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新・大学改革論|信頼性の高い学術コミュニティを用意する
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これからの大学は,まるでSNSを利用するような存在になるという話
前回は,これからの大学は教員が「授業」とか「講義」をしなくなるだろう.
そして,授業を中心とした教育から,実践研究とディスカッションを中心とした教育にシフトしていくという話でした.
具体的な話にも及んでいますが,実際にその通りにすることが大事なわけではありません.
重要なのは,
「質の高い授業」「行列のできる授業」とやらが幻想であることを認め,
授業よりも対話と研究を中心とした教育が展開できるように改革する必要がある.
という話なのです.
もともと,心の奥底では,学生側も教員側も双方ともそれを希望しているはずです.
そして,「最高の授業」「理想的な授業」というのも,実際のところ一人ひとり違います.
こうした個人個人の想いや要求をなるべく聞き入れつつ,ほぼ全員にプラスの影響があるよう実現させることが,あるべき大学改革だと思います.
現在進んでいる大学改革は,誰かを貶めたり排除することで得をしたり,絢爛豪華な砂上の楼閣を「期限付き」で建築しているようなもの.
とにかくしんどいし,虚しい.
そこで今回は,現在の大学にある課題を整理して,その改革案をあげてみましょう.
【課題1】授業を受けるタイミングが悪い(レディネスが考慮されていない)
つまらない授業に耐えられないと思っていたら,実は大事な内容が展開されていたことに後で気づく.
しかし,それを知った時には「再履修」などできず,必修科目とかぶっていたら潜ることもできない.
さらに,卒業後しばらく経ってから気づく場合もあるなど,とにかく授業を履修するタイミングに無駄が多い.
「教員に直接聞きに行けば良い」というのが正論なのだろうが,そのための心理的ハードルが高い.
小中高生もそうでしょうが,「教育あるある」ですよね.
特に大学では,18歳以上の大人を相手にするということもあって,かなり自由度の高い教育が展開されて然り.
ところが,実際の大学ではそのようになっていません.
むしろ,ここ最近の大学改革によって,学生の授業履修の自由度は下がりました.
なかでも私学は酷いものです.
大学側が用意する「これを履修することがオススメ」という建前の,
「履修者管理が面倒だから,こっちは取るな,全員でこっちを履修しろ」
というステマ指示が横行しています.
終いには,「履修者が5名未満の授業は不開講」などという大学もあるようです.
世も末です.
もはや,単位管理と授業運営のために学生を振り分けている状態.
ここに「実り有る学び」があるとは胸を張って言えません.
これを是正するだけでも大きな大学改革になります.
課題1のための改革は?
同じ授業を何度も繰り返し聴講できること.
教員とディスカッションするハードルを下げること.
そのためには,学生の都合に合わせて受講できる環境整備が必要になります.
なので,前回記事で紹介したように,オートメーション化された自習授業システムの構築が喫緊の課題です.
一方の教員は,授業内容の管理と,学生との共同研究やディスカッションに時間を割くことが仕事になります.
そうすれば,
そうすれば,
「月曜は終日学生とのディスカッション,火曜は学生の職場に調査に出向く日」
といったスケジュールになる教員も多いでしょう.
といったスケジュールになる教員も多いでしょう.
あと,外国人(欧米の)教員が驚く日本の特徴は,とにかくやたら講義系の授業数が多いことです.
学生も教員も,授業をたくさんやらなければいけません.
別に欧米を見習えというのでなく,これは本当に是正したほうがいい.
なぜ授業の量が多いのかと言うと,
「授業数をたくさんこなせば,それだけ頭が良くなるはず」
という白痴の理屈で作られているからです.
同じ内容であっても,その理解度は個人で異なります.
これは,まごうことなき自然界の掟です.
当然,同じ授業を受けても,その理解度は個人で異なるのです.
大学教員は,学生を「採点」することに喜びを見出しているわけではありません.
