2018年10月25日木曜日

体育学的映画論「カメラを止めるな!」

ゾンビにまつわる映画が,ここ20年くらい世界中でブームになっています.
20年以上ともなると,もはや “ブーム” と言うより “ジャンル” です.
今となっては,「アクション」「ロマンス」「ホラー」「ミステリー」「コメディ」などというカテゴリの一つとして,「ゾンビ」が入っている状況です.

一方,日本では「ゾンビ」というモンスターに親しみがないからか,あまりゾンビ系の映像作品は製作されていません.
最近になって,本格(?)ゾンビ映画である「アイアムアヒーロー」が出てきたくらい.
タイトルに使わせてもらった「カメラを止めるな!」は,ゾンビ映画としては変化球.実際のところゾンビは出てこないので「ゾンビ映画」ではなく「コメディ映画」ですね.
でも,こっちの方が映画としての出来はいいと思います.今年の映画界最大のヒット映画と言えます.

対する「アイアムアヒーロー」は賛否両論のようですけど,私としては「?」ってなる作品でした.やや退屈かな.
漫画が原作だからかもしれませんが,行動や判断がいかにも「漫画」なんですよね.ここんとこは実写映画らしく,実写に耐える脚本や演出にしてほしかったところ.
それに,クライマックスでゾンビを倒し尽くした大泉洋が,後光が指すなかカッコよく立って,それに有村架純が「ヒーロー・・・」と呟くという,造り手としてはやりたくなるけど絶対にやってはいけない稚拙さ満載の致命的シーンが入っています.
面白い映画だとは思いますが,そのあたりが残念.

ただ,アイアムアヒーローは日本では唯一と言っていいゾンビ映画なだけに,その本質的な部分をシンプルに描いてくれています.
それは,「ヒトを躊躇なく撃ち殺せる」ことと,「ゾンビの正体」です.

近年のブームの発端は,ゾンビ映画の元祖「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド(1968年)」の監督であるジョージ・A・ロメロ氏が言うには「テレビゲームの影響」とのことです.
なぜゾンビはゲームで大流行してるの? ガチゲーマーの若手批評家がゾンビゲーム史と共に徹底解説(電ファミニコゲーマー  2017.10.2)
私たちが中学・高校の頃(90年代中頃)に登場したテレビゲームに,「バイオハザード」というのがあるんです.
シューティングゲーム界に一大ブームを巻き起こしたのも,今となっては懐かしいですね.ちなみに,私はもっぱらSFCのRPG派なので,そっちは未プレイですけど.
その後,バイオハザードは順調にシリーズ化し,2002年からはミラ・ジョヴォヴィッチ主演で映画「バイオハザード」シリーズとなります.
これが近年のゾンビ映画ブームの嚆矢とされているようです.

ゾンビと化した人間は救いようがありません.
なんせ,いかにも助かりそうにない見た目になるからです.
皮膚は溶け,血まみれでボロボロ.顔色も悪いです.
仮に「特効薬」があったとしても,元の姿に戻れる可能性は極めて低いし,戻ったとしても,それが女性ならこんな顔で生きるくらいなら死んだほうがマシとも言える.
しかも,理性を無くしてて言葉も通じず,一方的に襲ってくるので,こっちにとっては害があります.
だから躊躇せずにバンバン殺せるのです.ゲームとしても映画としても,こんなに便利な敵はいません.

と同時に,これがゾンビの正体でもあります.
言い換えれば,私たちが「殺意」を覚え,その気持ちをストレートにぶつけたくなる存在がゾンビなのです.
ゾンビ映画では,そうした存在を「ゾンビ」として描いています.
つまり,ゾンビとは「救いようのない人間」であり,どうやったところで「助かりそうにない人間」であり,こちらの「言葉が通じない」,私たちに「害がある人間」なのです.

こういう人間を,日本では「DQN(ドキュン)」と言ったりします.
ウィキペディアによれば,DQNとは,
日本語の文脈で使われるインターネットスラング・蔑称の一つである。軽率そうな者や実際にそうである者、粗暴そうな風貌をしている者や実際に粗暴な者かつ、非常識で知識や知能が乏しい者を指すときに用いる。
とあります.
DQN(wikipedia)

さて,これは偶然でしょうか.
「アイアムアヒーロー」においてゾンビ化した人間のことを「ZQN(ゾキュン)」と呼ぶんです.
私としては,このZQNとは,DQNのゾンビ版(だからZ?)と解釈しています.

