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34:2013年1月24日

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2013年1月24日(木)13時30分

「うっわ。ホントに橿原先生だ。橿原先生が来てる」
 エプロン姿の社会福祉学科3年・西村明佳(にしむらあきか)は、口元を手でおさえながら、保育園の玄関で橿原一如を出迎えた。

「そうだよ。悪い?」
 橿原は保育実習の巡回に来ている。
 大学の中でも、派手なギャル系として有名な西村の実習先である。
 どうやら彼女は、スカウトがきっかけでモデル業もやっているようで、将来的にもその仕事を続けていきたいと言っている。
 背もスラリと高く、スタイルも良い。
 二度見したくなるような風貌であることは間違いない。
 実際、卒業後もテレビコマーシャルやドラマのチョイ役などで登場することもあるそうだ。

 西村は、そのモデル業の都合で実習時期をズラしていた。
 本来なら実習時期の融通は認められない。
 しかし、半ば芸能活動をしている西村を、青葉大学もパンフレットやDVDなどでイメージガールのように扱っていた手前、特例のように扱っていたのだ。
 そんなこんなで、時期の調整が上手くいかずに、青葉大学における通常の実習時期とは大きく異なるこの日程になった。

 橿原はウェルフェアプロデュース学科の教員であるため、社会福祉学科の学生の実習巡回はほとんどしない。
 だが、今回のようなイレギュラーな時期の実習などでは、人員不足を補うためには橿原のような学科外の教員も実習巡回には回ることもある。
 社会福祉学科として認定している社会福祉士や保育士といった資格は、厚生労働省の管轄である。
 その厚生労働省が、これらの資格取得のための実習巡回、およびその指導には、厳しい条件付きの対面指導を要求している。
 社会福祉学科の教員だけで賄うことができない場合には、学科外の教員も手伝うことになるのだ。

 西村の実習先である保育園は、青葉大学からはかなり遠い。
 車で3時間近くかかった。ちょっとした旅行だ。

 西村はそのキャラクタからして保育実習では苦労する、つまり現場の指導担当から注意されることが多いのではないかと学内では注目されていた。

 しかし、どうやらそんな心配はないようである。
 いつもメイクバッチリ、きわどいスカートに胸元がパックリ開いた西村はそこにいなかった。
 玄関で「こいつ誰だ?」と思うほど、地味な女性になっている。

 保育園の指導担当の先生からの評価も概ね良好。
「最初は苦労したようですが、徐々に慣れてきて、今では積極的に子供たちを相手してくれています」と、順調な実習が行えているコメントをもらった。

「では先生、チョットだけですが園内をまわってみますか? 今、お昼寝の時間なので中に入ったりするのは難しいんですけど」
 60歳代の女性の園長が橿原に聞く。

「あ、えぇ、そうですね。お願いします」
 出されていたお茶を飲み干し、橿原は立ち上がった。

 年齢別に分けられた部屋をまわっていく。
 西村もとりあえず一緒についていく。
「どこも皆寝てますからね。変わり映えしないですが」
 園長は申し訳無さそうに笑う。
 最後に3歳未満の部屋に着いた。
 そこで子供をあやす保育士と挨拶をする。
 そう言えば、これが赤ちゃんか、久しぶりに見たような気がする。

 事務室まで戻る廊下で、園長は世間話のように聞いてきた。
「先生は、保育の専門の方ですか?」

「あ、いえ。実は専門外ですね」と橿原は笑う。

「そうでいらっしゃいますよね。なんとなくそんな感じがしました」
 園長は落ち着いた笑顔を向ける。

「すみません。本来なら、巡回指導には専門の者が来るのがいいのでしょうけど」

「いえいえ、他の大学さんも、同じような状況ですよ。でもどうしてこんな無茶な実習指導体制にするんでしょうね。なにか理由があるんですか?」

「まあ、厚労省あたりがなんか言ってるみたいです。あまり詳しくないんですけど」

「そうですか。私達も実習を受け入れているのに、きちんと存じ上げていないものですから。なんにしても、私共も保育士としての指導のお役に立っていればいいのですが」

「専門外の人間が言うのもなんですが、とても充実していると思いますよ。西村さんの様子をみれば、そんな気がします。大学にいる時と比べても、全然違いますから」と言って西村の方を向く。
 西村はハニカミながら笑顔をつくる。

「そうなんですか? まあ、とても華やかな女の子ですよね。彼女がいると、何かこう、パァーッと明るくなりますものね。最初は私たちもビックリしました。なかなか見ないタイプの女の子ですからね」
 そう言って園長はころころ笑った。


