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7:2012年4月5日

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2012年4月5日(木)10時20分

 藤堂道雄は、水本誠二から受け取ったメールにより出勤してきた。
 今日は大学を休もうと思っていたのだが、水本が「どうしても」と言うので仕方がない。
 研究棟をエレベーターで3階まで昇ると、水本の研究室を通り過ぎて、一旦自分の研究室に入って荷物を置いた。

 すぐさま、そこを出て水本の研究室のドアをノックする。
 返事がしたようなのでドアを開けた。

 ドアから一番遠い位置にあるデスクに座っていた水本と目があった。
「おおぅ、藤堂か。まあ、入ってくれ。ドアをしっかり閉めといてくれよ」

 藤堂はドアを閉めると、部屋の談話用テーブルに添えられた椅子に腰掛けた。

「水本先生、どうしたんですか。何かあったんですか。えらい訳ありな様子ですなぁ」

「おぉ、それなんだけどさ、今週末に行くことになってる華獄温泉、あれに永山と橿原も誘ってくれよ」

「えっ? えっ? えっ? どういうことですか?」

「だからな、永山と橿原を温泉に連れていくことにしたんだよ。学長と話をしていたら、それが良いってことになってな。できれば仲間は多い方がいいだろ。学長も、若い教員をこのグループに引き込みたいって言ってるしな。お前、永山と橿原と話ができるだろ。今年度からお前も学科長になったことだしさ、お前の口から二人を呼んどいてくれ」

「えっ? えっ? えっ? あの二人と一緒に温泉に行くんですか?」

「おいおい、別に男同士でなにか男色じみたことをしようってわけじゃねえんだし。それともなにか、お前はその気があるのか? 永山と橿原は好みのタイプじゃないってことか?」
 水本はわざとらしく嫌らしい目つきを作って笑う。

「いやいやいや。そういうのでは」
 藤堂は笑いながらも、納得のいかない素振りで再度聞く。
「今回の温泉は、学長と水本先生との三人で話し合おう、ということじゃなかったんですかねぇ? あの二人をこのグループに入れてもええんですか?」

「グループっていっても、俺とお前とのたった3人だろ。このままじゃ、どうにもできないだろ。だから学長とも話し合って、これから理事長と戦うためには派閥を大きくして、勢力を強くする必要があるってことになったんだよ。でもな、いきなりたくさんの人に声をかけたら、裏切る奴とか理事長に申告に行くようなスパイが出てくるだろ。だから、できるだけそういう心配がない奴等から取り込んでいこうって話なんだよ。だからさ、あの二人は、お前が引き込んどいてくれ。頼んだぞ、じゃあな」
 そう言って水本は、デスクのパソコンに目を向けてキーボードをたたき始めた。

「えっ? えっ? えっ? 水本先生、そんな急に言われても困りますよ」

 水本は面倒くさそうに目を藤堂の方に向け直して答えた。
「もう明後日の話だろ。早めに連絡しないと、アイツらも予定が入ってきたらヤバいだろ」

「予定が入ってるからダメですって言われたらどうするんですか?」

「そりゃ無理だろ」

「無理ってことでえぇですか?」

「だからさ、それを聞いてくるんだよ、早めに。お前、学科長だろ。そのへんをなんとかして、呼び込んでこいよ。あっ、そうだ。せっかくだから、もう一人くらい増やそうか」

「えっ? えっ? えっ? 増やすんですか」

「別に2人から3人になるくらい、いいだろ。将来的にも、多い方がいいんだし。・・・そうだ、あの穂積里香とかいいんじゃないか?」

「えっ? えっ? えっ? 穂積先生ですか? 穂積先生はやめといた方がえぇと思いますけどね」

「なんで? ダメなのか? 男ばっかりだと気持ち悪いだろ。女を一人くらい入れるのはいいと思うぞ。それに、あの子、結構色っぽいだろ。芸能人の誰かに似てるよな」

「いやぁ、穂積先生は、学長とは馬が合わないと思いますけどねぇ」

「そうなのか? けど、学長としては、仲間に入れるメンバーリストとして、穂積先生を入れてるけどな。あの子、あれで結構気が強いだろ。理事長にも食って掛かる度胸があるしな。学長もお気に入りだぞ」

