っている身ですが,私はぜんぜん気づきませんでした.
■電車で女性が化粧をするのは「みっともない」? 東急電鉄のマナー広告が物議を醸す(ねとらぼ)ポスター版がこれです↓
東急電鉄より http://ii.tokyu.co.jp/tokyusendiary/ |
というのが私の意見です.
私自身,「電車内で化粧する女(男も?)」に遭遇すること自体が稀で,遭遇することはあっても迷惑も不利益もないし,心象を悪くすることもない.
たまにとんでもないブスが頑張って化粧しているのを見ることがありますが,その時に気分が悪くなるくらいで,でもそれは「電車内での化粧」に対してではなく「ブス」の存在に対してです.
「化粧するのはみっともないから」とのことですが,それを言い出したら電車内でモバイル・ゲームをやったり新聞を読んでる奴の方が劣悪に映ります.
それに,女性に対し「みっともない」という理由でマナー広告にするくらいなら,
「車内で下着が見える座り方はご遠慮ください」
「車内で口をパックリ開けて眠るのはご遠慮ください」
などと他にもいろいろ書かなきゃいけないことはたくさんある.
これについて,参考になる書籍があります.私としては賛同できることが多いので,この記事だけじゃ納得がいかなかった人はこちらをどうぞ.
パオロ・マッツァリーノ著『日本人のための怒りかた講座』
パオロ・マッツァリーノ氏が著書全体を通して指摘されているのは,「マナー違反だと思う行動」には積極的に面と向かって注意するべきで,そうしないのであれば,それは「マナー違反の行動」として扱われなくなるというものです.
言い換えれば,面と向かって注意できない行動はマナー違反ではありません.
さて,そう考えますと,電車内で化粧する女性に対して「すみませんけど,化粧するのやめてもらえませんか」と指摘している人はどれくらいいるでしょうか?
いないですね.私は見たことがない.
いないから女性たちも悠々と化粧してるんです.
しかも,「電車内での化粧」は「喫煙」とか「大声での会話」ほどの迷惑行為ではありません.
「化粧のパウダーが不潔」だとか言う人もいますが,それを言い出したら化粧済みの女性はみんな不潔になります.不潔を理由にするなら,風呂に入っていない奴とか,洗濯していないジーパンや革ジャンの方がなんぼか汚い.
「化粧中に粉が・・」などと苦しい理由を捻り出す人もいますけど,今時「白粉(オシロイ)」をパタパタさせるような大正ババアは見かけません.
実際,2007年の読売新聞調査では,電車内での化粧を不快に思う人は22.6%と少数派とのこと.
結局,ほとんどの人が「電車内での化粧には迷惑していない」のです.
だからツイッターとかフェイスブック,新聞の投書欄あたりでは「電車内での化粧がみっともない」とコメントしますが,実際の現場では「やめてくれ」と注意する人はいません.そこまでして「やめてほしい」とは思っていないんでしょ?
マナーは「その場」を円滑にする振る舞いによって成り立ち,そして継承されていくものです.
本当にやめてほしいなら,その場で注意・指摘するものです.
逆に,鉄道会社に任せているだけでは絶対にマナーとして成り立ちません.例のマナー広告にしたって,これが基で電車内の化粧が減ると思えない.
(私なりの「電車内での化粧を減らす方法」はあるんですけど,それはまた別の機会に取り上げましょう)
パオロ・マッツァリーノ氏も書籍で紹介していますが,この「電車内での化粧」は最近になって現れた現象ではありません.
それこそ大正ババアがお嬢さんだった頃から指摘されていたとのこと.「近頃の若い娘は電車の中で化粧をする」というお小言が,大正時代の新聞の投書欄にもたくさん載っているようですね.
昭和に入ってからは「電車内での化粧」を指摘する声は小さくなり,むしろ,「小型化した化粧道具を手際よく使えると女子力アップ」的な記事もあるくらい.
