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体育学的映画論「カメラを止めるな!」

ゾンビにまつわる映画が,ここ20年くらい世界中でブームになっています.
20年以上ともなると,もはや “ブーム” と言うより “ジャンル” です.
今となっては,「アクション」「ロマンス」「ホラー」「ミステリー」「コメディ」などというカテゴリの一つとして,「ゾンビ」が入っている状況です.

一方,日本では「ゾンビ」というモンスターに親しみがないからか,あまりゾンビ系の映像作品は製作されていません.
最近になって,本格(?)ゾンビ映画である「アイアムアヒーロー」が出てきたくらい.
タイトルに使わせてもらった「カメラを止めるな!」は,ゾンビ映画としては変化球.実際のところゾンビは出てこないので「ゾンビ映画」ではなく「コメディ映画」ですね.
でも,こっちの方が映画としての出来はいいと思います.今年の映画界最大のヒット映画と言えます.

対する「アイアムアヒーロー」は賛否両論のようですけど,私としては「?」ってなる作品でした.やや退屈かな.
漫画が原作だからかもしれませんが,行動や判断がいかにも「漫画」なんですよね.ここんとこは実写映画らしく,実写に耐える脚本や演出にしてほしかったところ.
それに,クライマックスでゾンビを倒し尽くした大泉洋が,後光が指すなかカッコよく立って,それに有村架純が「ヒーロー・・・」と呟くという,造り手としてはやりたくなるけど絶対にやってはいけない稚拙さ満載の致命的シーンが入っています.
面白い映画だとは思いますが,そのあたりが残念.

ただ,アイアムアヒーローは日本では唯一と言っていいゾンビ映画なだけに,その本質的な部分をシンプルに描いてくれています.
それは,「ヒトを躊躇なく撃ち殺せる」ことと,「ゾンビの正体」です.

近年のブームの発端は,ゾンビ映画の元祖「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド(1968年)」の監督であるジョージ・A・ロメロ氏が言うには「テレビゲームの影響」とのことです.
なぜゾンビはゲームで大流行してるの? ガチゲーマーの若手批評家がゾンビゲーム史と共に徹底解説(電ファミニコゲーマー  2017.10.2)
私たちが中学・高校の頃(90年代中頃)に登場したテレビゲームに,「バイオハザード」というのがあるんです.
シューティングゲーム界に一大ブームを巻き起こしたのも,今となっては懐かしいですね.ちなみに,私はもっぱらSFCのRPG派なので,そっちは未プレイですけど.
その後,バイオハザードは順調にシリーズ化し,2002年からはミラ・ジョヴォヴィッチ主演で映画「バイオハザード」シリーズとなります.
これが近年のゾンビ映画ブームの嚆矢とされているようです.

ゾンビと化した人間は救いようがありません.
なんせ,いかにも助かりそうにない見た目になるからです.
皮膚は溶け,血まみれでボロボロ.顔色も悪いです.
仮に「特効薬」があったとしても,元の姿に戻れる可能性は極めて低いし,戻ったとしても,それが女性ならこんな顔で生きるくらいなら死んだほうがマシとも言える.
しかも,理性を無くしてて言葉も通じず,一方的に襲ってくるので,こっちにとっては害があります.
だから躊躇せずにバンバン殺せるのです.ゲームとしても映画としても,こんなに便利な敵はいません.

と同時に,これがゾンビの正体でもあります.
言い換えれば,私たちが「殺意」を覚え,その気持ちをストレートにぶつけたくなる存在がゾンビなのです.
ゾンビ映画では,そうした存在を「ゾンビ」として描いています.
つまり,ゾンビとは「救いようのない人間」であり,どうやったところで「助かりそうにない人間」であり,こちらの「言葉が通じない」,私たちに「害がある人間」なのです.

こういう人間を,日本では「DQN(ドキュン)」と言ったりします.
ウィキペディアによれば,DQNとは,
日本語の文脈で使われるインターネットスラング・蔑称の一つである。軽率そうな者や実際にそうである者、粗暴そうな風貌をしている者や実際に粗暴な者かつ、非常識で知識や知能が乏しい者を指すときに用いる。
とあります.
DQN(wikipedia)

さて,これは偶然でしょうか.
「アイアムアヒーロー」においてゾンビ化した人間のことを「ZQN(ゾキュン)」と呼ぶんです.
私としては,このZQNとは,DQNのゾンビ版(だからZ?)と解釈しています.

DQNは,言葉が通じず救いようのない害のある人間ですが,一応は人間ですから,殴ったり撃ち殺したりすると犯罪です.
これを躊躇なく処分できるのは,ロバート・マッコールさんくらいのものです.
でも,これがゾンビやZQNになれば,人間の形はしていますが,間違いなく言葉が通じず救いようのない害のある存在ですから,思いっきり殴ったり撃ち殺したりできます.
※逆に言えば,「イコライザー」のようなDQNを暴力的に処分する映画がヒットするのも,ゾンビ映画のバリエーションとも言えますね.

ゾンビ映画が流行するのは,その背景に社会的不安があるという分析もあるそうです.
たしかにそうかもしれません.
つまり,我々が住まうこの社会には,言葉が通じず,救いようのない,それでいて害のある,まるでゾンビのような人間がウヨウヨいるということ.そんな奴らが増えてきた.
たしかに,こういう連中はウヨにもサヨにもいますが,どちらかっていうとウヨにウヨウヨいます.

さらに恐ろしいのは,ゾンビに噛みつかれると「感染」してしまい,まともな人間に戻れなくなってしまうという設定.
その逆はないんですね.これの意味するところは興味深いです.

悪貨は良貨を駆逐するじゃないですけど,こういう「ネトウヨ」とか「大衆」といったメンタリティを持った人間は,徐々に増えていくことはあっても,減らすことは難しいということを暗示しているのかもしれません.
ちょうど,ゾンビ映画がブームになってきた頃というのは,インターネット,それもSNSの普及と相関しているようにも思えます.
一つの刺激的な言論が,インターネットとSNSを媒介として急激に感染していく.その刺激に感染した者達は,もはや他の言論を聴く姿勢は持たず,異なる意見に対しては脊髄反射のごとく噛みつくようになってしまう.そういう状況がゾンビ化と似ています.

私はずっと以前から,ゾンビ映画が氾濫する現状をみて,いつか「ゾンビに噛みつき返したら,そのゾンビが元の人間に戻れる」という設定の作品があれば見てみたい,と思っていました.
でもこれ,結構面白い設定だと思うので,誰か実現してくれませんかね.
やりようによっては,凄い絵が撮れると思うんですけど.

あっ,この記事のタイトルの話をするのを忘れていました.
そんなゾンビ映画がブームになっている現代にあって,「カメラを止めるな!」はどういう映画だったかと言うと,まさに「人間がゾンビに噛みつき返す」ような作品だと思うんですよ.
見終わったあとに,なんだかほっこりした気分になれるのも,ゾンビを本当の意味で退治するとはどういうことか,それを見ているからではないでしょうか.