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12:2012年5月9日

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2012年5月9日(月)14時20分

 永山義春の研究室に、橿原一如と穂積里香がいる。

「ですからぁ、中村さんのムスク値は低いですから。20くらいでしょ」
 橿原は二人にそんな話をしていた。

「いやぁ、結構高いと思うんだけどねぇ。たしかに、今回の華獄温泉では低ムスクだったね。でも、あれはかなり狙って消してきてたよ。だってさ、橿原君の部屋の前で会ったときなんかさ、ただならぬものを感じたもん。よくあるじゃん、サムライ同士がすれ違うときに、コイツできるなっていう殺気みたいなもののやりとり。あれだよ。ゴゴゴゴって禍々しい妖気を感じたよ。よくよく考えたらさ、あのときも、物凄く自然に飲み会に入ってきたしね。相当な手練だよ」

「ジャコウの匂いが強烈でしたか?」と穂積が聞く。

「いやぁ、凄い線量だった。あんなのまともに被爆したら、普通の男はいっちゃう。俺とかさ、妻子がいるから持ちこたえたようなもので、そうじゃなかったら、こりゃやべぇってなってるよ。アルファ・ロメオを買ってあげたくなっちゃうね。『さあ言ってご覧。どれが欲しい?』って」

「ベンツとかアウディじゃないんですね」と橿原が笑う。

「そう、アルファ・ロメオとかジャガーあたりだね。それに、かなり地味目の服装だったとは言え、あのふくらはぎを見せてくるのは流石だった」

「たしかに、ふくらはぎからくるぶしにかけての形は芸術的でしたね。魅惑の足関節。艶やかな黄金比」

「そう。カカトがしっかり形成されてたよ。たまに、オシボリを丸めて折り曲げただけのようなカカトの女性いるじゃない。中村さんはその点、完璧だった」

「すみませんけど、それもうムスクとか関係なくないですか? そんな二人のフェチシズムで盛り上がられても困ります」
 穂積は呆れて興味なさげな態度をとっているが、椅子に座り直しながら二人に向かって話しだした。
「それで、今後どうするんですか? いよいよ学長による大学改革のメンバーに入れられたわけですよね。抜ける、抜けるって言ってて、結局抜けられない状態じゃないですか?」

 永山がそれに応じる。
「そうなんだよね。どうしよう」

 橿原は落ち着いた声で話す。
「まあ、やるやる詐欺で通してればいいと思いますよ。何もしなくても、結構大丈夫だと思いますけどね。それに、現状、やりたいことが何もできない状態なので、こうやって大学改革に興じてたほうが楽しいかもしれませんし。趣味の一つですよ。学生とか社会に迷惑をかけない限りにおいて、社員である私達が生き残るための処世術です」

 永山は苦々しく笑いながら言う。
「ちょっとぉ、橿原君どうしちゃったの。君、もともと大学改革には反対してたよね。あんなの意味ないって言って」

「はい、今もそう思っていますよ」

「じゃあ、どうして処世術なんてこと言っちゃうわけ? それこそ橿原君らしくないよ」

「あくまで不本意ながらですよ。それに、やるやる詐欺ですから。大学改革に邁進するわけじゃなくて、ただただ興じるだけです。やってるふり。大学改革がんばってます! でも、がんばったけど出来ませんでしたぁ! ってことにすれば、三方一両損みたいな感じになりませんかね」

「三方三両損にならなきゃいいですけどね」と穂積があざ笑う。

「いや、橿原君、穂積先生の言うとおりだよ。皆大損して、何してたのか分かんない結末を迎えるかもしれないよね」

「だからやめとけって言ったのに」と穂積はしっかりつぶやいた。


 永山の研究室での談話が終わると、4限のゼミ演習もあるので橿原と穂積は時間差で帰ることにした。
 2〜3分の時間差をつくって帰ることにしたのは、こうして3人が仲良くしているところを、学長・理事長の両派閥の教職員に見られるのを恐れたからである。

