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6:2012年4月3日

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2012年4月3日(火)14時05分

 今日は履修ガイダンスが午後から入っていた。
 青葉大学の3年次編入生である一条実咲(いちじょうみさき)は、編入生用のガイダンスということで特別に設けてもらっている。
 彼女以外にも3人の編入生がいるのだが、編入元の大学や短大のカリキュラムによって一人ひとり扱いが異なってくる。
 かなり複雑なので、大学事務としても神経質に説明する部分である。

 一条は午後2時に履修ガイダンスを終えた。
 仰々しい事務的な説明会のようなイメージをしていたのだが、終わってみればなんだかあっけないものだった。

 もっとも、一条の場合は昨年まで在籍していた短大と青葉大学との科目の整合性が強く、あまり混乱せずに引き継げるものであったことが大きい。
 こういうケースであれば編入生への説明も簡単である。

 一条は時計を見る。まだ2時を少し回ったところ。

 そう言えば、今年から入る予定にしていたゼミの先生に挨拶をしておこうか。
 もし、その先生が研究室にいればの話であるが。四年制大学の教員は研究室にいないことが多い。ということも聞いたことがある。

 事務の学生課に行き、そのゼミの先生の研究室の場所を聞く。
 もらった資料の中にも研究室の場所が示されていたが、初めて来た場所でもあるし、どこがどこなのか分からない。
 こういう場合は事務室で尋ねたほうが無難だ。

 学生課に行ってカウンターに身を寄せると、中年の女性の事務員が対応に来た。
「あのぉ、すみません。永山先生の研究室はどちらですか?」

「あ、永山先生ですね。えぇっと・・。ちょっと待っててね」と言ってその女性は後ろの若い事務員の仕事の手を止め、何やら話をしている。
 そして振り返り、
「ええと、先生への御用はどういうものですか?」

「あ、はい。今年から編入してきたんですけど。ゼミの先生なので。それでご挨拶をと」

「ああぁ、そういうこと。そしたらねぇ。ちょっと待ってて。先生がいるかどうか内線してみるね」

 一条は「あ、はい」と言って待つことにした。

 その中年女性の事務員は自分のデスクに戻って内線をかけている。
 なにやら頷いている。
 永山と話しているのだろうか。

 その事務員は戻ってきて一条に話しだした。
「永山先生は研究室にいるようです。夕方になったら研究室を出ちゃうそうなので、今からならOKみたいですね。それで」と言って、いったん後ろを振り返り。「永山先生の研究室は、初めての人は行くのが難しいので、この事務員と一緒に行ってください」と言うと、その後ろに座って作業していた若い女性の事務員が手を止め、立ち上がって一条の方を向いてニコリを笑った。

 一条は不器用な笑顔を見せておいた。


 一条は若い女性の事務員と一緒に事務室を出る。
 その人は「一条さん、私は中村(なかむら)と言います。よろしくね」と言ってくる。
 中村は背がスラリと高く、スマートなモデル体型のようである。
 肌はやや褐色を呈している。
 髪は短めで少し栗色に染められ、弱いウェーブがかかっていた。

「はい、よろしくお願いします」と一条は返した。

「永山先生の部屋って行くのが大変なんですよ。一回行けば大丈夫なんだけど」

 そんなに大変なのか。
 一条は面倒くささと期待感が入り混じった気分になる。

 中村は歩き方も上品だ。
 仕事用の歩き方なのかもしれないが、少しマネてみようかと一条は思った。

 図書館につく。
 玄関には向かわず、その図書館の右手に回っていく。
 そして、その図書館と大学棟の外壁の間にある、なんとも微妙な通路、いや隙間を通ることになった。
 幅にして80cm。
 たしかに、これは通路として見ることが出来ない。
 隙間である。
 左に図書館の壁、右に外壁。
 その間を通るというのだ。
 たしかに初見では通る気にはなれない。

