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オンライン授業で楽をしている教員

コメントにお答えします|危ない大学教員を評価する上でも参考になるかと思います


ブラック大学の日常を著した小説
という過去記事にコメントを寄せてくれた人がいます.

そのコメント欄に返信しようと思いましたが,書きたいことが増えてきたので,あらためて記事にすることにしました.


まず,コメントの全文を以下に引用します.
小説を読み始めました。ブラック大学の実態として興味深いです。 コロナ禍で少なからず多くの教員が研究や余暇を差し措いてオンライン授業の準備を余儀なくされていると思いますが、ふと思ったのは「オンライン授業で最も楽している人」はどんな風にやっているのだろうということです。そこで、「桑潟幸一准教授」シリーズを思い返しましたが、あのクラスの平時の授業の姿勢に問題のある人物がコロナ禍の時代に現実に生きていればどのように手抜きをしていたでしょうか?

では,以下にそのコメントへの回答です.


コメントありがとうございます.
「オンライン授業で最も楽をしている人」について.
そのなかでも,「手抜きをしている人」についての質問ですね.

桑潟幸一准教授シリーズという小説やドラマがあるようですが.
たぶん,これのこと?
桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活(Wikipedia)

でも,私は普段小説をほとんど読まないこともあって,この作品も知りませんでした.
なので,このキャラクターがどんな問題をかかえた授業をやっているのか分かりません.

ですので,私の小説である「藤堂道雄」ならどうするか,お答えしたいと思います.


しかしその前に,どうして大学教員のオンライン授業について「楽をしている」とか「手抜き」を考えるのでしょうか?
これが私は興味深いところです.
だって,他人が手抜きをしていようが,楽をしていようが,自分自身にはその影響がないからです.

手抜きをしていても,学生にとって有益な示唆を与える授業はあるでしょうし,楽をしているつもりでも,結果的に楽できていないという評価もあるわけで.

そもそも,楽をしているというのはネガティブなものでしょうか?
私個人としては,授業は出来るだけ教員・学生共に負担なく,楽に出来ている方が優れた手法だと思っています.

その上で,ここでは「卑怯だ」「教育効果が低い」と思われている事柄について取り上げたいと思います.


手抜きされたオンライン授業


まず,オンライン授業の計画やシステム構築について.
これは小説内でも類似したことに言及していますが,藤堂道雄であれば,ほぼ間違いなく「自分で授業を構築しません」
誰か,知り合いに作業させると思います.

もともと,藤堂道雄のような教員は,会話はできても,日本語の読み書きが満足にできません.
それに加えて,PCスキルも非常に低いので,自分では事実上不可能なのです.
故に,どうにかして他人に作ってもらおうとします.

他方,そもそもの話として,「誰か知り合いに作業させる」という教員はたくさんいます.
特に,ご年配の先生方や,研究・教育能力は非常に高いが,お茶目で面倒くさがり屋の重鎮なんかがその典型です.

こういう先生方は,「誰かに作業させる」ということをしても,文句を言う人はほとんどいません.
私もかつて,そういう先生方のために,若手教員としていろいろなサポートをしてきました.
「ねぇ,◯◯君,ちょっと手伝ってくれない?」っていう感じで,その分野を開拓してきたパイオニアが,茶目っ気たっぷりに依頼してくる姿は,むしろ可愛らしいものです.

しかも,こういう先生方は,赤の他人に自分の授業作成を依頼したとしても,作成目標や授業主題といったものが非常に明確・明瞭なので,指示も分かりやすいんです.
作らせてもらっているこっちが勉強になります.


ところが,危ない教員はそうはいきません.

こういう教員は耳聡いので,「◯◯先生も若手に作業を手伝わせている」「代わりに作ってもらっている」という話を聞きつけ,だったら俺がやっても恥にはならないはずだ,などと考えます.

すると,どんな授業にするのか不明瞭で,授業内容もきちんと把握していないままに指示を出してきます.
迷惑なこと,この上ないのです.


次に,オンライン授業の展開の手抜きについてです.
大学がどのようなシステムや方針でやっているかによりますが,もともと大学におけるオンライン授業には,根本的な問題があります.