「せやけど、穂積先生はアカンと思いますけどねぇ。細かいことをグチグチ、グチグチ言うてくるでしょ。社交性がありませんわ」

「おい、お前、そんな感じだから結婚できねえんだよ。そうだ、今回の温泉旅行だけどさ、お前と穂積先生の間を取り持つチャンスにしようぜ。俺らが頑張って準備してやるよ」

「えっ? えっ? えっ? 水本先生、なに言うてるんですか」

「だからさ、今回の温泉宿で、お前と穂積先生を二人っきりにする時間をつくってやるからさ、そこでお前、穂積先生を押し倒せよ。そんでもって気合い入れて、そのまま一発やったら、一気にゴールインできるんじゃねぇのか」
 そう言って水本は大笑いをする。
 藤堂は困った顔で笑っている。

「おい藤堂っ、これでお前も目立たく結婚だ。なんなら、初弾命中で子供もできるかもしれねぇな。パパにもなれるぞ。もう、できちゃった婚とか気にするような段階じゃないだろ。なぁ!」
 水本は笑い続ける。
 ひとしきり笑い終えると、「よし、面白そうだ。じゃあ、あの三人を呼んでこいよ。いいな、頼むぞ」


11時55分。

永山先生 橿原先生
兵藤学長からの命令です。7日の10時に越ヶ浦駅に集合しなさい。
華獄温泉に行きます。
兵藤先生、水本先生、私がメンバーです。
1泊です。
穂積先生にも伝えておいてください。
大事な話です。なんとかして連れてきてください。

藤堂


 永山義春は研究室から内線を押した。
「あっ、いま大丈夫? いやね、さっきさぁ、変なメールが入ってたでしょ。あれ、なんなの?」

 橿原一如の声が受話器から出力される。
「はい、私も今見ました。なんですかね、これ。華獄温泉って、あの華獄温泉ですよね。僕、行ったことないですねぇ。永山先生はありますか?」

「いや、俺もないんだけど、でもさ、そういう問題じゃないよね。学長って書いてるよね」

「はい、穂積先生にも伝えろって書いてますけど、なにかあるんですかね。それにしても唐突ですね。明後日の話でしょ? これ、なんて返します?」

「いや、マジで鬱陶しいわ。なんなのこれ。俺さぁ、こういうの一番イヤなんだよね。っていうかさぁ、前の職場はこういうのが普通にあったからさぁ、碌でもないことになること間違いないわけよ。青葉大学なら、そういうの無くなるかなって思ってたのに、早速巻き込まれそうじゃん。これね、きっと学長派閥になれってことだよ。そういう工作」

「僕らみたいな底辺を取り込んで嬉しいんですかね」

「あのさぁ、実は俺、ちょっと前にアイツからそんな話をされたことがあったんだよ。なんだか嬉しそうだったよ。学長と一緒に温泉に行くぞって。極秘会合だって言ってたな。これ、そのことかなぁ。秘密結社を作ったぞって喜んでたから」

「でも、秘密結社を人にバラしてたらダメですよね。秘密じゃなくなったら、それただの集会ですよ。それに、越ヶ浦(こしがうら)ってこの辺じゃ結構大きい駅だし、人通りも多いですよね。そんなところで集合するんですか? 巨体の水本先生と、バカそうな藤堂先生が並んで立ってたら嫌でも目立ちますよ。あそこって教職員だけじゃなく、学生とかいっぱいいるんじゃないですか。絶対にバレるし。そもそも、このメールじゃ駅のどこに集まったらいいのか分からないし。越ヶ浦駅ってデカいでしょ。あとで聞いときますか?」