DQNは,言葉が通じず救いようのない害のある人間ですが,一応は人間ですから,殴ったり撃ち殺したりすると犯罪です.
これを躊躇なく処分できるのは,ロバート・マッコールさんくらいのものです.
でも,これがゾンビやZQNになれば,人間の形はしていますが,間違いなく言葉が通じず救いようのない害のある存在ですから,思いっきり殴ったり撃ち殺したりできます.
※逆に言えば,「イコライザー」のようなDQNを暴力的に処分する映画がヒットするのも,ゾンビ映画のバリエーションとも言えますね.

ゾンビ映画が流行するのは,その背景に社会的不安があるという分析もあるそうです.
たしかにそうかもしれません.
つまり,我々が住まうこの社会には,言葉が通じず,救いようのない,それでいて害のある,まるでゾンビのような人間がウヨウヨいるということ.そんな奴らが増えてきた.
たしかに,こういう連中はウヨにもサヨにもいますが,どちらかっていうとウヨにウヨウヨいます.

さらに恐ろしいのは,ゾンビに噛みつかれると「感染」してしまい,まともな人間に戻れなくなってしまうという設定.
その逆はないんですね.これの意味するところは興味深いです.

悪貨は良貨を駆逐するじゃないですけど,こういう「ネトウヨ」とか「大衆」といったメンタリティを持った人間は,徐々に増えていくことはあっても,減らすことは難しいということを暗示しているのかもしれません.
ちょうど,ゾンビ映画がブームになってきた頃というのは,インターネット,それもSNSの普及と相関しているようにも思えます.
一つの刺激的な言論が,インターネットとSNSを媒介として急激に感染していく.その刺激に感染した者達は,もはや他の言論を聴く姿勢は持たず,異なる意見に対しては脊髄反射のごとく噛みつくようになってしまう.そういう状況がゾンビ化と似ています.

私はずっと以前から,ゾンビ映画が氾濫する現状をみて,いつか「ゾンビに噛みつき返したら,そのゾンビが元の人間に戻れる」という設定の作品があれば見てみたい,と思っていました.
でもこれ,結構面白い設定だと思うので,誰か実現してくれませんかね.
やりようによっては,凄い絵が撮れると思うんですけど.

あっ,この記事のタイトルの話をするのを忘れていました.
そんなゾンビ映画がブームになっている現代にあって,「カメラを止めるな!」はどういう映画だったかと言うと,まさに「人間がゾンビに噛みつき返す」ような作品だと思うんですよ.
見終わったあとに,なんだかほっこりした気分になれるのも,ゾンビを本当の意味で退治するとはどういうことか,それを見ているからではないでしょうか.

2018年10月24日水曜日

体育学的映画論「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」

原題が『Darkest hour』ということで,おそらく「夜明け前が一番暗い(The darkest hour is just before the dawn)」を指しているのだと思われます.

ヒトラーに支配されてゆくヨーロッパにあって,その反撃の芽となるチャーチル首相就任にまつわる話.ヒトラーの脅威がヨーロッパ全土を覆っていた暗黒の時代を描いています.
ゆえに,「夜明け前」の時間である「Darkest hour」なのでしょう.

政局によってしかたなく首相に就任したチャーチルが,ヒトラーと対決姿勢を示すまでの話なので,“ヒトラーから世界を救うお話” ではありません.イギリス人以外の,それも日本人が観るには,かなり地味なものとなっています.
ただ,「ヒトラーから世界を救った男」が,どういう経緯で誕生したのか興味深く撮られています.私はこういう作品は嫌いじゃありません.