皆にしっかり伝えたいと思って教育しています.
であるならば,できる限り多くの学生が,その個人の理解力に合わせた授業を受けられるシステムが喜ばしいはです.
ただ,「採点」することに喜びを見出していると思われる教員もいます.
上述した自習システムについても,教員の中には,
「YouTubeみたいにすると繰り返し見れちゃうでしょ.1回だけしか受講できないようにする仕組みが課題ですね」
などと考えている人もいます.
自習システムの本質を全くわかっていません.
目的は,できる限り多くの学生が学習内容を理解することです.
そのための大学改革であり,教員の働き方・役割の改革でもあります.
【課題2】大学の学びは就職に役立つわけではない
授業の成績の良し悪しは就職に関係ない.
就職後の活躍とも全然関係ない.
「だから大学なんて不要だ」
と続く意見をよく聞きますが,私はそんな浅い議論をしたいのではありません.
もともと,大学の学びは就職や職能とは無関係です.
それでいいのです.
ところが,あたかも「大学での学び」が仕事選びや職業スキルと関係があるかのように宣伝されています.
ここがそもそも問題です.
この問題の詳細は過去記事で散々書きました.
■反・大学改革論と,そのシリーズ
■専門職大学に思うところ(1)と,そのシリーズ
今後求められる大学改革では,そういう「就職」を目指した大学にすべきではありません.
あくまでも,大学での学びが「就職」や「職能」につながる部分があった,という程度に収めるべきです.
むしろ,前回記事や上述したように,マイペースで大学の授業を受けられる仕組みができれば,仕事をしながら大学に通う学生も増えてきます.
そういう時代になれば,学生側が「仕事に役立つ授業を履修する」という状況ができるでしょう.
課題2のための改革は?
仕事をしながら通える大学を,本気で目指す.
そもそも大学という「空間」に通わない.
大学での学びは就職には役立ちません.
ここ最近は,ますますその傾向が強くなってきました.
であれば,大学は「仕事をしながら通うところ」にするのが最適解であり,そのための改革が必要になります.
今後は,現在のような18歳以上の若者を相手にした「就職予備校」方式の教育ビジネスは成り立たなくなります.
大学の教職員をやっている人たちは高所得なので,その実感のない人が多いですが,あと5年もすれば必ずやってくる現実です.
「大学卒業」という肩書をつけずに就職を目指す高校生が増えてくると,大学の存在意義が否応なしに突きつけられます.
今のうちから改革の準備をしておきましょう.
【課題3】本当はコネ作りの場所なのに
実際は,ただの「学校」になっています.
大学とは,古今東西,「コネ作り」の場所でした.
そういう意味では,「就職」に有利な場所であり,仕事に就いてからも役立つのが大学のコミュニティなのです.
しかし,今の大学改革はそれとは逆行しています.
それを如実に表すものとして,多くの教員が口々に言うのが,
「同窓会が機能しなくなった」
というものです.
これは大学に限らないかもしれません.
つまり,「同じ大学の卒業生」という属性は,そんなに大きな価値を持たなくなったのです.
課題3のための改革は?
卒業させなければいい.
至って本気で言ってます.
課題1や課題2と関連しますが,今でいう「卒業」した後も,その大学に所属しておいた方が便利で有益だという組織になることが大事です.
つまり,授業を履修したり,そのディスカッションの場に行けば,自分が向き合っている課題と似たような境遇の人と出会えたり,共同研究と称して「共同事業」を展開できるチャンスが落ちています.
その時代の大学として私が思い描いている授業には,「考古学」を趣味にした60歳の会社役員も参加しているし,「マーケティング」を学び直す30歳のベンチャー企業の社長もいるし,右も左も分からない18歳の若造も参加しています.
まさに,大学には,就職や新事業のチャンスが転がっています.
