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思い出の楽曲|時には昔の話を・加藤登紀子|blogger共有



前回記事の関連として,「青春の思い出」ものです.

宮崎駿監督作品である「紅の豚」のテーマ曲として有名で,加藤登紀子さんの代表曲のひとつでもあります.


曲そのものは以前から知っていましたが,PCに入れて聞くようになったのは大学教員の仕事を始めてからだと思います.
当時はまだ20代後半ぐらいだったから,「とりあえずなんか良い曲だなぁ」程度のものでした.
でも,最近になって歳を重ねてくると,やっぱり受け取り方がちょっと違ってくるわけですね.

私としては,大学生の頃,大学院生の頃を思い出します.

「道端で眠ったこともあったね」
あぁ,あったあった.

「お金はなくても,なんとか生きてた」
あぁ,そうだった.

「小さな下宿屋に,いくにんも押しかけ,朝まで騒いで,眠った」
あぁ,今思うと迷惑きわまりないな.


たぶんこの歌の登場人物たちも,加藤登紀子さんの世代である「学生運動」にもまれていた大学生なんだろうなと思ったりする.

なんですけど,私はこの曲を聞いてていつも思うのは,できればここで歌われている「君(ヒゲヅラの男)」であり続けたいなぁってことなんです.
つまり,歌の最後にあるように,
「今でも同じように,見果てぬ夢を描いて,走り続けているよね.どこかで」
という人間であり続けたいってこと.

生き方を崩さないようにしたい,っていうのが,私の希望です.


ただね,まさに今現在こういう曲を聞いてて思うのは,コロナ禍にある大学生や若者って,この歌の歌詞にあるような青春を送れていないよなぁってことです.
送ることもできるっちゃできるけど,そのハードルはかなり高い.

ある意味で,ちょっと特殊な「時には昔の話を」することができる世代とも言えるでしょう.

あと,「お金はなくても,なんとか生きてた」っていう歌詞のあとにある,
「貧しさが明日を運んだ」
っていう表現.
この感覚があるのって,ギリギリ私達の世代までじゃないかなぁ.

今の若者たちって,貧しさが明日を運ぶなんて感覚,無いんじゃなかろうか?
これってのは,言い換えれば「貧しい生活が徐々に改善していく実感を日々・年々得られている」ということです.
経済成長期に得られる感覚ですね.

一方,現在の日本社会ではこの感覚は得られません.
経済がデフレーションを起こしているからです.
貧しい立場の者はずっと貧しく,それを打開するためには偶然性の高いイス取りゲームをしなければいけないわけで.
いわゆる,デフレ不況下における個人経済戦術ですよ.

つまり,パイの奪い合い.
パイそのものが大きくなっている時代ではないわけだから.

実際のところ,私達の世代である「ロスジェネ世代」にしてもは,自覚がないだけで「貧しさが明日を運ん」でくることはなかったのですし.


現在の若者が「昔の話」をする時は,一体どんな時代になっているんでしょうね.


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