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学術会議人事事件|なぜ学者がこんなに抗議声明を出すのか

それは学者には左翼や反日勢力が多いからではないか? と考えている人に説明します


先日の記事を書いてから思ったんですけど,あの記事の内容だと納得してくれない一般の方も多いんじゃないかと反省しました.
「日本学術会議の存在意義や推薦人事が問題視されているから,それを是正・改革するためにガースーは今回,あえて騒動を引き起こしたのだ」
という言説が飛び交っており,
「これに抵抗している学者やメディアは,左翼や反日勢力だ」
などと騒いでいる人が多いため,もともとの問題点がぼやけちゃってるんです.

これについては以前,私はこんな比喩で表しました.

とある家に泥棒に入った奴が捕まったところ,その家がヤクザの家だった.
でも,その家がヤクザであることと,泥棒に入った奴の罪は別問題です.
その家がヤクザだったからって,泥棒に入った奴の罪が軽くなるわけではない.
ましてや,ヤクザをこらしめるために泥棒に入ったという理屈は成り立たない.

ということです.
日本学術会議の人事の現状や存在意義に関する是正・改革と,今回の人事事件とは別問題.

日本学術会議の在り方を問題視したいんだったら,最初からそういう問題提起をすればいいのです.

もっと言えば,菅首相や政府,そしてネトウヨはしきりに,
「この組織の人事システムが問題だから」
と息巻いていますが,だったらなぜあの6人だけを拒否し,他の99人を採用したのか意味不明ですよね.
だって,人事システムが問題だというのであれば,今回の106人全員を拒否するのが理にかなうはずです.
っていうか,そうしないとダメでしょう.


そこから導かれるのは,
「国家や政府に都合のいい学者だけ採用したいと考えているのではないか?」
ということです.

これが学術界の逆鱗に触れている,っていうこと.

で,問題となるのは,なぜこれが学術界の逆鱗に触れているのか分からない人が,結構いるんじゃないかという懸念です.
別の言い方では,「政治が学術に口を出してはいけない」というのもありますね.

どうして口を出してはいけないのか?
むしろ,そんなに学術を自由にさせては,左翼や反日勢力が勝手放題になるんじゃないか?
といった不安を持っているネトウヨも多いかもしれません.

そのあたりを理解してもらえれば,日本中の学者や学会が,こんなに蜂の巣つついたような抗議声明を出しているのか腑に落ちると思います.



なぜ政治が学術に口を出してはいけないのか?


少なくとも,民主主義国家の政府が学術に口を出すことはご法度です.
これは極めて重要な原理原則です.

なぜか?

民主主義国家における政治家は,国民の代表です.
国民の信任を経て在任している存在.
だからダメなのです.

政府や政治家は,国民世論の影響を受けてしまいます.
そんな人たちが,科学的な正しさや,哲学的な正当性を追い求めている人たちをコントロールできるわけがありません.


科学的な正しさや,哲学的な正当性というのは,時として「政府」や「国民」の都合や感情に反する回答を出すことがあります.

今回の問題でも,ネトウヨ達から,
「学術界は左翼や反日勢力の温床になっているのでは?」
という指摘がありますが,まさにこれ.

こういうノイズから学者を守るために,学術活動は独立していなければなりません.

左翼的・反日的であっても,人類や日本国家にとって本当に大切な提言をしている学者や研究者がいるかもしれない.
もちろん,逆もまた然り.

そうした提言をするためには,政府や国民世論の影響を離れたところである必要があるのです.
いちいち自分の身の危険や,将来の安定を犠牲にしていたら,学術の発展は遅れるでしょう.

また,政府や国民にとって都合のいい提言をしないと補助金や研究費が出ない,という状態になると,政府や国民が喜びそうな研究しかしない学者が増えてしまいます.
これは民主主義国家の自殺に等しい.


14万人超が「6人任命拒否、撤回を」 学者らネット署名集め首相宛て提出(毎日新聞 2020.10.13)
ネット署名運動は、鈴木淳・東京大大学院人文社会系研究科教授と古川隆久・日大文理学部教授が発起人になり今月3日から開始。戦前や戦中の言論弾圧が軍部の暴走を助長したとして「今回の事態を座視できない」と呼びかけ、12日までに14万3691人が賛同した。抗議文では「学術会議の本来のあり方を著しく損ない、社会に損害をもたらしかねない」と危機感を表明。政府が理由を示していない点を批判し「(問題を)黙認することは社会全体を息苦しくさせ、国の行く末を誤らせかねない」としている。

この署名運動では,「戦前や戦中の言論弾圧が軍部の暴走を助長した」という例を出しています.
たしかに,これが日本における問題として典型だと思います.

かつて日本は,学術の自由を制限したことで,国として一旦滅亡しちゃった過去があるのです.
これを繰り返さないためにも,学術の自由を保障しなければいけないということ.
それが例え,政府や国民にとって不満だったとしても,です.


もっとシンプルなところでは,ガリレオ裁判,ダーウィン論争などですね.

「地球は動いている」ことを証明されると都合が悪い人たちにとって,学術は弾圧対象になりますし,「自分たちはサルから進化した」と言われることにムカつく国民も多いわけで.

かつて学術活動が,国家や政府ではなく,自費やパトロンで賄われていた時代には,国や市民から猛烈な批判を受ける場合もあったのです.

場合によっては,殺されたり,社会的に抹殺されたり,追い込まれて自殺したり,といった学者がたくさんいたのを知っている人も多いでしょう.

最近ネットで散見される,センメルヴェイス反射なんて,その典型ですね.


学術活動は,それが画期的であるほど,そして革新的であるほど国家・国民,そして権力者から恨まれたり批判されたりするものです.
しかし,それが時を経て徐々に受け入れられたり,何かの拍子に評価が激変したりといったことが多いのですよ.

「コイツは左翼だ! 反日勢力だ!」
ってネトウヨ達からボコられてる学者も,あと50年,100年したら,
「当時は日本国民から批判されることもあったが,現在の○○理論につながる重要な研究を発表した」
といった評価になっているかもしれません.

そんなわけで,民主主義国家において学術活動は,政府や国民世論から離れたところでやるものになっています.



「大学は世間の要望を聞いてはいけない」に通じます


このブログでは,大学改革に反対するものをたくさん書いています.

例えば,本件に関連性が強いものとしては,
反・大学改革論シリーズ
反・大学改革論3(学生はお客様じゃない)
とかです.

私が,「大学は世間の要望を聞いてはいけない」と言っているのは,まさに今回のような事態が起こってしまうからです.

学術が「世間」,すなわち,国民世論とその影響下にある政治家・政府の要望を聞くような存在になると,まともな人間社会が保てなくなります.

人間は古今東西,本能的にそのことを古代から知っていたので,「世間」や「世俗」から切り離されたところに提言者(学者)を用意したり,そうした智慧を伝え広める高等教育機関を重要視していました.
現代ではそれが「大学」なのです.

当然,こうした存在は,その重要性を理解できない権力者や一般人から,たびたび非難と破壊の対象となりました.

現在,日本の学術は「この段階」に入ったものと思われます.
日本の学術の正念場です.

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