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教師への風当たりが強い今こそ見るべき映画「おっぱいバレー」
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体育学的映画論「おっぱいバレー」
タイトルからして「きっとバカバカしい内容の綾瀬はるか押しの映画だろう」と見做してしまい,今の今まで見ていませんでした.
ところがどうして,『おっぱいバレー』は秀逸な教育・スポーツ系映画だったのです.
amazonプライムビデオ
どんな映画なのかというと,Amazonプライム・ビデオの解説にはこうあります.
1979年、北九州。赴任早々、中学の弱小男子バレー部顧問になった新任女性教師、美香子は、やる気ゼロの部員たちに“試合に勝ったらおっぱいを見せる”というあり得ない約束をさせられてしまう。そんな約束に戸惑う美香子をよそに、部員たちはおっぱいが見たい一心で練習に打ち込み、別人のように強くなっていく。ピンチを迎えた美香子先生の運命は…??
映画情報をネットで集めてみると,当時はそれなりに話題になったそうですが,興行成績は振るわず,はっきり言って失敗作として認知されているようです.
興行成績が振るわない理由は,ほぼ間違いなくこの「タイトル」が原因です.
映画館に行って,
「おっぱいバレーを1枚」
てな感じでチケットを買えるでしょうか?
ためらいますよね.間違いなくためらう.
ためらうだけなく,敬遠する.
見るにしても,あとでDVDとか動画配信になってから見ようと思うはずです.
よほどの綾瀬はるかファンか,ひやかしに観る客が多かったものと推察されます.
【以降,ネタバレを含みます】
とは言え,ネタバレを聞いても映画を楽しめるとは思います.
興行成績は振るわなかったのかもしれませんが,取り扱っているテーマは結構シビアです.
「おっぱい」だの「思春期のエロ」だのといった枝葉を取り払い,テーマそれ自体だけで考えれば,松たか子主演のあの『告白』レベルのシビアさを持っています.
それは何かというと,
「この教師のやっていることは,客観的に見たら間違いなく『悪行』なんだけど,自体の内情を詳しく知り,さらに当事者レベルになって考えると簡単に評価ができない」
というもの.
『告白』は,殺人とそれに対する私刑・報復を扱っているので極めてシビアに映っており,
一方の『おっぱいバレー』はおっぱいとエロを扱っているのでコメディになってしまっているだけです.
本作では,顧問になったバレーボール部の部員に「勝ったらおっぱいを見せる」という約束をしてしまう,というものなのですが,その約束に至る経緯が大事なポイントです.
綾瀬はるか演じる教師は,前任校でのトラウマを抱えて転任しています.
「皆でコンサートに行こう」という生徒との約束を,大人の事情により破棄してしまい,生徒から「嘘つき」とレッテルを貼られてしまうのです.
そんな彼女は,「約束」と,それを守ることに対する執着が人一倍あるんですね.
でもこの設定,実は多くの教師がシンパシーを感じるデリケートな課題でもあります.
さて,この物語の舞台となる中学校で,彼女は男子バレーボール部の顧問になります.
その部員たちはバレーボールの練習すらやったことがなく,学内で「バカ部」として蔑まれている存在で,そうなってしまった理由もかわいそうなものでした.
そんな部員たちを奮起させるため,
「皆が頑張れるなら,私はなんでもする!」
と若手教師らしい雑な約束をしてしまいます.
後から考えれば,これが一番の問題だった.
なんでもやってくれるなら・・・,ということで部員たちは,中学生らしいエロバカ気質をフル稼働させ,
「勝ったら先生のおっぱいを見せて!」
と強引に約束を取り付けてしまうのです.
ネタバレをすると,こういう約束をしてストーリーが展開しますが,綾瀬はるかのサービスショットはありません.
ある意味で「安心?」して見ることができます.
そもそもこの映画は,
「女性教師は約束を守っておっぱいを見せることになるのか!」
「皆でコンサートに行こう」という生徒との約束を,大人の事情により破棄してしまい,生徒から「嘘つき」とレッテルを貼られてしまうのです.
そんな彼女は,「約束」と,それを守ることに対する執着が人一倍あるんですね.
でもこの設定,実は多くの教師がシンパシーを感じるデリケートな課題でもあります.
さて,この物語の舞台となる中学校で,彼女は男子バレーボール部の顧問になります.
その部員たちはバレーボールの練習すらやったことがなく,学内で「バカ部」として蔑まれている存在で,そうなってしまった理由もかわいそうなものでした.
そんな部員たちを奮起させるため,
「皆が頑張れるなら,私はなんでもする!」
と若手教師らしい雑な約束をしてしまいます.