 しかしながら、学長派閥は藤堂道雄、水本誠二、あとは葛西雅子に中村奈々未といったところだろうが、実質、藤堂と水本くらいしか学長派閥と言えるメンバーはいないと思う。
 先日の温泉旅館での様子からして、葛西や中村は政治活動に積極的ではないし、そんなつもりで参加したわけでもなさそうだ。
 それに、結局、兵藤学長も水本誠二も、葛西と中村にそうしたメンバーシップを取り付けた様子もなかった。
 一体、なんのために両名を呼んだのか、その成果について問い質したいと思うほどだ。
 なんとも弱小な派閥である。
 派閥というか、理事長の悪口を言い合う友達関係だ。

 そんなわけで、その他は圧倒的に理事長の息がかかった教職員で構成されている。
 橿原が中立派の穂積と仲良くしているところを見られたとしても、理事長派閥からすればなんとも思わないだろう。
 これを快く思わないのは、むしろ学長派閥の藤堂ただ一人と言っても良い。
 藤堂は穂積のことが個人的に嫌いだからだ。

 用心するに越したことはないもので、橿原は穂積が発ってから2分後に図書館玄関を出ると、ちょうどそこで藤堂と鉢合わせた。
 もし穂積と一緒だったらと思うとゾッとする。

「おおっ、橿原やないか。昨日までお疲れさーん」

「あ、どうも藤堂先生。お疲れ様です」

「これからゼミやなぁ。お前もこれからゼミやろ?」

「はい。先生は今日はどこを使うんですか?」

「今日は雨も降ってへんし、グランドの横で焼き芋大会にするんや。どうや、お前のところのゼミも一緒にやるか?」

「いえ、私は今日は実験室に行って、分析用のアプリケーションの使い方を説明するんで」

「なんやぁ、そんなことばっかりやってたら、そのうち学生から嫌われるぞ。まあ、真面目にやるんもえぇけどな、たまには息抜きさせたらな。ほんまにほんま、この大学の学生はレベルが低いからな、お前ら南海大学の奴等とは違うんや。ちゃんと学生に合わせて臨機応変に指導せぇへんかったら、あかんわ」

「はい。分かりました」

「ところで、どうしたんや? 図書館か? 永山先生のところかいな」

「はい、永山先生のところにちょっと用事があったので」

「あぁー、永山先生のところはゼミ生が一人やからな。大変や。あれは学生からの評価が低いからや。学長だけやのうて、理事長派閥からもバカにされとるわ」

「あ、先生・・・ちょっと」橿原は図書館前の3号館の方に顔を向けている。

「ん? なんや」

 すると、図書館玄関前に、一条実咲がやってくる。
 一条は藤堂と橿原に気づいて、メリハリのあるお辞儀をした。
 二人とすれ違う際にも軽く会釈をした一条は、そのまま図書館玄関横の通路に入っていった。
 会話のやり取りはない。
 一条としては、話をしている教員二人の邪魔をしたくなかったからである。

「なんや、あの子かいな? 永山先生の? えらい真面目そうやなぁ」

「はい。一条と言います。きっと優秀な学生ですよ」

「そうかぁ、良かったなぁ、ゼロじゃのうて。永山先生も、あの子のおかげやで。ほんまにほんま、ゼロやったら学長から何を言われるかわからへんからな」
 そう言って乾いた声で笑ったあと、口元に手を当てて内緒話のような仕草に切り替えた藤堂は、内緒話とは思えないほど大きな声で話しだした。
「ところでな、これは来年の話や。学長はバシィっと改革するぅって言うてるやろ? それでな、来年度に新しく授業を立ち上げようかっちゅう話があがってるんや。新しく授業を始めるにはな、もうこの時点で計画せなあかんらしいんや。それでな、学科長である俺に、来年度の授業改革の案を出してくれ、って言うてるんや。できるだけよその大学ではやってない、青葉大学独自のオリジナリティのある授業を展開したいらしいんや。それで今、俺もいろいろ考えてるんや。なんかないか?」

「はい?」

「なんか、新しく案はないか? っちゅうことや」

「新しい授業のですか?」

「そうやぁ。なんかないか?」

「僕が出して良いんですか?」学科長じゃないのに、とは言わなかった。

「ええねん。お前の案をな、来年度に活かそうと思うんや。なんかないか?」

「そうですねぇ」
 橿原はアホらしくなったのだが、自分が何か言ってそれが実現されるなら、それもありだと思って答えた。
「うちの学科限定でもいいですから、選択必修科目として茶道、花道をやったらどうでしょうかね」