そもそも,大学のオンライン授業には「すべきこと」が無い


大学のオンライン授業が大変なことになっている.
春学期中は,そんな話をたくさん見聞きしました.

中学高校といった教育機関では,「教員が生徒に何をしなければいけないのか」が明確に示されています.
よって,オンライン授業になったとしても,「通常時にすべきことを,オンラインで代わりにする」という状況になるので,比較的スムーズに動きます.


ところが,大学の場合は「すべきこと」は大学教員自身が決めます.
この時点で,オンライン以前の話として,大学の授業には「楽をする」「手抜きをする」という概念そのものが存在しません.

だって,「すべきこと」は当該大学教員しか知らないことになっているのですから,周囲がどう言おうと「楽している」わけじゃないし,「手抜き」ではないのです.
海外の大学事情と照らし合わせてみても,これは日本の特殊事情と言えます.

もともとの授業からしてそうだったのですから,オンライン授業ではこれが明確になりました.

授業動画だけみせて,あとはレポート課題.
レポートを書いても,そのフィードバックが無い.
質問をしても,回答がない.
教科書を読む指示と,それに対する小論作成が要求されるだけ.

といったものが,「手抜き」としてよく聞きます.

ネットニュースなんかを見ても,特に「教員からのフィードバックが無い」ことに対し,学生が憤慨しているものが散見されます.
また,学生としてはどの授業もレポート課題を要求してくるもんだから,それが膨大なものになっていて,レポート作成だけで1日が終わる,といった状況にもなっているとか.

しかし,教員側にしても,学生一人一人にフィードバックを入れていたら日が暮れるという話もあるんです.
今年から大学教員を始めた私の後輩なんかも,この「学生へのフィードバック」に時間をとられて大変だと嘆いていました.


ただ,こうした現場の混乱は,ある程度仕方ないところもあると私は思っています.
準備も何もなくスタートしちゃったのだから,この状態を事前に予期できる人は,いたとしても,自信を持って警鐘を鳴らせるまでの人は少なかったのでしょう.


オンライン授業はこうすべきだった


ですから,私がちょうどコロナ禍前に書いていた「未来の大学像」のような対策が必要だったと考えられます.

つまり,オンライン授業で大学を運営することが前提のシステム構築です.

※どうせ大学改革するなら,こういう改革にしろっていう主張をした記事はこちら↓

この内容は,今回書いた小説のラストにも盛り込んでいます.
該当するところは,ここ↓

もともと,私はこういうオンライン授業,オンライン研修会のような経験がありました.
なので,もし私が大学教員を今年も続けていたら,学生から不満を持たれるような授業はやっていないと思います.

特に重要なのは,フィードバックです.
私の場合,大人数相手に講義するタイプの授業が多かったので,もとから「オンライン授業」のような感覚でした.

だったら,毎時間「質問しなさい」というレポート課題を出すけど,こっちはそれに全部答えてやれ,っていうスタイルでした.
で,他の学生の質問も全部開示して,それに私がどのように回答しているのかも分かるようにしています.
過去記事にそういうのがあります.

この質問レポートは点数が付与されるので,学生としても適当に書くことはできません.
しかし,そこで書かせる量はほんのわずかです.
授業によっては,100字程度に収めなさい,などと条件をつけていました.


オンライン授業を展開する上で,一番注意しなければいけないのは,「学生がレポート地獄になる」という事態です.
実際,大学によっては学生はそんな状態になっています.

オンライン授業にあたって,大学の教務担当は,そのあたりをコントロールすべきでした.
例えば,授業方法に一定の規格を設けるとか,レポート課題に統一性や文字数の上限制限をかけるとか.
もっとも,それが出来ないのが日本の大学事情なんですけどね.


話があちこち飛んでしまいましたが,手抜きかどうかを評価するのであれば,
「学生の学習意欲をかき立てられているか?」
「学ぶべき内容が学べているか?」
を確認する必要があります.

手を抜いても上記2つが確保できているのであれば,それは優れた授業方法ということになります.
むしろ,どうして今まで手を抜いてこなかったのか,無駄なエネルギーを消費していたのか,と問われる事態です.

これを分析・評価するガイドラインや指標をつくることが,今後の大学に求められているのかもしれません.

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