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海軍の学校での体育

なぜかアクセス数が多いので,私の祖父の話を続けます.
祖父は水雷を担当する下士官だったということですが,そのために海軍の学校を出ています.
海軍の学校の仕組みについては,私もよく知りません.
ウィキペディアの■下士官(日本海軍)とそのリンク先に詳しく載っていますので,そちらを参照下さい.

その時の「体育」の授業の様子と,そこでの自慢話を聞いたことがありますのでお話します.
もしかすると,学校における「体育」の授業の真髄がここにあるような気もしているのです.今になって思い出しても,とても参考になる事例だと思っています.

よく,「日本の学校体育は軍事教育の一環だった」という指摘がされます.
例えば玉木正之『スポーツ解体新書』などにそのような記述があります.
そのような側面があったことはたしかですが,だからといってそれが悪いことだとは言えません.そこに教育的な価値があるかどうかは別の話です.
体育が軍事教育と結びついていたから,イコールそれは悪いことだと捉えるのは,些か想像性に欠ける話だと思います.

そこで今回は,祖父が経験した海軍学校における,体育の授業のエピソードをお話しをしましょう.

海軍学校の体育の授業ですから,サッカーとか野球もやっていたかもしれませんが,たいていは体力づくりのプログラムが行われます.
ある日の授業では,班別対抗の持久走が行われたそうです.
ただし,教官から提示された勝利条件は以下のようなもの.
「班の順位は,各班の最後の生徒がゴールした順位とする」
というものです.

一つの班は,約20名くらいだったそうです.
つまり,その20名全員がゴールしなければレースは終わらないということですね.

このレースの本質はシンプルで,つまりは「各班の一番遅いメンバーの運動能力が競われている」ということになります.

運動の出来ない者はどこにもいます.祖父の班にもそういうメンバーがいたそうです.ですから,この条件下で勝とうとすれば普通に走っていたら絶対に勝てないことになります.
班長をやっていた祖父は,すぐさま班のメンバーを集めてミーティング.このレースに勝つ方法を考え指示したそうです.

まず,班のメンバーの普段の様子から持久力を評価し,「高」「中」「低」の3グループに分けます.
そして,「中」の集団を先頭にして走りだしペースメーカーにします.
「低」はそれに食らいついていくようにする.
その後方を「高」がついていく形をとります.

そのうち「低」はへばって走れなくなります.
そうなってきたら,動けなくなった「低」を,「高」のメンバーが手分けして担いで走るのです.

そうこうするうち,「低」を担いでいる「高」も走れなくなってきます.そしたら先頭集団の「中」のなかからまだ元気がある者が後ろに回ってサポートに入る.

そんな感じにすることを打ち合わせてスタート.

レースは祖父の作戦通りに展開されますが,ラストスパートでは他班とデッドヒート状態に.
最後は,動けなくなった「低」の何人かを全員で手分けして神輿のように担いで走り,雪崩れ込むように1位でゴールしたそうですよ.

「あれは作戦勝ちだった」
と笑いながら自慢気に語っていました.

もしかすると教官は,運動の出来ない生徒に自覚をもたせるために考案した持久走だったのかもしれません.皆の足を引っ張らないように体を鍛えろよ,と.
ですが,結果的に現れたのは
「強い者が弱い者をカバーしたほうが,全体の勝利へとつながる」
ということです.
これ,体育の授業における重要な教育価値だと思うんです.

もちろん,弱い者が頑張って強くなろうとすることは大事です.
しかし,目先の成績を求められた場合,「弱い者」が突然「強くなる」ことは不可能です.
ましてや,それが組織や社会となれば,その者が「弱い」と言う理由で虐げられることは,結局は組織や社会全体のためにはなりません.

体育の授業とは,まさにこの点が眼前に示される教材ばかりであり,それを教育することに本質があるように思えてならないのです.

この話を聞いていた子供の頃の私は「へぇ〜」っとだけ思っていましたが,今では非常に興味深いエピソードだと感じます.
そしてもう一つ.最後に雪崩れ込むようにゴールし,地べたに這いつくばりながら笑い合っていた青年たちの何人かが,その後の戦争で亡くなられたのだと思うと,なんともやるせない気持ちになってしまいます.


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