後から考えれば,これが一番の問題だった.
なんでもやってくれるなら・・・,ということで部員たちは,中学生らしいエロバカ気質をフル稼働させ,
「勝ったら先生のおっぱいを見せて!」
と強引に約束を取り付けてしまうのです.
ネタバレをすると,こういう約束をしてストーリーが展開しますが,綾瀬はるかのサービスショットはありません.
ある意味で「安心?」して見ることができます.
そもそもこの映画は,
「女性教師は約束を守っておっぱいを見せることになるのか!」
が話の軸ではないんです.
そういった「キワドイ約束」を取り付けてスタートした「クラブ活動」そのものに教育的な尊さがあったのだが,しかし,それをスタートさせるためのモチベーションとして教師が生徒と「キワドイ約束」をすることを,我々外野はどれほど許容して見てあげられるのか?
を考えさせられるところにあります.
この「キワドイ約束」が,本作では「女性教師による性的サービス」つまり,「おっぱいを見せる」というものになっているので,コメディ風味が効いているのですが,これとは毛色が違う類似することは教育現場でかなり散見されます.
それは例えば,金銭的なもの(食べ物,景品など)や,成績評価などがあります.
クラブ活動のちょっとエグい話になれば,進学先の斡旋とか,学内での優遇などもあるでしょう.
試合に勝ったら「ラーメンを食べさせてあげるよ」とか,「◯◯高校の監督に口をきいてあげるよ」なんてものは,「おっぱいを見せる」ことと本質的に同じものです.
部員のモチベーションアップを図るために,何かで釣ろうとしているわけですから.
物語のクライマックスで,「勝ったらおっぱいを見せる」という約束をして部活動をしていることがバレます.
女性教師とバレーボール部員が校長室に呼ばれて取り調べを受けるわけですが,そこで部員たちは,とっさに機転を利かせ,
「僕たちが勝手に言っているだけです.先生とそんな約束はしていません」
と回答します.
この部員たちの回答,物凄くリアルなんですよね.
中学生なり考えた,生徒と教師の距離感を踏まえた嘘であり真実.
と同時に,あのシーンは彼らなりに大人への第一歩を踏み出した瞬間でもあります.
すなわち,「おっぱいを見せると約束してスタートしたバレーボール活動に,強力な教育的意義があった」ことを明らかに示すシーンなのです.
誤解しないでください.
これは,
「教育的意義のあるバレーボール部の活動をスタートさせるために,『おっぱいを見せる』という約束をしたことが生徒のモチベーション・アップになったのだから,この女性教師のやったことは許されてもいいのでは?」
という主張ではありません.
彼女のとった行動や約束がダメだったことは当然のこと.
そうじゃなくて,彼らバレーボール部員たちが,おっぱいを見せるという約束を取り付けた自分たちの不適切さと,それとは関係なく仲間とバレーボールに取り組むこと意義や楽しさを知ったことの尊さは無視できないものでしょ,ということなんです.
既に彼らにとって「先生のおっぱいを見る」というのは,明確な行動目的ではなく,形骸化したスローガンになりつつありました.
もとい,こんな目的で中学生男子がクラブ活動に打ち込むようにはなりません.
「おっぱいを見る」はあくまでもチームの合言葉であって,先生や友達と一緒にバレーボールをすることが楽しくなっていたんですよ.
もしここで彼らが,
「先生がおっぱいを見せてくれるという約束があったから,僕たちは真面目に取り組んでいるんです」
と言ってるようなら,まだ小便臭いガキです.
大人の男ではありません.
でもまあ,そんな奴は世間にいっぱいいますが.
しかし,直後,この女性教師は部員たちの回答を裏切るかのように,
「約束をしたのは私です」
と意固地になって校長や教頭に打ち明けます.
彼女こそ,まだ「約束」にこだわっているんです.
ラストシーン近く,いつまでも「約束」の不適切さにこだわっているそんな彼女に,部員の一人の父親が,念を押すように言います.
「目的なんて別にいいんですよ.あいつらは頑張ることの素晴らしさを,身を持って知ったんだから,それでいいんじゃないですか」
視聴者向けでもある,分かりやすい製作者からのメッセージですが,これによりようやく女性教師は罪の意識から開放されるわけです.
ですが,客観的に見れば「不適切な教育指導」だったことに違いないですよね.
更迭理由を文字にすれば,
「顧問をしていた運動部活動において,部員に対し猥褻な行為を働こうとしていたことが判明し,教育上不適切と判断されたため」
といったところでしょうか.
文章だけ読めば,間違いなくヤバい教師ですよね.
結局,彼女は学校をクビになります.