「別の行き方もあるんだけどね。でもそれは図書館の業務用エレベーターとか、そういうのを使うことになるから」と隙間を一緒に通りながら中村は話す。
 入り口から10メートルほど入ったところで、「凄く太っちゃうとここ通れないよね」と中村は笑う。

 上を見てみる。
 図書館の外壁がせり出していて空は見えない。
 強い風がなければ雨が降っても傘をささずに通れそうだ。

 30メートルほど行ったところを道なり、もとい、隙間なりに左折。
 10メートルほどで左折、2メートルほどで右折、10メートルほどしたらまた右折。
 ひたすら幅80cmの一本道を進む。

 トータル70メートルくらいだろうか。すると図書館側の外壁にドアがあった。中村はそこのドアを開ける。

「ここはね、基本的には永山先生が研究室にいれば開いてるの。それ以外は使わないから閉まってる」はい、そうですか。と一条は返事をした。

 ドアの先には倉庫のような空間があった。
 正面には大き目の両開きのドア。
「そこのドアは図書館内に通じてる。まぁ、ここも図書館内だけど。ちなみに、そのドアはほとんど使うことはないのよ。永山先生がお手洗いに入ったり、先生が大きめの荷物を搬入するときに開けるくらいかな、今は」

 そのドアとは別に、入って右奥にも大きなドアがある。
「これが永山先生の研究室へのドア」中村は進んで行き、そのドアを開ける。

 すると、そこには暗い通路があった。
「ここからがクライマックスだよぉ」
 中村は笑う。

 ゆっくりと歩いて行く。
 何もないツルッとした壁の廊下。
 本当に真っ暗だ。
「電気をつけてもいいんでしょうけど、まぁ、先生だけしかいないから。先生もつけないし。それに何か置かれてるわけでもないから。背中からの光だけでなんとかなるって感じかな」中村は話す。「はい、ここ」

 2人は両開きの重そうなドアを前にした。


13時25分。
 図書館内にある研究室で、永山義春と橿原一如が会話しているところに内線が鳴った。
 永山がそれをとる。
「はい、永山です。あ、どうもお世話になっています。・・・はい、はい、えぇ、しばらくいますよ。はい。え? あぁ、ここに来るんですか? はい、大丈夫ですよ。はい、分かりました。じゃあ、ここにいますね。あっ、でも4時くらいから調査があるから大学を出ちゃうんですけど、その子、そんなに長くはならないんですよね。はい、はい、ありがとうございます。はいどうも」

「永山さん、なんか用事ですか? 僕、帰ります?」

「いや、大丈夫だよ。なんかね、来年度の、っていうか、もう今年度か。その3年のゼミ生が挨拶に来るって」

「へぇ、今どき珍しいですね。できた学生ですね」

「うん、その学生、編入生なんよ、どっかの短大からの。俺もちゃんと見とらんけどね、学生資料とか。で、なんか今日はガイダンスで来てるからってのもあるらしいんだけどね。ここの位置、分かりにくいでしょ。迷路じゃん。だから事務の人がつれてくるらしいよ。っていうかさあ、問題は橿原君、そっちの件だよ。なんなの、そのアップルヒールって。何一つ意味が分からんよね。意味が分からんっていうか、何一つ納得できんよね。だいたいさぁ、なんでアイツは橿原君のところにその学生を送り込んだの? で、パーティーでしょ? パーティーって」と言いながら、永山は堪えきれずに笑った。

「僕の学生指導力を鍛えるためらしいですよ。藤堂先生なりのテストだったんですかね」と橿原はわざと真顔で言う。

「んなわけないでしょ。どう考えてもアイツの適当な思いつきでしょ。しかもさあ、エイプリルフールを間違えてて、しかもエイプリルフールをハロウィンと間違えてて、さらにハロウィンでやることも間違えてるんよ。何一つとして正しい事が無いことをさ、堂々と他人に押し付けてきとるんよ。これ以上の人類の愚行を俺は知らんよ。もうアウシュビッツ収容所くらいしか残ってないんじゃない」

