2016年11月8日火曜日

井戸端スポーツ会議 part 39「日本のスポーツの定義に物申す」

いまさら感満載ですが,この手の話がなかなか我々の業界でも話題に上らないので,私ではちょっと畑違い(領域外)なところもありますが,一応スポーツの専門家の一人ですのでこのブログを使って発言しておきたいと思います.

2011年にスポーツ基本法という法律ができました.
スポーツ基本法(wikipedia)

この法律が作られたことによる影響は一般に考えている以上に大きく,これにより「スポーツ」という我々にとって身近な文化的営みを「法律」によって取り扱うようになったわけです.
それまでにも「スポーツ振興法(1961年)」という法律がありましたが,これは1964年開催を控えた東京オリンピックに乗じて「オリンピックも開催されることだし,とにかく日本にスポーツを振興していきましょう」という,ある種の “ノリ” で始めた経緯があったものです.

こういった法律を作る上で,当然のことながら問題になるのは「スポーツとは何か」という点です.
「スポーツ振興法」では,「こまけぇことはいいんだ」とばかりに,皆がなんとなく「これってスポーツだよね」って捉えていることを振興すれば良かった.でも,今回のスポーツ基本法では,「基本」って言っているくらいですから,スポーツとは何か明確にしておく必要があります.
ところが,過去記事でも事ある毎に触れていますが,この「スポーツとは何か」という問いは非常に難問なのです.

ましてや「スポーツ sport」という用語は輸入品ですので,日本人にとってのスポーツとは何かと考え始めたら,一筋縄ではいきません.
勢い,「そもそも日本にスポーツなんて無いんだ!」などと言い出す青臭い学生,もしくはトンチンカンもいます.でも,これはこれで間違いです.
例えば「科学(サイエンス)science」という用語も輸入品ですが,では日本に科学という営みは無かったのかと問われれば,そういうわけではありません.これと一緒.

スポーツ基本法においても「スポーツとは何か」に関する記述がありますが,「これが日本のスポーツです」と明記することは(巧妙に)避けられています.
とは言え,それらしい記述はスポーツ基本法の「前文」に出てきます.それがこれ↓

スポーツは、世界共通の人類の文化である。スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。
この文章,私としては非常によく出来たものだと思います.
幅広いスポーツ学者が一応納得できるよう,各方面に配慮して丁寧に作られています.

ですが,普通にこの文章を読んだ一般人はどう思うでしょうか.
おそらくこう読みます.

スポーツとは,人々が健康の維持増進や楽しみのために行っている活動のことを言うんだ.
例えばフィットネスクラブやジョギング,登山やスキーなどのレジャー.学校では体育や部活動でスポーツを扱っているし,プロスポーツ選手の活躍を見て,みんな楽しんでいるよね.
これが「スポーツ」ってことなんだね.

って.
これはスポーツ科学研究やスポーツビジネスをやる上では問題ありませんが,しかし「スポーツ」そのものを考える上では極めて重大な問題を孕んでいます.

事実,スポーツ基本法の前文の最後はこう結ばれています.
このような国民生活における多面にわたるスポーツの果たす役割の重要性に鑑み、スポーツ立国を実現することは、二十一世紀の我が国の発展のために不可欠な重要課題である。
ここに、スポーツ立国の実現を目指し、国家戦略として、スポーツに関する施策を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。
つまり,「スポーツの果たす役割」が重要だから,「国家戦略」としてスポーツに関する施策を推進するためにこの法律を用意したんです,ってことを言っています.

しかし,これには誰かがクレームをつけなければいけない.
スポーツは役立っているものではありません.スポーツは,何かの「ため」に行っている活動ではないのです.
スポーツは,ヒトが「人間」であることを示す重要な営みです.
何かのためにやっているのではなく,ヒトが人間である以上,人はどうしても「スポーツをしてしまう」ものなのです.

過去記事で何度もご紹介しているものですが,このスポーツという営みを私なりに無理やり短くまとめると以下のようになります.


なにかしらのルールを作って,そのルールのなかでスコア(順位・得点)の獲得を目指し,それ自体に活動の価値を見出す営みのこと.

これがスポーツです.
そこには善悪や要不要,損得といったものはありません.
不健康になってでもスポーツをするだろうし,誰かを傷つけてでもスポーツをするだろうし,それによって本人や関係者が損をすることになっても人はスポーツをします.
だからこそ,スポーツは尊いのです.

上記の定義からすると,多くの日本人が「これぞスポーツ」と認識していること以外もスポーツと呼ばれるようになります.事実,日本人の多くが「スポーツ」と捉えていない囲碁将棋やトランプ,テレビゲームなども,「sport」の本家である欧米ではスポーツとして捉えられています.
さらに広げて言うなら,戦争や外交,政治や議会,商売やボランティアもスポーツと言えなくもない.
いえ,それらも「スポーツ」なのです.

人間だけがスポーツをします.スポーツをするから人間なのです.

しかし,スポーツ基本法にある「スポーツ」とは,どうしても政治的な色が強く,スポーツをどのように役立たせるか(乃至,役立ってもらうか)と捉えています.
それは教育であり,共同体形成であり,「サーカス」です.

これは仕方ない面もあるでしょう.政治家が作ったんだから.
でも,どこかで誰かが「これじゃダメだ」と言わなければいけない時が来るはずです.このまま放っとくと,いつか大惨事になると直感的に感じます.スポーツをなめてはいけません.人間の根幹を形作っているものなのだから.
とは言え,私としてはその分野の研究者・学者の方々の検討をお祈りするだけですが.


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