「え? じゃあ橿原君はこれに行くの?」

「まあ、この日に予定があるわけじゃないですから、華獄には一度くらい行ってみたいですし。それに、兵藤学長の命令ってなってるじゃないですか。ホントかどうか知りませんけど、やっぱり学長命令っていうのは気になります。普通に温泉入って、飯食って、お酒飲んで盛り上がるだけでしょうかね。だったらいいですけど、カラオケとか歌うんだったら、僕は苦手だから嫌ですねぇ。まあ、なんにせよ、面白い人生経験だと思って行ってみます。大学の学長と温泉旅行に行くなんて、なかなか出来る経験じゃないですよ」

「うーん。結構ポジティブに捉えるね。まあ、現時点ではそんなに危険な誘いではなさそうだからねぇ。契の盃を酌み交わすわけでもないし、ま、いっか」


 穂積里香は二人を前にして憮然とした表情だ。
「嫌ですよ私。絶対行きませんから」

 穂積の研究室に、永山と橿原がいる。
 永山から温泉招待メールを受け取った穂積だったが、詳細をもっと知りたいということで、永山と橿原が直接研究室に来た。

「まあ、僕の説明が悪かったかもしれないんだけど、これはあくまでも僕の予想で、おそらく派閥闘争の危険性がある、その可能性がある温泉旅行だって話なわけでね」永山が笑顔をつくりながら説明している。

「はい、おっしゃられている話は分かります。そして多分、永山先生の予想の通りだと私も思います。だからこそ、私はそこに関わるのは嫌です。それに、学長はどうだか知りませんけど、水本先生と藤堂先生が中心になってるんですよね。コイツらが関わって、まともな活動になるわけないじゃないですか。藤堂はバカだから無視するとしても、水本先生は本学における最大の癌ですよ。そんな癌細胞を重用している兵藤先生も、程度が知れるというものです」

 永山はたじろぎながら話す。
「いやね、水本先生もあんな感じだけど、策略家としての側面もあるんですよ。大学の運営って、やっぱり一筋縄ではいかないところがあって、いろいろとしょうもない裏工作をしていかなきゃダメなところもあるんですよ。まあ、ホント面倒な話ですけどね」

 穂積は談話用テーブルを挟んで椅子に座り、二人と対峙している。
 目をつぶって腕を組んで考え、十数秒。
 目を開いて話しだした。

「やっぱり、私は行きません。お二人だけで行ってきてください」

「ですよねぇ」と橿原が笑う。

 穂積は続ける。
「それに、なんで藤堂先生は私に直接言わないんですか? 廊下を挟んで目の前の研究室ですよ。もしかしたら、今もそこにいるかもしれないですよね。明かりついてるし。なんで永山先生と橿原先生を経由して招集するようなことをするんでしょう。その時点で、藤堂先生の思惑がポジティブなものとして受け取れません」

 永山は苦笑いしながら、「まあ、意味不明な奴ですから」と言った。

「いえ、分かりますよ。藤堂先生は私が嫌いですからね。あからさまです。だから顔を合わせて言いたくないんだと思います。でも、可哀そうな人だと思いませんか。こんな依頼をするのに、わざわざ年下の立場が低い人間を利用しなきゃいけないんですよ。哀しさを通り越して、笑いが出てきますよ」
 そういってわざとらしく鼻で笑ってみせた。
 目線はドアの向こうに向けられている。

 永山が言う。
「でも、穂積先生も、もうちょっと藤堂先生を優しく扱ってあげられないですか? 橿原君みたいに、まるでコールセンターのオペレーターか、ガソリンスタンドの店員みたくテキパキと対応しなくてもいいけど、穂積先生の場合は厳しすぎると思うんですよ。穂積先生ってまるで、相手の頭を掴んで床に叩きつけて、顔面を無慈悲にボコボコにするような対応をするじゃないですか、藤堂先生だけにかもしれませんけど」