 橿原も堪えきれずに笑った。
「凄いですよね。だって、だってですよ、普通ならどっかでおかしいな、ってなるじゃないですか。少なくとも、アップルヒールってなんだろうって考えるはずですよ。もう、迷いがないですよね。自分を信じ切ってるんですね」

「で、やることがパーティーでしょ? なんでパーティーなんよ」永山は苦しそうに笑っている。

「多分ですけど、ゼミ生に媚びたかったんですよ。パーティーを開いて何か食べさせれば、学生からの評判が上がるんじゃないかって。今年の藤堂ゼミの4年生たちって、かなり藤堂先生に反抗的みたいですし、そういう空気を払拭したいって気持ちがあったんじゃないですか。それに藤堂先生、普段のゼミでもよくパーティーやってますからね。でも、年度始めのこの時期に、ただ普通にパーティーをやったら、なんの目的でやってるのかって文句が出たり批判される恐れがあるから、ゼミ長である松本に企画を丸投げして、運営力を鍛えるって名目にしたんですよ。で、4月1日だからってことでエイプリルフール。彼にとってはアップルヒールですけど、なんかよく分からないカタカナの舶来イベントはパーティーが付き物だろうという頭が働いて、で、最近流行のハロウィンとごっちゃになって、じゃあ、ゼミパーティーを開こう、って思考になったんだと思います」

「アイツさあ、何かって言うと二言目には『社会人に必要な力』とかいうでしょ。あれウザいわ。お前こそ何一つ力が無いだろって」

「別に藤堂先生に限った話じゃないですよね。他にも結構な数の教員が、『社会人に求められる能力をつける』って言ってますよ」

「なんなのこの風潮。それさえ言っとけば学生が興味を持つと思ってるんかね」

「いえ、多分ですけど、学生を脅したいんですよ。挑発と脅迫です」

「あぁ、はいはい、それかぁ、脅迫ねぇ。でもさあ、脅迫、つまり外発的動機づけでは深い学びはできないっていうのが、今どきの教育界ではスタンダードだと思ってたんだけどねぇ。っていうか、先日のFDでも、外発的動機づけじゃダメってこれ見よがしに喋ってた先生もいたでしょ。どうしてそこだけ全力で無視するのか分からんわ」

「僕が思うに、おそらく多くの大学教員が、社会人に必要な力、つまり就活スキルの獲得のことを外発的動機づけだと位置づけてないんじゃないですか? 人間という存在は、すべからく就活することを望んでいると。それが人間の条件なんだと。それこそが大学の存在意義だと思ってるんですよ」

「就活が人間の条件て、絶望的だね。どっかの政治系SF小説みたいでキモいわ。なんかそんな小説あったよね、タイトル思い出せんけど。こういうのって、かなりヤバい状態だよ」

「ですよね。狂ってますよ」
 そう言って橿原はペットボトルのお茶を少し口に含み、ゆっくりと喉に通して話を続けた。
「そう言えば昨日、たまたま学内で松本に会ったんで聞いたんですけど、例のアップルヒール・パーティーは、普通にピザと寿司を食べて、ジェンガで盛り上がったそうです。費用も藤堂先生が全部出したみたいで。良かったですね」

「っていうかさあ、そもそも学生はどう思ったんだろうね。だってアップルヒール・パーティーだよ。なんだよこれって感じじゃない?」

「それが、学生としてはピザと寿司が食べられたから満足らしいです。アップルヒール・パーティーっていうのも、全然意識されずに終わったみたいですよ。それに、多分ですけど、松本がそのあたりのことを上手く隠したんだと思います。あの子も気づいたんじゃないですか、エイプリルフールのこととか」