 最後に園長と、引き続いての実習受け入れの挨拶を言って別れてきた。

 西村は橿原を見送るため、職員用サンダルを履いて駐車場まで付いてきた。
 付いてきながら話を始める。
「先生、なんで先生が実習巡回に来たんですか? 先生って学科が違いますよね」

「まあ、いろいろと大人の事情ってもんがあるわけよ」

「先生って、1年生の頃に体育実技の授業でお世話になりましたよね。私のこと覚えてますか?」

「覚えてるよ。今みたいな格好じゃなかったもんね。何もかもが派手だったよね。男子たちの目が凄かったし」

 西村は恥ずかしそうに笑う。
「あの時は大学デビューだったんですよ。やり過ぎた感はあります。でも、2年の終わりくらいから、だいぶ抑えてますから」

「そうなの? だったら良いんだけど」

 橿原は自動車のキーのリモコンを押す。
 ムーブのドアロックが外れる音がした。

「先生って意外と可愛らしい車に乗ってるんですね。今からまた大学に帰るんですか? あっ、そう言えば先生。福祉の清水先生って知ってますか?」

「え? 清水先生? 知ってるよ。どうしたの?」

「はい。私の友達が、私の学科の教員にセクハラされたって騒いでるんですよ。なんか、脚とか胸とか触られたって。私が実習を始めた頃から、ずっとLINEとかでそんな話題になってて、近いうちに大学でも大騒ぎになるよって」

「そんな話聞いたこと無いけどねぇ」

「そうなんですか? 私、この実習でずっと大学に行ってないからよく分からないんですけど、友達同士でだいぶ盛り上がってるみたいです。実際に、大学ではどうなのかなって思って。なんか特に、河内ゼミの間で凄いみたいですね。他の先生たちもサポートしてくれるからって。かなり大事件になるよ、って楽しそうです」

「そういうのって、楽しい話題とは思えないけどなぁ」

「でもまあ、いいや。私も今は実習の方が大変ですよ。あんまりそういうの気にしてる余裕ないし。でも実習もあと3日ですよね。今はとにかく乗り切らないと」

 橿原は、西村に冗談交じりの励ましを言って別れた。
 自動車に乗り込んだ橿原に、西村は3回ほど手を振ってお辞儀をし、小走りで玄関に戻っていった。

 すると、ポケットのスマホが鳴りだす。
 正確にはバイブモードの振動音。
 それに、電話ではなくメールだった。

「お、藤堂からか」
 そうつぶやきながらメールを開く。

 メールにはこうあった。

「橿原先生、私をほめてください。300字程度でお願いします」

 なんだこれは?

 あまりにシュール過ぎるので、そのまま永山義春のところに転送してみた。
「私ではほめることができないので、代わりにお願いします」と但書を入れておいた。

 大学に戻った頃、永山から返信が入っていた。
 そのメールを読んでみる。
 藤堂道雄は大変優れた人材である。
 まず、早起きである。早起きであるという時点で健康的に違いない。朝に余裕を持って行動するため、的確に時間をマネジメントすることができる。当然朝ご飯も余裕を持って食べることができるため、慌てて喉に詰まらせるなんてことは皆無である。余裕がありすぎて2度目の朝ご飯を食べちゃうくらいである。
 次に、学生サービスが得意である。藤堂道雄は、焼き芋やたこ焼き等隙あらば学生にこれらの催しを行う傾向がある。ときにたかられた少年のごとき態度でこれらを行っているように感じることすらある。それは、そのくらい学生サービスに徹していることの裏返しである。決して、授業をやりたくないからこれらを行っているわけではない。藤堂道雄なりの愛情なのだ。
 また、研究、教育、実習、学科業務等何一つまともにできないにもかかわらず、それをミスターサタンばりに取り繕うスキルを有する。このような力を発揮できる人材は、藤堂道雄以外には見たことがない。
 最後に、マネジメント生理学という新分野を構築し、過呼吸患者にショートケーキを食べさせるという処方を実践した。このエピソードからもわかるようにオリジナリティあふれる着想で、どこに向かうか誰にも理解できない方向へ学問の幅を拡張しつつある。これらの類い稀な行動力も評価に値する。
橿原はそれに返信する。

「永山先生 ありがとうございます。残念ながらこの文章ですと550字ということで、300字を大きく逸脱しております。ですが、藤堂道雄という人物を的確に評価したものとして注目に値するものです。これを基に再構成し、藤堂先生にお返ししておきます。お手間をとらせてしまいました。よろしくお願いします」


