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新・大学改革論|必要性に迫られているわけではなく,たんなる気分転換
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みんな大好き大学改革
大学人は大学改革が好きです.
改革の結果はどうであれ,とにかく「今を変えたい」という青春チックな話が大好きなのです.
大学改革論をブログに書くようになって,そう思うようになりました.
「大学改革論」,私は嫌いです.
■反・大学改革論
という記事でアクセス数を稼いでいた時期もあるくらい,大学改革は好きではありません.
だいたい,大学の在り方を論じるのは面倒なことこの上ないし,
もともと,改革なんかする必要ないと思っていますし,
そもそも,改革を叫べば叫ぶほど悪化しているからです.
症状が悪化しているのに取り組み続けるのは,個人レベルでは好きにしていいでしょうが,組織レベルでやるのは犯罪的と言っていい.
「大学を改革したい」
「もっと有益な場所にしたい」
という思いや考えを否定するつもりはありません.
ですが,必要性がないのに始めたのが大学改革でした.
ここいらでちょっと,大学改革について整理しておきたいと思います.
大学改革の本格始動は,1991年
大学改革には2つの大きな波があります.
それによって,「大学とは?」について世代間で差があったりするものです.
現在に至る「大学改革」が始まったのは,元号が昭和から平成に切り替わって3年後.
1991年.つまり,約30年前になります.
当時,もし30歳頃に大学教員になった人がいたら,もう定年退職してたりするんですね.
大学改革というのは,それくらい古い話なんです.
第一波:大学設置基準の大綱化
大学関係者であれば小耳に挟んだことがあるかと思います.
「大学設置基準の大綱化」
というやつ.
これによって,おそらく60歳以上(つまり,団塊の世代)の人と,50代以下の人が考えている,
「大学ってこういうところだよね」
には大きな違いがあります.
「90年代の大学改革」と称してもいいでしょう.
現在50歳〜60歳くらいの教員が「大学改革」と言われて思いつくのは,この時代からの大学改革です.
どんな改革がされたのかというと,有名なところで言えば,
・入試改革(AO入試,推薦入試といったバリエーション豊かな入試が解禁された)
・科目改革(一般教育(教養)科目を廃して,必修科目を各大学の裁量に任せるようになった)
・研究改革(競争的研究費を導入した)
・成績改革(GPA制度や,シラバスを導入した)
思い出してくれたでしょうか.
「そうか,言われてみれば90年代からだよなぁ」
って懐かしい気分になれると思います.
なんにせよ,現在も進んでいる大学改革の構想自体は,30年前から地続きだと言っていいのです.
なので,現在進行系の大学改革について,
「発想や考え方が古いのでは?」
と言われることがありますが,そりゃ当然です.
だって,この大学改革は40年前に構想されたものを30年前から着手してきたものだからです.
要するに,現在の大学改革は「80年代の考え方」なんですよ.
もうそろそろ「改革」を始めて半世紀に及びます.
文部科学省は,どうして性懲りもなく30年も続けてしまったのかというと,大学が面倒くさがって取り組まなかったからです.
上記にリスト化したものをみても,大学が取り組みやすいものばかりでしょう?
入試改革は,上手くやれば自分とこの学生数が増やせるビジネスでした.
科目改革は,無駄な科目を削れるチャンスでした.
研究改革は,研究費を削れるチャンスでした.
成績改革は,印刷業者と癒着できるし,GPA制度なんて,コンピューターが普及した事務では比較的簡単に取り組めます.
でも,文部科学省が意図した改革ではなかったんです.
実際,この「90年代の大学改革」では,ほぼ毎年,次から次へと新しく「答申」が繰り出されていました.
そんなわけで,大学改革が形となって現れるようになったのは,90年代後半のことです.
なので,この大学改革・第一波は,開始してから約10年後である2000年に終了します.
第二波:罰則付き改革
そして,2000年からは「改革をより強く推進する」という号令のもと,仕切り直して始まります.
これが,私たち若い世代も知っている「大学改革」です.
つまり,「2000年代の大学改革」と言えます.
この大学改革では,
「文科省の言う事聞かなかったら,罰として補助金なし方式」
が従来より強化されていることが特徴です.