その「大学」というコミュニティに参加していれば,ネット上でのやり取りだけでなく,オフ会のような授業(スクーリング)やイベントで顔を合わせる機会もあるでしょう.
大学が主催するコネクション作りのイベントがあってもいい.
あの大学に入学(登録,入会)しておけば,授業の学びだけでなく,教員や授業を通じたコネクション作りができるし,自分から積極的に動けばもっと広がる.
という有益性が,各大学の売りになる時代かもしれません.
そんな時代の大学は,もはや「卒業」するところではありません.
学生はずっと「在籍」,つまり「登録」し続けるものになります.
私は大学を,生涯学習の仕組みの一つとして改革することを想定しています.
なので,授業は自習システムを利用することが前提で,学費も年間5〜10万以下が理想です.
場合によっては,複数の大学に登録する人がいてもいいでしょう.
「大学がSNSのようになる」というは,このことを指しています.
大学はSNS化する|または,SNS方式の生涯学習サービスに駆逐される
私の想定では,これからの時代における「大学のライバル」はSNSやネットメディアを用いた,学習コンテンツの提供者です.
特に,情報の学術的信頼性を謳う生涯学習サービスが現れると,大学は万事休すです.
そういう事態になる前に,先に現状の大学の運営方法を新しい制度へと改革することが急務と言えます.
なぜ急務なのかというと,私がこれまでに述べてきた「新・大学改革」は,放っておくと個人・民間レベルで作り出されてしまう可能性があるからです.
まあ,私個人としては別にそれでもいいんですけど,国・文部科学省が気合を入れて音頭を取らないと,結構な勢いで潰れる大学や,それで困る人々が出てきますよ,ということです.
例えば,あの「ウィキペディア」は,情報の信頼性の低さを,性善説に基づく「利便性」が上回ることで,その地位を確固としています.
言い換えれば,大学が提供している教育コンテンツと,ウィキペディアとの差はそこです.
ところが,学術的信頼性が高い情報を,利用者の都合に合わせて整理して提供し,そうした情報について,有識者を交えたディスカッションの場が提供されると,もはや現在の大学の存在価値はなくなります.
最初は,「文学」「映画」「コミック」「歴史」「考古学」「投資」「政治」といった,趣味性の高いところから始まるのかもしれません.
しかし,徐々に大学が提供している学術領域と同じものになってゆき,しかも招かれる有識者として「大学教員」なんかが増えてくると,高い学費を払って,わざわざ「卒業」の資格を取得しなくても,大学で得られるものが低価格(もしくは無料)で手に入ると評価されるようになります.
しかも,自分が必要とする「欲求」にだけ応じて提供され,つまらない講義を受けるという「事故」に合わなくて済むのです.
これまでの大学教育を受けてきた人たちは,こぞって言うでしょう.
「大学に行くよりも,断然お得だよ」
そして,
「大学に行かなくても,このサービスで十分だと,おじさんは思うな」
と.
そうした「第二のウィキペディア・プロジェクト」の機運に便乗する「大学教員」もいるでしょうから,
「大学で展開している教育内容と同じものを提供しています」
と銘打ったサービスが展開される可能性は高い.
現在の大学は,
「そうは言っても,将来のことを考えたら,今の大学がベターでしょ?」
という評価によって成り立っています.
しかし,そうした人々も,就職や仕事に役立たないことことに気づいたら,一気に見る目を変えてきます.
仕事探しのために大学に通うよりも,まずはどこかに就職しておき,そこから勉強しながらキャリアアップを目指す,もしくは「キャリアアップ」を考えずに楽しく生きた方が「割が良い」と考えるようになります.
私は,今現在存在する大学を減らしたり,教員としての能力がある人を無駄にするような事態にはなってほしくないと思っています.
しかし,現在の状況を続けていれば,2030年頃から間違いなく無駄にするでしょう.
その前に,現在の大学が有する資源を,できる限り有効に活かす改革をしてもらいたいと願います.
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