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新・大学改革論|これからの時代に授業は不要

不要になるための改革が必要


これまでの話を踏まえて,これからの大学像の話をします.
これまでの話を踏まえないと突飛な話題に聞こえるかと思いますので,違和感のある人は過去記事をご覧ください.
新・大学改革論|必要性に迫られているわけではなく,たんなる気分転換
新・大学改革論|大学改革が好きな人たち
新・大学改革論|我田引水の改革案はやめよう


あと,予め以下の話もおさえておいた方がいいでしょう.
大学関係者が知っておくべき,2025年頃に受験者数が激減する未来予想図


「これからの大学」と言われても,いったいどの時代の話かと思われるでしょうが,私が想定しているのは10〜15年後,だいたい2030年頃の話です.

2030年なのだから,来年とか2〜3年の話ではない,気にしなくていいと思われるかもしれません.

そうではなくて,10年後に向けて今から準備しなければいけないということです.
10年って,あっという間です.


実際,現在の大学改革は1991年から始まって,既に30年間取り組んでいます.

この30年間の大学改革を振り返れば,社会と時代に逆らった,いい加減で場当たり的な改革を漫然と進めると,取り返しのつかない被害が発生することは明らかです.


まず結論から言います.

現在,世界中で「大学」と呼ばれている運営団体のその多くが,無料(格安)で誰でもアクセスできる学術的インフラになることは避けられないでしょう.

現在のような価格設定でやっていけるのはあとわずか.
近々,何かしらの学費対策は必須です.

おそらく,そうした力学が,徐々に目立って働くようになるのが2030年頃からだと思います.


今回は,そのなかでも「授業」について取り上げます.


この話をする上では,その前提となる重要な認識を解説しておかねばなりません.





大学の本質とは


大学は,モラトリアムの場でも,研究機関でも,職業斡旋場でもありません.

古今東西,大学が担ってきたのは,人が学術的な活動を展開する上でのハブ(HUB)の役割です.


よく,「大学は研究機関か?,教育機関か?」と言われることがありますが,この疑問それ自体がおかしい.
答えは古より既に提示されています.

大学とは,「研究を通じて教育するところ」です.

詳しい話は過去記事をご覧ください.
大学について

これは近現代の大学に限らず,中世の「ボローニャ大学」や,古代インドの「タキシラ」,空海が開いた「綜芸種智院」も同様です.
「大学」と名称がついていなくても,大学の機能をもったものは,いつの世の文明にもありました.

そうした大学という存在を,
「時代に合わせて役割を変えよう」
などとのたまい,「大学改革」を始めたことが失敗の原因なのです.
何千年の歴史をもつ人類の活動を,たかが極東の一国の政策で変えられるわけがない.
(破壊することはできましたが・・・)


しかし,役割は同じでも,時代に合わせて「姿形」は変わります.

かつての大学は,学びの場と施設を用意するために,物理的な空間が必要でした.
今でも必要とする領域はあります.

ところが,特にここ最近は,そうした制限を必要としない場面が出てきました.

安価に出版物が出回り,インターネットが普及してデジタル情報として扱われるようになると,これまで大学が提供してきた学術活動が,「大学」という敷地や空間でなくても展開できるようになったのです.

もちろん,専門的な設備や施設を必要とする授業や研究もありますので,全て不要と言いたいわけではありません.


そうではなくて,今我々が「大学」と称して行われている活動に,そうした施設や設備がどれほど必要なのか?という話なのです.

つまり,これからの大学改革は,
「研究を通じて教育する」
という大学本来の趣旨を,現代のテクノロジーに合わせて実現することにあります.





「これ,いる?」が改革の始まり


簡単に言えば,全国の大学が放送大学化するということです.

私のビジョンでは,2030年頃から否応なしに始まる次世代型の「大学改革」のきっかけは,

「この授業,わざわざ学内でやる必要ありますかね?」

という学科会議での一言から始まります.


いちいち教員と対峙しなくても,動画やネット等のUIによるオリエンテーションで済ませられる「授業」というのは多いものです.


未完のテクノロジーを想定して論じるのは不本意ですが,以下は,近い将来ほぼ達成可能な技術だと思いますので,その前提でお話します.

つまり,学生が好きな時間に好きなだけ「自習」できる授業を用意し,それに対し大学教員は「質疑応答」や「ディスカッション」をするシステムを組むのです.
こだわる教員は,その自習授業を自分で作成してもいいでしょう.