あと,主演がなんでも演じられるゲイリー・オールドマンなのですが,体型や容姿がぜんぜん違うチャーチルを演じるために特殊メイクをして出演しています.パッと見ではゲイリー・オールドマンには見えません.
この特殊メイクが非常にハイレベルで,この手の見せ方によくある違和感や無理矢理感が全く無いんです.辻一弘という日本人メイクアップアーティストが担当しており,メイクアップ&ヘアスタイリング部門でアカデミー賞も受賞しているとのことです.

今年の3月に日本公開された作品でした.興味はあったんですけど,足を運ぶのが面倒だったので映画館では見ず,さっき動画配信サイトで見ました.
最近はヒトラーとかナチスにまつわる映画やドラマが多いですね.
この現象を解説したサイトがいくつかあります.
ヒトラー&ナチス映画が最近増えているのはなぜ? 「欅坂46」も巻き込んだナチズムの危険な魅力(エキサイトニュース 2017.7.12)
1.ヒトラーやナチスを扱った映画はクオリティが高い(適当には作れないから)
2.歴史的に時間が経過したことから,突っ込んだテーマのものを作りやすくなった
3.単純に,観客が見込める
ということでしょうか.

特にこれらが象徴的なのは,ご当地ドイツで2015年に作られたコメディ映画,『帰ってきたヒトラー』ですかね.
コメディではありますが,「ヒトラーは民主的に選挙で選ばれた,当時のドイツ人が望んで現れた政治家」であること,そして「今まさに現代のドイツ人が心の奥底で望んでいる政治家が,ヒトラー的な政治家ではないのか?」という,かなり突っ込んだ内容の映画です.

「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」では,そんなヒトラーやナチスの危険性を予期し,ファシズムと独裁政治のイギリス侵入を断固として拒む政治家としてチャーチルは描かれます.
劇中にもあるように,軍事技術で圧倒されており,フランス・ダンケルクまで追い詰められたイギリスが,それでもドイツと和平交渉しないというのはかなり思い切った判断です.
つくづく,政治家は運と度胸,それに国の行く末を憂う信念が必要なのだと考えさせられます.

それはともかく,細かい歴史の描写は抜きにして,この映画の見所を一つ.
チャーチルと言えば「Vサイン」と,トレードマークの「タバコ」,それも太い葉巻を咥えた姿ですよね.
チャーチルのVサイン
葉巻を吸うチャーチル
映画には,チャーチルのVサインが登場したエピソードや,そこかしこで葉巻を吸うチャーチルの姿が見られます.
チャーチルは太い葉巻を好んだことから,現在ではこのサイズの葉巻を「チャーチル」と呼ぶようになったほどです.

映画レビューのサイトには,「昔はいろいろなところでタバコが吸えたんだな」「そこらじゅうで皆がタバコをふかしている」という,喫煙者に対して厳しい目が注がれる現代らしいコメントもあります.
たしかに,この映画は「タバコ」が一つの象徴的なアイテムとなっていますが,注目すべきところはそこではありません.

本作には,ベン・メンデルソーン演じる,イギリス国王ジョージ6世が登場します.現在のイギリス女王であるエリザベス2世のお父さんです.
ジョージ6世と言えば,最近の映画では『英国王のスピーチ』(2010年)で吃音症に悩まされるエピソードが有名ですが,このジョージ6世もたいへんな愛煙家だったようで,それが遠因となって病死したとも言われています.

太い葉巻を無骨に吸うゲイリー・オールドマンのチャーチルに対し,ベン・メンデルソーンのジョージ6世は一般的な細いタバコ,いわゆる紙巻きタバコをスマートに吸う姿が印象的です.
そのジョージ6世の喫煙シーンは,360度いかにも「英国紳士」と言える見事な姿.
推測ですが,泥臭く肝の座った政治家チャーチルとの対比として,ジョージ6世が置かれているのだと思います.演じたベン・メンデルソーンは,そのあたりをかなり意識して喫煙していたのではないかと.

ナチス・ドイツとの関わり方について,政界で孤立無援になってゆくチャーチルに手を差し伸べたジョージ6世は,当初はチャーチルを嫌っていました.
無骨に吸われる太いシガーと,スマートに吸われる細いシガレット.
その両者が手を取るところに,イギリスという国の豪快さと懐の深さを見ることができます.