 ところで結局、あの「私をほめて」というのはなんだったのか。

「たぶん、これだな」

 研究室に戻った橿原は、本日付で大学人事課から全教員宛に送信されていたメールを見ながら思う。
 毎年この時期に作成を依頼される自己評価票。
 添付ファイルになっていたエクセルシートを開くと、「総合的な自己評価」の入力セルに、300字程度の文章が要求されていた。

 しかし、藤堂はまともに文章を書くことができなかった。
 そこで困り果て、その文章作成を誰かに依頼しようと企んだ。
 ところが、青葉大学内での実績を書かなければいけないため、その事情を知らない学外の誰かに頼むことはできない。
 そうかと言って、学内の人に自己評価の文章を書いてくれと頼むと、文章作成能力が無いことがバレてしまう。
 それは避けたい。

 ではどうしようかと考え、学内にいる人物、藤堂が強く出ることができる人物、あとでなんとでも誤魔化すことができる人物という三拍子揃った者として、橿原に白羽の矢が立った。
 さらにその上で、自己評価票のための文章ということがバレないように、目的外の頼み方を考案したわけである。

 そうやって形になったのが、「橿原に俺をほめさせる文章を作成させる」という作戦。
 自己評価のための文章とは、すべからく客観的な視点でほめた文章のことだと認識しているからだ。

 客観的な文章が書けない藤堂としては、いっそのこと実際に客観的な立場からほめて貰おうと考えた。
 その文章を利用して書類を作成すれば、自己評価票が完成するはずだ。

 なんとも手間のかかる男である。

 昨年までの藤堂は、なんとか自分で作成していた。
 しかし、作成依頼として添えられた説明文の読解力も語彙力も乏しく、キーボードの文字入力もおぼつかない。
 何が正解なのか分からないため、がむしゃらに作った書類を事務に提出していた。

 当然、不備として返ってくる。
 そのたび、笑って誤魔化しながら加筆修正を繰り返す。
 それが何往復にも及ぶ。
 結局は提出期限の2月中旬を過ぎてしまい、毎年のように人事課から督促されるのがパターンだった。

 そう言えば、昨年度も橿原がこの書類作成を手伝っている。
 その際の300字文章は誰が作成したのだろう。
 藤堂本人だろうか?
 そこはやはり先輩である笹岡なのか?
 もしかすると母親か?

 実のところ、2011年度の自己評価の文章は、テニス部の主務・岸本佳苗が作成したそうである。
 岸本は、ちょうど1年前の1月下旬に藤堂の研究室に呼び出され、そこで「自分のテニス部の監督をほめる文章を300字で書きなさい」という課題を出されたそうだ。
 一体なんの課題なのか意味不明だったが、テニスの連盟だか協会だかへの提出書類なのかもしれないと思い、素直にそれに従った。

 橿原がそのことを岸本佳苗から聞いたのは、彼女が卒業してから後のことである。


 日も沈みきった時間。
 橿原は内線をかける。
「・・・、あ、藤堂先生。どうも橿原です。あのですね、昼にいただいていたメールの件なんですけど」

「おお、おお、いけそうか?」

「その、あれですよね。とりあえず作成するための下敷きといいますか、書いてほしいテーマや項目をください。それで作成します」

「ん、なんやて。もう一回言うて。なんで下敷きがいるんや? パソコンで作るんやで」

「いえ、その文章を作成するためのテーマです。これについて書いてほしい、みたいなものが先生のなかにありますよね?」

「いや、なんやろな? もう一回言うて」

「いや、あの、そうじゃないと書けないんで。なんでも書けば良いというものじゃないですから、こういうの」

「ん? なんや?」

「ですから、その文章を作成するための素です。それに応じて私が書きますから」

「ん? そうか?・・・・・」

 沈黙。

 電話の奥でガサガサと音もする。
 何をしてるんだろう。
 ノロノロしたくないので声をかけてみた。
「先生?、もしもし。もしもーし」

 そう言っていたら、受話器から藤堂の爆音が帰ってくる。
「ああぁ、橿原先生、そしたら、テーマを送るからな。今から」

 藤堂はここにきて観念したのか、メールで「ほめてほしいことリスト」を送ってきた。
 テニス部の成績、学生の就職先について書いてほしいそうである。

 橿原はそれを無視して、永山が送ってきた文章を改変したものを入力しておいた。

 藤堂は、この5年間で初めて締切前に自己評価票を提出できた。




35:2013年1月28日