 橿原がそれに付け加える。
「たまに、背後から延髄斬りすることもありますよね」と言って朗らかに笑った。

「私にはそのつもりはありませんよ。誰に対しても平等に、同じように対応しています。同じように対応しているから、藤堂先生の場合はそう見えてしまうんじゃないですか。むしろ、皆さんは藤堂先生を甘やかし過ぎです。ダメな時はダメだとしっかり言わなければいけません。もちろん、私だって、勘違いしてたり間違ってたりするかもしれないです。だったらちゃんと反論すればいいし、議論すればいいんです。でも、藤堂先生はそれができないですよね。すぐにヒステリックに喚き散らしたり、黙っていじけた態度をとって、会議を不毛なものにしたことが何度もありましたよね。適切な議論ができない大学教員って、存在価値がありますか? 無いですよね。このまま死んでも喜ぶ人の方が多いんじゃないですか? 私があの人に言いたいのは、プラスになることができなくてもいいから、せめてマイナスになることをやめてくれってことですよ。今回あの人、学科長になりましたよね。なんであんな人事になっちゃうんですか? 誰がアイツを推したんですか? 学外に顔向けできないですし、大学として自殺行為にしか思えないんですけど」

 永山は思わず手を前に出しながら言う。
「まぁまぁ、穂積先生。そこまで言わなくても」

 橿原がそれに続ける。
「たしか学科長人事って、学長と学部長の専権事項なんですよね」他の二人を見回しながら言う。

「ん? あぁ、そうそう」と、それに答えたのは永山だった。
「たしかこの青葉大学では、学長・副学長と学部長あたりが相談して、向こう2年任期の学科長を決めるんよ。本人からの辞退とかがなければ、たいてい、2期務めてから交代っていうのを繰り返すのが、この大学のパターンみたいだよね」

「じゃあ、やっぱり兵藤学長の意思が反映されてるんじゃないですかね。僕達の学科から押さえていこうっていう腹づもりじゃないですか。兵藤学長と水本先生は元々仲が良さそうだったし、藤堂先生は水本先生にべったりだから、丁度都合が良かったんでしょうね。藤堂先生を利用して、この学科を掌握する算段ですよ」

 椅子の背もたれに体を預けながら、穂積は誰に向けるわけでもなくつぶやいた。
「学長っていうのも、なんだか大変な仕事なんですね。どうか私達の仕事の邪魔をしないでほしいものです」

 永山がそれに同意しながら言う。
「じゃあ、穂積先生は外せない予定があるからキャンセルということにしておきますね」

「はい。あ、でも、お二人の手を煩わせるより、私からあの人に意思表示しましょうか? そのドアを開けて言えば済む話ですよね」

 永山は苦笑いする。
「いやいや、だからさ。穂積先生、そういうところが貴女のキツいってところですよ」

「え? 何がですか?」

「だって、ここで僕らじゃなくて、穂積先生から藤堂に返事しちゃったら、一体これまでの交渉手順はなんだったんだ、って感じになるじゃないですか」

「何が問題ですか? だってすぐそこにいるんですよ。研究室が目の前なんだから、手間暇かける必要ないですよね」

「いや、いないですからきっと。もしいても、穂積先生から言っちゃダメです。ここで穂積先生が返事したら、物凄いシュールな図になります。鶏小屋で親子丼を作るくらいシュールな図です」

「ん〜・・、よく分からないですけど、まあ、分かりました。じゃあ、お願いしていいんですね」


 永山と橿原は穂積の研究室を出ると、その前にある藤堂の研究室をノックした。
 中から返事があった。
 永山はドアを開け、顔だけ入れて穂積の話をした。

 藤堂は一言、「そうか、ま、それは彼女の選択やわ。どうなっても知らんけどな」とだけ言って、永山を帰した。

「橿原君、どうする? 水本先生にも話ししておく?」
 永山はそう言って、隣の水本の研究室を指す。
 ドアの窓からは中の明かりが漏れている。

「いえ、面倒ですからスルーしましょう」




8:2012年4月7日