2018年10月5日金曜日

体育学的映画論「イコライザー2」

デンゼル・ワシントンは私が好きな俳優の一人です.
彼の作品にハズレはありません.

前作『イコライザー』の続編である今作.
なんか嫌な予感がするけど,デンゼル・ワシントンが出る作品だから大丈夫だろうと期待して観てきました.

さて,その感想ですが,ハズレではないけど「“2”は期待を裏切ってくる」の法則が成り立っていたことはたしかです.
ちょっぴり残念.

【以下,映画の内容を類推することができるものになっているので,ご注意ください】

前作の「イコライザー」は,さしずめアメリカ版「必殺仕事人」.
アクションあり,人情ありの,スタイリッシュな勧善懲悪を気分良く見れる映画になっていました.
男たるもの,マッコールさんのように生きるべき.そう思わせてくれたものです.

極々普通に見えるホームセンターの店員が,実は凄腕の元CIAエージェント.
彼はそのスキルを活用して,一般人がやろうと思っても出来ない暴力的な人助けをする,というものでした.
今作も基本的にはこれを踏襲しています.

世の中は悪党がいっぱいのさばっている.
けど,それに対するカウンターも存在する.
ロバート・マッコールは,その悪党に対する「イコライザー(平衡装置)」なのです.

前作「イコライザー」では,そのイコライザーっぷりを存分に発揮したロバート・マッコールでしたが,今作ではイコライザーを通り過ぎて「アベンジャー」になっていました.
そういえば,アベンジャーって名前の集団が既に別の映画にいますよね.
つまり,この映画の魅力であるコンセプトや設定から外れてしまったパターンです.

これと同じパターンのシリーズ映画に,ブルース・ウィリス主演の『ダイ・ハード』があります.
「ダイ・ハード」は,決して凄腕ではないオッサン刑事が,たまたま居合わせたテロ事件に巻き込まれ,多勢に無勢の中で勝機を探るという状況を楽しむものです.
ところが,「2」以降になるとシュワちゃんやランボーに勝るとも劣らない派手な戦闘を展開してくれます.普通のオッサンがあんなことできんだろ.
「3」では,共演したサミュエル・L・ジャクソンがその「居合わせた普通のオッサンがテロ事件に巻き込まれる」という役回りを演じてくれましたが,「4」とか「5(ラスト・デイ)」ではダイ・ハードの名前を冠したワンマンアーミー映画になってしまいました.
こうなると,もはやダイ・ハード(なかなか死なない奴)ではありません.

「必殺仕事人」もそうなのですけど,「イコライザー」の魅力は,マッコールに対峙する “敵” が彼の正体を知らないところにあります.
夜な夜なダイナーで『老人と海』を読んでいるような普通のオッサンが,裏ではマフィアや暗殺者を葬っている,そういう男がこの街にいる,という設定が面白いんです.

今回の「イコライザー2」では,マッコールのことをよく知る人間が敵にまわっていました.
これじゃない感はここから来ているものと思われます.

あと,マッコールが取り扱う「トラブル」も,日常的に見聞きするものの方が絵になると思うんですよ.
前作では,一連の事件のきっかけは少女の「売春」でした.
それに対するマッコールの過剰とも思える暴力的解決が,悪徳組織からの暗殺者派遣を招き,その暗殺者を返り討ちにした返す刀で組織のボスまで抹殺する流れが気持ちいいんです.
私たちのすぐそばに存在しているリアルで小さな事件を,根こそぎ徹底的に叩き潰すスタイルと言えるでしょう.

その点,今回は私たちの身の回りに存在する事件ではありませんでした.
マッコールにとってかなり個人的な事件であると同時に,国際的な政治事件だったんです.
なので,ロバート・マッコールがどれだけ凄い人物なのか知ることはできても,街の片隅でイコライザーしてる人間には見えない.

前作があんな感じだったので,「2」はこうなるのは仕方がないのかもしれません.
いわゆる「主人公の過去」というやつ.
だからこそ,続編として「3」が出るのであれば,もう一度原点に戻って楽しませてもらいたいです.
悪党に「お前は何者なんだ!」と断末魔の叫びをあげさせるのがお約束になるシリーズになってほしいですね.