2016年12月2日金曜日

大学における体育授業の意義

以下,大学における一般体育の授業方針に悩んでいる教員(教務委員の先生も含む)の参考になればと思います.

このブログでは,何度か「大学において体育は軽視されがちだけど,本当は重要な科目」ということを述べてきました.
例えば→■昨今の大学用語辞典より 【体育】強い理念のもと指導する教員が多いわけではない,学生にとっての休み時間.本来は大学教育において重要な科目.

これについて,以下の記事↓
井戸端スポーツ会議 part 16「体育の授業で得てほしいこと(特に大学で)」
でもお話したことがありますが,今回は別の観点から述べてみます.

「運動能力が高い人は学力も優秀」「スポーツをすると学習機能が高まる」などと言い出す人もいますが,これはどうでもいいことです.週に1回の体育の授業とはなんら関係がない.それに,研究ではたしかに有意水準ではあるけど劇的な影響はみられません.こういうのは,特に大学において重要視されやすい知的活動へのコンプレックスから来ていることですね.
「スポーツを勉強することにも意義がある」とか「健康を保つためにも価値がある」などと宣伝する人もいますが,これも副次的なことです.

一方,「スポーツの技術・技能を高めること」を第一に掲げる人もいます.結構います.
これは論外です.
たいてい,昨今の「スポーツ科学研究」の隆盛についていけない教員が,己のアイデンティティである指導能力を誇示するために使っているロジックです.
スポーツ技能の習得なんて,わざわざ大学に来てまでやることではないし,上手くなったからどうだっていうんでしょうか.教え方が上手いことを自慢したいなら,どっかのインストラクターにでもなればいい.お願いですから普通に大学教員として人類に貢献してもらいたいものです.

では何が重要なのか.
スポーツは,スポーツすることそのものに意義があります.スポーツという営みを通したなかに人間らしさが現れます.そこに教育価値を見出すことができるのです.

直接的に言及したことはありませんが,関連した過去記事があります.
私の祖父が海軍の学校で経験した体育について述べたものです.班対抗の持久走レースが企画され,ルールは「その班内で最も遅くゴールした者の順位によって班の順位がつく」というもの.それに祖父たちはどのように取り組んだのか.
海軍の学校での体育
運動の出来ない者はどこにもいます.祖父の班にもそういうメンバーがいたそうです.ですから,この条件下で勝とうとすれば普通に走っていたら絶対に勝てないことになります.
班長をやっていた祖父は,すぐさま班のメンバーを集めてミーティング.このレースに勝つ方法を考え指示したそうです.
(中略)
もしかすると教官は,運動の出来ない生徒に自覚をもたせるために考案した持久走だったのかもしれません.皆の足を引っ張らないように体を鍛えろよ,と.
ですが,結果的に現れたのは
「強い者が弱い者をカバーしたほうが,全体の勝利へとつながる」
ということです.
これ,体育の授業における重要な教育価値だと思うんです.
もっと言うなら,別に勝敗を決することに真剣にならなくてもいいでしょう.
私が大学における体育の授業で大事にしているのは,「いかに自分たちだけでスポーツを楽しめるか?」という点です.
なんだそれ,甘っちょろい授業目標だな,と思われるかもしれませんが,実はこれが結構厳しい学習課題です.

誤解を恐れずはっきり言いますと,「授業時間である90分間のなかで,学生たちだけで有意義なスポーツ活動を展開し,その場にいる者皆が嫌な思いをせず,等しく楽しむ状況をつくることができる」という課題は,申し訳ないけど知能レベルと強力な相関があります.
頭のいい学生は,放っといても積極的にスポーツを楽しみますし,なるべく皆が楽しめるよう配慮できます.

一方,バカは自分たちだけ楽しもうとします.自分たちが騒いで盛り上がっていれば,その場の全員が楽しめているものだと認識しています.これは本人たちは気づきません.
だからそこに「教員」が必要です.

頑なに動こうとしない学生もいます.じっとして授業の時間をやり過ごそうと企んだり,わざと無気力な態度で取り組むことでカッコつける学生です.これも本人たちは至って「カッコつけてる」つもりなので,周囲にどう思われているか気づいていません.もちろん,周囲にちょっと迷惑かけてる認識はあるのですが,それが「ちょっと」じゃなくて甚大な迷惑になっているという想像力は働きません.
だからこれにも「教員」の補助が必要になります.

まるで小学生を指導しているように聞こえますが,偏差値や学力に関係なく,小学生みたいな奴はどこにもいます.
この未熟者を,一端の大人に育てるのが大学体育の使命だと考えられます.

