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8:2012年4月7日

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2012年4月7日(土)9時45分

 越ヶ浦駅の西側ロータリーに集合することになっていた。

 橿原一如は、院生時代から使っている3ウェイバッグを背にして他のメンバーの到着を待っている。
 気にしなくても良いと暗示をかけてみるものの、やはり青葉大学の教職員や学生がいないかと周囲が気になる。
 そんな心理状態がバレないようにと、出来る限り無頓着の演技を試みている。
 こうして都会のど真ん中で、誰に向けたわけでもない演技をしている自分自身に少し恥ずかしさと虚しさが沸き起こる。

 越ヶ浦駅前は、週末の賑わいを見せていた。
 この地域では有数の繁華街でもあり、行き交う人々からは黄色いエネルギーが感じられる。

 そこに学長の兵藤芳裕がスーツケースを引いて現れた。
 チェック柄のコットンシャツにカジュアル系のスラックス。
 いかにも60代の旅行然とした格好である。

 橿原は、ありきたりな挨拶と雑談を続けることにした。
 状況はありきたりではないので多少緊張もしたが、話し始めればどうということはない。
 兵藤も、まだ派閥に関する話をしてくるわけでもなく、若手教員を気遣うベテラン教員の姿を見せている。

 そうこうするうち、永山義春、藤堂道雄が続けて現れ、最後に水本誠二が到着した。
 集合時間の10時直前だった。

 兵藤は水本に、「幹事さんが来なかったらどうしようかと思ってましたよ。今回は水本先生が仕切り役ですからねぇ」と言って笑いをとっている。

「いやぁ、学長、すみません。ちょっと家を出るときにごたつきましてね。うちの嫁が、最後の最後までグチグチ、グチグチ言ってきたんですよ、今回の温泉について。それで、準備してたはずのものがどこにあるのか分からなくなって、それで家を出るのが遅くなって、電車もギリギリのやつになってしまいました。学長のところは大丈夫でしたか? 奥さん、いろいろ言ってませんか?」

「そりゃ言ってきますよ。なんでこんな時期に温泉なんだって。でも、今年から学長になりましたからね。それでいろいろあるんだってことで納得させましたよ」

「じゃあ、また奥さんを連れてきたらいいじゃないですか」

「あぁ、そうだねぇ。今回の宿、すごく良いところなんでしょ? 楽しみですねぇ。本当に良いところだったら、今度は家内と一緒に行こうかなぁ」

「はい、いいんじゃないですか。サイトで星が4.5ですからね。4.7だったかな。期待できますよ。しかも送迎付きですからね。ここまで来てもらえるんです」

 そんな話をしていると、『華獄の里』とペイントされたマイクロバスが到着した。

 軽快にロータリーを回って、橿原たちのそばにある一般車乗降エリアで停車すると、ドアが開いて運転手が顔を出し、声をかける。

「水本様でしょうか!」

「はい、そうです」と水本。

「お待たせしました。華獄の里です。すみません、長時間ここには停まれませんので、どうぞお早めに!」

「よし、行きましょう。さ、学長、どうぞ」
 水本は巨体を震わせながらマイクロバスに向かった。

 学長、学科長、幹事、それぞれ笑顔で充ち満ちている。

 永山は橿原だけに聞こえるよう言った。
「ねぇ、これって秘密結社だったんだよね?」

「はい。その極秘会合です」


 温泉につかったあと、館内レストランで夕食になった。
 和風の渋くおしゃれな空間としてデザインされていて、まだ木材と葦草の匂いが若々しかった。
 皆、部屋に置いてあった浴衣と半纏を着て来ているが、橿原だけはTシャツに短パン姿だった。