電車内での化粧が再び批判的になったのは90年代に入ってからとのことで,それはメディアが「電車内での化粧は見苦しい」というキャンペーンを展開したことによります.
つまり,それ以前の日本人は「女性が電車内で化粧をすること」について無頓着だったんです.
さらにパオロ・マッツァリーノ氏は「人前で化粧をするのは日本人女性くらいのもの」とか「海外では売春婦がすること」という話(そんな話があるの?)もガセであることを指摘しています.
結論から言えば,海外の女性も人前や電車で化粧をするんです.
アメリカの調査では「化粧直し程度ならする」が59%,普通に「する」は11%もいます.イギリスでは約70%の人が電車内で化粧をしているというアンケート結果が出ています.
■アンケート調査「あなたは公衆の面前でメイクをしますか?」(temtalia.com)
私も何カ国か海外に行っていますが,アメリカやイギリス以外の国でも普通に化粧していますよ.
っていうか,外国人女性が日本の電車で化粧してるでしょ.
ただし,「化粧を人前でするこのはみっともない」という価値観は,日本も海外も一緒のようです.
会議中に口紅をひき始めたり,食事をしながらマスカラ塗りだす女性がいたら,私でもそりゃ注意します.それこそ丁寧に「気付かず申し訳ありませんでした.すみませんが,化粧室はあちらにございますので」って.
でも,「電車」であれば別に構わないだろうと.そういうことです.
そもそも,どうして「人前で化粧する」がみっともないのか? これがポイントです.
私見を言わせてもらいますと・・,少なくとも現代社会における女性の「化粧」というのは,人前に立つ上での身だしなみですよね.その身だしなみは建前としては「完成」された状態でなければいけない.「貴方様の前に立つために私はこういう姿になって現れているのです」というメッセージが化粧という身だしなみには込められている.
ファッションとは,総じて「自分のため」ではなく「他者のため」にするものですから.
それに対し,「化粧をしている」という状況とは,人前に立つ姿として「未完成」の状況を意味します.
つまり,人前で化粧をするというのは,人前に立つための「完成した姿」ではなく,「未完成の姿」で人前に立っていることになります.
すなわち,人前での化粧という行為には,「貴方は私の完成した姿を見せるに値しない人物です」というメッセージが込められているわけです.
では,そういうメッセージが込められた行為を電車内での女性に見せられた「貴方」は,どう思うのか? という点が「電車内での化粧論」の最大の争点です.
私はどうも思いません.別に構わない.
私は貴女の前に立つ大事な人物ではないだろうし,私としても貴女に「完成した姿」で立ってもらおうとも思わない.
所詮,大都会でたまたま目の前に立った者同士.また次どこかで会うことなどありません.
電車というのはそういう場所です.会議室やレストランとは違います.
少なくとも,私は「電車の車内」という環境をそのように捉えています.
つまり,電車とは「完成した姿」で入り,他者と対峙する空間ではない.
(だから居眠りできるし,ゲームや新聞だって読めるのだろう)
そこには「他者」がたくさんいますが,それこそ「化粧室」と同じような公共空間としての位置づけだと思われます.いわゆる「女性専用車両」が誕生したのも,そこがトイレ・化粧室と類似した場所だという側面もあるからでしょう.
そして,そういうことを多くの人々も感じているのでしょう.日本だけでなく,多くの国々の人達が同じように感じている.
だから,電車内で化粧をする女性を「みっともない」と認識すれど,叱りつけたり注意する人はいないのです.
私はどっちでもいいけど,それでも電車内での化粧が不快だと思う人はいましょう.
結論としては,電車内での化粧を何が何でもやめさせたいのであれば,携帯電話の使用や,タバコ・飲酒などと同じく,「ルール違反」とみなせるだけの説得力をもった理屈がつくれるか否かにかかってきます.
おそらく,「マナー違反」で攻めてもダメだと思います.
上述してきたように,「電車内での化粧」は,現代社会においてマナーとして成り立たないからです.
オススメ書籍
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