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44:2013年2月26日

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2013年2月26日(火)10時22分

 藤堂は研究室でエクセルファイルと対峙する。
 ディスプレイにメッセージ画面が表示されている。

「このファイルを開くためのアプリケーションがありません。ファイルを開けませんでした」

 敵は手強い。
 頭をかきむしる。

 内線が鳴る。
 1回のベルでとった。
 とりあえず休戦だ。

 学生課の課長・高石昇からだった。

「藤堂先生、あのー、ちょっと確認したいことがあるんで、お時間がある時にこちらの方までお越しください」

「おぉ、おぉ、高石さん。大丈夫や。今から行くわ、はい、はい、どーもぉー」

 溜息。

 なんやねん、今度はなんや?
 高石。
 アイツものんびりやっとるのぉ。
 ムカつくわ。
 またクラブの予算のことかいな。
 こっちは大変なんや。

 もっと大変なことを高石から聞かされた。

「・・・どうやらSNSでも拡散しているようでして。そんなわけで、萩原香代の親から、先ほどそういう訴えがありまして。えぇー、はい。えぇー、これにどうお答えしておけばいいか、ちょっとご相談して申し合わせておきたいんです。事が事ですので、大学事務全体として対処しなければなりません。学長や理事長にも情報共有しておきたいと考えております。それでですね・・・」

 高石の声が聞こえなくなった。

 聞こえていたが、聞いていなかった。

 ・・・・・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・・。

「・・そんなわけで、藤堂先生、どういう状況なのか、というところをまず」

 高石がしゃべっているのをさえぎって、藤堂は話す。

「いや!・・、」4秒静止して考え、「アイツやな。アイツがまわしよるんやわ」
 宙を見てしゃべる。

 藤堂は動き出す。
「高石さん、ちょっと待っとって・・、ちょっと・・」
 なんとかできるかもしれへん。
 気がつくと藤堂は、学生課の事務エリアから出ていこうとする。
 高石はそんな藤堂を止める。

「でも藤堂先生、とりあえずですね。萩原香代の親にはどのような返答をしておくか、そこをまずは。至急、藤堂先生からの説明が欲しいとのことでしたので。詳しい調査結果は後ほどということにしておいてですね・・」
 高石の顔に笑いはなかった。
 なんだか事態は想像していたより重そうだ。

「学生の個人情報、それも卒業認定の情報を外部に漏らしてしまったということについて、謝罪と事情説明をすることになるのですが、その際に・・」

 また高石の声が聞こえなくなった。

 聞こえていたが、聞いていなかった。

 あれ?

 なんやろう?

 俺がここにおる。
 ここは事務室や。

 目の前にテーブルがある。
 椅子があるやないか。
 なんでや。

 なんでこんなになってるんや?

