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日本の教育が劣化することによって得をする人

なぜ教育レベルは徐々に低下していくのか?


仮に「日本の教育レベルが低下している」ということが本当であった場合,それには筋道立てた理由が考えられます.

子供の教育環境が劣化していくことは,歓迎すべきことではないにしても,これによって得をする人が多いからです.


教育に携わる者として,結構思い切った発言をするつもりです.
しかし,皆様もご自分の胸に手をおき,散らばった記憶や感情の断片を集めながら以下を読んでもらえれば,心当たりのある話ではないかと思います.



教育レベルが下がって損をする人はいない


そもそも,日本の教育レベルは世界的に見ても高いほうです.
国際的な子供の学力調査(PISAなど)や,成人の学力調査(PIAAC)が,日本は世界トップレベルであることからも窺えます.
PISA(国立教育政策研究所)
PIAAC(文部科学省)

必要十分とされる知識の伝達や,課題解決能力の育成は実現できていると言えるでしょう.

しかし,一般的に問題視されている教育に関する懸念とは,
「過去の日本の教育と比べて,何かが悪い方向に向かっている」
という漠然とした不満です.

「漠然とした不満」

私はこれを,日本人の多くが「不安」を抱いていたり,「心配」しているとは捉えていません.
「不満」なんです.


実際,日本の教育環境が劣化していることが,本当に不安で心配だったら,それを是正するための取り組みが本気で行われるはずです

教育現場の意見を聞くだろうし,成功・失敗と見做しているケーススタディの分析をするはずでしょう.
ところが,そんなことはせずに教育現場を見ていない素人である「国民の意見」とか,一部の「有識者」とされる人たちの意見で動いています.

学校や大学といった教育の現場を見ていれば,到底思いつかないであろう政策が練られるのはこのためです.


もちろん,意見を言うのはいい.
自由です.

しかし,阪神タイガースが勝てない理由と改善策を,どこかのオッサンが中継を見ながら新地の飲み屋で語った対策を採用するよりも,やっぱりチームの内情をきちんと把握している者や,野球指導の専門家同士の中で議論されるべきでしょう.
それと一緒です.


教育を受けている当事者である子供たちにしても,教育環境が少しくらい劣化したところで,特に心配などしません.
例えば授業が連続して休みになっても,それを悲しむより喜ぶ生徒の方が多い.
これは大学生だと如実に現れます.
心当たりのある方々も多いでしょう.

なぜなら,彼らにとっての「教育レベル」とは相対的なものだからです.
自分の学力が低下しても,周囲がそれに合わせて低下すれば「現状維持」.
周囲の生徒がさらに低下すれば,自分は見かけ上「向上」していることになります.
特に日本の場合は,「偏差値」と呼ばれる相対評価が強力に作用していますよね.

彼ら生徒たちが口にする教育に対する「不満」の多くは,教育環境が劣化してきることではなく,自分自身が「得」となる行動や判断がつきづらくなっていることについてです.
今話題となっている共通テスト混乱問題などは典型的でしょう.


これについて,
「子供なんだから,そんなの当たり前じゃないか」
と言われるかもしれません.
しかし,私がここで言いたいのは,生徒や学生というのは,そういうふうに「教育」と対峙している,ということです.
決して,日本社会の行く末を案じてなどいません.
いても極少数だと思われます.


そして,我々大人たちも「子供の教育レベルが下がる」ことによる損害を感じにくいのです.
若い世代の教育レベルが下がっていることに,本気で憂慮している人もいるでしょうが,その多くは,自分自身よりも優秀な人間が登場しないことに喜びを見出している可能性が高い.

なぜなら,もし本当に教育レベルが改善されてしまい,次々と優秀な若者が登場してくるようだと,自分たちは「これだから最近の若いヤツは!」とマウントをとれなくなります.

もちろん,表向きは「もっと優秀な若いヤツがほしい」と言うだろうし,その言葉を口にしている瞬間には本当にそう思っているのかもしれない.

ですが,マジで優秀な若者が社会現象レベルで登場することを,その組織や社会の構成員である大人たちの多くが歓迎するのでしょうか?
かなり疑問です.

人間というのは,他者と自分を比較したくなるもの.
そして,その個人が関わっている社会は狭いものです.

自分と他者との比較は,会社や所属部署の中という限られた範囲で行われるでしょうし,どれだけ広くとっても,自宅の近所や,その業界内だけで完結します.
自分のステータスを,孫正義や三木谷浩史と張り合うようなサラリーマンや実業家は,ゼロではないにしても非常に少ないでしょう.


