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前回の「フクシマフィフティ(Fukusihima 50)」についての追伸

デリケートなテーマを扱ってる自覚があるんなら,もっと丁寧に製作してほしいものです


だからって,「じゃあ,お前が撮ってみろよ」と言われても撮れないわけですけど,映画やドラマなどの映像作品には,多くの人々の感情や理解を誘導する力がありますので,注意が必要だと思うのです.


前回記事の『フクシマフィフティ』と『空母いぶき』について.
これに追加です.


 


ちょうど今日,当時の総理大臣をしていた菅直人のインタビュー記事がYahoo!ニュースになっていました.
「5000万人避難まで想定した最悪の事態」菅直人元首相が振り返る3.11 #あれから私は(Yahoo!ニュース・オリジナル特集 2021.2.25)
マグニチュード9.0の巨大地震とそれに伴う津波で、1万8000人あまりの死者・行方不明者を出した東日本大震災。それは未曽有の原発事故も引き起こすことになった。震災当時、総理大臣だったのが菅直人衆院議員(74)。水素爆発も起きるなか、「最悪のシナリオ」として5000万人が避難することも想定していたという。10年後のいま、元首相に振り返ってもらった。(ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース 特集編集部)

この記事には読者コメント欄がついてるんですが,そこでのやり取りも面白い.

いまだに「当時首相だった菅直人のせいで事態が悪化した」という話を信じ込んでいる人達がたくさんいるのです.
おめでたいですね.

これは一面においてはそうですし,私も菅直人が良い首相だったとは思っていません.
上記のニュース記事にしても,「何言ってんだ,このスッカラ菅は」は言いたくなる話は多い.

しかし,菅首相の行動が原発事故の結果の大勢を招いたというのはデタラメです.
菅首相は菅首相で,彼なりに被害を拡大させないための指示を出し,それによって最悪の事態は防がれています.

そもそも,映画「フクシマフィフティ」の原作,門田隆将 著『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』においても,それは語られているのです.

これをゴッソリ省いた映画になっている,という批判が前回記事でした.
これはいわゆる,必ず高評価してくれる人種・層がいることに依存した映画づくりです.

つまり,
菅直人や民主党が嫌いな人
吉田所長を英雄視したい人
現場で頑張る労働者系(プロジェクトX的な)が好きな人
に媚びていて,彼らが喜ぶ作品にすれば一儲けできるだろうという魂胆が見えるのです.

こういうのも,近年流行ってる「マーケティング」とやらの弊害だと思います.


で,今日この記事を書くにあたって,あらためてウィキペディアで製作情報を確認したんですけど,この映画の「評価」の欄も見たんです.
Fukushima 50(映画)(Wikipedia)
そこにはこうありました.
キネマ旬報社が運営するKINENOTEの「キネ旬Review」では、3人のレビュアーが全員星5つ中1つの最低評価としている。レビュアーのうち、映画評論家の川口敦子は「戦後日本への道をなぞり、迷いなく美化するような展開に呆然とした」、佐野亨は「この作品は検証や哀悼や連帯ではなく、動揺や怒りや対立を呼びおこす」、福間健二は「自然を甘く見ていたというだけの結論。何を隠蔽したいのか。若松監督、承知の上の職人仕事か」と揃って厳しいコメントをつけた。

なーんだ,映画評論家の人達もこぞって酷評してるじゃないか.
私としては「ですよねぇー」って感じです.

菅直人を擁護する気にはなりませんけど,それ以上に映画の出来がマズい.
ちなみに,菅直人もこの映画にコメントしているらしい.
ウィキペディアにはこうあります.
当時首相であった菅直人自身は本作に関して「周囲の人は、描き方が戯画的だとか色々言ってくれるんですが、そんなに、ひどいとは感じていません。劇映画ですしね」と語り、事実と微妙に違う点はいくつかあるが非常に事故のリアリティがよく出ている映画だと好意的に評価している。

でもこの映画,日本アカデミー賞を受賞しています.
しかもこんなにゾロゾロと賞をたくさん.

