注目の投稿

忘れられない不思議な人々(16)和田一浩

1年ぶりの「忘れられない不思議な人々シリーズ」です.
私がこれまでに出会ってきた人たちの中から,想い出深い人達をピックアップしていました.

そんなシリーズを思い出したように挙げてみたいと思います.


ところで,今日はプロ野球新記録が出ましたね.
東京ヤクルトスワローズの村上宗隆選手が,5打席連続ホームランとのこと.

記録達成した際に,スマホのアプリで設定しているニュース速報が鳴ったので,じゃあ6打席目はどうなるのか! ということでテレビをつけてみたものの,残念ながらヤクルト戦はテレビ中継されていませんでした.
ガッカリです.

ちなみに,村上選手の6打席目はツーベースヒットに終わったということです.
いや,それでも十分恐ろしい記録なんですけど.

【ヤクルト】村上宗隆が日本新記録の5打席連続アーチ 31日阪神戦3連発+2連発で達成「食らいついて打ちました」(Yahooニュース|スポーツ報知 2022.8.2)

今年の村上選手はノッてますね.
このまま好調を後半まで維持してもらって,さらなる活躍を期待したいところです.


というわけで,今回はプロ野球の話題にします.
私もかつて高校野球で選手活動の経験がありますので,それなりに思い入れはありますし.

その当時に憧れていた選手,お手本にしていた選手はいろいろいますが,右打ち時代には緒方孝市選手とか落合博満選手,左打ちに変えてからは松井秀喜選手やイチロー選手,スイッチヒッターに挑戦していた時もあったので,松井稼頭央選手なんかをマネしてみたこともありました.

もちろん,一流選手をマネても自分の成績に反映されるとは限りません.
私に野球のセンスはありませんでした.


そんな高校野球をやっていた折,ちょうど松坂大輔選手がルーキーとして騒がれていた年のプロ野球オープン戦を観戦する機会がありました.
豊橋市民球場で開催されたゲームだったのですが,その日は注目の松坂大輔が登板することになっていたものの,残念ながら雨天により中止になったんです.

肌寒い雨のなか行列をつくって長時間待たされていた観客からは,なにやら怒声が出る始末.
あの松坂大輔がオープン戦でプロ初登板するという予定で組んだゲームでしたから,おそらく開催者側もなんとかして試合ができるよう模索したんだと思います.
でも,天気を変えることはできません.
そんな開催者側の中止判断が遅くなったこともあり,雨に濡れながら待たされた観客はストレスを溜めてしまったんですね.

なんだかキナ臭い雰囲気が漂い始めたとき,当時の西武ライオンズ監督の東尾氏が気を利かせて,球場の外から見えるブルペンに松坂大輔を出してピッチング練習をさせたのです.

これはなかなか粋なはからいでした.

幸運なことに,私はブルペンキャッチャーから一番近くのポジションで行列に並んでいたんです.
距離にして,約2mくらいでしょうか.
なので,松坂大輔のボールをキャッチャーおよび右打席目線で見ることができました.


松坂選手は先発予定でしたから,肩は出来上がっていたものと思われます.
なので,ほぼ本気のボールだったでしょう.
その感想ですが....

ヤバい,これは別次元だ,と思わされました.
私なんかがどれだけ練習しても,到底到達できないレベルだと感じたのです.
さしずめ,ドラゴンボールのヤムチャが人造人間セルのシャドーボクシングを間近で見せられたようなもの.

直球がとにかく速い.
でも,それ以上に驚いたのはスライダーです.
マジで「消える」んです.
本当です.
2mくらい離れたところから見ていても,消える.

何球かストレートとスライダーを交互に見せてもらえたのですが,あれは打席に立ったらまず打てないと思った.

明らかに高校野球のレベルではありませんでした.
その後のご活躍は言わずもがな.


いえ,今回は松坂大輔の話がしたいのではありません.

そのファンサービスのピッチング練習で,松坂のボールを受けていたキャッチャーが和田一浩選手でした.
ユニフォームに「WADA」と表記されていたので,おそらくそのはずです.