「ねぇ、橿原君。俺、ビール頼んでもいいかなぁ」永山が小声で橿原に言う。

「いいんじゃないですか。温泉で夕食なんですから、ビールは普通ですよね」

「そうだよねぇ。でも、この人達、ぜんぜんお酒を飲む気配ないよね」

「ん〜。まあ、大丈夫だと思うんですけどね」と言って、橿原は思い切って聞いてみる。「あ、すみません。ビール頼んでもいいですか?」

 水本と兵藤が、ほぼ同時に同じように「いいよいいよ。どんどん飲んで」と言った。

 兵藤は、藤堂にウーロン茶を注いでもらいながら言う。
「ここの皆さんはね、お酒を飲まないんですよ。私もあんまり飲まないからね」

 水本は、「俺はな、体が悪いから酒はダメなんだ。医者に止められてる」

 藤堂は、「私も、お酒は飲まないようにしてますね。なるべく飲みませんわ。健康のためですから」と言った。

それを聞いて兵藤が言う。
「さすが、藤堂先生は健康科学の教員ですね。そういう地道なところを、学生に伝えてほしいですね」

「いやいや、そんなことありませんて。学長も健康には気をつけてるんですか?」
 藤堂は嬉しそうに話を続けている。

 橿原がメニューリストを永山に見せた。
「あ、じゃあ、俺はヱビスビールね。せっかくだからさ、良いもの頼んじゃおうよ」

「そうですね。そしたら僕は、白州ハイボールで」

「えっ、そんなのあるの?」

「はい。こっちのページにありました」

「じゃあ、俺も白州がいいな」

「ハイボールでいいですか? あと、山崎とか響もありますけど」


 食事中、それぞれの専門分野の話が中心になった。
 兵藤は社会学、水本はマネジメント論、藤堂は受け持っているテニス部の話をしていた。

「ねぇ、橿原君。他になにがあるの?」
 ウイスキーを一通り飲んだ永山が橿原に尋ねる。

「日本酒もありますよ。獺祭50とか、越乃寒梅とか、浦霞とか。どっちも大吟醸ですね。そういや、この越乃寒梅って、昔は幻の酒って言われてたみたいですね。新潟の学会に行ったときに、入ったそこの店の人から聞きました」

「今じゃ普通に飲めるのにね。たいてい、どっかの宣伝がもとで、それに皆が飛びついたせいで品薄になるんよ。ウイスキーとか、そうならんでほしいよね」

「僕のおすすめは、焼酎ですね。こっちのページです」

「あっ、俺の前でそんなこと言うの? 俺も焼酎にはかなりうるさいよ」

「凄いですね。このレストラン、ダバダ火振りがありますよ。これ、栗焼酎なんです。栗で作った焼酎です」

「へぇ、栗で焼酎が作れるんだね」

「はい。でもね、最近この焼酎、味を落としてる気がするんですよ。昔みたいなコクのある華やかさがないんですよねぇ」

「まあ、でもとりあえず、それいってみようか。ダバダ火振り」


 1時間半ほど経ち、レストランの給仕係が巡回してきて、「では、最後にデザートをお出しするのですが、選べるようになっておりまして・・・」と言って、デザートメニューを提示してきた。

 全員がアイスクリームを選んだ。

 なぜか口数少なくアイスクリームを食べ終えた。

「ねぇ、橿原君。ダバダ火振りって、このアイスクリームと合うよ」

「ですね。意外と合います」


レストランをあとにした廊下で、兵藤が言う。
「じゃあ皆さん、せっかくですから、私の部屋でもう少し話していきましょうか」

 いよいよ極秘会合だなと、永山と橿原はそれとなく目を合わせる。


 兵藤の部屋に最後に入ってきた水本は、紙袋を持っていた。
 それをちゃぶ台の上に置き、「それじゃ、私から皆さんにプレゼントです」と言って中身を取り出した。
 中には、ここ最近、越ヶ浦駅前で流行しているケーキ屋の一番人気の商品である特製ロールケーキが入っていた。
 さらに紙袋をまさぐり、「パフェもあるぞ。これは2つしかないから、分け合って食べよう」

 兵藤は喜んだ顔で言う。
「いやぁ、水本先生、すみませんね。私はなんにも用意してないから、危うく橿原先生にコンビニで何か買ってきてもらおうかと思っていたところですよ。いやぁ、水本先生は気がききますね。ありがとうございます」

「ほな、私はお茶をつくりますんで」と言って、藤堂は部屋に備え付けの瞬間湯沸かし器を持って洗面所に向かおうとする。

 それを永山が制しながら、「いやいや藤堂先生、私がやります」と言ったが、藤堂は「えぇがな、あんたらは座っときぃな」と言ってそのまま洗面所に立った。
 その結果、ものすごく味の薄いお茶が入ったが、それを指摘する人は誰もいなかったのが幸いである。