第44回日本アカデミー賞
・優秀作品賞
・優秀主演男優賞(佐藤浩市)
・優秀助演男優賞(渡辺謙)
・優秀助演女優賞(安田成美)
・優秀監督賞(若松節朗)
・優秀脚本賞(前川洋一)
・優秀撮影賞(江原祥二)
・優秀照明賞(杉本崇)
・優秀音楽賞(岩代太郎)
・優秀美術賞(瀨下幸治)
・優秀録音賞(柴崎憲治 / 鶴巻仁)
・優秀編集賞(鄺志良)


主演男優賞とか助演男優・女優賞とか,あと音楽とか美術とかそういうのは良いと思うんですけど,「作品賞」や「監督賞」はないでしょう.

世間の評判も上々です.
Amazonでは星4.4,映画.comでは3.7です.
映画好きがコメントする映画.comでは低くなるようですね.


考えたんですけど,この映画をこんなにも世間が絶賛するのは,この映画で描かれていることを「信じている」人が多いからではないか,そんな気がするんです.
自分で言うのもなんですけど,ちょっと浮世離れした生活を続けている私としては,世間の人々の感覚とは違うのではないか.
過去にも,「へぇー,世間の人達ってこんなふうに思ってるんだぁ」と悩まされたことは多々あります.
これはきちんと自覚しておく必要がある,と注意しているつもりです.


なので今回,いろいろとネット上で調べてみました.
そしたら,出てくるんです,懸念していた系統のものがゴロゴロと.

分かりやすいものとして,こんなのとか.
映画『Fukushima 50』はなぜこんな「事実の加工」をしたのか?(講談社 2020.3.6)
地震は3月11日午後に起き、その日の夕方から、福島第一原発は危険な状態になっていた。12日未明、総理は自衛隊のヘリで現地へ向かい、視察した。
この現地視察は当時から、批判された。「最高責任者が最前線に行くなどおかしい」というのが批判の理由だ。
映画は、この立場から批判的に描く。
さらに、「総理が現地へ行くことになったのでベントが遅れ、被害が拡大した」したというストーリーに仕立てている。いまもこのストーリーを信じている人は多い。
総理の視察とベントの遅れとの因果関係は、何種類も出た事故調査委員会の報告書で否定されている。遅れたのは、手動でやらなければならず、準備に時間がかかったからで、これはこの映画でも詳しく描かれている。

そう.
この点の描き方が強引で,明らかに映画の質を落としてます.
だって,辻褄が合ってないんですから.

つまり,ベントが遅れたのは菅首相が現地に行って混乱したからではなく,そもそも,原発が故障していて,手動でなければベントできない状態だったからです.
菅首相が行っても行かなくても,素早いベントはできませんでした.
これについては吉田所長もそのように証言しています.
吉田所長を英雄視して,且つ,菅首相を叩きたい人達にとっての「不都合な真実」として有名です.

こうした事実の検証については,多くの人は興味がありません.
この10年間に,いろいろと明らかになったことがありますが,それを逐一気にしている人などいないのです.
ですから,この映画を鵜呑みにするのは仕方ないことでしょう.


私の福島第一原発事故に関する現時点での解釈としては,
「非常用の電源喪失が致命的だった」
というものです.
そのために,メルトダウンとメルトスルーを引き起こしてしまったのです.

さらに,非常用電源の確保を怠ったのは,他でもない「吉田所長」本人でした.
また,その判断を採用したのが当時の首相「安倍晋三」だったというのも有名です.

私の理解では,吉田所長は,ご自身の過去の判断ミスの禊のために,あのような決死の現場指示をしたのではないかと思います(もちろん,ただの推測ですけど).
また,東電本社とのやりとりにおける肝心なところは,口をつぐんで墓場まで持っていきました.
よほどヤバい内容だったのでしょうか.

この点,いまだに東電は事故発生直後の吉田所長と本社とのやり取りを公開していません.
これには多くの批判がありますよね.


あと,東電が福島第一原発を放棄して退避・撤退を言い出した時に,これを止めたのは菅首相だったのが「事実」です.
福島第一原子力発電所事故(東京電力の全面撤退をめぐる報道)(Wikipedia)
国会事故調 (2012, p. 33) は報告書で、全面撤退は官邸の誤解であるが、官邸に誤解が生じた根本原因は、東電社長の清水正孝が、極めて重大な局面ですら、官邸の意向を探るかのような曖昧な連絡に終始した点に求められる、とした。

もちろん,もし逃げていたら,今は東日本は人が住めない場所になっていたことでしょう.

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