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新・大学改革論|地に足のついた,公平で合理的な,あまり嬉しくない改革
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「ボクが考えた最強の大学」ではないですよ
これまでの一連の記事から,最後に「新・大学改革論」のポイントを述べておきます.
私が過去記事で批判している,現行の大学改革に有りがちな近視眼的思考から発生した「ボクが考えた最強の大学」.
■新・大学改革論|大学改革が好きな人たち
■新・大学改革論|なぜ大学改革は間違うのか?
これについて,前回・前々回では私なりの「改革案」を提示させて頂きましたが,
「それこそが,あなたにとっての「ボクが考えた最強の大学」ではないのか!」
「ミイラ取りがミイラになっているのでは?」
という指摘もあるかと思います.
たしかにそういう側面もあるでしょう.
自覚もしています.
しかし,過去記事で私が提案している大学改革案は,私が大学の在り方として最も望ましい状態だとは思っていません.
現在の日本社会,世界情勢,大学教育を取り巻く流れをみると,あのような改革しかできないのではないか.
現在の大学組織を可能な限り活かしつつ,ソフトランディングするにはどうすればいいか.
本当はもっと別の大学改革がいいのにな.
と思いながら考えたものです.
ゆえに,厳密な意味では「ボクが考えた最強の大学」ではありません,ということ.
しかし,私が改革案として提示している,
「授業は不要」
「学生の面倒をみない」
「教員は学生の生活・仕事・趣味のパートナーになる」
「学費は高くても年間10万円程度」
「教職員の給料を大幅カット(研究費は増額)」
「卒業させない」
といったものは,まさにガチの「改革」ですし,考え方が突飛でついてこれない人もいるかもしれません.
改革案については,以下の記事に書いています.
■新・大学改革論|信頼性の高い学術コミュニティを用意する
私としては至って「地に足のついた」「公平」で「合理的」な改革だと思っていますが,そういった言葉自体,私はあまり好きではありません.
ですが,これからの時代は,こういった言葉が幅を利かせるであろうことは容易に推定できますし,それに準じた改革が少なくとも向こう50年くらいは大事になると思っています.
教育には「費用対効果」が通用しないはずだが,費用対効果を考慮した改革は必要
何年も前から過去記事で繰り返し述べていることですが,教育は「費用対効果」で測ることはできません.
しかし,(ほぼ完全に)費用対効果で考えるようになったのが現代人です.
これについて,このブログで「いじめ問題」を取り扱う時におなじみの「プロ教師の会」諏訪哲二氏や,内田樹氏の考え方が参考になります.
私もこの方々の考え方には賛同するところが多いですし,諏訪氏や内田氏の考え方を理想としてブログにも紹介してきました.
例えば,7年前にそのものズバリの記事を書いています.
■反・大学改革論3(学生はお客様じゃない)
しかし,こと現実的な大学改革論として妥協しながら進めなければいけない場合,話は少し変わってきます.
まず,諏訪氏や内田氏の現状分析は誠に正しいのです.
現在の学校や大学において,かつて当たり前としてあった「教育」や「生徒と教師の関係」が成り立たなくなったのは,現代人が「経済的合理性」によって判断・行動しているからです.
経済的合理性とは,
「自分が支払った費用に対して,受け取ることができた対価(効果)が適切かどうか」
を最も優先すべき判断基準とするものです.
諏訪氏も述べているように,かつての日本社会において,子供は「お金」を簡単に扱えませんでした.
小学生がお店で千円や1万円を提示しようものなら,どうして子供がこんな大金を使うのか怪しんで,売ってくれない場合もあったのです.
テレビ番組の『はじめてのお使い』などでも,昔はそうしたシーンがありました.
ところが現代では,客がどのような属性であれ,お金を提示すれば「売買処理」が行われます.
むしろ,幼児の頃からお金の効率的な使い方を学ぶことは,良いことだと考えられているでしょう.
お金のやり取りが極めて合理的になっているのです.
そのような社会に浸ってきた子供は,物事は全て「等価交換」されるものであり,その考え方は人間関係にも適用されると考えます.
結果として,教育においても「費用対効果」が適用されることが当然と考えるのです.
すなわち,
支払った学費に応じたサービスがあるべき.
受験勉強という労力に応じた利益が得られるべき.
魅力的と感じる授業は価値のある授業.
つまらない授業は意味がない授業.
といった具合いです.
年配の先生方がよく口にする,
「今の学生は真面目なのか不真面目なのか分からない」
というのは,彼らが経済的合理性の考え方によって教育を捉えているからです.
学生はそれまでの学校教育によって,とにかく理屈抜きに「授業は受けなければいけない」と教わっており,それを大学でも実行します.