ときどきニュースや教育情報で見聞きする,
「文科省の要望に応じなければいけない仕組みが問題だ」
というのは,このことを差しています.
改革内容は1991年の方針と変わりませんが,
「改革を徹底しないと,苦しむことになるからな!」
という脅迫が機能するようになったので,具体的にさまざまな変革が実現しています.
有名なところで言えば,
・授業評価アンケートの実施
・授業内容や成績評価をシラバスに明記
・成績はGPAにする(優良可不可を廃する)
・キャリア教育の必修化
・FD(ファカルティ・ディベロップメント)の実施
・認証評価制度(大学として相応しいかチェックする制度)
・大学ガバナンス改革(教授会ではなく,トップが運営方針をにぎる)
・グローバル化
・グローバル化
・アドミッション・ポリシーやディプロマ・ポリシーの明確化
といったものです.
用語も含めて何を言っているのか分からない部分もあるかと思いますが,大丈夫です.
文科省の人たちもよく分かってないから.
そしてまた、これによって40歳以上の人と30代以下の人との間に,
「大学ってこういうところだよね」
に大きな差が出ています.
90年代の改革には面倒くさがって取り組まなかった大学も,「補助金カット」と脅されると取り組むようになりました.
全く無意味なことであっても,補助金カットされたくないから,とりあえずやっておく.
というのが2000年代の大学改革です.
業界では「思想なき改革」と呼ばれています.
惨憺たる結果
大学改革がダメである理由は,改革しているだけで誰もハッピーになっていないからです.
「改革がもっと進めば結果が現れるはずだ」
というのは,無能な人間が吐く言葉として典型ですが,現在の大学改革の拠り所はまさにこれです.
大学改革の結果を簡単に振り返っておきましょう.
入試について
何がしたかったのか意味不明な結果となっています.
入試の方式がいろいろあっていいのでしょうけど,それなら「各大学に任せる」で済む話です.
「どうせセンター試験や教育企業との利権や癒着があるんだろ」
と陰口を叩かれるだけの取り組みでした.
成績評価について
「優(秀)・良・可・不可」をやめて,GPA制度「S・A・B・C・D(F)」を取り入れることに夢中になった30年間でした.
え? GPA制度が分からない?
そういう人,結構います.
参考までに,ウィキペディアにはこうあります.
GPA(Grade Point Average)とは、各科目の成績から特定の方式によって算出された学生の成績評価値のこと、あるいはその成績評価方式のことをいう。米国の大学や高校などで一般的に使われており、留学の際など学力を測る指標となる。日本においても、成績評価指標として導入する大学が増えてきている。
■GPA(Wikipedia)
これでおわかりのように,日本がGPAを導入した理由とは,
「留学生の成績評価がアメリカ側にも分かりやすい」
ということです.
そのために,日本中の大学に成績評価の改革を進めたのです.
バカみたいな話ですね.
アメリカ以外に留学する場合や,アメリカ以外の留学生はどうすんだ?
という発想は無いのが文部科学省です.
アメリカの大学で教鞭をとってきた先生も,どうして日本がGPA制度を取り入れたがるのか意味不明だと言われていました.
GPAのバカ話については,もっとたくさん書きたいことはあるのですが,長くなるのでここでは割愛します.
研究環境の競争化
「選択と集中」を合言葉に,研究環境を競争化させることで研究の質が上がると思われていました.
当たり前ですが,「選択と集中」をしたら,集中したところは良くても,それ以外の環境は悪化します.
あと,「選択」が間違っている場合もたくさんある.
結果として,大学改革の徹底が始まった「2000年代の大学改革」以降,日本は発表論文数が激減しています.
世界的な傾向として発表論文数は増えていますが,日本だけ「減少」しているのです.
これは極めて異常です.
こういうグラフについて,
「日本の論文数が減っているわけではないだろう.なぜなら,90年代よりも論文数は増えているのだから」
という人もいます.
しかし,それは研究論文の業界を知らないから言えることです.
まず,グラフを見てお分かりのように,論文数は2000年頃から急激に伸びていますよね.
世界中の研究機関からの論文数も,この2000年頃から全て例外なく急上昇しています.
これは,2000年頃から,論文掲載までの手続きが簡単になったからです.