私は当時,和田選手のことをあまり知りませんでした.
実際のところ,和田選手も当時はあんまり活躍してませんでしたし.

テレビゲームの「実況パワフルプロ野球」とかでも,捕手兼外野手であまりステータスが高くなかったですね.


皆さんは知ってます?和田選手のこと.

ウィキペディアから引用です.
和田一浩(Wikipedia)
和田 一浩(わだ かずひろ、1972年6月19日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(外野手・捕手、右投右打)、日本プロ野球名球会理事、野球解説者、タレント。マネジメント契約先はスポーツビズ。
愛称は同姓の演出家・和田勉にちなんだベンちゃん、更にそこから発展したビッグベンなど。ナゴヤドームの外野スタンドで掲げられている横断幕には「輝く男」という文字が入っていた。アテネオリンピック野球の銅メダリスト。

ウィキペディアから画像引用もしておきます.



特徴的な「頭部」をしているので,それでご存知の方もいらっしゃるかもしれません.
すみません,失礼しました.


話をファンサービスのピッチング練習に戻すと,「松坂見たさ」に押し合いへし合いで大混乱になっているブルペン周辺において,懇切丁寧にファン対応をしていたのが和田選手でした.

私にはそれがとても印象的だったのです.

当時の私のプロスポーツ選手のイメージとして,身内とは言え「スター選手」に対してはライバル心や嫉妬心が隠せないものかなぁと思っていたのですけど,和田選手はそんなことは微塵もなく,松坂目当ての観客の要望を少しでも叶えようという姿勢が漏れ見えてきたものです.

上述した直球・スライダーのコンビネーションも,和田さんなりの「ピッチャー松坂の真骨頂」をファンの人達に見せてあげようというサービス精神だったと思います.


以来,私は「隠れ和田ファン」になっていたのです.
表向きはイチローとか松井秀喜とか,あとは上原浩治さんとかのファンを自称していましたけど,実は和田ファンだったのです.

え? なんで隠れる必要があるのか? って?
別に隠れる必要はないのですけど,結局隠れることになっちゃうから.
実際,「僕は和田一浩のファンだよ」って言っても,当時は「和田一浩って誰?」っていう状態だったのです.

でも私は,あの冷たい雨の豊橋市民球場で,温かい観客対応をしていた一人のプロ野球選手に憧れた.
こういう人物に活躍してほしい.

プロスポーツというのは,こういった観客やファンと,選手・チームとの交流がまずもって基本なんだろうな,っていうことを意識するようになりました.
私にとっては,あの場所で最も輝いていたのは松坂大輔でもなく,和田一浩だったのです.
もちろん,当時はまだ物理的・光学的には「輝いて」はいませんでしたが.

そんなふうに思っていたので,テレビゲームの「実況パワフルプロ野球」でも,西武ライオンズを使う時には,伊東や中嶋を外して和田一浩をキャッチャーにしてました.
でも,今にして思えば,キャッチャーにこだわらなくても,外野の方がよかったかもしれない.
私には「和田=キャッチャー」の印象が強かったので,どうしてもキャッチャーで活躍する姿を求めてしまったのです.

事実,その後の和田選手は外野手として出場することで活躍していきます.
頭髪の本数は減っていきましたが,逆にヒットの本数は増やしていったわけです.

そして,西武ライオンズと中日ドラゴンズの2球団を渡り歩き,遅咲きながら2000本安打も達成し,球界を代表するスラッガーになってしまいました.


ところで,和田選手のファンになったということで,その特徴的なバッティングフォームをマネようと思ったかというと,そんなことはありません.
あれはマネできないです.

コメント

  1. 清和会降ろしが始まってきた印象ですね
    これからの保守がどう生きていくべきでしょうか?

    返信削除

コメントを投稿

常識の範疇でご記入ください。お問い合わせはメールでも受け付けています。その場合は「プロフィール」からお願いします。