「へぇ。でもさあ、その橿原君の予想が正しいとすれば、松本って凄いよね。良い子だね。自分の先生がキチガイだっていうのを、ちゃんとフォローしてるんでしょ」

「松本って、授業とかでも真面目ですよね。実習系でも積極的に参加してくるし」

「けど、ダメだよ。こういうのを放置してたら、そのうち松本みたいな子は、アイツから酷いこと押し付けられるよ。気をつけとかないと」

「ですよね」


 永山研究室の前で、中村はそのドアをノックする。返事はない。
「ま、中で返事しても聞こえない、というところかな」

 もう一度ノックしてから、中村はちょっとずつドアを開けながら、「すみませーん。失礼しまーす」と言って、最後に「中村ですけれども」と追加した。

 中からの蛍光灯の光で一気に廊下が照らし出される。
 同時に、奥から声が出る。
「はいはい、ご足労おかけしました」
 永山と思われる男性がドアまで出迎えている。
「まあ、中にどうぞ」
 永山はホテルのボーイのように左手で研究室内を指した。

 中村は「あ、どうも。今日は私はこれで。この学生が一条さんです」と言っている。

「君が一条さんね」
 永山はこちらを向く。

「では」と言って中村はそのまま帰った。と思ったが立ち止まり、「もし行き方が分からなくなったら、また言ってください」と一条に向かって笑い、また振り返って帰っていく。

 来るのが面倒なだけで一本道だから大丈夫だろう。
 覚えている。
 一条はお辞儀をして永山の研究室に入った。

 永山は研究室の中に少し入ってきた一条に話しかける。
「あ、どこかそこらへんの椅子に座っていいよ。なんにも出せないけど。少し時間をくれるならコーヒーが出せるよ」

「いえいえ、大丈夫です。すぐに帰りますので、ありがとうございます。でも、凄いところに研究室があるんですね」
 そう言いながら一条は中に入ると、そのへんと言われた場所を中心に椅子を探した。
 すると、既に座っている男がいる。
 その男が口を開く。

「どうも、ご入学おめでとうございます。私は同じ学科の教員で橿原です。すみません、挨拶に来たみたいですけど、お邪魔しています」

 一条は教員が2人いることに少し驚いたが、もともと既に緊張していたこともあって、さして気にならなかった。

 永山がさらに、「そのあたりに座って」と言うので、とりあえず座ることにした。

 研究室を見渡してみる。
 窓は一切ない。
 ここで電気が消えたら完全に真っ暗になるのだろう。

 キョロキョロする一条に気づいた永山が言う。
「あぁ、ここね。図書館の増改築の影響で生み出された空間なんよ。ちなみに、ここは図書館ではなく、その隣に立っている5号館。そこにある通路は、図書館と5号館をつなぐ通路として設計されていたらしい。けど、今は図書館も5号館も改築された影響で、こういう部屋が生み出されたみたいだね。5号館からも入れず。図書館からも入りづらい。そんなところができちゃったわけ」

 一条は、あらかじめ決めておいた挨拶の言葉を並べた。
 初めてことだったので長く感じたが、1分ほどの時間だったと思う。

 永山は、「うん、わざわざ丁寧に来てもらってありがとう。また来週からですね」と返した。

 それまで椅子に座って本をめくっていた橿原が続けた。
「いやホントに、こんなに丁寧に挨拶に来る学生って珍しいですよ。一条さんって凄いね」

 一条は照れくさそうに笑い、軽く肩から上だけで何度かお辞儀をしたあと、せっかくなので背伸びして大学教員と世間話をしてみたくなった。
 これも初めてのチャレンジなので、話し始めようという瞬間に緊張感が急上昇してくる。

「あのぉ、ところで。今年のゼミ生って何人くらいいるんですか? すんなり先生のゼミを選べたんですけど、少ないんですか?」
 話しているうちに、その緊張感は急低下してきたのを実感する。

 永山は片手で頭をかきながら話す。
「ん? あぁ、1人だよ」

「え?」
 まさかとは思ったが聞いてみた
「私ともう1人?」

「いや。君1人」

 へ? そういうものなのか?