実際,今の大学生は本当に素直に授業に出席するのです.それは30代の私が見ても世代格差を感じるほどに.
この時点では,「今の学生は真面目」と言えます.
ところが当の学生は,「授業に出席する」という状況を,労力と苦痛を与えられているものと解釈しています.
本来であれば「授業に出席する」という行動は「自分の学習のため」なのですが,経済的合理性が強い人間はそうは考えず,「コストをかけている」と捉えるのです.
すると,「等価交換」を信条とする経済的合理主義者は,その授業が苦痛と感じれば,その苦痛を相手にも返さないといけないと考えます.
「私」が面白いと思わなければ,聴く必要はないし,その時間が労力に対して等価となるように,私語やゲームをするのは当たり前です.
もっと言えば,
「私が聴くに値しないことを貴方はしていますよ,という態度を示さなければ,授業という現場での【教員−学生間】における等価交換が成立してない」
と意識的・無意識的に判断しているわけです.
これが学校現場では「学級崩壊」として現れ,大学では「真面目に見える不真面目な学生」となるのです.
これについて教育現場を知らない人は,
「授業を魅力的にすればいい」
「役立つ知識に絞って指導するべき」
「具体的に成果の見えるアプローチが必要」
「今どきの子供には毅然とした高圧的な態度も必要」
といった姑息な対応で改善できると考えてしまいます.
違うんです.
現代の子供たちは不良になったわけでも,本質的な要求が変わったわけでもありませんし,そうした改善策を講じても事態は良くなりません.
現代の学生は「経済的合理性」に基づいて動いている.
それに応じて,大学改革を「お客様は神様です」に基づいて行えば,たしかにビジネスにはなるでしょう.
しかしそこでは,経済的な損得を超えて「この人の言うことを理屈抜きに受け入れてみよう」とする「教育」は実現できません.
冒頭に題したように,元来,教育とは費用対効果にならないからです.
ですから,これからの時代に必要な大学改革は,
「学生側の費用を極力減らして,得るものがあるだけの存在」
にしなければ,教育者側が望んでいる「教育」が成立しないのです.
そのためには,学費や授業料以外からの大学運営費用が絶対に必要ですし,経費の大幅減が必須となります.
ここが,国や大学教員の頑張り・踏ん切りどころですね.
それとは逆に,それこそ経済的合理性を重んじて,
「良い教育は高額,どうでもいい教育は低額で受けられるようにすれば,そこに『費用対効果』の原理が働いて,物事が上手くいくのでは?」
と考えがちですが,これは一番やっちゃいけないんです.
けど,残念なことに現在の大学改革は,この方向を向いています.
現行の大学改革が,なにをやっても上手くいかない理由の一つです.
さらに,私の大学改革案では,学費以外にも「授業は不要」としています.
なぜなら,質の高い授業というものを追いかけるようになると,費用対効果の観点が発生するからです.
これでは「学術教育」が成り立ちません.
なお,ここで不要と言っている「授業」とは,知識伝達のための授業です.
そうした授業を,高い学費を払わせて受講させるスタイルは,これからの時代に通用しません.
そんな方式を採用し続ける限り,永遠に大学教育は改善しないと私は断言します.
その代わりに,大学教員は学生の生活・仕事・趣味におけるパートナーとして,彼らと「研究」することを生業にするのです.
つまり,学生と一緒に研究活動をすることが,
「大学における教員と学生の関わり」
になり,そこでこそ学術教育が発生します.
その方が,学生にとっても,教員にとっても,そして日本社会にとっても有益です.
かなりぶっ飛んだ発想だと言われることもありますが,私は至って本気です.
っていうか,そうでもしないと「大学」という存在は生き残れないと思いますけど.
いえ,正しくは,いろいろ継ぎ接ぎすれば生き残れるけど,かなり茨の道というか.
大学教員になった人たちが,「生き甲斐」とか「やり甲斐」を感じる仕事ではなくなると思うんですけよね.
こうした私の大学改革のためには,全国各地にかなりの数の「大学」という「箱」が必要ですし,学生とマンツーで対応できるだけの「教員数」が必要です.
現時点で,
「多過ぎる大学」
「余っている教員(院卒)」
と言われているのですから,その現状を活かす上でも有効です.
これについて,
「無駄な大学や教員を救うための,都合のいい改革になるんじゃないか」
という指摘もあるでしょう.
しかし,純粋に日本の学術レベルや国民の利益になる改革でもあるはずなのです.
日本国や文部科学省には,全くと言って良いほど期待していませんが,ほんの僅かでもいいので,上記のような考え方と方向性で大学改革を進めてもらえると,日本のためにも人類のためにも,そして何より「大学」という存在のためにも有益だと思います.
そんなわけで,未来にちょっと期待してます.
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