でも,再度教師になることを誓って辞めていくのです.
「不適切な教育指導をしていた人が,勤務地を変えればまた教師になれる」
という状況が全て悪のように言われることが多いですが,この映画のようなケースの教師も散見されることを考慮してほしい.
そんな気持ちにさせてくれる映画です.
そういった「キワドイ約束」を取り付けてスタートした「クラブ活動」そのものに教育的な尊さがあったのだが,しかし,それをスタートさせるためのモチベーションとして教師が生徒と「キワドイ約束」をすることを,我々外野はどれほど許容して見てあげられるのか?
を考えさせられるところにあります.
この「キワドイ約束」が,本作では「女性教師による性的サービス」つまり,「おっぱいを見せる」というものになっているので,コメディ風味が効いているのですが,これとは毛色が違う類似することは教育現場でかなり散見されます.
それは例えば,金銭的なもの(食べ物,景品など)や,成績評価などがあります.
クラブ活動のちょっとエグい話になれば,進学先の斡旋とか,学内での優遇などもあるでしょう.
試合に勝ったら「ラーメンを食べさせてあげるよ」とか,「◯◯高校の監督に口をきいてあげるよ」なんてものは,「おっぱいを見せる」ことと本質的に同じものです.
部員のモチベーションアップを図るために,何かで釣ろうとしているわけですから.
物語のクライマックスで,「勝ったらおっぱいを見せる」という約束をして部活動をしていることがバレます.
女性教師とバレーボール部員が校長室に呼ばれて取り調べを受けるわけですが,そこで部員たちは,とっさに機転を利かせ,
「僕たちが勝手に言っているだけです.先生とそんな約束はしていません」
と回答します.
この部員たちの回答,物凄くリアルなんですよね.
中学生なり考えた,生徒と教師の距離感を踏まえた嘘であり真実.
と同時に,あのシーンは彼らなりに大人への第一歩を踏み出した瞬間でもあります.
すなわち,「おっぱいを見せると約束してスタートしたバレーボール活動に,強力な教育的意義があった」ことを明らかに示すシーンなのです.
誤解しないでください.
これは,
「教育的意義のあるバレーボール部の活動をスタートさせるために,『おっぱいを見せる』という約束をしたことが生徒のモチベーション・アップになったのだから,この女性教師のやったことは許されてもいいのでは?」
という主張ではありません.
彼女のとった行動や約束がダメだったことは当然のこと.
そうじゃなくて,彼らバレーボール部員たちが,おっぱいを見せるという約束を取り付けた自分たちの不適切さと,それとは関係なく仲間とバレーボールに取り組むこと意義や楽しさを知ったことの尊さは無視できないものでしょ,ということなんです.
既に彼らにとって「先生のおっぱいを見る」というのは,明確な行動目的ではなく,形骸化したスローガンになりつつありました.
もとい,こんな目的で中学生男子がクラブ活動に打ち込むようにはなりません.
「おっぱいを見る」はあくまでもチームの合言葉であって,先生や友達と一緒にバレーボールをすることが楽しくなっていたんですよ.
もしここで彼らが,
「先生がおっぱいを見せてくれるという約束があったから,僕たちは真面目に取り組んでいるんです」
と言ってるようなら,まだ小便臭いガキです.
大人の男ではありません.
でもまあ,そんな奴は世間にいっぱいいますが.
しかし,直後,この女性教師は部員たちの回答を裏切るかのように,
「約束をしたのは私です」
と意固地になって校長や教頭に打ち明けます.
彼女こそ,まだ「約束」にこだわっているんです.
ラストシーン近く,いつまでも「約束」の不適切さにこだわっているそんな彼女に,部員の一人の父親が,念を押すように言います.
「目的なんて別にいいんですよ.あいつらは頑張ることの素晴らしさを,身を持って知ったんだから,それでいいんじゃないですか」
視聴者向けでもある,分かりやすい製作者からのメッセージですが,これによりようやく女性教師は罪の意識から開放されるわけです.
ですが,客観的に見れば「不適切な教育指導」だったことに違いないですよね.
更迭理由を文字にすれば,
「顧問をしていた運動部活動において,部員に対し猥褻な行為を働こうとしていたことが判明し,教育上不適切と判断されたため」
といったところでしょうか.
文章だけ読めば,間違いなくヤバい教師ですよね.
結局,彼女は学校をクビになります.
でも,再度教師になることを誓って辞めていくのです.
「不適切な教育指導をしていた人が,勤務地を変えればまた教師になれる」
という状況が全て悪のように言われることが多いですが,この映画のようなケースの教師も散見されることを考慮してほしい.
そんな気持ちにさせてくれる映画です.