「驚くことはないよ。そんなの普通だからね。ま、こういう大学、つまり、ちょっと小さめのワイワイガヤガヤやるような大学では珍しいんだろうけど。でも、たしかに今年の1人というのは少ないかな。例年、といっても僕は教員生活はまだ7年目で、この青葉大学では2年目だけど、僕のところを選ぼうとする学生って少ないんだよ。魅力がないのかねぇ。だいたい一桁で推移してるかな」

 一条が編入学の相談をしていた短大の先生からは、永山先生は優秀な研究者だから、もしかすると編入生だとゼミを選べないかもしれない。でも、希望するだけ希望してみたら。と言われていたところだった。
 永山ゼミに入れたことをその先生に報告すると、もの凄く驚いて羨ましがられた。
 なんでも、その先生は永山と同じ研究分野であり、その先生が憧れている若手研究者の一人だとのこと。

 2年前から青葉大学に赴任しているそうで、それまでは別の大学に勤めていたのだと短大の先生からは聞いた。

 ゼミ選びの資料を思い出してみる。
 見たことも聞いたこともない単語が並んだ簡素な説明文だった。
 他の教員一覧と比べると英語で書かれた部分もいくつかあって、なんだか遠い世界だと感じたものである。
 たしかに、その先生の勧めがなければ選ばなかったであろうゼミである。

 青葉大学でのゼミは、3年次から4年次の2年間を、同一の教員のもとで学ぶスタイルを採用している。
 2年間を共にする研究室選びだが、その選ぶ基準は様々だ。
 興味、簡単さ、楽しさ、特徴的なイベントがある、などなど。

 事前情報がない一条は、とりあえず短大の先生のアドバイスに従った。

「あのぉ、先生、ゼミのテーマなんですけど」

「ん? なに?」

「卒業論文の作成が必須だっていうやつです。あれ、かなり難しいのですが、どうなりますか?」

「どうなりますかって、どうにかするんだよ」

「ダメだったら?」

「ダメだったら、ダメだよ」

「卒業できないんですか?」

「まあ、このゼミではそういう仕組みにしてる」

「今までに卒業できなかった人はいますか?」

「いないよ」

「あ・・・、そうですか」

「君が最初の人かもね」

「あ、んー、キツイかもですねぇ」

「別に論文を書きあげることだけが目的じゃないからね。僕の研究テーマという切り口から、物事にきちんと向き合って自分自身で考えられる人間として卒業させたいだけ。そうじゃなければ大学に来た意味なんてないでしょ。それに僕は全力を尽くすだけだし」


 ひとしきり雑談を終えた一条実咲は、研究室のドアを開け、暗闇のなかに戻っていった。
 それを見送った永山義春と橿原一如はまた話を続けた。
 橿原は手にしていた本を本棚に戻しながら言う。
「今年は永山さんのところは1人なんですね。でもあの学生ならいいんじゃないですか? 来年以降も楽しみな学生ですよ。咄嗟の回答でも、クラシックな語彙や単語を使えてますよね。あぁいうタイプは将来有望です。自分でちゃんと勉強できそうな人ですし、課題もしっかり取り組めそうな感じがします」

「そうだけどねぇ。でも、やっぱりゼミの人数が少ないのはさみしいよ。多いほうがなんだかんだで良いと思うけどね。それに、青葉大学だとゼミの人数で評価が変わるでしょ。俺、意外とそういうの気にしてるから」

「あぁ、はいはい。先日の教員自己評価票にもそんな項目ありましたね。担当している学生人数っていうのが。たしか、3・4年生合わせて25人以上だと特別ポイントがつくんですよね」