今の大学でも,似たような学習システムを作ろうとしているところは多いですが,いかんせん,予算と教員側の思い切りが足りません.

昨年,私の授業をビデオで撮っていた学生がいたのですけど,喉から手が出るほどその動画がほしいです.
それをYouTubeとかで公開しておき,「繰り返し見て」「分からないところは聞いて」
で済ませられたらどんなにか楽だろうと思います.
「その映像を見て,質問がある人だけ,出席するように」
という授業でもいいですよね.
オフ会みたいなものです.


「授業を動画にするのは恥ずかしい」
「それを一般公開するのは困る」
という教員もいるでしょう.

ただ,一般公開されて困る授業をやっているのは,それはそれで問題です.
・・が,改革の意義はそこではありません.


教員が学生の前に立って授業を展開すること,それ自体が無意味です.
使い古された名言ですが,「大学での学びは授業にはない」のです.

前述したように,大学は「研究を通じて教育するところ」.

授業なんて,どっかの教え上手が作成した動画や授業支援システムを使えばいい.

しかし問題となるのは,その授業を噛み砕く上で「研究的な手法」が必要であり,それはエキスパートとの対面・臨床による学びでなければ身につかないことです.

これも使い古された名言ですね.
「授業はきっかけ」
そして重要なのは,その授業を通して学生自身のモノの考え方を養うところにあります.


現在の日本の大学では,そんな授業1回(90分)に,学生は約3000円を支払っています.
半期(15回)では約5万円.

こんな状態が,これからの日本や世界で通用する価格設定とは思えません.
どう考えても,授業なんて1回あたり100円とか300円のコンテンツです.
タダでもいい.

むしろ,私たちが展開している体育実技であれば,施設と指導付きなので割安で良心的かもしれません.




自習システム作りとルール策定が「新・大学改革」


さしあたって,文部科学省が気合を入れなければいけないところは,この「自習システム」「自動授業システム」の開発と規格です.

非常に重要な部分ですので,各大学に任せるとかではなく,数十億円かけるつもりで取り組む必要があります.

それに,現在はルールがそれに対応していないので,これに応じます.


現在,ある特定の分野では
「有資格者による対面授業を15回実施すること」
といった利権・既得権益丸出しのルールもあったりします.
その資格養成校であるためには,その関連資格を保有する教員を専任で雇用しなければならないという魂胆です.

本気で大学の将来を考えているのであれば,こんなバカみたいなルールは外しましょう.

その代わりに,大学間で「授業を共有できる」ことを目指すのです.

どうしても有資格者を教員として雇用させたいのであれば,それでもいい.
ただ,わざわざ「各大学の授業」をその雇用した教員が担当する必要はないでしょう.


それに,各大学が独自で自習システムを作成することになると,各教員の「人気度」とか「教え方」を露骨に比較・批評されるようになります.
これはこれで,教員たちにとっては苦しい話です.

わざわざ苦しいことをしなくても,誰かが作成した「便利な教科書」を使うのと同様,誰かが作成した「便利な授業」を共有すればいいではないですか.

繰り返しますが,大学の学びの本質は授業それ自体ではないからです.

知識だけ得たいのであれば,本を読んだりYouTubeを見ればいい.
自動化された授業を聞いておけばいいのです.

しかし,それで満足しないのが人間.
大学の本質とは,それらを,人と人とのつながりを持った学術活動に昇華させることにあります.




学生にとって教員とは共同研究者であり,ディスカッションの仲間


もうこうなってくると,やってることはプラトンとかアリストテレスの「アカデメイア」と同じです.
っていうか,同じになるはずなのです.

共有できる「便利な授業」で得た知識をもとに,学生と教員がディスカッションをする.
それが改革後の「対面授業」と言えるでしょう.
授業のほとんどが「ゼミ」みたいなものになると思われます.


自習のための授業だけで納得した学生はそこに参加しなくてもいいし,それでテストの点を取れるなら文句もつけようがないはずです.

というか,これからの時代の大学では,そもそも「テスト」を受けて単位を取るということに意味があるか疑問です.
この点の詳細は,前回記事をご覧ください.


そして,これからの学生は,教員と一緒に「研究」をすることが前提になります.
自習授業はあくまでもきっかけで,真面目に受講せず,なんなら寝ててもいい.

「学生による研究」と言われて,卒論とか重めのレポート作成を想定しているようでしたら,あなたはまだ「現在の大学」から抜けきれていません.