 あれ?
 高石や。
 高石が前でしゃべっとる。

 ・・・・・・。

 そうか・・・。

 事態がドミノ倒しのように理解できてきた。
 点と点が線で結ばれるなんて、そんなクリエイティブな理解ではない。
 崩壊していくように理解している自分がいる。

 でも、それでも、なんだか俺は落ち着いてきたじゃないか。
 マグマのような恐怖が胸の奥にある。
 だが、今の藤堂は、その熱になぜか安心感を抱いた。

「高石さん、へへへ」
 藤堂は笑っている。
「大丈夫や」
 余裕を見せなくては。

「高石さん、まぁ、気にせんといてや。俺が萩原に言うとくわ。親にも説明させるわ」

「気にするなと言われましても、気になりますよ。大丈夫なんですか?」

「ああぁ、大丈夫や。まあ、またこの件で動きがあったら言うわ」

 藤堂は研究室に帰っていく。
 エレベーターの中で、顔は引きつっていた。


 研究室に戻った藤堂は、椅子に座って腕を組んだ。

 それから1時間半ほど、何も考えなかった。
 というか、考えられない。
 どうしよう。

 無の境地と言えばそうだが。
 脳機能停止と言えば、それがしっくりくる。

 でも、昼ご飯の時間がきた。
 とりあえず弁当を食べよう。



12時45分

 藤堂道雄は携帯電話を取り出す。
 連絡帳の「ゼミ」のグループを選択し、電話をかける。
 5回ほどの呼び出し音で相手は出た。

「はい。中田です」

「おぉえ。お前、なんなんや」

「はい?」

「なんやねん」

「え? あのぉ、藤堂先生ですか?」

「萩原が卒業できへんいうの、話したそうやないか」

「え? いや、私、話してないですけど」

「なんや、どういうこっちゃねん」

「いや、萩原さんから私も、中田さんも知ってる? って聞かれたんで、それでハイって答えたんですけど。はい」

「お前、アホやなぁ! それが話してる! っちゅうこっちゃ」

「え?」

「ほんまにほんまぁ」舌打ち。「誰やねん、萩原に卒業できへん言うてるの」

「はい?」

「誰やねん! て言うてんねん!」

「いや、誰でもないと思いますけど」

「せやったら、なんでこんなことになっとんねん」

「どんなことになってるんですか?」

「問題や。大学で問題になってんねん! 誰がバラしたんや? そういうこっちゃ」

「はい?」

「おま・・、ほんまに。・・誰やねん萩原に言うたんわ!」

「えぇと、萩原さんから聞かれたんで、だから皆、LINEとかツイッターで」

「なんや、誰が言うてんねん」

「いや、誰がとか、そういう感じじゃないんですけど。はい」

「お前ぇ・・」舌打ち。「もうこの話をするなよ。えぇな!」

「え?」

「この話はすんな! 言うてんねん。わかったか!」

「はい」

 電話を切る。

「なんやねん、クソ!」

 携帯電話の連絡帳を開く。
 次は森元咲子を選択。
 呼び出し音を聞く。
 視界にあった時計台の針は、午後1時ちょうどを指していた。

「はい、森元です」

「おぉえ、お前、萩原に卒業できへんて言うたんか?」

「あ、え? はい」

 こいつか。
 藤堂は目を閉じて、爆発する怒りを溜め込んだ。

「もう言うなよ」

「あ、はい。あのぉ、藤堂先生ですか?」

「これは内密な話やねん。俺から聞いた、いうことにはすんな。ええか?」

「あ、はい」

「これは絶対や。バラしたらお前、エライことになんぞ」

「あ、はい。でも、私が言ったっていうか、萩原さんの方から『私、卒業できなくなったよ』って言ってきたから、・・・そのぉ、萩原さんからLINEがきたんですけどぉ、その時に『知ってたよ』って言ったんです」

「お前なぁ! それがあかんねん!」
 藤堂は声を張り上げる。


 穂積里香は向かいの藤堂の部屋から聞こえている怒号に、耳を傾けざるをえなかった。
 聞くなという方が無理な話だ。

 藤堂は、自分の部屋のドアを開けっ放しにしている。

「そんな状態でそんな話をするかぁ?」とも思ったが、彼の声色から察するに、パニックで見境がなくなっているのだろう。

 藤堂が電話で怒鳴りつけているのは、私のゼミ生の萩原の話だ。
 萩原と言えば、先ほど学生課の高石から連絡があった。
 なんでも、学生の個人情報が駄々漏れになっているというようなことで、それがあの萩原香代の親からだったという。
 きっと卒業認定の話と関連があるのだろう。

 藤堂が話している様子からも、なんらかのトラブルが推察できる。

 ということは・・・。
 穂積に不安が頭をもたげてくる。
 これはちょっと、もしかすると私にも火の粉が降りかかるのかもしれない。
 突然、穂積の心拍数が上がった。
 手指に汗が湧くのが自覚できた。

 何かあった時のために、これはきっと賢い行動になるはずだ。
 穂積は机の中にあったボイスレコーダーを取り出し、スイッチを入れた。
 まさかこんなに早く、これを使うことになろうとは。

 藤堂の怒号がマイクに染みていく。


「おえ、森元ぉ! 知らんぞ。俺は知らんぞ」

「え? あ、はい」

「お前は、萩原に言うた、ということにはすんな。ええな。分かったな!」

「え? どういうことですか?」

「言うな! 言うてんねん。お前、問題を起こしてんねんぞ!」

「あ、はい。でも、さっきも言ったんですけど、私が言ったんじゃなくて、萩原さんから聞いてきたから、私たちは『知ってたよ』って言ったんですけど」

「なんや? だからなんやねん! おぉ!」

「だからその、バラしたとかじゃないんですけど」

「バラしてんねん! お前はバラしてんねん! 大学の秘密をバラしてんねん! これは問題なんや!」
 藤堂は椅子から立ち上がっていた。
「お前、知らんぞ。どうなるか知らんぞ。ええねんな! おえ!」

「でも、私が悪いんですか?」

「でもちゃうねん! これはバラしたらあかんねん! ええな! これは俺から聞いていることやないことにしとけ、それがお前のためや。そうやないと知らんぞ。お前、知らんぞ」

「あ、はい」

「おえ、他に知っとる奴はおんのか?」

「ゼミ生みんなです」

 そりゃそうだ。
 藤堂は目の前が真っ暗になった。
 本当に真っ暗になるものなんだ、そう思った。

 実のところ、目を瞑っていた。
 だから真っ暗になっているわけだが。
 まぁ、これは光学の話だ。


 その夜、LINEやツイッターでは、青葉大学の学生たちの間で、藤堂のゼミ生に対する脅迫行為が詳細に解説されていた。
 これはITの話だ。




45:2013年2月27日