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秋分の日,お彼岸,秋の訪れ|なぜウンコを食べないのか

それ以前に,朝が寒くて驚いた


秋分の日です.
お彼岸とも呼ばれます.

先日の記事にもしましたが,「暑さ寒さも彼岸まで」とはまさにこのことだなと思わされる気候となっています.

ただ,朝は「暑さが和らいできた」というよりも「寒さ」を感じる温度です.
私の自宅の温度計は,朝は14度を指していました.


そんな「お彼岸」ですから,「ヒガンバナ」が咲いております.

ヒガンバナ


先日は,以下のような咲き始め時期の写真をお見せしましたが.




今ではほぼ全てが開花している状態です.
ちょっと白くなっているやつは,もう散りかけている花です.


ところで,このヒガンバナですが,私は子供の頃はこの花が嫌いでした.
とにかく毒々しい見た目が嫌で嫌で.

とてもじゃないですが,これを「きれい」とは思えなかった.
絶対,我が身に害を成す花だと感じたものです.


実際,ヒガンバナは有毒植物です.

ヒガンバナという名称の由来も,「これを食べると彼岸(あの世)に行けるから」という説もあるそうです.
だから食べちゃいけません.

なんにせよ,この花が有毒植物であることを,子供は本能で感じ取っていたんですね.
私だけじゃありません.
私の保育園・小学校時代の友達の多くも,やっぱりヒガンバナを嫌っていたのです.


動物の本能というのは不思議なもので,別に教育を受けたわけでもないのに有害無害を嗅ぎ分けることができるのです.

むしろ,人間の場合は「教育」によって,本来は有害なものをコントロールするすべを身につけていると言っても良いでしょう.
つまり,教育とは本能を抑え込む作業という側面があります.

ヒガンバナにしても,「お彼岸」という文化と関連付けたり,さまざまな「花の鑑賞方法」について知ることで,
「あぁ,なんだかヒガンバナがきれいに見えてきたなぁ」
ってことになるわけです.

その毒々しさと禍々しさについても,
「倉木麻衣も良いけど,倖田來未にも魅力を感じるよね」
ってことにするのと一緒です.



動物はなぜ自分のウンコを食べないのか


そう言えば以前,大学院の先輩に,
「動物はなぜ自分のウンコを食べようとしないのか?」
について,喫煙エリアで休憩中に友達と真剣に議論した,というのを聞いたことがあります.

なかなか興味深いテーマですね.

すぐにネットで検索をかけたりするわけではなく,その場で思いついた命題について,手持ちの知識と解析手法を用いて,真剣に議論する癖があるのが大学院生というものです.

それはやっぱり本能なのか?
何かしらの手段で,親もしくは周囲の成体から指導を受けるのか?
指導・教育されなければ,人間や動物はウンコを一度は食べてみるのか?
その場合,ウンコを食べても意味がないことを,どうやって知るのか?
っていうか,人間はウンコを食べたがる性癖の人がいるじゃないか.
でも,それは平均的な個体ではなく,レアケースであり,異常者じゃないのか?
でも,そんな奴にしても「自分のウンコ」を食べたいわけじゃない.

・・・,そんな感じで話が盛り上がっていたそうです.

生物学研究上の正解があるかどうか知りませんし,この際,敢えて調べようとは思いませんけど,なかなか面白い議論ができそうなものですね.
別に「正解」に興味があるわけじゃないし.


それ以外にも,免疫力が生まれつき弱い人や,アレルギー体質の人は,不潔なものやアレルゲンを,本人にその自覚がなくても嫌うとも言います.

あと,以前もブログ記事にしたことがありますが,私は遺伝子検査をやってみたら「ウイルスにとても弱い」という体質ということが分かりました.
だからでしょうか,私は子供の頃からパーソナルスペースがとても大きく,コロナ禍でソーシャルディスタンスなどと言われる前から,他者との距離を開けたがる傾向があるのを自覚しています.
それに,人ゴミは嫌いだし,ぺちゃくちゃと喋り回る奴も嫌いです.
そんなわけで,これまでウイルス性の病気にはあまり罹ったことがありません.
これもそんな本能が影響しているのかもしれません.


このことから言えるのは,本能から惹起される行動・振る舞いには個人差があるということ.
だとすると,ウンコを本能的に食べたがる癖のある人というのは,それなりに意味があるのかもしれません.

あんまり考えすぎると,気持ち悪くなるのでここまでにします.

お食事しながら読まれた方,大変申し訳ございませんでした.
以後,先に注意案内を提示するようにします.

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