私が想定している「研究」というのは,学生生活そのものであり,学生生活とはすなわち普段の生活であり,つまりは仕事です.

2030年からしばらくの間は,「専業学生」も多いでしょう.
しかし,その先,多く学生は就職後に,大学という学術インフラを「利用」している人が多くなると思います.


まずは企業に就職し,その職場で求められている授業を履修する.
授業でイメージを掴み,自分の職場での課題について,教員と一緒に研究するスタイルが増えると思います.
現在もそういうスタイルの実践研究が開拓されていますが,「仕事に就いている学生が少ない」ということで頓挫しています.

むしろ,企業側も学生を通じて,大学や教員と連携したいと考えるケースも出てくるでしょう.
これが本当の産学連携です.


また,これまで日の当たらなかった「農業」「漁業」「林業」「サービス業」「工芸」といった分野にも大きく進出できます.
「大学に通う」ことへのハードルが高かった人も,自分の仕事について,
「大学教員の意見を聞きたい」
「一緒に考えてもらいたい」
という要望は多いはずです.

そんな人は,大学に「入会」することでそれが可能になるのです.


「そんなことすると利益相反が!」
という批判もあるでしょう.
これについては,また紙面を別にして論じます.





一緒に考えてくれる大学教員は多い方がいい


上記のような大学,そして教員の在り方になると,教員は不足することはあっても余りません.

現在のように,大学の売りを「授業」とか「教育サービス」で考えてしまうと,より良い「コピー・共有可能なコンテンツ」を出せるところが一人勝ちになります.

実際,将来的に大学の「授業」は,「教科書」のように共有されるコンテンツになるはずです.
(・・と,私のビジョンには見えています)

そんな時代に大学や教員に求められているのは,その学生の個人的な思考に寄り添うことです.

これは,近い将来のAIとかネット技術では不可能なことだと思います.


さしあたって問題となるのは,日本の職業領域の数と,教員の専門領域の数のバランスです.
ただ,この点は市場に任せていても対応されるかもしれません.
社会的な要望が多い領域は,専攻を希望する人も多くなるはずなので.


領域によっては,理論だけで実践が伴っていない分野もありますよね.
しかし,これはなにも,
「これからの時代は,実践で役立つ研究しか意味がない」
と言っているわけではありません.

理論だけでなく,実践研究を専門とする人が必須になるという意味です.

「基礎理論」や「思想」などが大事なのは,その道の専門家になれば嫌でも思い知ります.
むしろ,今はその大事さを知らずに学生をやっている人が多いことが問題なのです.

この時代に学生となる人には,既に就職していて「その道の専門家」が多いのですから,基礎理論に興味を持つ人も多いでしょう.

学費をどこまで下げられるか,大学の受講システムをどのように形成するか,という条件にもよりますが,基礎的な研究が蔑ろにされる心配は,むしろ現在よりも低下すると考えられます.



最後にまとめます


将来の大学は,授業は本当に「きっかけ」でしかなくなります.
きっと,ネットでの動画やUIを使った自習授業です.

おそらく,それらは受講するだけなら無料.
大学独自の特別なコンテンツ(ノーベル賞受賞者とか人気講師の授業)などは,有料(100円)の場合があるかもしれません.

大学に通う意義は「より良い授業を受ける」ことではなく,教員とディスカッションすること,共同研究をすることにあります.
ここでいう共同研究とは,その学生の仕事や生活上の課題が多くなると思われます.
もちろん,単純な「趣味」という人もいるでしょう.

大学の運営は国家予算で賄うべきです.
それは,日本社会を発展させるための学術インフラという意義で予算計上されます.
学費は,年間5〜10万円くらいに抑えられることが理想です.

その性質上,ビジネスに直結する実践研究が多くなりますが,学費が安ければ「趣味」や「自己啓発」に利用する人も多くなるでしょうから,人件費をコントロールできれば持続可能な組織になるはずです.




授業についてはこんな感じ.
次回も,さらに「これからの大学像」を展開してみます.
これからの大学は,まるでSNSを利用するようになるという話です.
「私は今,早稲田大学と明治大学を登録してるよ.以前は大阪で仕事してたから,大阪大学と同志社の先生にお世話になってた」
といった会話がされているかもしれません.

というわけで,それを書きました.
新・大学改革論|信頼性の高い学術コミュニティを用意する



大学改革の本
  



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