 水本はロールケーキを頬張りながら言う。
「それにしても、田之浦理事長の横暴なやり方は常軌を逸してますよね。あれじゃ、大学の本来の価値とバリューを下げる、ただの田之浦派閥による私物化、田之浦のためのプライベートな空間になってしまいますよ」

 兵藤は、パフェをつつきながら答える。
「ホントにダメですよ、このままじゃ。青葉大学は危機的な状況です。水本先生みたいに、それが分かっている人が教員のなかに本当に少ない。なんとかして大学を立て直さないと、あと5年後、10年後には破綻してしまいます」

 藤堂は黙ったまま、ロールケーキとパフェを食べている。
 個別に分けたロールケーキは、既に完食していた。

 兵藤は続けた。
「そうは言っても、田之浦理事長は政治が上手いんですよ。あの手この手で教職員を懐柔していきますね。そのなかでも特に河内先生だな。今は田之浦・河内ラインで牛耳ってますよね。もう、逆らえる人は少ないんじゃないかな」

「理事長は何が強みなんですか?」と水本が聞いた。

「まず、理事会を掌握してます。それに予算を牛耳ってるでしょ。もう、この時点で無敵なんですよ。あとはあの人の胸三寸で、気に入らない奴は切り捨てて、気に入った奴を引き上げるようにしています。もうね、組織として末期なんです。教育機関とは名ばかりの、ただのバカ騒ぎをする団体ですよ」

「そんななかに、兵藤学長が現れたんですよね。これは救世主ですよ」
 水本は他のメンバーを見回しながら、ニヤついている。

 藤堂はパフェを独り占めするのはマズいと思ったのか、手持ち無沙汰に、もともと部屋に備えてあった醤油せんべいを食べ始めた。
 乾燥した音が響き渡る。

「いやあ、救世主なんておこがましいですけど、田之浦理事長から気に入られているわけでもない私が学長に選任されたのも、奇跡的な話ですよ」

「学長選挙で、ギリギリで当選しましたよね」

「そうなんです。相手になった望月先生は、理事長の息がかかっている人ですからね。これはダメかなと思ったんですけど、勝ちましたね」

「私はあの時、物凄く興奮しましたね。これは凄い時代が来るぞって」
 水本は嬉しそうに笑う。

 兵藤はパフェを口にしながら話す。
「あの望月先生は、あれは厄介者ですよ。あれが学長になっていたら崩壊していたでしょうね。やっぱり、田之浦理事長の方針を嫌がっている先生方も多いんでしょうねぇ。だから、理事長と言っていることが違う私を推してくれたんだと思っています。それだけに、私は責任重大ですよ。この青葉大学を、きちんとした大学に改革することが使命だと思っていますよ。水本先生、サポートをお願いしますよ」

「はい、これからの大学は、いろいろと改革しなければいけませんからね。そう言えば兵藤先生、iPadって知ってますでしょ?」

「えぇ、あのアップルから出ているやつですね」

「はい。この青葉大学は遅れまくってますからね。ITが全然ダメです。もう世界の大学では、専用のiPadを用意して、それを学生全員に配って、専用のソフトで大学のネットワークを使って、各大学でクリエイトしてプログラミングされた専用のソフトを開発して、リアルタイムに学生との双方向性の、インタラクティブな授業をクリエイトしてやってるところもあるんですよ。これからの時代は学生の思考力、シンクするマインドを鍛えなきゃいけないのに、この大学ではまだ黒板にチョークでチーチーパッパをやってますよね。特に理事長のお気に入りの教員たちは、いまだにパソコンもiPadも使えずに、ひたすら授業ではしゃべるだけで、学生も皆寝てますよ。こんなんじゃ、シンクするマインドは育ちませんからね」

「そうなんですよ。理事長派閥の教員ほど、なんの勉強もしないんです。自己研鑽が足らない。そういう奴だからこそ扱いやすいんでしょうね、田之浦先生としても。そんな奴等が跋扈するようになったらお終いですよ。でも、いやぁ、さすが水本先生ですね。最先端をいってますね」

