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体育が嫌いな生徒を想定していない学校体育

体育は個人の権利を蔑ろにしている


さて,今回の記事も朝日新聞ポッドキャストからネタをいただきます.
学校体育です.

まがいなりにも,私は体育の専門家です.
大学では体育・スポーツ科学についての講義やゼミだけでなく,実際に実技授業もやっていました.
それに,中高の教員免許も持っていますし,実際に高校で体育の授業をやったことも何年かあります.

もっと言えば,保健体育の教職課程の授業も担当していました.

なので,今回の朝日新聞のネタは刺激的なものと言えます.

言えなかった「体育が嫌い」 苦痛だった持久走、忘れられない怒声(朝日新聞 2022.10.9)
大阪府吹田市の大学生、江口康太さん(21)は就職活動中、複数が協力する「グループワーク」で、「もやっとした気持ち」を抱いた。
求められたのは「チームワーク」。嫌な役回りにも積極的に取り組めば評価が上がる。
思い出したのは、小学校の体育の体験だ。

朝日新聞ポッドキャストのほうでは,
■大嫌いだった体育は「個人の権利を蔑ろにしている」生きづらさを考える#973
というタイトルで配信されています.
上記記事を元にして,記者らの子供時代の体験を交えて,自分たちも体育が嫌いだった理由などを掘り下げるというものです


何を隠そう,私もどちらかっていうと体育が「嫌い」なほうでした.

朝日新聞の記事タイトルでもある,
「言えなかった『体育が嫌い』」
というのも,まさにその通りでして.

子供にとっては,なんだか「体育が嫌い」と表明することが憚れる雰囲気があるんですよね.
それを言っては子供じゃないとか,男がすたる的な感じです.


ポッドキャストのなかでも出演者が指摘しているのが,
「体育の授業では,とにかく教員の指示に従うことが優先されて,スポーツや運動の動作指導やコツの指導を受けた覚えがない.それで授業を展開していることになるのか?」
といった趣旨のことです.

持久走であれば,ただひたすら走らされ,サッカーであれば,ただひたすらサッカーをさせられ,運動会であれば,ただひたすらイベント開催に向けた集団行動のリハーサル.
自分の運動能力がどれほどのものか大々的に公表され,そして公開処刑される場.
それが学校体育なのです.

まぁ,たしかにそんなところがありますよね.
私が体育が嫌いだったのも,そういうところです.

じゃあ,自分が教員の立場になったときにどうしたのか? っていうと,やっぱり,そういう点を改善したいなと思ってやっていました.
これについては過去記事で述べていますので,そちらをどうぞ.

今回,この記事を書くにあたって,これらとその関連記事を読み返してみましたが,我ながら良いことを書いていたんだなぁと,結構勉強になりました.

理想論的なところもありますけど,おそらく学校体育の意義とか,体育教育の存在意義というのはここにあると思います.

でも,どうやら朝日新聞ポッドキャストとかを聞いていると,そういう体育の授業が学校で展開されていないところがあるようです.
つまり,規定事実づくりとしての体育の授業とでもいうのでしょうか.


今回のテーマに関連して,私はかつて教職課程の授業でレポート作成を課していました.
お題はまさに今回の朝日新聞ポッドキャストでのネタにもなっている,
「学校において体育の授業に意義はあるのか?」
という点で,
「授業としての体育だけで健康を維持増進できるなんてのはデタラメ」
「生徒を指示に従わせるだけで,教師の自己満足」
「体育によって日本人の運動習慣は身についてなどいない」
「個人の運動能力を公開させて喜ぶ『運動会』は,大人だけが喜ぶ残酷なイベント」
といった世間の指摘についてレポートを書かせるものでした.

受講者は「体育の先生になりたい!」という純粋な想いを持っている学生たちが多いものですから,このレポート課題が結構難しく感じる人もいたようです.
体育教師になりたいと考えている人の多くは,体育の存在意義とか魅力に疑いを持っていませんから,逆にこういう視点で問いかけることは非常に重要です.

ところで,私がこのレポート課題を学生に課しているということが,当時同じ大学にいた別の大学教員の耳に入ったんです.
これも何を隠そう,例の「大学の小説」における登場人物の一人である,「藤堂道雄」のモデルとなった人物です.

藤堂先生は,学生が私からそんなレポート課題を課されていることを知ると,血相を変えて怒鳴り込んできました.
「お前! 学生になんちゅうレポートを書かせてんねん! そんなことして,クレームが入ったらどうすんねん!」
と.

マジで意味不明だったので呆気にとられていると,藤堂先生はこうも言います.

「お前のせいで教員を目指す学生が減ったら,どう責任をとるつもりなんや!  お前なんかに責任なんかとれへんやろ!」
などとまくしたてるのです.


可哀想な人だなぁと,今でも思い出します.

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