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35:2013年1月28日

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2013年1月28日(月)9時50分

 清水明史は、学長代行の岩崎貴将に呼ばれて学長室に来た。
 少し確認しておきたいことがある。という内線であったため、清水は「メールか何かで済ませてくれよ」と思いながら学長室のドアをノックした。

 応接用テーブルを囲むソファには、岩崎だけでなく、事務局長の菅沼幹浩、社会福祉学科長の鈴木利信、教員の山崎祥子、河内寛、大月賢一が座っていた。
 なんとも仰々しい。

 学長代行の岩崎は、「ご足労おかけしました。どうぞ。こちらへ」と言って、ロの字型に組まれた会議用テーブルの、山崎の隣の椅子を指示する。
 清水は座る際、山崎と軽く会釈した。

 清水が腰掛ける。
 他の6人は資料とおぼしき印刷物に目を通していたが、それをテーブルに置く。

 岩崎が話を始めた。
「清水先生、えー、ちょっとご確認したいことがありまして。えぇ、そんなに時間は取らせませんが、少しデリケートな話なものですから。こちらとしてもしっかり確認しながらお話します」

 そう言って河内は、A4のプリント用紙を手に取り直して話しだす。
「先日の1月12日土曜日、新入生オリエンテーション合宿の下見に、清水先生と担当学生の5名、計6名、これに旅行会社の担当者と運転手の計2名、全部で8人が向かったことになっています。これで間違いないですね」

 清水は、この異様な雰囲気での尋問めいた振る舞いに些か驚いたものの、気後れした姿を他人に見せたくない性分からか、当然だろうという態度で「はい。そうですよ」と言った。

「ありがとうございます。でですね。ここで同行した担当学生のうちの3人から、本学のハラスメント防止委員会へ訴えがありまして。はい。その内容というのが、清水先生から彼女たちが性的ハラスメント、つまりセクハラを受けたというものなんです」

 岩崎の言葉を聞きながら、清水はにわかに焦燥感が沸き立っていた。
 身に覚えがあったからである。
 嫌な汗が流れ始めたことを実感したが、平静を装う。
「いやぁ、でも、それってどんな訴えなんですか? そんなに大事になっているんですか?」
 セクハラって言っても、程度の問題があるじゃないか、という言葉は飲み込んでおいた。

 河内は頷きつつ、続ける。
「最初、彼女たちはこちらの鈴木先生と山崎先生、それに河内先生の3人の教員に対して訴えてきました。こちらの3人の先生方としては、その内容をしっかり吟味するということにして学生と別れましたが、その後ですね、彼女たちはハラスメント防止委員会のほうにも訴えましてですね。それが先週の木曜日、24日です。学生からのセクハラの訴えということでですね、急遽、ハラスメント防止委員会を開きまして、審議しましたが、その内容がちょっと不透明というか、複雑なところがありますので、これは清水先生と学生との間で解決してもらうような方向にならないかと、そういうふうに。えぇ、こちらの鈴木先生もそういう意向ですよね」

 鈴木は、返事を突然求められたことに少し戸惑う様子はあったが、「え、ええ、はい。そうです」と返した。

 岩崎は鈴木の返事を聞いて、話を続ける。
「そういうことで、つまり、清水先生と学生との間で、話し合いをするということで話を進めたいんです。ハラスメント防止委員会としては、その様子を見ながら、適宜、それをサポートするという話になっているようです」
 そう言って岩崎は、ハラスメント防止委員長の大月に視線をやる。
 大月は黙ってゆっくりと頷いていた。
「そんなわけで、いかがでしょうか、清水先生」

 清水は無言になる。

 それを見た岩崎がまた話しだす。
「ハラスメント防止委員会としましては、この問題をそこの委員会で深く取り扱うと、なんと言いますか・・、その、清水先生に前科を作るようなことになるんではないかと。そういう話になっているようでして」

 それを聞いた清水が言う。
「ハラスメント防止委員会って、調整機関でしょう。そこで捜査や評価をするわけじゃないですから。それに」

 岩崎がそれに対して慌てたフリをして言う。
「ええ、そうです、そうです。そうですよ清水先生。えぇ、はい。・・・、ただですね。そのハラスメント防止委員会の人達としてもですね。なんと言いますか、これを大袈裟な話にはしたくない、ということで。先ほど清水先生もおっしゃられたじゃないですか。全然たいした話じゃないかもしれない。もしかすると小さい話かもしれないじゃないですか。それをですね、ハラスメント防止委員会で何度も審議をするということになると、大学としては大変な事のように捉えるような動きになるわけでして・・、はい。ですので、清水先生と学生との間で解決の見通しをつけてもらって、それを後日ですね、ハラスメント防止委員会にご報告いただければ、そうですねぇ、例えば『清水先生から謝罪があって、学生も自分達の勘違いだったと納得した』みたいなことで一件落着、そういう話に出来るんじゃないかと、そう思うんですよ」

 清水は、今の時点で組織に対して反抗的な態度をとるのは良くないと思った。
「岩崎先生。わかりました。彼女たちと話し合いましょう」

 岩崎は笑顔になる。
「ああ、そうですか。わかりました。では」と言いながら、隣の鈴木、次に正面の山崎と目を合わせて軽く頷いた。
「学生との橋渡しや調整は我々でご用意しますので。・・では、そういうことで、鈴木学科長もよろしいでしょうか」

「はい、わかりました」と鈴木は言う。

「そうですか、では、山崎先生も」

「はい、私はなんでもいいですから・・」と山崎は口をへの字に曲げながら言う。

 岩崎は、その反対側に陣取っていた大月と河内の2人の方を向く。
「そんなわけで、大月先生、あとはハラスメント委員会で調整していただいて。あと、河内先生はゼミ生に連絡をお願いします」
 それに対し2人は、黙って頭を下げて、了解の態度をとった。

 岩崎は椅子から立って、「では、お忙しいなか、ご足労おかけしました。ありがとうございます」と言って、清水を出口へ誘導する。

 清水は、学長室から出ても気分が開放されなかった。
 むしろ、圧迫感は先程までの尋問中より強くなった。

 その後、学科長である鈴木に、事の次第について相談しようとも考えたが、そんな行動には至っていない。





36:2013年2月1日