「これからは、グローバルな視点で、シンクするマインドを鍛えないと、このグローバルな世界では通用しませんからね。学生も、シンクするマインドを鍛えて、世界で通用する人間にしないといけないですし、それが大学教員である私達の存在意義だと思いますからね」

 藤堂は醤油せんべいを食べ尽くしたので、今度はせんべいと一緒に置いてあった、らくがんを次々と口に放り込んでいる。
 ボリボリと音を立て、口かららくがんの白い粉が舞う。
 そして案の定、「ウホッ、ゲホッ!」藤堂はらくがんを喉に詰まらせた。

「藤堂先生、大丈夫ですか?」
 兵藤が藤堂の方を向いて、心配そうに尋ねる。

「あっ、大丈夫です。だいじょう、カフッ、ゲフッ、か、橿原せんせー、かしはっ、ゴフッ、お茶っ」
 藤堂は、湯呑を橿原に向けて差し出した。

「どうぞ」と言って橿原はお茶を急須で注ぐ。

 兵藤は橿原に向っていう。
「そうですねぇ、やっぱりもうちょっと何か買っておきましょうか。橿原先生、申し訳無いけど、旅館の1階のところか、どこかのコンビニで何か買ってきてもらえませんか? お金は私が出しますよ。ちょっと待ってくださいね」と言いながら、バッグまで財布を取りに立った。

 そこで永山も立ち上がりながら言う。
「あの、何か飲み物も一緒に買ってきましょうか。ジュースとかウーロン茶とか。橿原君、僕も一緒に行きますよ」

「そうですか。ありがとうございます。じゃあ、二人に行ってきてもらいましょうか」と言って、兵藤は5千円を橿原に渡した。
「手間賃も含めて、それを受け取ってください」という言葉が、橿原にはちょっぴり嬉しかった。


 部屋を出た2人は、エレベーターで1階まで降りることにした。
 エレベーターに入って、永山が1階のボタンを押す。

「あのさぁ、この時間は一体なんなの?」

「極秘会合ですよ。今後の戦略を決める」

「でもさ、あれって甘いものを食べながら、他人の悪口とお互いのおべっかを言ってるだけだよね。」

「女子会みたいですよね」

「ホントの女子会に悪いよ。あんなの、大の大人が、男同士で語り合うことじゃないでしょ。それにさ、ずっとスイーツばっかりだよね。俺、マジでつらかったぁ〜。てっきり、酒を酌み交わしながら、大学の行く末とか語り合うのかなと思ったら、ただの悪口だよ」

「まあ、僕らも普段似たようなことしてますし」

「似てるけどさ、全然違うでしょ。今後の話っていっても、具体的なものは何も出てないよね。シンクするマインドくらいじゃない。だいたい、シンクするマインドってなんなのよ」

「鬱病じゃないですか。Sinkするマインド」

「それに藤堂なんかさ、あとちょっとで死にそうだったよね。あのまま橿原君がお茶を出さなかったら、死んでたんじゃない?」

 エレベーターが開いて、1階に降りる。
 売店を見てみたが、目ぼしいものはなさそうだ。

「せっかく5千円が手に入ったから、コンビニを探してみようか」という永山と一緒に、旅館の玄関を出る。

 華やかな温泉街である。
 玄関を出て50mほどのところにコンビニを見つけた。

「一応、アイスクリームを買っておこうか。あとは・・・」

「これとかどうです? プリン」

「いいね。やっぱりプッチンプリンがいいんじゃない?」

「こっちの焼きプリンの方が、あの人たちは喜びそうじゃないですか。このキャラメル具合が魅力的です」

「俺はプッチンプリンが好きなんだけどね。せっかくプリンを食べるなら、プッチンプリンがいいな」

「じゃあ、買っていきますか?」

「いや、いいわ」

「あと何にします?」

「もうさ、お酒買っていこうよ。飲み直したいし。あの人達と付き合ってると、スイーツの世界に入っちゃうからさ」

「焼酎でいいですか? どれにします?」

「えーと、あっ、『白岳しろ』があるじゃない。これいこうよ」

「いいですね。結局、これがコンビニで買える最強の焼酎だと思いますよ。あとは、おつまみですね」


 旅館に帰ると、ひとまず橿原の部屋に行って焼酎とおつまみを置き、兵藤の部屋に戻った。
 適当に買ってきたお菓子類と、アイスクリームにプリンを並べる。
 アイスクリームを溶けないうちに食べようということになった。
 藤堂はジャンボチョコモナカを頬張っている。