「なんや、サドーカドーって」

「茶道って、お茶ですよ。花道は花です」

「あぁ、茶道な。けど、あれはスポーツじゃないやろ」

「スポーツの方がいいんですか?」

「そうや。俺が体育・スポーツの教員やからなぁ。お前は分野が違うから、そういう大事なところが分からへんのや」

「茶道、花道は提案できないんですか?」

「別にええんやけどな、そこはやっぱり、運動とか体のことを勉強する授業の方がええやろ。俺は学科長やからな」

「でも、茶道も花道も、身体のことを勉強することになると思いますけどね」

「ん? なんでや、お茶を飲んだり花をいけたりするんやろ?」

「はい、だから身体のことを意識せざるを得ないと思うんです」

「お前、そんな。いくらなんでもこじつけやで。お茶飲んで菓子食ったり、花を花瓶に入れることが運動ですぅ、って言うんは、笑われるで」

「そうですか? 私は身体を考える上で重要な文化というか、修行だと思うんです。茶道や花道がダメなら、瞑想とか禅とかはどうでしょうか。15週間分の授業にはならないかもしれませんけど、集中講義形式ならいけるかもしれません」

「あかんて、橿原。俺は体育・スポーツの教員なんや。学生もそういうものは求めてへんわ」

「学生が求めてるっていうか・・。考えてみてください。もし、うちの学科でこういうのを必修にしておけば、青葉大学の学生は全員が、お茶を点てられる。花を生けれられる。っていうブランドになりますよね。これってオリジナリティがあると思うんです。先生方も、青葉大学をブランド化したいって話をしてましたよね。それが実現できると思うんです。例えば、戦前の東京のある女子高では、当時としては珍しい温水プールを無理やり作ったところがあるんですよ。理由は、その女子高に入学すれば、他の高校より水泳が高度に習得された状態で卒業できる、ということを目指したからです。当時は女子高生が人前で水着姿になることは憚られたそうなので屋内プールとして建造され、しかも年中みっちり練習できるように温水プールになったそうです。水泳ができる女性が日本に輩出されれば、やがて日本人全体にその影響が現れてくるという理念があったようです。実際、その通りになったわけですよね。先日の温泉旅館で藤堂先生や水本先生が言っていた、『青葉大学から日本の大学を変える』というのにも合致すると思うんですけど、どうでしょうか?」

「けどな、そんなプールを作るには、莫大な予算がいるんや。今の青葉大学にそんな金は無いわ。テニスコートにも選手獲得にも予算が降りてけぇへんのやぞ」

「違います、温水プールを作るっていうのは別の話、戦前の女子高の話です。私が言ってるのは茶道と花道です。それに、別に茶道とか花道にこだわる必要はなくて、お金をかけなくても『身に付ける』ということキーワードにして授業を展開するのは有意義だと思います。書道とか、囲碁将棋とか、なんならテレビゲームでもいいんですよ。実際、今後はテレビゲームってバカにできない領域になると思いますし」

「お前、いくらなんでもテレビゲームて。けどな、そんな授業を立ち上げて、不評になったら誰が責任取るんや、っちゅうことになんねん。お前、責任とれるか? とれへんやろ?」

「そうですね、責任はとれませんけど。では、不評にならない授業を計画するということでしょうか」

「せやから、それが何かないか? っちゅう話をしてんねん。ほんまにほんま、お前はとろこい奴やのぉ」

「うーん・・・、そうですねぇ、では、焼き芋の作り方を授業として展開したらどうですか? クレープでもいいんですけど」

「ん? 焼き芋か。・・、そうやなぁ。それおもろいわ。よっしゃ、それ提案してみよか。じゃあ、授業をするにあたってどんな準備がいるか考えといてくれ、またあとで連絡するわ。あっ、いや、それ考えながら今日のゼミをやれるな。よっしゃ、また検討しとくわ。ほなな」
 藤堂は嬉しそうに図書館前をあとにした。

 橿原は、ゼミの開始時間に間に合いそうにないので、走って研究室に戻ることにする。
 無駄な時間になってしまった。




13:2012年6月20日