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大学について

前回の記事でも取り上げましたが,もう少し大学の本質について考えてみようと思います.

自身,大学教員になったということもあり,「そもそも大学とは何か」と自分の中で問う日が多くなりました.
学生のころから考えていたことではありますが,この “そもそも論” を蔑ろににして「新しい大学教育の展望」みたいな話がされるのは由々しき事態です.

「そもそも大学とは何をするところか?」
をしっかり論じていないで,あれこれ改革しても,学生や社会のためにはなりません.

反・大学改革論
で私の見解の断片は述べていますから,その繰り返しになってしまうのもアレなので,今回は私の大学観の基になっている書籍を紹介したいと思います.
私の思いつきをダラダラと垂れ流しているブログではダメだと思いますし.
大学という教育機関を考えてもらう上で,参考になれば幸いです.

 

今日は,
ヤスパース 著『大学の理念』


まさに1手詰の詰み将棋.

ドイツの哲学者カール・ヤスパースが,大学のあり方について論じた本であります.
古典ですが,非常に明快かつ説得力のある文章で(訳者の福井先生の力でしょうけど),他を圧倒しております.


大学改革を声高に唱える人に読ませたい本No1.

ダラダラと学生生活を送る学生に読ませたい本No1.

自信を持って授業ができない大学教員に読ませたい本No1.

そんなところです.


ヤスパースの言葉を,いくつか引用してみましょう.
大学は,移ろいゆくことのない理念,つまり教会のそれと同じような,国家を超越した,世界に広汎に通用する性格の理念に基づいて自ら固有の生命をもつのです.
なぜなら,大学は「学問」をするところだからです.

そして,
学問は,欺瞞を暴くものです.(中略)学問は,無批判的な思惟を生み出し,これを無限の探求可能性の代わりにしてしまおうとする固定化を解消するのです.
これだけでも市場原理的な大学改革をしてはいけない理由が汲み取れます.

私が過去の記事でも述べた,「大学とは “王様は裸だ” と叫ぶ場所」というのに通じています.


ヤスパースは学生の様子についても考察しています.
彼は,試験のために学び,全てを試験のために意味があるということによってのみ判断してしまうのです.勉学の期間を就職までの辛い移行期間と感じ,今から実務に救いを求めようとしてしまうのです.
いやぁ,結局,昔も今も変わらないんですね(この本は1945年に書かれた).

さらには,
彼は,いくつかの好みの書物を読むことが学問的な仕事であると思い,果ては学問に代わって教義を求め,講義を祭壇と思うようにして,努力を転倒させてしまうのです.
まさに,就職予備校と化している日本の大学の姿ではないですか.

ヤスパースは,学生はこういう態度で大学に入ってくるから,“そうではない” ということを学生に伝えなければいけないと説きます.
いくつかの日本の大学は手遅れですが.


ではヤスパースの大学教育のあり方とは,
研究と授業の統合は,大学の高い,捨て去ってはならない原則なのです.
ということで,これがこの本でヤスパースが打ち出した,最も印象深いテーマです.
つまり,研究現場こそが,最も有意義な教育現場
なぜヤスパースが研究を通した教育にこだわるのかというと,
自ら研究する人だけが,本質的に教えることが出来るのです.そうでない人は,固定したものを伝えるに過ぎず,教授法的に並べ立てるに過ぎません.大学は,単なる学校というものではなく,高等教育機関なのです.
耳が痛い.

たしかにその通りです.
だから私なんかが意味不明な専門外の授業をやってはいけないのです(コマ数を減らして楽をしたいからではありません!).
最高の訓練とは,完結した知識を習得することではなく,むしろ学問的な思考へと諸器官を発展させることであり,また教育することなのです.そうすることによって,生涯を通して,更なる精神的・学問的訓練が可能となるのです.
ですよねー.

これを学生に伝えたいのですが...,なかなか難しいのです.
やっぱり,就職に有利な事柄に目がいっちゃうよね.
威厳のない私みたいな教員では説得力が足りないです.


さて,最後はこの言葉で締めます.
大学は,民族の表現なのです.しかし,大学は,真理を追求し,人類に奉仕することを願い,人間性を端的に表出しようとするものです.(中略)それ故,なるほどそれぞれの大学は,一つの民族に属しているのではあるのですが,しかし民族を越えるものを把握し,実現しようと努めるのです.

後日,ヤスパースとオルテガの大学論を比較してみました.
大学について2
ご参照ください.

 

 

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本日,政治評論家の三宅久之さんがお亡くなりになられたそうです.
この方には私も強く影響されたということもあり,今回のニュースは非常に残念であります.
お悔やみ申し上げます.