 兵藤が水本と藤堂と目を合わせながら言う。
「ところで、穂積先生は今回来れなかったんですか?」

 水本がこれに答える。「そうですね。彼女は予定があったとかで。まあ、誘ったのが直前でしたからね。それは仕方がないですけど。なあ、藤堂先生」

 藤堂は突然のふりに驚いたが、「はい、ええ、予定があってダメだということです」と返事した。

「そうですか、残念ですねぇ。じゃあ、穂積先生は、またどっかの機会で呼びたいですね。水本先生、またお願いしますよ」

 水本は笑顔で答える。
「はい、分かりました。今度もまた華獄温泉がいいですか? 別の旅館でもいいですし、ここをもう一回使ってもいいですけど」

「どちらでもいいですよ。水本先生のプランニングにお任せします」

「分かりました、また楽しみにしていてください。そういえば、田之浦理事長も仲間同士で温泉に行ってるそうですよ。それに、あの理事長秘書の土居さん。知ってますか? あれ、理事長の愛人ですよ」

 藤堂がプリンをスプーンで掻き込みながら、その話題に加わる。
「えぇ、その話は有名ですね。もう、事務の人はみんな噂してますわ。土居さんは理事長の愛人やて。ほんまにほんま、たしかに土居さんはべっぴんさんやからなぁ。土居さんも、ああやってこの大学で自分が生き残ろうとしてるんでしょうね」
 そう言って藤堂は、イチゴ大福を口に放り込んだ。
 プリンは既に食べ終わっている。

 水本が体をちゃぶ台に近づけながら言う。
「それでね、理事長の温泉旅行に一緒に行った奴から話を聞いたんですよ。佐野先生です。佐野先生も理事長に声をかけられてるみたいですけど、あの人は中立派ですからね。去年、入試で佐野先生と一緒になったんで、そこで聞いたんです。で、佐野先生が言うには、理事長と土居さん、混浴風呂に一緒に入ってるそうですよ。佐野先生が立ち聞きしたらしいんですけど、田之浦が猫なで声で『紗代子さん、お風呂に行こうかぁ?』って言ったら、土居が『はぁーい』って可愛らしい返事をしてたらしいですよ」
 そう言って水本は大笑いする。

 兵藤も笑い返しながら言う。
「理事長はまだまだ元気ですねぇ。あれじゃなかなかくたばらないなぁ」

「そしたら、兵藤学長も対抗して、頑張ったらいいじゃないですか。それこそ、穂積先生を連れてきて、混浴風呂に入りましょうよ」と言って水本はさらに大笑いする。

「へぇ〜、たしかに穂積先生も色っぽいですからねぇ。あれはなかなかのものですよ」

「そうだ。今度は混浴風呂のある旅館にしますよ。それで、皆で混浴風呂に入りましょう。なあ、藤堂先生、永山先生、橿原先生、それでいこうっ。だから今度こそ穂積先生を連れてきてくれよ。あと、他にも誰いないかな」水本は少し考え、「あれとかどうだ。学生課の中村さん。おぉっ、中村さんっ、あれは凄いぞ。顔もスタイルも抜群で、気持ち悪いくらいエロいだろ。あれは凄いものが見れるぞ。なあっ」そう言って水本は周囲を見渡しながら笑い続ける。

 兵藤も笑顔が大きくなる。
「水本先生、あんた張り切りすぎじゃないですか。でも、中村さんはいいねぇ。仕事もできるし、才色兼備を絵に書いたような女性ですよね」

 水本は藤堂に軽く詰め寄る。
「おい、藤堂、どうだっ。次の温泉旅行は、穂積先生か中村さんのどっちかを口説けよ。それでどっちかを押し倒してしまえ。それでお前もめでたく結婚できるぞ。なぁっ!」

 藤堂は左手を前にして拒否の仕草をとりながら、右手でポッキーをかじっている。

 兵藤もそれにのってくる。
「いやぁ、たしかに、そろそろ藤堂先生も身を固めなきゃいけないですからねぇ。いいですねぇ。この温泉旅行は、藤堂先生のお見合いも兼ねたものにしたらいいですよ」