「周囲・全体に配慮しながら自分たちだけでスポーツを楽しめる学生」は,ゼミ活動でも優秀です.周囲・全体に配慮しながら,有意義な議論を展開できるのは,やっぱりこういう学生です.
たとえ学力は低くても,こういう学生は大学生活後半の伸びが違います.
「スポーツ」における振る舞いは,「議論」や学術活動での振る舞いと類似するのです.

低俗な話ですが,この課題がなんなく出来る学生は就職活動にも苦労しません.もっと言えば,就職後も苦労しないですよ.ご縁のあった勤め先で,同じようなことができるからです.

では,どんな授業を展開するのか?
私は授業初日にこう宣言します.「僕は技能練習を指示しないし,細かいルールも教えない.どのようにすれば上手く90分間が回るかも伝えません.可能な限り自分たちでやってくれ」と.
初日が最も重要ですね.ここでその半期,もしくは1年が決まると言っていい.

例えば「サッカー」という教材を使うとします.全くサッカーを知らない学生が全員集まるという状況は,この日本ではほぼ考えられません.小中高の体育でやってきているからです.
小中高の体育では,サッカーの基本的な動き方,練習やウォームアップの仕方,試合展開やルールを学習してきています.
だから,それを基にサッカーを楽しめばいいじゃないか,大学では楽しむことを学べばいい.これまでずっとサッカーを楽しむための方法を勉強してきたんだろ? と,そう伝えます.たいていの学生が「あ,そうか.言われてみればそうだな」と気づいてくれます.
でも,言うは易く行うは難し.

男女差,技能の上手/下手,体力の高い/低い,興味関心の高い/低いなどに差がありますから,そうした集団でどのように楽しめばいいか考えることは意外と難しいものです.
それに,授業は通常15回ありますから,同じことをずっと続けて良い場合もあれば,何回かやれば飽きてくる場合もある.
そんな時どうするか? こうしたことへの対処方法を検討するのが,重要な学びです.

自分たちで乗り越えられるクラスならいいのですが,できないクラスもあります.
技術的な話(練習法や特殊ルールのアドバイスなど)なら対応は簡単ですが,一部の仲良しグループが自分勝手に進めたり,スカした態度で協力しない学生が一定数現れたら,なんとも気分の悪い空気が流れ始めます.
そんな時は,なるべく「学生たち自らが組み立てている」という状況をつくりながら進めるようにしています.

この時の対応が非常に難しい.
ともすれば,「正論」と「綺麗事」を並べ立てる教員になってしまいます.それでも良いのかもしれませんが,自分勝手な学生やスカした学生は,そういう教員を最も毛嫌いしています.周りの学生は「よく言ってくれた」と溜飲を下げるかもしれませんけど,肝心の注意されているこの学生には伝わりません.

万能な指導法はありませんので,ケース・バイ・ケースで頑張っている次第です.
それに,大学におけるその他の授業と同様,全員を等しくレベルアップさせることはできません.
どんなにしたって,学ぶ気がない学生は学びません.
でも,地道にやっていれば,それなりに学生は受け取ってくれるものです.

ある年のクラスに,いわゆる「自分勝手に進めるチャラい男子グループ」がいました.いい歳して不良がカッコいいと思ってる奴らです.
なかなか手こずった学生たちでしたが,最後の方では,こちらの意図したことを理解してくれたところがありました.
人見知りの(こう言っちゃなんだけど,ちょっと発達障害気味の)学生に対しても配慮できるようになり,彼らが伸び伸びプレーできる状況を作ることのほうが,自分たちも楽しくプレーできることに気づいてくれたのです(と信じています).というのも,技術レベルに差がある者同士でも楽しめるルールでの試合を,彼らがネットで調べて「今のままだと全力で出来ないから,これでやろう」と言い出したんですよ.

こういうことは,こっちから説明してしまったり,厳しく叱責して従わせては元も子もありません.自ら「気づかせる」ことが大事です.

「そんなこと,誰でも思い付くし,やろうと思えばやれることだ」と思われるかもしれません.
しかし,「やれることだけど,これまでやらなかったこと」というのは,本人にとって実際の行動に移すまでのハードルは非常に高いものです.それだけに,自分で意図したことを行動に移してみるという経験には,強力な教育効果があります
体育という授業では,そうした状況にたくさん遭遇するのです.

自分が楽しむためには,まず周囲の者達が楽しめる状況になければならない.
それはスポーツに限らず,学問も,社会も,政治経済も同じことだと気づいてくれることが重要です.
大学で得た知識を適切なかたちで人間社会に活かすためにも,体育は重要な役割を果たし得る科目なのです.


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