もっと言えば,意識的にせよ無意識的にせよ,実は日本国民の圧倒的多数は,教育環境が劣化することを望んでいるのではないか?
そんなことを,教員生活を送っていてしばしば感じることがありました.
そうでもなければ,こんなメチャクチャな教育政策が展開されるわけがない.


事実,メディアでは「日本の教育が劣化しているのでは?」という扇動的なニュースは多いのに,
「だから,より教養のあるコンテンツや番組を配信することにしました」
「フザけたバラエティ番組を少なくして,学術的な番組を増やします」
というテレビ局はありません.

当たり前です.
そんなことをしたら,自分たちが「損」をするからです.

結果として,日本人の知的水準や教養レベルが下がってくれれば,自分たちが配信するコンテンツのレベルも下げることが出来る.
つまり,労力をかけずに仕事をすることが可能になるわけですよ.


日本人は,自分たちが日本国内で住み続けようとする限りにおいて,自分たち日本人の学力・教養・学術レベルを高めるようなことはしません.

ちなみに,近年になって,
「グローバル」
「世界に打って出ろ」
「国境や国籍にこだわらない」
などと政府や行政が言い出したのは,それによって日本の教育レベルの向上が喚起されるのではないか?,というショック療法のつもりでしょう.
日本人が国内だけで競争していたら,相対評価しかしなくなるからです.

私はこの考え方に与しませんが,そういう発想で展開されてきたであろうことは十分に推察されます.


さらに言えば,学校教師や大学教員にしても,生徒や学生の教育レベルが高まることを喜ぶ人種ばかりではありません.
残念なことですが,仕方ない.
そういう人は実際にいるから.

口では「最近の学生は質が下がった」と言いつつも,だからといって教員の仕事内容が変わるわけではありません.
場合によっては,学力が低下して扱いやすくなったから,
「最近の学生たちはそんなことも知らないのか」
と言って優越感に浸れると喜んでいる(学術・教養レベルが低い)教員もいたりする.

こういう教員は,ちょっと前までだと優秀(普通)な学生からツッコミを喰らってました.
最近はそういうツッコミを受けることも少なくなっているから,気分が楽になっているんです.

コメント

  1. 国立大学の医学部で基礎医学(生理学)に属するものです。
    さすがに、”教育レベルが下がって損をする人はいない”とは私は思いません。
    地方とはいえ国立大学の医学科に入学する学生のレベルもかなり下がりました。
    生理学実習レポートがあまりにひどく、
    「教科書のここにこのことが書いてあるでしょ?読んだ?」
    と訊いたら
    「教科書読むの、苦手なんです」
    これで現在は国立大学の医学科に合格できます。
    上位陣はさほどのレベルダウンを体感せずにすんでいますが、
    中位以下がかつての下位レベル、下位が驚愕するレベルでは、
    「以前ならもうちょっとこちらが興味を持てる、突っ込んだ話題を話せたのに」
    とガックリするばかりです。

    囲碁将棋も”教えよう”とする一部は
    新人を育てることで、自分がいい勝負を楽しめるようになるため。
    その結果、出藍の誉が発生しても後悔しません。
    若ければ自分も切磋琢磨し、
    老いたあとなら若者の成長に目を細めることでしょう。

    そのような教育思想を持つ人は少数かもしれませんが、
    少なくともその少数は
    「日本の教育レベルが下がって損をしている」
    と思っていると思います。

    もちろん、そんなことはお分かりとは思いますが…。
    つい思い立ってのコメント投稿、失礼しました。

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    1. コメントありがとうございます.
      国立医学部でもそのような状態なのですね.少し前に書いている記事でも述べさせてもらいましたが,学生の受講意識の差が大きくなっているように思います.
      私も学生の提出課題について,まさに貴兄と同じような感覚があります.
      皆のレベルが下がっているわけじゃないんですよね.差があるんです.それも,「学力」とかではなく,取り組み態度とでも言いましょうか.
      そこを勘違いして「学生のレベルは下がっていない」と反論する人もいますが,私たちが言いたいのはそういうことではない.
      なので,講義系の授業などで「もっと突っ込んだ話」とか,「本筋から離れちゃうけど,この授業を受けてもらう上で重要な脱線話」などがしにくくなっています.

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