一般的に,研究論文というのは「書いたら掲載される」のではありません.
掲載を許可するための「査読(論文の質を審査すること)」という作業が必要ですし,記事を掲載する上での編集・連絡手続きが必要です.
私は2000年代の人間ですから,90年代の論文掲載手続きがどれほど大変だったかは体験していません.
しかし,当時の人達は論文掲載に至るまでの作業が本当に大変だったそうです.
なぜなら,当時は査読や編集作業のためのネット技術が普及していなかったからです.
査読を待つのに1ヶ月や半年なんて当たり前で,掲載するまでに1年かかったなんてこともあったそうです.
かつては封書に原稿や図表を入れて送り,査読者もそれをもとに審査するなど,編集作業も全てこの調子でした.
私の先生も,
「ネットで査読できるようになって,世界が変わった」
と喜んでいたことを覚えています.
今では遅くても半年,早ければ1ヶ月で掲載までこぎつけます.
さらに,ネットが普及したことによって,掲載できる雑誌数もたくさん増えました.
マイナーな雑誌であっても,領域ごとにリスト化されて紹介されていますから,検索が容易です.
雑誌側も,ホームページを用意して論文をたくさん受け付けるようになっています.
だから,普通にしていたら論文掲載数は増えるはずなのです.
ところが唯一日本だけが減った.
ちなみに,上記のグラフは1996年〜2010年までの比較ですが,現在はさらに進行しています.
日本はヨーロッパ諸国からも抜き去られ,中国は世界第2位の研究大国になっています.
2018年の文部科学省の資料では,2005年と2015年の比較がされています.
日本にとってのライバルは,人口も研究機関数も遥かに少ない,オーストラリア,韓国,インドといったところですね.
中国が世界第2位と聞いて,
「怪しい論文が多いのでは?」
と言いたいウヨク系の人もいるでしょうが.
残念ながら「論文の質が低い」「捏造論文が多い」ことで世界的に有名なのは日本です.
別にSTAP細胞問題だけではないのです.
もともと,日本人研究者に不正論文を書く人が多発していました.
論文数が減少し,不正論文が増えた.
こうした一連の現象は,間違った大学改革にあると考えられています.
アドミッション・ポリシー,ディプロマ・ポリシー
市場淘汰や各大学の独自性を要求するくせに,なぜかアドミッション・ポリシーやディプロマ・ポリシーを出せ,公表しろと言ってきます.
まじで殺意を覚える頭の悪さです.
え?アドミッション・ポリシーやディプロマ・ポリシーなんて聞いたことがないって?
たしかにそうです.
一般の人には馴染みがないでしょう.
アドミッション・ポリシーというのは,各大学の入学認定方針.
どういう学生を入学させるのか予め決めておくことです.
ディプロマ・ポリシーというのは,各大学の卒業認定方針.
どのような学生であれば卒業に値するか予め決めておくことです.
そんなもの学部学科,教員,学生ごとの状況で全部違うだろ.
と思うのですが,それは許さない,予め全て決めておけというのが文部科学省です.
理由は,一般の人が大学選びをする際に必要だから,だそうです.
これに類似して,徹底した大学の情報公開が求められています.
食品のパッケージに「成分表」や「製造元」が書かれていると同じように,大学もそういうものを出すべきだという理屈です.
でも,アドミッション・ポリシーとかディプロマ・ポリシーを知っている一般の高校生や保護者はほとんどいません.
いえ,それでいいと思いますよ.
アドミッション・ポリシーやディプロマ・ポリシーなんて,怪しい自己啓発セミナーのコマーシャルみたいなものですから.
「この大学に入学できるのは,社会にイノベーションを起こすことを夢見る人です」
「本学を卒業することができるのは,高い専門技術と深い人間性を得られた人です」
完全にイカレてるとしか思えない.
仮に必要だったとして,アドミッション・ポリシーやディプロマ・ポリシーに書かれている文言をそのまま信じる奴がいたら,そんな情弱に卒業認定なんかできませんね.
私が学長なら,アドミッション・ポリシーのところに「本学のディプロマ・ポリシーを信じない人」と書きます.
というわけで,まずは現状認識ということで.
次は,「かくあるべき大学改革」「これからの大学像」について,私もようやく書いてみようと思います.
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