「でしょ! 学長っ、今度は混浴風呂にしましょう。混浴風呂に入りながら、今後の作戦会議をしましょう。なぁっ!」


22時15分。
 橿原の部屋。
 ちゃぶ台をはさんで永山と橿原がいる。

「最悪だよね。なんなの、この極秘会合は。恥ずかしくて表に出せないという意味で、マジで極秘会合だよ」
 永山は、白岳しろの湯割りを飲みながら言う。

「女子会どころじゃないですよね。ただの野郎どもの卑猥な会ですよ」
 橿原は自分の分の湯割りをつくりながら言った。

「しかもさぁ、酒で酔っぱらいながらじゃないんだよ。完全なシラフでさぁ、甘いものを口いっぱいに頬張りながらだよ。狂ってるよね。もうさ、酒に酔ってて言っちゃいました、っていう言い訳ができないんだよ。だって、プリン食べとるもん。プリン食べながら女とやる話をしてるんだよ」

「それも、爽やか春風ホイップクリームがデコレーションされてるプリンですしね」

「そうだよ。店の中で一番豪華なやつをこれ見よがしに買っていったら、あの人ら、見事に喜んで食っとったよね」

「そう考えると、穂積先生がきっぱり断ったのって先見の明がありましたね」

「あの人さすがだね。女の勘というやつかね。それよりさ、藤堂先生、あのときイチゴ大福を食ってて、また喉に詰まらせそうだったよね」

「2個か3個くらい食ってましたよね」

「あの人さ、案外簡単なギミックで死にそうじゃない? 大福餅をそばに置いといたら、勝手に食って勝手に死にそうだもん。気がついたら、餅を食ってて死にましたってことにならないかな。ねぇ、橿原君、あの人に大福餅をたらふく食わせてみようよ。そのうち死ぬんじゃない?」

「いやですよ。死ななかったらもったいないじゃないですか。やるにしても、大福じゃなくて一般的な餅米を使った餅がいいと思いますよ。粘りのあるやつ。あと、意外とマンナンライフの蒟蒻畑とかでもいいかもしれません」

 永山は、少し開いたカーテンから外を眺めた。
 湯けむりと思しき白い靄が夜空に広がり、その中に小雨のノイズがわずかに見えた。

「あぁ、月曜から授業が始まるねぇ。それなりに忙しい時期なのに、温泉宿でスイーツ食べてる暇なんかないんだけどね」

「永山さん、そう言えば今年から始まる火曜4限の合同授業、あれってどんな計画と内容で進めます? 一応シラバスには適当に書いときましたけど、実際にどうやって進行するか決めてませんよね。事実上、どんな授業なのか誰も分かんないし」

「あぁ、ヤバいね。早く決めないとね。ったく。あ、もうさ、ここで決めちゃわない? パソコンある?」

「ありますよ。じゃあ、取ってきます」と言って橿原はバッグのところに向った。

「そう言えば、あの授業のシラバス書いたのも水本先生だよ。5年前に学科新設にあたって作った科目だよね。あれ、めちゃくちゃ適当だよ。どんな授業なのか、シラバス読んでもさっぱり分からんよね。担当する俺らの身にもなってほしいわ。俺も去年からここに赴任したわけでさ。だからさ、担当科目にあれがあったからさ、何やっていいか心配だったから、水本先生に聞いたんよ。そしたらさ、自由にやってくれぇ、って言うんよ。でもさ、あれって資格関連科目だよね。あんまり自由にやってると協会からチェックが入って危ないよ」

「別にいいと思いますよ。そういうの、南海大学でも似たような授業があるって僕の先生が言ってましたし。それで適当にやってても、誰もチェックなんかしないそうですよ」

「いや、そりゃ南海大学だからだよ。もともと信用があるもん。けどさ、青葉大学みたいなところだと、厳しいチェックが入るよ。どうせ弱小大学はちゃんとやってないだろって目で見てくるからさぁ。それに、学生がクレームを入れるパターンもあるしね。一応さ、開講初年度だけでもきちんとやっとかないと」




9:2002年7月24日