「もともと演習の授業を担当していない先生もいるじゃない。で、びっくりしたのがさ、その他の項目のところに『面倒をみている学生の人数』っていうのがあったんだよ。この意味がよく分からないから、事務の人に聞いてみたんよ。だってほら、俺、意外とそういうの気にする奴だからさ。そしたら、学生生活で困っている学生の相談にのってあげているとか、進路の相談にのってあげているとか、そういうのでもカウントしていいって返答だったんだよ。そんなの評価ポイントにするような事なの?って感じよ。ヤバくね? もうさ、本学では学生に関わってない教員は評価しませんっていう意図が有り過ぎてビビるわ」

「この学科だと、藤堂先生以外にも、あと何人かの先生は、この特別ポイントをもらうためにゼミ勧誘に必死みたいですよ。毎年、10月くらいに2年生から次年度の希望ゼミを募るじゃないですか。そのあたりの授業で、本来の授業そっちのけで自分とこのゼミの様子を紹介するみたいですよ。それこそ、ゼミ・パーティーとか、たこ焼きとかクレープ焼いてるとか、あとは合宿とか、いつも卓球大会とかサッカーやってるってアピールするんだそうです」

「なんなのそれ、ゼミ活動じゃないじゃん」

「そうなんですけど、それで毎年20人近くが騙されて入ってくるみたいです。まあ、実際のところ本当にやってるわけだから騙されてるわけじゃないんですけどね。ここで言う騙されてるってのは、高等教育としての本質的な部分での話です」

「けどさ、橿原君のところは、たこ焼きもクレープも焼いてないのに、毎年ゼミ生が集まってるよね」

「集まってるって言っても、最初の年が12人で、去年は6人、今年は10人です。結構バラバラですよ。特別ポイントはつかないですし」

「いや、でもそれはゼミに魅力があるからだよね」

「魅力、魅力って言いますけど、そういうゼミの魅力っていうの、私としては教員が気にするのは好ましいとは思えないんですけどね。ゼミ選びって時代の流行に左右されたり、説明文の読まれ方とか、あとは教員のキャラとか、現役ゼミ生とか卒業生の様子に影響を受けるでしょ。僕の場合、この大学の学生にとって取り組みやすそうな内容で、しかも2年生までの知識でもイメージしやすい内容だからだと思います。それに、卒業論文は必須にしてませんし。永山さんの場合、ゼミ説明の段階で卒論必須というのを出してるじゃないですか。あれって学生にとっては選択時のハードルが高くなるんですよ」

「まあね、卒業論文については譲れんのよ俺は。絶対に書かせたい。書かせることを前提としてゼミ生を募りたいんよね。学生自身が、その課題のエキスパートとして、最後に俺をなんとか説き伏せることができたら卒業って感じにしたいんよ。本気で一つの課題に向き合ってさ、その領域の専門家である人間を納得させられたら、それが学士の称号だと思うからね。あっ、でもさ、橿原君のところは卒論必須にしてないけど、結局みんな卒論書いていくよね」

「はい、僕もそこに誘導してますから。ほぼ3年次は、卒論勧誘のための1年間ですよ。卒論についての位置づけは、僕も永山さんと同じです。本当は必須として最初から打ち出したいんですけど、やっぱり敬遠する学生が多いと思って。僕らがいた南海大学のゼミ選びでもそうだったじゃないですか。周りの学生みんな、あの先生は卒論が必須だとか、休講になる日が多いとか、夏の合宿が面白いとか、そんな話ばっかりしてて、実はその先生の研究分野の話なんてほとんどしてなかったでしょ? 永山さんも、最初に必須って書かなければいいと思いますよ。そもそも、卒論を書けるような学生じゃないと、永山さんのゼミは選ばないと思います。クレープを焼いたり、卓球大会したい学生は、別のところに行きますから」

「そうかなぁ。まあ、俺もポイントを稼がないと、大学当局から睨まれるかもしれんからなぁ。卒論必須って書いてないけど、事実上の必須でしたってことで騙そうか」




7:2012年4月5日